函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

法務省の人権感覚

2021年08月29日 20時27分03秒 | えいこう語る
※このブログは昨日書いたものですが、PCの不具合でUPできなかったので、今日の掲載となりました。

▼我が国の難民申請に関するニュースに接するたびに、入管局というのは人権を第一に考えていないのではないか、ということを感じる.。入管局と言えば、時々捕虜収容所を想起することがある。

▼先日北方領土から、根室管内標津町に泳いで渡ってきたロシア人男性(38歳)が保護された。本人は亡命を希望している。

▼以前ソ連の戦闘機が函館空港に緊急着陸し、亡命を希望した男性がいた。函館市内は騒然となった。

▼その取り扱いに最初に対応したのが、法務省か外務省か警察かと思いきや、検疫問題で厚生省だったという記憶がある。

▼私はその日、湯の川温泉上空でその戦闘機の直ぐ真下にいた。映画の特殊撮影のように、戦闘機の底の部分がはっきり見えた。何かとんでもないことが起きたのではないかという記憶がある。

▼とにかく、難民の扱いに戸惑うのが我が国だ。結果から言えば、北方領土は日本国有の領土なので、難民には該当しないという判断で、サハリン州に送還ということになるという。

▼それでは、その人物はシベリヤで強制労働?にさせられるのではないかと、私は心配する。命を賭けて海を渡り亡命したということは、ロシアでは人権が十分配慮されていないと考えられるからだ。

▼だが日本側から言わせれば、亡命を認めると、北方領土はロシア領(外国)と認めてしまうという考えらしい。国家在りきの考えでは、人権は無視されてもいいということになる。

▼普段「国民主権」の意義を、ちょっぴり考える私としては、納得のいかない問題だ。さらに、送還されてしまい、この問題は何もなかったかのように忘れされてしまうことにも、危機感を覚えるからだ。

▼と、私の一方的な推測を捨て、プーチン大統領の考えに思いを馳せてみたい。この亡命希望の男性は、3年前にロシア中部からく北方領土の国後島に移住している。

▼ロシア側の使命を帯び、日本に亡命させ、もし亡命が認められたら、北方領土は日本側が、ロシア領だと認めることになる。そんなプーチンの領土確保の一環だと思えないこともない。

▼そんな手に乗ってはならないというのが、法務省側の判断かもしれない。そうであれば、一人の人権を無視しても、国家が安泰であれば賢明な判断と考えたのだろう。

▼北方領土返還問題など、道民でも無関心が多い。シンゾウがあれだけ訪ロしても、無視されているからだ。スガ総理は、沖縄は米国に、北方領土はロシアに任せるという感じにみえる。

▼だが、この事件と関連するかのように、ロシア側は、4島占領は正当だと強調し、中国に共闘を求めるという記事が目に付いた。さらにロシア政府は、北方領土で新兵器の展示も開催したという。

▼ソ連の対日参戦は“米・英・ソ”首脳によるヤルタ協定に基づくもので、歴史認識から言えば、正当だという考えだ。日本が歴史を勝手に改竄してはならないと牽制球を送る。

▼さらに妄想を働かせれば、最近は南シナ海への中国進出対策で、日本は豪・仏・英などと軍事共同訓練を実施している。

▼対する中国は、ロシアや北朝鮮と三国同盟を画策しているのかもしれない。米国が世界最強ではなくなった現在、次の展開としてこの三国同盟は、十分考えられることだ。

▼もし中国が尖閣列島を実効支配するようなことがあれば、日米軍事同盟で双務的行動に出るだろう。それと同時に、北海道にロシア軍が南下してくるというのが、私が時々見る悪夢だ。

▼極右主義者と言われる哲学者長谷川三千子の著書「民主主義とは何んなのか」文藝春秋から、長谷川の考えに耳を傾けてみたい。

▼民主主義は多数決の原理だが「多数決」が成り立つためには、少数者となってしまった人々が、そうと解った瞬間に、あっさりと自分たちがその決定に従うということが不可欠である。
▼投票の瞬間まで自分たちの意志こそが「史上最高の法」であると信じていた人々が、票を数え終って、自分たちが「少数者」となった瞬間に、自からの意志を曲げなければならない。こんな極端な方向転換は、とうてい人間業でできるものではないと、民主主義に批判的な長谷川は言う。

