函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

2021年大晦日

2021年12月31日 09時40分46秒 | えいこう語る
忌まわしい戦争が終わり
3年後に私は生まれた
16歳の時に東京五輪
コロナ戦争で1年延びた
2度目の東京五輪
私は73歳になっていた
ふりかえれば
新しい日本と共に生きてきた
コロナ戦争も終われば
また新しい日本を生きれる
でも「憲法改正」という
生まれる前の時代に
戻りそうな空気が漂っている
そんな愚かで悲しい時代に
突き進まないよう
2022年が
安全・安心であることを


今年も一年、私の妄想にお付き合いいただき、ありがとうございました。
                三等下

古事記の世界からつながる私の故郷

2021年12月30日 11時22分41秒 | えいこう語る
▼私が住む地域から20キロほど離れた所に縄文遺跡群があり、2021年7月に世界遺産登録となった。

▼その近くのジャガイモ畑から、1975年に3500年前という「中空土偶」が出土した。この土偶が北海道初の国宝に指定されている。

▼そこで私の家の庭を探したら、縄文の文様がはっきり付いた破片を20個ほど発見した。私の庭の隣は八幡神社だ。

▼海を前にした高台に位置しているので、畑を掘れば縄文の住居跡がありそうだ。そう思うと私も縄文人の末裔ではないかと、なんだか縄文が身近に感じる。

▼話は突然変わるが、町会に80歳に手が届きそうな未亡人がいる。その未亡人は散歩をしながら道端の草花を採取し、リース作りが得意だ。

▼先日町会の用事で未亡人の家に出かけると、リースの話になった。そこでリースの作品を見せてもらった。

▼リースははっきりした色合いのものだと思っていたが、淡い感じの上品な作品に心を奪われた。東京に出品したこともあり、雑誌社が取材に来たという話も聞いた。

▼その中に、オクラを大きくしたような緑色の変わった素材があった。「ガガイモ」という。私は初めてみたが、地域の中にはたくさんあるとその場所を教えてくれた。

▼私も採取してリースを作り、町会に飾った。それを見た町会の婦人たちは「ガガイモ」と話していた。知らなかったのは私だけのようだ。

▼縄文の本を読んだついでに「古事記」を読み返してみた。とはいっても、古事記は神様の名前を覚えきれないので、よく理解できない。

▼私の「古事記」は「江戸も京都もなかった時代の、神様のおはなし。他の本を買ったけど途中で挫折した人、初めて古事記を読む人に最適な、最後まで読める古事記です」と解説にある、漫画仕立ての古事記だ。

▼関西大学教授の村田右富実の監修で「わかる古事記」西日本出版社だ。奈良県主催の第一回古事記出版大賞を受賞している。とにかくわかりやすい。

▼「オオクニヌシの国造り」の章に、オオクニヌシに協力して国造りを始める、小さな神様スクナビコナが、舟に乗ってやってくるという場面がある。

▼その小さな舟が「ガガイモ」の実をくりぬいた舟だという。ガガイモの実は裂けると中から白い綿のような繊維質の種子がたくさん入っている。

▼その種子は綿のようなので、血止めとして使用されたり、葉茎を絞ると液が出て、毒蛇や毒虫にかまれた時に塗ると、消毒効果があるとされていたという。蔦の繊維は強靭なので、弓弦や釣り糸に使用されていた。

▼このことは、町会の未亡人たちは知らないはずだ。新年の町会の「とどっ子塾」で、教えてあげようと思う。

▼つまり私たちの故郷は、縄文の世界遺産登録地であり、古事記からの生物も生存する、歴史的に貴重な地域であるということを。

▼私の故郷【椴法華村】の名前の由来は、鎌倉時代に法華宗の日蓮大聖人の弟子である「日時上人」がやってきて、この地から唐の国目指して日本初の海外布教に出かけた。そこから『渡唐法華』となり、現在の【椴法華=とどほっけ】となったという伝説の村だ。

▼2022年の日本は【憲法改正】論議がかまびすしくなりそうだ。日本はどんな国に向かおうとしているのか。

▼ドイツ、ヴァイツゼッカー大統領の演説を思い出す。【過去に目を閉ざす者は現在にも盲目であり、未来も同じ過ちを繰り返す】。

▼些細な出来事でも注視しながら、戦争のない国へと、国民全員が力をあわせていきたいものだ。

▼神々の誕生・国造り・縄文人・アイヌ民族。私たちは学ぶものがたくさんある。それらの歴史の中に【平和】へのヒントが隠されているように思える。

▼「ガガイモ」と「中空土偶」。中空土偶もジャガイモ畑から出土した。アイヌモシリ=北海道は、日本の未来の新発見の大地なのかもしれない。

 
   ガガイモの育つ故郷にいて
              三等下

コロナ禍での断酒

2021年12月29日 13時50分00秒 | えいこう語る
▼2021年の正月が終わってから、酒を飲まないことに決めた。酒を断って読書に励もうという、我が人生にとっては、相当立派な心がけだ。

