函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

小沢一郎的“こころ”

2022年01月31日 14時45分35秒 | えいこう語る
▼政治家小沢一郎の戦歴は見事だ。三国志の時代なら、諸葛亮孔明に匹敵する人物に違いない。戦後日本政治の、保守安定を築いた知将の一人だ。

▼とほめ称えたが「権謀術数」に長けた、政治暗黒街の巨魁というのが、実は小沢に対する私の評価だ。

▼小沢は保守から離脱し、革新勢力に身を置くが、革新にあって、常に保守による政治の安定強化を図った人物ではないかと推察する。

▼「政治的争点を可視化する」というのが野党の役割でもあるが、小沢が野党に在り、様々な野党との共闘や合同を繰り返したことで、野党の実態が可視化されたように思う。

▼それが与党(自民党)を、長期政権可能な“ずぶとい政党”にしたようにも思う。そんな小沢は、既存の野党政党を分裂させ、または崩壊させ「壊し屋」と呼ばれた。

▼それは戦後民主主義の欺瞞的体質をぶっ壊し、新たな「ネオ・日本民主主義」を確立しよとする、小沢一郎の【政治的こころ】だったのではないかと、田舎おやじの妄想は働く。

▼だが79歳の小沢は、18回目の選挙に落選し、比例で復活した。その小沢を、立憲民主の新党首泉健太(47歳)は、夏の参議院選挙を仕切る役に、起用しようとしているようだ。

▼【憲法改正】を目指す与党を敵対視する立憲民主は、老獪小沢を立て、与党内を崩壊させる魂胆らしい。だがこの立憲民主の若大将の作戦、吉と出るか凶と出るかだ。

▼私は心配するが、小沢の“先祖返り”だ。小沢がつくり出した体制の上に、今の自民党がある。小沢には政治的余命は、いくばくも残されていない。

▼小沢にとって今の野党は居心地が悪い。こんなのは小沢が考えてもいない、ひよわな野党だ。死に場所は故郷に戻りたい。

▼そこで、最後の勝負は【野党解体】を目論み、自民党内に分裂した野党を取り組む【与野党内閣】の創設ではないだろうか。

▼かつて自民党は、主流派と反支流、そして多くの派閥があった。だが、それらが自民党内で健全に役割を果たし、長期政権の基盤を築いた。

▼そんな「新与党」結成が、小沢が最後の【与野党内閣構想】ではないかと『小沢参院選責任者』という新聞の見出しを読んでから、ずっと考え続けた結論だ。

▼野党は英語で「オポジション=反対勢力」という。与党が正しい選択をするためにチェックするのが野党の役割だ。

▼そこで思い出すのがコイズミだ。「私に反対する者は、全員“抵抗勢力”だと言い、例え自民党内でも自分に反対する者は“野党と同じだ”」と吠えた。

▼【自民党をぶっ壊す】とまで叫び狂い、国民は万雷の拍手を送った。今考えると、コイズミは【与野党内閣】を目指し、野党の解体を図り、同時に自民党の結束を強化させたのではないかと考える。そう言えば、その後民主党が解体したからだ。

