▼ 「戦争は政治の継続である」この点からいえば、戦争とは政治であり、戦争そのものが政治的性質をもった行動であって、昔から政治性をおびない戦争は無かった。政治が一定の段階まで発展して、もうそれ以上従来どおりには前進できなくなると、政治の途上によこたわる障害を一掃するために戦争が勃発する。障害が一掃され、政治目的が達成されれば、戦争は終る。障害がすっかり一掃されないうちは、目的をつらぬくために、戦争は依然として継続されるべきである。したがって、政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治であるといえる。
▼ この文章は、1936年に書かれたものである。今の時代にも当てはまる内容だ。米国が戦争を続ける理由が理解できるし、我が国がなぜ戦争する国へと舵を切るのか、その理由もわかるような気がする。
▼ 3:11東日本大震災。私たちは文明社会の発展の陰に潜む恐怖を、確かに実感したはずだ。それは、文明社会が限界に来たのではないかという自覚だ。「罰が当たった」と称した政治家もいた。我が国は、政治的にも経済的にも、限界が来たのではないかという、漠然とした思いを国民が感じたはずだ。それを一掃しようとするのが、アベ総理の考える「戦後レジュームの解体」なのだろう。
▼ アベ総理を賢明と思う国民は少ないはずだ。アベ総理の高支持率は、アベノミクスという和風英語に、気分が上昇した中央の人たちの、浮動票のようなものではないかと考える。「ええじゃないか政治」のようなものだ。実は、アベ総理は「行き詰まっている」のではないだろうか。もはや、戦争にしか、それらを解決する手段を見出せないでいるのではないだろうか。
▼ その理由が、アベ内閣の組閣に現れているようだ。自分を諌めるような人物を除き、秋波を送る人物を陣営に組み込んだのだ。大臣という名に、有頂天になる脇の甘い顔ぶればかりだ。すでに7人の閣僚が、政治資金規正法違反状態だ。オブチさんなどは、お金の計算ができない町娘だ。近所にいそうな、TPPおじさんも同様だ。だが、アベ政権が目指す、戦争をする国にするためには、なんといっても幼年教育の強化が必要だ。その先鋒に立つ、シモムラ文科相までが、馬脚を現した。
▼ 4月の統一選挙、その結果がどう出るか、日本国民が問われる選挙になるだろう。と、いつも選挙の時に言われるが、結果は現状維持だ。でもこの政権だけは、ダメだ。なんといわれようともダメなものは、ダメだ。
▼ 高齢化社会に突入し、国民のおおかたが認知症にかかっているといわれる我が国。つい最近発表された、流行語大賞を覚えているだろうか。・・・「集団的自衛権・ダメヨ・ダメ・ダメ」だ。
▼ 「ちょ・ちょ・ちょ・ちょ・ちょと待って、お兄さん。ラッスンゴレライ、なんですの。意味説明してよ!・・・アベ・アベ・アベ・アベ、アベのミックス。政治とカネがミックスし、泥にまみれた政権で、泥舟沈んでしまうこと。
▼一度やってみたかった、今流行の「ラッスンゴレライ」です。朝から無粋な個人芸、失礼いたしました。