▼私は、少数派に位置しているのを自覚している。民主主義国家の国民なのだから、表現の自由は保障されている。しかし多数決になると、拒否される方がなぜか多い。

▼私の主張は、まったく間違っているとは思えない。周囲の大多数が、私の主張に同調しない方が、めんどくさくならないと思っているからだと思う。

▼周囲からは、一種の偏屈者だと思われているのかもしれない。少数派に回る回数が多ければ、そんな感じがしてくるからだ。

▼そんなわけで、近年特に民主主義の多数決原理について、不満を持ち始めている。ワクチン接種には反対ではないが、多数派の同調圧力が嫌いだ。

▼「緊急事態宣言」の強化を叫ぶ者が多数派となり、政府の後押しをする姿勢も嫌いだ。自民党総裁選の仁義なき戦いなど、最も嫌いだ。

▼多数決も好きか嫌いかの判断だ。好きという方が多数になれば、平和に近いような気がする。五輪もパラリンも、行ってしまえば、反対者は非国民扱いの気分になる。

▼ミャンマーの軍事政権を考えてみよう。民主派が独自にラジオ放送を始めた。国家を批判するものは違反だとし、禁止するという。

▼そんなことを考えれば、主権を国家に渡すより、主権が国民にある日本国憲法の方がいいに決まっている。

▼我が国のようにまったく信頼が持てない政府に、主権を渡してはならないと思う。自民党の改憲草案は、国民の主権を奪い取るという内容だからだ。

▼そんな政府の在り方に反対する気持ちが私の根底にあり、私の発言ともつながっている。それに対し、そこまで考えることもないのではないかというのが多数派の意見のようだ。

▼というわけで、馬齢を重ねたせいもあるかもしれないが、根性がさらにひまがってきそうな感じがするこの頃だ。

▼我が国の法務省の人権感覚について、ちょっぴり自分のことを照らし合わせて考えてみた。

     少数派の道は歩きにくい
              三等下

仇討ちこそ戦争の根源

2021年08月29日 20時27分03秒 | えいこう語る
▼【やられたらやり返す】。報復こそが戦争の根源だ。20年にも及ぶ米国のアフガン介入で、平和が回復したわけでもないのに、米軍が急遽撤退を始めた。

▼【疲弊退散】ではないかと詮索されている。敵と称されるタリバンは、瞬く間に勢力を拡大し、政権を確立した。

▼迫害を恐れる国民は、国外に脱出しようと空港に殺到し、米軍の避難民輸送機の中は、超過密となっている。コロナの感染も心配される。

▼そこに邦人救出で、自衛隊の輸送機を派遣した。日米安保条約がある中で、自衛隊の軍用機は集団的自衛権を行使して、米軍の支援に来たのではないかと思われ、攻撃の対象になるのではないかと懸念される。

▼その輸送機の近くで、100人もの死傷者が出る自爆テロが起きた。米兵にも13人の死亡者が出た。

▼バイデン大統領は涙ぐみ“報復”を声高にした。この冷静さを欠く行為は大統領としての資質に欠けるのではないかと思う。

▼米国民がトランプではなく、バイデンを選んだ理由を自覚しなければならない。トランプなら「このテロのお返しに、残っている爆弾全部をプレゼントしてやる」という、大報復戦に出るに違いないからだ。

▼国のトップを選ぶことは、国民の生命を任せることになる。今朝の新聞では、早速米軍が無人機で報復を実行し、180名を殺害したという。

▼これなら、トランプよりバイデンを選んだかいがないというものだ。報復には報復というのはタリバンの性質だからだ。2度目の「9:11」を誘発する可能性も出てくるかもしれない。

▼日米開戦時のことだ。負けるに決まっている対米開戦などすべきではないと考え、それを防ごうとしていた。そのタイミングで東条英機を首相にした。陸軍のトップであれば国内の主戦論を抑えられるだろうという思惑からだ。

▼ところが米国は「東条を出したということは、いよいよ日本はやる気らしい」というメッセージとして受け取った。だから最終的には、日本側が絶対吞むことができない「ハル・ノート」を突き付けられ、もう後には引けず真珠湾攻撃に突き進んでいった。・・・笠井潔・白井聡共著「日本劣化論」ちくま書房より。