▼そうであれば、小沢の起用は【野党解体】を目指す“獅子身中の虫”になりかねない行動ではないか。

▼それを最後に小沢は「故郷自民党」に恩返しをし、政界を去るというシナリオではないかと。

▼同志社大教授で、政治学者の吉田徹著【国体論】ちくま書店を読んでいるが、それを引用すると紙面が足りない。内容が緻密すぎるからだ。

▼読んだ結果に考えたのが、上記の妄想だ。小沢一郎の政治時代は終わった。そう考えて、日本型二大政党の確立に、若い立憲民主党に期待したい。

▼英国は野党が政権を取ることを期待し、政党助成金は野党第一党にだけ支給し、与党になった時に対応できるように育てるという。吉田著「国体論」の中から。

▼民主主義は政権交代が行われることにより、活性化することは言を待たない。健全な野党を応援し育てる姿勢こそが、民主主義国家だと言えるのかもしれない。

▼【憲法改正】のために、オミクロン軍を与党が後方支援し【緊急事態条項】を成立させようとしているのではないかと疑いたくもなる、戦況悪化の函館市だ。

▼日本ハムの新監督新庄の様に、若手を起用し、命がけの戦いをして欲しい。そして多くのフアンも巻き込んで。

   ガンバレ野党!ガンバレ日本!
               三等下

9条のより正しい解釈

2022年01月30日 14時18分30秒 | えいこう語る

▼1928年(昭和3年)と言えば、「張作霖爆殺事件」から始まり、軍部の勢力が急拡大した時代だ。そこで各国との「不戦条約」が締結される。

▼条約の基本骨子は【締約国は 紛争解決を戦争に訴えることはあってはならない。そのためには戦争を放棄することを宣言する】というのが、文面の共通項だ。
※【国際条約は、国際間にも法の秩序をつくる人間的な努力のあらわれと、見ることができる一面を持っている。同時に法律というものがどれだけの力を持つかについて、我々にいろいろ考えさせるものをもつと言わなければならない】。
※【この条約には、戦争放棄について「確信」とか「希望」を表明した文句が基調をなしている。だからこれらの確信や希望がみたされることを前提とした一種の条件文と、見なければならないことになる】。ギリシア哲学者の田中美知太郎著「巻頭随筆」文芸春秋の中に見つけた文章だ。

▼だがこの条約締結後の世界の歴史は、むしろ正反対の途を歩んだことになる。田中は【日本国憲法第9条】にも、なんだか「不戦条約」の条文をやき直した感じであると指摘する。

▼不戦条約の条件文にうたわれる「希望」というものは、たいへん立派なもので、私たちの念願とも一致する。しかし「希望」はあくまでも「希望」たるにとどまるのであるともいう。

▼【雨が降らないことを誠実に希求し、雨具の類を一切放棄する】と宣言してみても、得るところは雨にびしょぬれになって、風邪をひく位のことであろう】とも付け加える。

▼午前5時に目が覚め、この文章に出会った。もはや私の脳は完全に、田中講義一色に染められてしまった。

▼さらに【一国の憲法が国際関係を事実的客観的につくり出し“法廷”が世界平和を命令することが出来るのかどうか】という疑問を投げかけられる。

▼一億人間がいしょに生活を保ち、これを少しでもよくしていくための条件はいろいろある。憲法も法律もそのためのものにすぎない。

▼そしてその複雑な条件のなかで、どうしたらいいかをきめていくのが「政治の仕事」である。それはむつかしい仕事だから“裁判官”にこれを一任するというわけにはいかないだろう、と畳み掛ける。

▼9条に関わる問題は、政治の仕事だといえば、最高裁に判定を委ねても、最高裁も混乱する。そこで出てきたのが【統治行為論】だ。

▼自衛隊や米軍基地問題のように、高度の政治性を帯びているものは、司法の判断は馴染まないという【逃げの論理】だ。

▼という我が国の「司法と立法」の関係では【日米地位協定】の改正など不可能だ。まして【憲法改正】などというのは“千年早い”と、田舎おやじは、田中美知太郎先生の講義をほとんどそのまま書き写してしまった。

▼コロナ戦争が始まってから、周囲の「同調圧力」に違和感を覚え、その代わり飲酒をちょっぴり控える「自粛」を試みたら、目覚めが早くなり「早朝読書」が身についた。

▼そのせいか、頭の中が「クリアー」になり、いくらか「識字能力」が増したような気もする。しかし“錯覚”なのかもしれないという「自己批判」も忘れずに、今後も「早朝読書」を続けたいと考えている。


     コロナに感謝することある
                三等下

キャサリンがいた港函館

2022年01月29日 13時40分27秒 | えいこう語る
▼50歳を過ぎてから、文章を学ぶ講座に4年間通った。週一回の夜間授業だったが、よく4年も続いたと思う。