▼だが、本を読んで感動すれば酒を飲みたくなる。夕食時にはどうしても酒がなければならない食べ物もある。酒という調味料がなければ、まったく美味しくないからだ。

▼だが、酒を飲めば読書ができない。そこで行き着いたテーマが、【学問か酒か】という、高邁なテーマだ。

▼簡単に言えば【飲酒は頭が悪くなり、読書は頭が良くなる】と思い込むことにした。人生酒を師匠として生きてきた私が、師匠を裏切る行為に出たのだ。

▼だが、お世話になった師匠に背を向けては、人間として愚かだ。ということで、酒の調味料がどうしても必要な一品が配膳されると、師匠との会話を楽しむことにした。

▼「無理のない、肩肘張らない人生が大切だ」と、師匠に諭されたからだ。ということで、2021年を振り返れば、酒を飲んだ日は50日ぐらいだったと思う。

▼たかが酒を飲む飲まないくらいでと言われるが、私としては立派な成績だと自画自賛したい。さらに70歳を過ぎれば、飲酒の方が脳にとっては不健康で、読書の方は認知症予防に効果がありそうだということを確認した。

▼先日、新聞に「断酒会」の記事があった。驚いたのは、40年近くも断酒していた方が「今でも自分は依存症だと思っている」ということだ。

▼周囲に迷惑をかけたことや、手の震えなどの忌まわしい記憶が蘇ってくるからだという。先輩の私から見れば、断酒の決意が固すぎ、断酒というトラウマから抜け切れず、酒の妄想を断ち切れないからではないかと思う。

▼それなら「断酒会」の方々に「読書」を薦めたい。【断酒から読書】へと、目的を変えることで、その呪縛から解放されるからだ。

▼私の師匠の「無理しない、肩肘張らない人生が必要だ」を思い出すからだ。「酒を嫌ってはならない。人生を豊かにしていただいた酒に感謝しながら、読書に励むのだ。そうすると、自然に読書に心を奪われ、酒を飲む機会が少なくなるからだ」と、師匠は、自分から卒業できた弟子を喜ぶに違いない。

▼2022年の目標だが、私の町会館に、本棚を設置しようと考えている。資源ごみ回収の時、町会館前には結構読んでみたい本が捨てられている。

▼2021年から、町会で「とどっ子塾」というのを月1回開催している。参加者は高齢者だ。
カラオケや運動ばかりではなく、地域の歴史なども学ぶことにしている。

▼そこで町会に本棚を設けて「読書」を薦めようと思う。その手始めとして有名小説の「朗読」に挑戦しようと思う。

▼読むと10分から15分程度に内容をまとめた、そんな朗読に適した本を、資源ゴミの中から発見した。それを利用しようと思っている。

▼菊池寛「恩讐の彼方に」・森鴎外「高瀬舟」などの練習をしている。先日町会館で一人でマイクを使い伊藤左千夫の「野菊の墓」を読んでみた。これは涙が止まらない。何度も練習が必要だ。

▼ふと思ったが、これは伊藤左千夫が、民さんに捧げた「弔辞」ではないかということだ。私の友人が57歳で亡くなった時、私が書いた弔辞を思い出したからだ。

▼癌の壮絶な病棟生活だった。最期は看病する妹たちの「もう生かすのは止めてください」と看護師にお願いする言葉も聞いた。

▼弔辞を書いた。10回20回30回と読むが、涙が出て読み進めない。告別式の朝早く起き、読み返したらやっと読めた。式で読み始めると、やはり胸にこみあげるものがあった。

▼翌日、近所のおばさんたちが「昨日の弔辞よかったよ」と言ってくれた時、涙が目からあふれてきたことを思い出した。

▼2022年は【読書のすすめ】で、町会の高齢者の認知症予防に努めたいと思う。

   
   飲酒から読書にうつる変異株
               三等下

自然との「共感共鳴」

2021年12月28日 17時55分58秒 | えいこう語る

▼2021年7月に、北海道・北東北縄文遺跡群が、世界文化遺産に登録された。登録の中には函館市の旧南茅部地区がある。その地区から明治9年(1876年)に、私の故郷である旧椴法華村が独立した。

