函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

官僚の不祥事と新学習指導要領

2021年03月31日 17時40分45秒 | えいこう語る
▼故人となったが、ある中学校の校長に「戦争は学校から始まる」と言われたのが、ずっと心に残っている。戦前の「教育勅語」を考えれば、納得がいくからだ。

▼ナチスの少年隊の残虐ぶりは、大人を圧倒する。中東でも少年たちに軍事訓練しているようだ。純真無垢な子供の頭脳は「洗脳」されやすい。

▼教科書検定がよく問題になる。日本人らしさを学ぶのに、洋菓子店を和菓子店に変更させ、検定を通したというような記憶がある。

▼すでに小・中では「道徳教育」の教科化が始まっている。それがどんな内容かは知らないが「憲法改正」が政治の主要課題に上がっているのを見れば、耳をすませば学校の廊下に、軍靴の足音が聞こえるかもしれない。

▼2022年度から、新学習指導要領に基づく、高校の教科書の検定合格が決まった。生徒が自ら課題を設定し、討論や発表などを通じて解決を探り、生徒の思考力を高めるように工夫するものが目立ったという。

▼生徒自身による「主体的・対話的で深い学び」を重視したものだという。一応納得するが、現在の学校現場で果たして実現できるだろうか。

▼先日テレビで「ブラック校則」なるものが紹介されていた。こんな校則が民主主義の国であるのかと思わせるものも多い。と同時に作成する学校側(教職員)の資質も疑われる。

▼校則自体は違反ではないというが、校則の内容を見れば、学校現場が正常に機能していないということだろう。校則を生徒が主体となって改善していくという、学校であってほしいものだ。

▼大学でトップクラスの成績の学生たちが官僚になるはずだが、最近の官僚の不祥事は、学校教育の劣化の結果ではないかと思わせる。

▼さらに政治家も、倫理や道徳が“赤点”の者が多いようだ。“接待”の意味を理解していない者が多い。

▼さらに、提出する法案の誤記や脱字が多いと指摘されている。官僚機構そのものも、構造劣化しているのではないだろうか。

▼そう言えば、最近テレビで誤記や間違った発言が多い。「訂正してお詫びします」という言葉も、慣れっこになっているようだ。

▼私たち一般人と違い、以前はメディアには、間違いは「恥」という意識が強く、丁寧な訂正だった。今は「間違ってごめんね」というような程度だ。メディアも劣化している。

▼そう考えれば、周囲にある様々な組織は、以前から見れば、だいぶ「劣化」しているようにみえる。

▼思い出したくもないが、我が国の劣化は、シンゾウから急速に始まったような気がする。【劣化列島日本】だ。

▼戦後日本の劣化を促進した【劣化総理】として、次の検定歴史教科書に、シンゾウの名が登場してくるかもしれない。

▼シンゾウが強力に推し進めたらしい【令和】は、もしかして【劣化3年】というのが正しいのかもしれない。

▼さて自分のことだが「老化」は避けようがない。今や浅野内匠頭の心境だ。「待つの老化」?で、やがて切腹を迎える。

▼日本国憲法は73歳になり、老化しているとイジメられている。だが、前文などは何度読み返しても素晴らしい。それでも現実離れした“理想”に過ぎないと揶揄される。

▼でも、時々サミュエル・ウルマンの「青春の詩」を思い出す。【理想を失ったとき人は老いるのだ】。

▼憲法は私の1年先輩だ。憲法の前文の最後には【日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な“理想”と目的を達成することを誓ふ】とある。

▼ということは、日本国憲法は永遠に“青春”なのだ。憲法と共に「理想」を失わないで、生きていこうと思う。そうであれば、心はいつも青春だからだ。

   
     教育の劣化で国滅ぶ
             三等下

「あ・犬」と「まん防」

2021年03月30日 09時59分34秒 | えいこう語る
▼私は、1948年生まれだから、戦後のほとんどを生きている。この70数年あまりで、世の中が大きく変化していったのを、この目で見ている。

▼その時代に常識であったものが、非常識の範疇に入ってしまったこともたくさん知っている。
常識というものは、当時の社会構造や、そこの風土などに左右されやすいものだと思う。

▼都会の常識は田舎の非常識であったり、田舎の常識は都会の非常識と感じることもある。だが常識そのものは、変わらないはずだ。常識を人間が自分の都合のいいように解釈しているからだ。

▼さらに社会経験が乏しいことによって、おこることもある。一般的にみて、常識がある人は若い人より年配者の方が多いようだ!?。やはり経験知がものをいうからだろう!?。