▼学生時代から文学に興味を持っていたという感じが、プーンと匂い立っている熟女が多かった。男性は数人だった。

▼誰もが通過する人生経験も、彼女たちにかかれば、想像がマックスに膨らみ、文章にもエネルギーがあった。

▼入学は18歳からだ。おおよそ、その講座の実力と内容?は、推し量れるだろう。年二回は、製本し、函館市内の本屋に並べていただいていた。

▼最も楽しみだったのは、一講座が終了すると「補習授業」と称して、居酒屋での「批評談義」だ。相手への痛烈な批評が、この学校の伝統だという。

▼当時80歳に近い男性が参加していた。作品はいつも北洋漁業の基地として、活気のあった古き良き時代の、函館の繁華街での思い出を書いたものだった。

▼「また同じものを書いて」と、陰口をたたかれていた。大先輩だったので陰口で済んだ。私もそんな古き良き時代の、人情に溢れた函館繁華街を体験した、最後の世代だ。

▼毎回同じ様なストーリだったが、そこに出ている、女給さんたちのカタカナの名前が妙に懐かしかった。

▼そこで先輩には、また「キャサリン」の事を書いてくださいと励ました。他にも「マリー」や「スーザン」なんて名が出てきた。

▼関東以北最大の繁華街と言われた【函館大門】も、人口減と共に空き地が目立つ。現在、函館駅前付近からの再開発計画が始まっている。

▼本州大手企業(スーパー)が中心となる、未来型ダイバーシティー構想?のようだ。かつては北の大地開発の玄関口だった函館だったので“挑戦”という言葉には共鳴できる。

▼でも、しかし、という言葉が口に出る。キャサリンがいる繁華街。そして物語が生まれる繁華街の方が、魅力的な函館ではないだろうかと。

▼キャサリンの胸元を見つめながら、グラスを傾ける。店の外はネオンたちも微笑んでいる。市電が来た。いや、酔いを醒ましながら鼻歌交じりで、愛妻が待つ家路を歩こうか。

▼そんな街には、いい女もいたがいい男たちもいた。定置網の親方に「田舎のお年寄りを楽しませてあげたいので、花火を打ち上げたい」と相談したら「それはいいことだ」と、百万両!!もの寄進をいただいた。

▼昨日親方の葬儀が市内のホテルであった。コロナ禍で焼香のみだったが、参列者の多さに人徳を感じさせられた。

▼未来だけの街は、なんだかデジタルで無機質のような街に思える。過去には物語がある。そんな思いでの語れる街であってほしいと思う。

▼昨夜ちょっぴりウイスキーを飲んで、ユーチューブで「テネシーワルツ」を聴いた。詞の内容は、ダンスパーティーの夜に、昔の友人に彼女を紹介したが、彼女を奪われてしまったという、悲しい物語だ。

▼そんな悲しい曲が「テネシー州の州歌」になっている。「こんな物語が生まれる、素敵な街なんだテネシーは」という、州民の心意気を感じる。

▼パティ・ペイジも江利チエミの歌にも、哀愁と青春が輝いていた。ふと函館の街並みが頭の中に広がった。そこにテネシーワルツが流れ、目頭が熱くなった。

▼昨夜の夢の中に、キャサリンとテネシーワルツを踊った夢を見た。だが私は「♪ダンスがうまく踊れない」若者だった。

▼キャサリンと踊ったのは私ではない。たぶんテーブルに座って、一人グラスを持っていたのが私に違いない。私でも「函館物語」は、百篇ほどあるかもしれない。

▼朝の5時、新聞を玄関にとりに出かけ、外に出てみた。日の出前の空はブルーだ。周囲の山は黒色の怪獣が眠りから覚めない、そんなたたずまいだ。

▼その山の稜線のすぐ真上に、ブーメランのような見事な三日月が、輝いていた。「天下御免の向こう傷」と、早乙女主水之介がそう大見得を切っていた。

▼ガンバレ函館!。
そして網元のRさんに合掌。

「押しつけ憲法」というけれど

2022年01月28日 09時05分27秒 | えいこう語る

▼自民、公明、維新、国民民主が、衆院憲法審の幹事長懇談会を開催し、憲法審を毎週開催することに決めた。コロナ戦争の最中、【憲法改正】に向け、本格的に始動したようだ。