▼ということは、私の地域も世界遺産の登録地になったということだ。共に地区名に“旧”とあるのは、2004年に函館市に合併されたからだ。

▼単独の自治体の時は、縄文のムラ社会のように共同体が円滑だった。大型の合併は、弥生時代に入り広域的なクニ造りが始まった、そんな感じだ。ちょっぴりコミュニティーのアイデンティティが、失われた感じがする。

▼縄文草創期にムラができ定住がはじまる。ムラは周辺にみえる大きな(象徴的)ヤマを目印に、周囲の自然と「共存共生」を保ちながら、持続可能な環境を維持してきた。それが1万年にも及ぶ縄文時代を可能にした。

▼弥生に入り青銅器が持ち込まれ稲作が始まると、国家体制が徐々に確立される。そこで縄文は未開で、弥生が文明的だったと、ずっと考えられてきた。

▼だが、縄文早期の火炎土器や国宝の土偶を見れば、弥生とは比べ物にならない芸術性を感じる。縄文の精神性の高さは弥生を圧倒し、感動を覚える。

▼縄文人はそれぞれが精霊を宿す森羅万象とも言語活動を展開していた。春の小川がサラサラ流れ、風がソヨソヨ吹くのは単に耳に届く音をとらえていたのではなく、語りかけてきた川や風との対話だった。それは「自然との共存共生」にとどまらず、一歩進んで【自然との共感共鳴】であったのではないかと主張するのは、国学院大名誉教授の小林達雄著「縄文文化が日本の未来を拓く」徳間書店だ。

▼小林はムラの成り立ちに、言語が生まれる要素があることも主張する。ムラでの定住共同生活は、様々なことを伝えなければならない。生きるために共通項を確立し伝達しなければならない。そのために言語が必要だったので、自然発生的に生まれたという。

▼大陸から新たな文化が入り稲作が始まると、国づくりが始まり、国家秩序が確立されていく。
その急発展の中に、縄文時代のような精霊主義的な精神性が薄れていく。

▼やがて仏教の到来は、国家体制を内面的にも充実させながら発展し、確立していく。反面縄文の精神性は、対極にいる神道の中でDNA として、受け継がれていく。

▼ここで、現在に戻ってみる。今の政権は【憲法改正】を政治テーマとしている。その後ろには【日本会議】という、我が国最大の右翼組織が存在する。

▼この会議の構成メンバーの中に、神社本庁・伊勢神宮・明治神宮・靖国神社など、神社組織が名を連ねる。それと連動する政治家たちもいる。政治家を代表し1名だけ挙げれば、もちろんシンゾウがいる。

▼神道組織の中心的存在は天皇だ。現憲法では「政教分離」となっているが、自民党改憲草案では、最高法規である憲法99条の「憲法尊重擁護義務」から、天皇だけを外している。

▼この改憲案は何を意味するかと言えば、もし戦争が始まった時、我が国の象徴である天皇の責任は免れない。だから外したのではないかと考えられる。

▼だが改正案では天皇を国家“元首”とするとある。そうであれば天皇の戦争責任は免れない。
だが、国民統合の象徴であれば、象徴に責任を問わせれば、国民にも責任が課せられるので、不問にされかねない。

▼元首が問われなければ、総理大臣も問われない。つまり誰もが次の戦争の責任は問われないというのが、自民党の改憲草案だ。 

▼今の自民党が主張する「憲法改正」は、戦争をする国にするのだから、誰もが戦争責任を問われないという、そんな内容に思える。

▼きわめて粗雑な解釈だが、妄想癖の私が「自民党改憲草案」を分析すると、こんな策略があるのではないかと心配する。

▼縄文に根づいた【自然との共感共鳴】に係る文化的遺伝子は、政治思想史学者の丸山眞男の【基底すなわち“古層”を形成する核】として、今後も絶えゆることなく脈々と継承存続し、現代日本文化、日本人の心に息づいていると、小林は指摘する。

▼そうであれば【憲法改正】という根本的考えは、日本人の思想の原点を呼び覚ますことになり、危険な要素がふんだんにあるようにも思えてくる。

▼縄文文化の世界遺産登録が、日本の“古層”を目覚めさせ【憲法改正】に進まないよう、縄文文化も正しく学ばなければならないようだ。

▼小林は【縄文文化が日本の未来を拓く】と題したが、縄文を学ぶことで、真の日本人とは何かを学び、未来に生かさなければならないという事ではないかというのが、読書後の私の拙い感想だ。

▼車で20分ほどのところに、縄文の国宝「中空土偶」が住む、縄文文化センターがある。私は土偶に、未来がどうあればいいかの会話をするために時々出かける。

▼私は国宝の土偶は、結構饒舌だと感じる。3500年程眠っていたので、話したいことがたくさんあるようだからだ。

     土偶にもぼやきがある
             三等下

戦後日本人へ“喝”!