▼だが国会議員の年配者は、そうでもないようだ。権力を持つと、自分の考えが正しいと勘違いするからだ。こうなれば注意のし甲斐もなくなる。

▼テレビで、芸人がアイヌ民族を【あ・いぬ】と言ったジョークを、テレビ局がわざわざ字幕に「あ・犬」と表示した。それがアイヌ民族への差別だと問題になっている。

▼北海道に住む私は、子供の頃普通に使っていたジョークだ。アイヌの子供に向かって言ったことはない。子供心にそれはいけないことだと思っていたからだ。

▼テレビ局の場合、スタッフがアイヌ民族を理解していなかっただけのことだ。それは私の幼年期の精神構造と同様レベルだ。と理解すればいいような気がする。

▼スタッフだって、以後気を付けるからだ。あとは学習していけばいいだけだ。モリやアソウやニカイなどは、すでに学習障害者だ、と言っては差別になるだろうが、それも私の常識!?では、単なるジョークの範疇だ。

▼「緊急事態宣言解除」で、コロナの感染症が増え【まん防】なる言葉がテレビで出始めている。「蔓延防止」を短くしたものだというが、呼び名を考えた人は、若い人なのだろう。

▼私などは「まんぼう」と言えばすぐに思い浮かべるのが♪【マンボ・バカン】だ。イタリア映画でソフィア・ローレン主演の「河の女」の主題歌だ。

▼ローレンも歌っていたが、雪村いずみも元気に歌っていた。映画は1955年というから、歌を聞いた時は私が中学生の頃だと思う。中学校に「マンボウ」というあざ名の教師がいた。

▼よく叩かれたので「マンボ・バカン」と言っていたのを思い出す。後手後手のコロナ対策。そこで「まん防」などと言えば、私は「マンボ・バカン」という言葉が真っ先に口に出る。

▼というわけで「あ・犬」も「まん防」も、私の中では、大した問題ではない。それより【憲法改正】が大問題だ。

▼日本国憲法のすばらしさを忘れることを「憲法忘却症」と呼びたい。短くして【憲忘】だ。「まん防」より、ずっと重みがあっていいような気がする。

▼例えば、集団的自衛行使容認の「安保関連法」施行日を【憲忘記念日】とするとか!?。だ。

  そぎ落とすことばの中にひかりあり
               三等下

日本国憲法へのクーデター

2021年03月29日 10時22分06秒 | えいこう語る

▼ミャンマー国民は、軍部のクーデターに、命を賭して抵抗している。日本人が当たり前とし享受している“民主主義”が、命を懸けて守らなければならないものだというのを、ミャンマー国民は世界に訴えている。

▼戦前我が国は軍の拡大により、大勢の犠牲者を出した。国民主権や自由、さらに人権が保障されたのは『敗戦』によってだ。多くの先人たち命の犠牲の上に、今の【平和日本】がある。

▼戦後75年、今我が国は自民党により【憲法のクーデター】が、粛々と行われている。シンゾウにより「集団的自衛権行使」を認めた「安全保障関連法」が施行されてから、今日(29日)で5年を向かえた。

▼戦力ではないと言われてきた自衛隊が、他国の艦艇や航空機などを守る「武器等防護」の訓練を行っている。近いうちに集団的自衛権行使を行う可能性が大きくなったという証左だ。同盟軍も強力な戦力だと、日本に期待しているに違いない。

▼憲法改正は最後に「国民投票」を行う。その時には、現憲法を使い物にならなくし“廃憲”にさせようという魂胆らしい。憲法の「後期高齢化作戦」だ。

▼シンゾウの8年にも及ぶ政権で、水面下の「憲法クーデター」が、粛々と行なわれていたのだ。その最大の目的は「憲法9条」の無力化だ。「戦争放棄」の無力化は「戦争推進」だ。

▼そんなシンゾウの「憲法クーデター」を毛嫌いしていたのが平成天皇だ。シンゾウは、戦前で言えば「統帥権干犯」に当たる行為を、現憲法下で平気で発言し実行した人物だ。

▼『自民党改憲草案』の中には、立憲主義全般を破棄しようとしているのがみうけられる。「98条」の(憲法尊重擁護の義務)を「自民改憲草案第102条第1項」には【全て国民は、この憲法を尊重しなければならない】としている。

▼尊重し遵守しなければならないのは、シンゾウお前だ!。多くの憲法学者たちも、シンゾウの憲法解釈は、0点だと言っているではないか!。

▼今年も桜が咲き始めた。野党はシンゾウの「桜を見る会」に判決を下すべきだ。その一点で、選挙に立ち向かおうではないか。そして満開に咲き誇る新宿御苑の大木に、シンゾウを吊るし上げなければならない!?。