▼高市や下村に続き、岸田も出馬の意向を固めた。一番人気の石破は、なぜか早々に不出馬を決めた。

▼だが乱立状態になれば、人気がある自分に勝ち目があると判断したのか、石破は出馬に意欲を示しているようだ。

▼しかし、前回の総裁選は石破が一番人気だったが、岸田にも負けたことを思い出せばいい。政治は国民の考えとは、まったく無関係に動いているのだ。

▼高市と下村は、派閥の力学で降ろされるに違いない。「スガ・岸田・石破」の対決になれば、結果は見えている。石破は最下位だ。

▼次が岸田という“密約”で、石破は再度致命的な敗北を契するに違いないからだ。石破は今回は「動かないことだ」。だが、スガが再選されても、もはや国民の支持を得れない。

▼スガは早晩退陣を余儀なくされるだろう。石破は禅譲とされる岸田との対決に、心血を注げばいい。

▼岸田と石破の一騎打ちであれば、石破は勝てるに違いない。「じっと我慢の石破茂」を演じ、得意の下からのにらみを効かすことだ。その方が石破らしい。

▼石のように動かず、動く時は爆発的な突破作戦に出る方が石破らしい。今動いては自爆テロのようなものだ。

▼だが、石破は政界きっての軍事オタクだ。石破が首相になれば、同盟国の米国や仮想敵国の中国はどう思うだろうか。

▼そのことは歴史に学ばなければならない。そうでなくても、現在は満州事変頃に似た世情ではないかと、歴史家や憲法学者が注意を喚起しているからだ。

▼コロナ戦争下での五輪とパラリンピックの強硬開催を、世界はどうみているだろうか。【憲法改正】を目指す【国威発揚】と、見てやしないか。さらに日本の次の首相は「東条に似た人物」が、出てきやしないかと。

▼パラリンピックでの日本選手の活躍に、私と同様、涙を禁じ得ない国民が多いと思う。その陰で、自衛隊の輸送機がアフガンに飛び立った。

▼自衛隊の中にも、この無謀な出動に生命の危険を感じているという不満が出ている。岸防衛相はアフガンでの米軍との共同作戦で、自衛隊の犠牲の上に、集団的自衛権行使を実施するのかもしれない。