2021年12月26日 15時00分06秒 | えいこう語る

▼日曜日、私たち夫婦が一番楽しみにしているのが、TBSの報道番組、サンデーモーニングだ。司会の関口宏さんの年齢を重ねた巧妙な語り口も、政治不安の国にあって多くの明るさを届けてくれるからだ。

▼番組の中でもスポーツを担当する、元プロ野球選手張本勲さんの、軽妙洒脱な解説が大好きだ。人権を無視する発言が多い政治家がいる国で、張本さんの歯に衣を着せぬ発言は、なぜか納得するものがある。

▼東京五輪女性ボクシングで、金メダルを取った選手に「若いお嬢さんが殴り合っていいものか」というような発言をした。すぐ女性蔑視だと局にバッシングが殺到した。

▼張本さんは80歳代だ。私たち夫婦は70歳代だ。世代に共通する認識では、顔が変形したら、お嫁に行くのにマイナスになるのではないかと心配するからだ。

▼さらにその発言の裏には「若い女性ながらよく頑張った。それも金メダルだ」という、激励と尊敬があっての発言だ。

▼言葉は、その発言だけに注目すれば、内容をしっかりくみ取れないものがある。発言する人間をよく知らなければ、その人の真の思いは伝わらない。

▼今日のように情報が早い時代では、直観力や感情だけで判断してしまう。それでは識字能力の足りない、不寛容な世に中になってしまうのではないかと心配する。

▼「森友問題で、私や妻が関係しているのであれば、議員を辞める」とまで言い張るシンゾウ。8年もの総理の座にいて、彼の発言の大方は信用できないと、国民は納得している。

▼それを嘘ではないと判定する我が国の司法が、正義を喪失しているようだ。メディアも権力にすり寄っているきらいも感じる。メディアが、国家の片棒を担ぐようになれば、憲法は死に、国民主権は抹殺される。

▼ちょっぴり朝から激高したが、TBSの番組を23年間盛り上げた、張本氏が番組を降りた。降りたというより、事実上降ろされたと、私たち夫婦は憤りを隠せない。・・・TBSに二個“大喝”だ。

▼だが張本さんはTBSに感謝し、視聴者やスタッフに感謝を述べて、笑顔で番組を去った。そんな潔い張本勲さんに“大アッパレ”を贈りたい。

▼私は張本さんの若い時分の出来事で、思い出すことがある。張本さんのご両親は朝鮮半島の出身だ。張本さんが野球で有名になり始めた時、プロレスの力道山の自宅に招かれた時の話だ。

▼飲んでご機嫌な力道山が♪「アリラン」を歌った時、張本さんは「あなたも半島の方ですか」と言ったそうだ。「貴様ごときに俺の悲しみがわかるか」と張り飛ばされたという。

▼私たちの年代では、力道山は戦後日本のスーパースターだった。子供から大人まで力道山の伝家の宝刀の「空手チョップ」にあこがれた。

▼私は高校になったあたりで、力道山は半島生まれで大相撲に入り、その後プロレスに転向したことを知った。

▼張本さんは広島で生まれた。広島は被爆地だ。その地で在日二世が育つには、想像を絶する葛藤があったに違いない。だが張本さんは広島を応援し続けた。

▼様々な恩讐を乗り越えて、寛容の精神が養われたのだろう。それが自分を育ててくれた故郷と、周囲の人々への感謝からではないか。それこそが、真のスポーツマンシップだ。

▼「若いお嬢さんが殴り合ってもいいものか」という言葉には、自分が少年時代に喧嘩で明け暮れた、不良人生を振り返っての愛情ある言葉に聞こえる。

▼張本さんは番組の終わりに【感謝】を伝えた。最後のゲストは、盟友王貞治さんだった。共に、近隣国の親を持ち、自らは戦後日本の復興を、スポーツを通じ寄与したことに、国民の一人として【感謝】を表したい。

▼来年の冬季北京五輪。政治色のない平和を目指すスポーツの祭典に、立ち返ってもらいたいものだ。

▼張本さんが残したものは、戦後日本人への“喝”ではないだろうか。

    張本勲さんに大アッパレ!
              三等下