▼一方、立憲民主と共産は時期尚早と、審議には加わらない方針のようだ。応じれば多数派が勢を増すのを阻止したいという思いだろうが、逆に消極的に思われはしないか。

▼賭け事は、仕掛けた方に分がいいというのが私の経験知だ。だから仕掛けてくると思ったら
、先に仕掛ける準備を怠らないことだ。

▼相撲についての話だが「シマッタ」と思った時はもうダメで、勝負はそれまで、もうとりかえしがつかないと、坂口安吾が「青鬼の褌を洗う女」という奇妙な題名の小説の中で、話している。

▼安吾ばかりではなく相撲好きの私もそう思う。明日の取り組み相手が決まった時点で、嫌な相手だ「シマッタ」と思った時、勝負は見えているからだ。

▼改憲派の主張は、現憲法は米国からの【押しつけ憲法】だと、言いまくる。確かに押し付けだ。なぜ憲法が変わったのだろうか。

▼前の帝国憲法で戦争を起こしたからだ。そして300万人以上の国民を、無駄死にさせたからだ。

▼なかなか降参しない我が軍に疲れ果てた米軍は、悪魔の爆弾である“原爆”を投下した。沖縄県民には申し訳ないが、沖縄戦で降伏していれば、原爆投下はなかったことになる。

▼「仕掛けられた戦争」だという考えもあるようだが、上記の私の勝負についての考えであれば、先に仕掛けた方に勝機があるということになる。

▼だが、先に仕掛けるにも、相手の力量を考えなければならない。横綱に褌担ぎが挑む戦いは、無謀だ。間違っても戦ってはならない。

▼こんな無謀な戦いに突入したのは「帝国憲法」が根底に持つ「大和魂」という代物だ。つまり大和心なるものは「朝日に匂ふ山桜花」のように、一瞬輝いて、後は散ってしまうからだ。

▼とにもかくにも、同胞を300万人以上犠牲にしたのは「帝国憲法」だ。二度とそうならないように考案されたのが「日本国憲法」だ。

▼そして80年近くも、変える必要性を持たなかったのだ。では今なぜ【憲法改正】の旗を揚げるのかと言えば、300万人の犠牲者を忘れ、再び【戦争できる国】へと方向転換しようとしているからだ。【憲法痴呆症】だ。

▼靖国の英霊に対し、尊崇の念などこれっぽっちもないからだ。私が以前靖国参拝した時、境内にさわやかに吹き渡る風が「戦争は絶対反対だ」と、そう囁きかけてきたからだ。

▼米国でなく、もし中国やソ連に占領されていたらと考えて欲しい。天皇の赤子たちは、米国にもらわれた方が、幸せだというはずだ。

▼だが、ここまで「対米従属」になり「大和心」を喪失した、日本になると思わなかった。それは「押しつけ憲法」のせいだというのだろうが、政治家の不甲斐なさのせいではないか。

▼さらに言えば「国民主権」となって、権力を与えられたが、それを成熟させる努力を国民自身が怠ったからではないか。

▼そんな戦後民主主義国家の【自己批判】を含めて、改めて「日本国憲法」を、国民みんなで考える、そんな【憲法論議】を期待したいものだ。

▼7月には参議員選挙がある。【現在の政治の混沌が、言語の関係と不可分の関係にある】。ジョージ・オーエルの言葉だが、シンゾウ以来、スガ、キシダと、日本語が国民に伝わらなくなっている。『成長と分配の好循環』など、中国語ではないかと思う。

▼【野党とは民主政治における機能と役割りに還元されるものである。それは与党が汲み尽くせぬ『民意の残余』を政治的に表出するものであり、このような野党性が発揮されることで、民主主義は安定し発展する】という。法学者・吉田徹著「野党論」ちくま新書より。

▼与党に近づく野党がいる。野党にも自身の存在をつかめぬ者もいる。そんな政治の景色の中で、ますます【混沌な日本の私】だ。

コロナ報道と大本営発表

2022年01月27日 13時48分27秒 | えいこう語る

▼戦前ラジオから流れる「大本営発表」は、戦況が不利なのを国民に隠す、フェイクニュースだったというのが歴史の事実だ。

▼コロナ戦争が勃発してから3年近くにもなる。様々な防御作戦が展開されているにもかかわらず、コロナ軍の攻撃は6波にも及ぶ。今回の敵の「オミクロン作戦」は、相当手ごわいようだ。