▼米国軍は史上最強ではなくなってきた。それに代わって日本軍(自衛隊)が、イニシアチブを取り、対米従属からの脱皮を図ろうとしているのだろうか。

▼とにかく政治の動きに目が離せない。とは言っても、国会も開催されていなければ、国民は蚊帳の外だ。

▼「日本劣化論」は、同時に「民主主義の崩壊」の前触れのように感じられてならない。さらに「仇討ちは戦争の継続」ということをバイデンに教えてあげたいものだ。

機能不全の国にいて

2021年08月27日 18時33分01秒 | えいこう語る

▼中国・ベラルーシ・ミャンマー・アフガンなどの国の現状をテレビで観ていれば、我が国は随分自由で民主的な国だと思う。

▼その理由を考えれば、日本国憲法があるからだと思う。国家主権の憲法であれば、先に挙げた国のような状態になるからだ。

▼でも、私たちは憲法に感謝するわけでもなし、憲法をよく知らないで生きている。日常会話で憲法という言葉が出ることは滅多にない。

▼つまり、私たちは国家の基本秩序である憲法を理解しないで、この憲法下で暮らしているということだ。とても不可解なことではないか。

▼と、実感したのが昨日の50人ほど集まった会議だ。コロナの感染が先に立ちふさがり、事業内容は問われず、ほとんどが中止になってしまう。

▼コロナ感染防止マニュアルはたくさん配布されている。必要なものは極力実施すればいいと思うのだが、中止したほうがいいという言葉で、物事が単純に処理されてしまう。

▼中止ありきが先行すれば、憲法第21条の「表現の自由」まで剥奪されてしまう。つまり実行したいという意志を表現することすら、できない雰囲気なのだ。

▼やらないという選択肢しかないからだ。こんな雰囲気の中にいると「大政翼賛」などと言う言葉が頭に浮かんでくる。

▼コロナ対策について、国会で討議しているのかと思っていたが、国会が開かれていないという。コロナ対策は自民党だけで行っているのだろうか。

▼我が国はナチス同様の一党独裁になってしまったのだろうか。そういえば「ナチスに見習え」と発言した、元総理のアソウタロウの顔も浮かんでくる。

▼今日は昨日の会議のショック!で、思考能力が低下し機能不全気味だ。朝刊には、9月17日に総裁選挙が行われるとある。

▼派閥での締め付けや、ヤクザまがいのが脅かしが“蔓延”するのだろう。その次の衆議員選挙。ナチスのような一党独裁への流れだけはつくってならない。

▼そんな機能不全の国にいて、それを正常に戻すキーワードは【国民主権】だと思っているのだが。・・・今日は珍しくテンションが下がっている。

▼北海道は今日(27日)から9月12まで、3度目の緊急事態宣言が発令された。

祭りの後始末(コロナ戦争と五輪)

2021年08月26日 08時20分26秒 | えいこう語る

▼近年我が国は【後始末のできない国】になったのではないかと思う。暴力団が起こした殺人事件で、首謀者は親分だと決めつけ、実行犯でもない親分に死刑を言い渡した。

▼オウム事件の教祖アサハラが、直接命令したものはほとんどなかったと言われる。にもかかわらず、充分とは言えない取り調べの最中に、死刑を執行した。

▼これらの問題から関連し、森友学園問題での国有地払い下げに関し、上司から文書改ざんを強いられ、財務局職員が自殺に追いやられたことを、思い出す人も多いに違いない。

▼私は親分として、さらにアサハラとなって、法廷に立たされていた。実行犯でもない私に、裁判官が死刑の判決を下した。

▼「こんなレベルの判決なら、三権分立の司法は“後悔するぞ”」という言葉の後に「シンゾウはどう始末するのだ”」と叫んだ。・・・身体中寝汗まみれになり、夢から覚めたのだ。

▼「桜を見る会」も「1億5千万円の選挙資金」も、国民のほとんどが首謀者だとわかっている者を、そこには明確な判決を下さない。

▼現在の我が国の司法には「遠山の金さん」のような、人道的人物は皆無のようだ。国の番犬たる裁判官など、市中引き回しの上、沿道から石でもぶっつけてやりたいものだ。

▼時計を見た。午前4時だ。私はまだ夢から完全に覚醒していないようだ。24日の北海道新聞の、東工大教授中島岳志の論説の切り抜きを読み返し、目を醒まそうと思う。

▼元五輪選手のジュールズ・ボイコフが【祝賀資本主義】という言葉を使っている。祝賀的なイベントによって公的な助成が大々的に行われ、一部の民間企業が利益を得るという仕組みのことを言う。

▼この言葉は、ナオミ・クラインの【惨事便乗型資本主義】からヒントを得たものだという。惨事に便乗する形ちで既存の制度が解体され、新自由主義的な政策が実行されることだという。

▼五輪においては「祝賀」という例外状態に便乗し、通常では考えられないような決定プロセスで、膨大な公的資金が導入される。国民も祝賀ムードに熱狂し、一流の選手の全力プレイに感動することで、厳しい追及を放棄する。さらに五輪成功のためのセキュリティーが強化され
、関連産業が成長する。

▼五輪やコロナについて、各分野から様々な意見があるが、中島の論評が一番的を得ているようだ。【参事便乗型資本主義】とは、よく言ったものだ。

▼五輪について我が家でも、小さな戦いがあった。スポーツ観戦が大好きで、特に五輪を期待していたのが妻だ。

▼対する私は、コロナ下での五輪開催は【憲法改正】への助走ではないかと危惧し、五輪開催には否定的な立場だった。

▼開催されると、選手の活躍ぶりに何度も涙を流した。顔をそむけるようにしていたが、その現場は妻に見られていた。

▼「反対するわりには、涙を流していたくせに」といわれ「いい齢して反対ばかりしないで、素直になったら」とも言われた。

▼パラリンピックが始まる前は、障害者の健康をさらに心配し、開催には反対だった。だが始まると各国の選手の活躍には、涙を禁じ得ない。表彰台に上がる世界各国の選手に拍手を送り、涙腺が完全に崩壊している。