▼最後の「桜を見る会」での、シンゾウの一句が『平成を名残惜しむか八重桜』だ。桜の木に吊るし上げられたシンゾウの足場が外された。

▼【敷島の大和心は潔く 御苑桜に吊られし我が身】。そう辞世の句を読んだところで、昨夜のけっこう恐ろしい夢から開放された。

  我が国の興廃日米安保にあり
  国民一層憲法遵守に奮励努力せよ
  ミャンマー国民の如く    三等下

縄文土器とイマジン

2021年03月28日 11時35分48秒 | えいこう語る
▼ジョン・レノンと妻のオノ・ヨーコが、大きな壺を壊し、破片から組み立てるイベントを開催した。皆が協力することで、徐々にその本体が完成されていくというものだ。

▼そこには、文明の急速な進化の過程で、真実が壊され喪失していく世界を、皆が協力していけば、防ぐことができるという、世界平和の精神を目指したものだという。

▼このイベントをテレビ観ていた離婚寸前の両親が,離婚を思いとどまったと、子供がヨーコさんに出会った時「ありがとう」と伝えたという。

▼私の隣町で出土した、縄文後期の「中空土偶」が近年北海道初の国宝になった。そこで【北海道北東北縄文遺産群】として、ユネスコ世界遺産登録を目指している。

▼今年の6月頃には登録が実現する見込みだそうだ。だが周辺住民の、縄文文化への関心は少ない。さらに関心が薄れてきたのは、7月にも開催される東京五輪・パラだ。国民は中止という意見が多いようだ。

▼五輪にまつわる不祥事と、コロナの感染拡大で、開催の意義が薄れているというのが、今の日本を覆っている雰囲気ではないだろうか。

▼国民のコンセンサスを得ない、国家あげての五輪には、何か政府の「陰謀」めいたものが、蠢いているような気がしてならない。

▼縄文土器だが、完全の出土するものはほとんどなく、普通は壊れている。破片をつなぎ合わせ、失っている部分はつぎたすというものが多い。

▼土器本体は茶色のものが多いが、つぎたした部分は白く塗られている。白いのが多い土器には心をひかれない。縄文人のエネルギーやメッセージが直接的伝わってこないからだ。

▼それがヨーコさんのイベントで、ふと思いついたのだ。つぎたしの部分は、細い白枠にし、たしたのが解るようでいい。

▼失なわれた部分は全体にの文様を模し、修復したものを張り付ければ、より縄文の芸術性や精神性が増して、観る者に強く訴えかえるのではないかと思う。知り合いの考古学芸員に、そのことを伝えてみようと思う。

▼ヨーコさんはその欠片をつなぎ合わせることが、どんなものであるか、詩を書いたという。それがジョン・レノンが作曲した♪「イマジン」だという。早速、その本を読見返してみた。

  イマジン イメージすること 
  心の中で想いを描いてみること
  そして 現実の向こう側に隠れている
  真実の姿を見きわめること
  
  さて どこかの誰かが
  戦争を始めようとして
  演説するかもしれない
  立ち上がろう 
  すばらしい天国が待っている
  それを信じて 
  この苦しみを耐え忍ぼう
  とかなんとか

  でも どうだろう
  そんな天国が
  本当に待っているのだろうか
 
「イマジン」出版・朝日新聞社 訳・新井 満

▼新井満の詩はさらに続く。その後段は皆さんが想像してほしい。

▼縄文時代は1万年以上も続いた。大きな争いがなかったことと「自然との共生」が「持続可能な地球」というテーマに、様々な示唆を与えてくれる。

▼「函館市南茅部縄文文化センター」内には、夥しい縄文の復元された土器がある。照明を絞ったその静謐な空間の中で【イマジン】を聴いてみたいものだ。

▼「憲法改正」と「ミャンマー」。両国のつながりから、平和であることの意義を、国宝「中空土偶」との会話の中から、学びたいものだ。

▼五輪開催と縄文ユネスコ遺産登録。何か足りないものが共通してあるように思う。それは一言で言い表すと【本末転倒】ということなのではないか。

    山道をつきぬけるとひかりが
              三等

道民は政府にバカにされている!

2021年03月26日 19時13分24秒 | えいこう語る
▼北海道はアイヌ・モシリ(人間が住む静かな大地)と呼ばれた、アイヌ民族の島だ。鎌倉時代の史書では「蝦夷が島」と呼ばれ、江戸幕府は青森以北は日本だと思っていなかったようだ。