▼野戦病院のキャパも限界だし、撃退する弾丸(ワクチン)も不足気味らしい。その弾丸さえも同盟国の米国頼みだ。

▼大本営からの発表は、敵がどこから攻めてくるのか、いまだに解明もできず、ただ「待機命令」だけだ。

▼「欲しがりません勝つまでは」という、自粛呼びかけの願いだけでは「堪忍袋の緒が切れそう」な精神状態を、国民に強いている。

▼さらに、政府にとって代わる野党共闘も、一向に進まない。こんな状況下であれば、GDP世界第3位なのに、国民の幸福度が50数番目というのも妙に納得がいく。

▼「日本劣化」・「反知性」などという言葉も、巷間囁かれている。ギリシャ哲学者の田中美知太郎が「戦前は日本も日本人も上等であった」と言ったということを、つい最近亡くなった評論家西部邁が話していた。

▼肯定的にとらえれば、戦前の日本人は物資欠乏の時代にも、周囲が支え合い生かされてきたので【奉仕する】という精神が、身についていた事を評したのかもしれない。

▼いや国家の政策で、否応なしに持たされたのかもしれない。だがそんな逆境にあっても、人間の精神の体幹がしっかりしていたという意味なのかもしれない。

▼さらに言えば、人間としての“矜持”を、それぞれが持っていたということかもしれない。そういえば戦前の先輩たちの「感謝感激雨霰」(カンシャ、カンゲキ、アメアラレ)という言葉を思い出す。

▼そんな奉仕や感謝の精神を喪失した戦後の国民に、国家が【絆】を押し付けるのは本末転倒だ。むしろ戦後民主主義の中で【絆】の欠落を、そのまま放棄してきた国家が、自己批判すべきだ。

▼【絆】など、国家に言われて養われるものではない、日々の暮らしの中から、自然にはぐくまれるものだ。

▼そんな暮らしがいのある生活環境の整備が、国家の役割ではないかと思う。というように、今日も朝刊を読み終えて、ブルーな気持ちになる。

▼「大本営発表」をさらに後押しする、戦前と変わらぬ体質を持続しているのがメディアだ。整理整頓もなく振るいにもかけず、不確かな情報を拡散しているだけだ。

▼内にはコロナ、外には中国・北朝鮮の軍事力強化の脅威を煽り「敵地攻撃能力確保」や「憲法改正」に、熱心に取り組む政府を批判する報道は、あまり見受けられない。

▼政府はその前段として【緊急事態条項】の憲法明記を目論んでいる。この条項は、世界では軍隊とワンセットだ。

▼「緊急事態条項」を行使するには、民主国家では反対が必至だ。その行使を円滑にさせる為には、軍隊の力が必要だ。

▼「緊急事態条項」を成立させれば、自衛隊を軍隊に格上げさせることが可能になる。そう見抜かれないように「自民改憲草案」では「自衛軍」などという、なんとも若者受けしやすいネーミングにしているのだ。

▼と、政府のコロナ対策の「大本営発表」で、根性がひねくれっぱなしの田舎おやじは、そんな妄想にふけってしまうのだ。ここはやはり田中美知太郎の言葉に耳を傾けたい。

▼田中の著「巻頭随筆」文芸春秋に【読んで理解すること】というエッセーがある。ところでエッセイだが、この意味の元は【己自信を試すこと】という意味だと、西部邁が話していた。

▼【歴史的常識に属するようなことも一通り心得ていなければ、ちゃんとした書物を読み通すことはできない。そして辛抱強い理解努力と、それぞれの学問に於いて要求される知的能力がなければ、十分な理解には到達できないだろう】。

▼さらにこう続ける。【ただ一冊の書物に閉じこもるのではなくて、そこに書かれていることを通じて、もっと広大な問題領域に眼を開かれることが必要なのである】と。

▼このエッセイは戦後30年目に書かれている。今でも色あせないということは、エッセイ(文章)が【己自身を試すこと】という作業だということを、田中があらためて教えてくれたのではないかと、早朝の布団の中で「反省」をさせられている。

▼起床しカーテン越しに外を眺めたら、雪が積もっていた。


     汚れちまった悲しみに
     今日も小雪の降りかかる                                
               中原三等下