▼それを妻が横目で見ているのは知っている。我が家では、2021年の東京五輪は、妻が勝者で私は完全に敗者だ。

▼1964年の東京五輪は、素直に感動する私がいた。だが今回は素直になれない私がいる。この素直でない理由を、中島の論評が解明した。

▼【祝賀資本主義】と【惨事便乗型資本主義】に尽きるからだ。儲かっているのは、某広告代理店と某セキュリティー会社と、元総理を委員長とし、開催によって最大の資金を貯め込んだ“自由で民主”という、某政党ではないだろうか。

▼コロナ戦争を拡大し、五輪を開催し、そこで得た膨大な資金をもって、劣勢と言われる「秋の陣」に打って出る算段だろう。

▼「政策も資金もない野党」を、資金(弾丸)の量で踏みつけにし、悲願の【憲法改正】へと突き進む。そして戦後政治の総決戦で、金メダルを獲得しようという作戦に違いない。

▼金メダル獲得の暁には【新帝国資本主義】という、新たな日本を打ち立てるに違いないと、あらぬ妄想にふけってしまった。今午前7時半だが、私はまだ夢の中を彷徨っているようだ。

▼「生ゴミの日だから、外に出してちょうだい」という妻の声がした。ゴミと言われ、民俗学者宮本一の言葉を思い出した。

▼【ゴミになるな土になれ】。どうやら夢から覚めたようだ。

温泉の脱衣場でのいい話

2021年08月25日 07時04分32秒 | えいこう語る

▼ここ数年来、私たち夫婦が頻繁に利用する温泉がある。その脱衣場で、妻が聞いたちょっぴり心が和む話だ。

▼妻が温泉で顔見知りになったその女性は、70歳半ばのようだ。都会生まれで、函館郊外の出身の男性と結婚した。ご主人は退職を機に故郷へ戻りたいといい、子に恵まれなかった妻は素直に従った。

▼しかし、1年後に夫が旅立った。ちょっぴり不便な生活を強いられるが、亡き夫の故郷で一人で暮らす決意をした。近くにあるこの温泉に来るのが楽しみの一つだという。

▼都会生まれの彼女は、田舎の温泉ではちょっぴり雰囲気が違ってみえる。言葉使いも違うし、全体にあか抜けた感じがすると妻は言う。挨拶ぐらいはするが、特別親しく話したこともなかった。

▼だがコロナ禍の自粛生活にも疲れ、一人暮らしの人恋しさが、妻と話すきっかけになったのだろう。午後4時を過ぎた、温泉の脱衣場での会話だ。

▼他の女性は、家に帰れば夕食の支度があるが、私は一人暮らしで、同居の猫3匹には食事を済ませてきたので気軽だという。

▼そしてこんな話を。・・・ある雪の降る日、頭に雪をかぶった猫が現れた。食べ物を与え、よかったら明日も来てもいいよというと、次の日、子供を二匹連れてきた。食事を与えるとそのまま物置に住みついた。

▼猫って人間の言葉がわかるのかしら、もしかて、私が猫の化身かもしれないと、ニコッと笑った。現在は猫の家族と一緒の暮らしだという。

▼その猫の兄弟、性格が合わず何時も喧嘩している。喧嘩が強い方は母猫と物置で暮らし、気が弱い方を、母屋の2階に住まわせている。

▼だが2階の子猫が、時々“シャー”と牙をむくという。しかし、彼女に危害を加えるようなことはしないそうだ。“シャー”と二度猫の真似をしたという。

▼その時の顔が猫そっくりだったので、妻は猫たちと楽しく暮らしているのを感じたという。ちょっぴり茶目っ気を見せた、都会育ちの老婦人の一面だ。

▼雪が頭に積もった猫は、亡き夫が子猫と共に、残された妻の元に行くようにと、粋な配慮をしたのでたのではないかと思う。

▼そういえば、以前この温泉の廊下に、地元の老人クラブの川柳が掲載されていた。その中の一句を思い出した。

   時々は一人に飽きてバスに乗る

▼作者は間違いなくこの女性に違いない。