▼北海道民謡の「ソーラン節」と高知県の「よさこい踊り」をつなぎ合わせ『よさこいソーラン祭り』を始めたのが、当時北海道大学在学中の長谷川岳だ。
▼今では「雪まつり」同様、北海道の経済を動かす、大イベントに成長した。その長谷川は現在53歳、自民党の参議院議員だ。
▼多分若くして英雄扱いを受けたので、調子に乗って態度が横柄になったに違いない。機内での乗務員への威圧的な態度には、乗り合わせた歌手の吉幾三が、ユーチューブに投稿して、素行の悪さが露呈した。
▼札幌市役所職員や道庁の職員に対し、威圧的な態度をしたと、苦情が出ている。職員たちが何度も東京に呼び出され、閉口しているとの報告も出た。
▼それに対し、早速北海道の鈴木知事が、長谷川に電話を入れて、注意を促したという。知事の速やかな行動から見て、長谷川はよほどの成り上がり者に違いない。
▼議員に呼び出されれば、その夜は宴席を設けたのかもしれない。そんな役人の態度も改めてほしいものだ。だが美味しい席でも叱責されては、たまったものではない。
▼役人が議員にぺこぺこする様は、よく見かける。議会答弁書も作成させられている職員もいるようだ。「先生」などと呼ぶので、その気になってしまう。
▼「先生と言われるほどの馬鹿はない」とは、昔よく言われていたものだ。なぜか日本人は、議員を特別視する傾向がある。
▼今の国会議員の体たらくを見ていると、「先生」などと呼べる代物ではないと、勝手に言うが、選んだ国民の馬鹿さ加減も、猛反省が必要だ。
▼ある組織の役職についていた友人と一緒だった時、知り合いの議員と出会った。友人は役職の関係上「先生」と言い、丁寧な挨拶をした。
▼私は以前からの顔見知りでもあったので、普通に話した。友人は「君は議員を下目に見て話しているように感じた」と言った。
▼私たちが選んだ議員だから「頑張って仕事をしてほしい」と言っただけだと答えた。横柄さは私にもある。
▼役人にも議員に負けぬ、横柄な者がいる。役人は市民の下僕なはずだが、とは言うが、この発言も今ではパワハラの部類だろう。
▼だが、役人には市民のために仕事をしてやっているという、逆説的な考えを持っている者もいる。
▼役所との仕事が多いある年配の社長が「あの課の00職員だけは、横柄すぎてない許せない」と激怒していた。相当興奮したままあの世に旅立った。
▼私も以前、北海道から依頼された会場に着いた時、時間は十分間に合ったのに、知事がすでに到着しているので、遅すぎると叱られたことがある。
▼このような役人は、上の様子だけを伺って、いるタイプだと、歯牙にもかけなかった。懇親会で、私が知事と親しく話をしていたら、そばにいたその役人の顔が、青ざめるのを感じた。
▼その夜、私の部屋にその役人は謝りに来た。
「全く気にしなくてもいいよ」と私は答えた。よくある些細なことだからだ。
▼それにしても、政治家が国民を「バカ野郎」呼ばわりをするなんて許せない。それに『憲法』を無視する議員など、絶対許してはならない。
▼国民には「選挙権」という強力な武器がある。今回の政治資金問題にかかわった議員を、すべて落選させたいと思うが、それらが全員落選したとしても、政界が正常に機能するのか不安だ。
▼「野党論」(何のためにあるのか)ちくま新書の著者、政治学者同志社大の吉田徹教授は、こう述べている。
▼【野党は無責任で党利党略ばかり・・・。そう感じる人も少なくないだろう。だが野党は民主主主義をよりよくする上で、不可欠なツールだ。与党の取りこぼす民意をすくい上げ、政治に反映させ、争点を明確にし、異議申し立てをする。それによって代表制民主主義は安定を手にする】と指摘する。
▼そうであってほしいと願うが、今の野党に議会制民主主義を安定させる、そんな力は期待できない。野党を奮い立たせるのが国民の一票なのだが、その一票がいつも‟死に票”になる。
▼民主主義よどこ行った!と叫びたくもなるが、民主主義は『国民の権力』だと、古代アテネから聞こえて来る。