▼つい最近まで「北海道・沖縄開発局」が設置され、特別に開発しなければならない、後進地として政府はみていたようだ。

▼政府に対し、いろいろ言いたいことはたくさんあるが、最近一番腹が立つのは、この広大で人口が少ない北海道を、核のゴミの捨て場に選んだことだ。

▼寿都町や神恵内村が、住民が多く反対する【核のゴミ地下埋設場】の文献調査を、2年間で20億円という補助金につられ、議会が受け入れを決定した。

▼シンゾウが得意とした「閣議決定」なるものを、地方議会もまねたようだ。つまり住民を無視した決定だ。

▼釣られた地方自治体が悪いのか、高額な餌で釣った政府が悪いのか?どちらでもない!。そんな流れが出来そうな前に、阻止できない地域社会の体質が問題なのだ。

▼普段から議会を傍聴しない住民も悪い。議会議事録の閲覧をする住民など、ほとんどいないのは、住民ばかりが悪いのではない。

▼傍聴も閲覧も地縁・血縁が強すぎる地方自治体では、常識的に不可能なのだ。主権は国民にあるということすら、間違いではないかというのが、地方自治体の姿だからだ。

▼議会や役所が権力を持ち、住民がそこにものを言えない状態を作り出す「地方自治体」を【痴呆爺体】と私が称したのは、今から30年以上前だ。

▼高齢化が予測されていたので、揶揄した名称だが、まさしく団塊世代の私、そのものが【痴呆爺体】になってしまったのだ。やはり若者たちの蜂起に期待するしかない。

▼その蜂起をさせまいとNUMO(原子力環境整備機構)は、寿都町と神恵内村に、住民と対話するための交流施設を建設した。

▼【獅子身中の虫作戦】だ。敵の体内に入り込み、体内を食いちぎり、死滅に至らしめる作戦だ。原子力の専門家と、何も知らない住民とでは、勝負は見えているからだ。

▼原子力科学者であった反原発の故高木仁三郎は『原子力を専門家ばかりに任せるのではなく、国民もしっかり学ばなければダメだ』と話している。

▼知らない者が知っている者に戦いを挑んでも、勝負にならないということだ。大人と小学生が争っても、大人が勝つに決まっているからだ。

▼寿都町や神恵内村の住民たちだけの戦いにしてはならない。核のゴミ問題は道民全体の問題として、国家との戦いを挑まなければならない。

▼両町村の周辺自治体は、核のゴミ埋設場反対の意思を示す【放射性廃棄物の持ち込み禁止条例】を次々採択し始めている。「囲い込み作戦」だ。他の全市町村もそれに続いてほしいものだ。

▼我が函館市議会といえば「寿都・神恵内問題」について、他の自治体のことだをとし【関係ない】?を採決した。

▼函館市議会は大間原発建設に、全会派一致で反対し、国を提訴している。だが、他の原発のことは“関係ない”としている。さらに、大間原発は「建設中止」ではなく【建設凍結】という言葉を入れた。

▼今年の冬は、寒さが厳しく周囲でも水道管の“凍結”や破裂が目立った。だが今は、春の日差しを浴び、雪も氷りも融け春が輝いている。

▼国は原子力のエネルギーを、22%としている。つまり再稼働を必ず行うということだ。もし憲法が改正されたとしよう。

▼自民党改憲草案では、現憲法が人権は「公共の福祉」に違反しない限り守られるとあるが改憲草案では【公益や公の福祉】に違反しない限りとなっている。

▼何度も繰り返すが、原子力政策は“国策”なのだ。それに反対すれば「公益や公の福祉」に反するということになる。函館市の訴えなど、立ちどころに消滅し【凍結解除】だ。

▼春がやってくれば凍結も解除されるという、アイヌ・モシリ(人間が住む静かな大地)に、私たちは住んでいる。

▼そんな道民の一人である私は「凍結」は、必ず融けると信じている。原発反対運動に参加しているが「原発凍結」という言葉に、私はいまだに「拒否反応」を示す。

▼さらに言えば、原発に“凍結”という言葉を使うこと自体が、原発反対の本質から大きく離れていると考えている。

▼核のゴミ問題に戻そう。政府は行き場のない核のゴミ処分場を、北海道に決めた。「蝦夷が島」や「アイヌ・モシリ」は、金をばらまけばなびくとバカにしているからだ。

▼そう考えれば、ウポポイ(民族共生象徴空間)も、真にアイヌ民族の人権を確保するための施設ではないような気がする。

▼北海道を守るため、道民一揆を期待したい。【アイヌ・モシリの戦い】だ。「人間が住む静かな大地」を守る戦いだ。それは「国民主権」と「民主主義」を守る戦いともなるはずだ。

▼【北海道民は、恒久の平和を念願し、道民相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する全道民の公正と信義に信頼して、道民の安全と生存を保持しようと決意した。道民は平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭をアイヌ・モシリから永遠に除去し、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを、ここに宣言する】と演説し終え・・・

▼【立ち上がれ北海道!】と叫んだところで、昨日の夢から覚めた。夢の中で私は、ウイリアム・スミス・クラーク博士になっていたようだ。

    道民よゴミになるな
             三等下