函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

彫刻家・佐藤忠良さん

2011年03月31日 14時00分11秒 | えいこう語る
近所の漁師さんが、今最中の昆布の間引き漁を休んでいる。
聞くところによると、葬儀に出かけたという。
親戚の方が今回の大震災で亡くなったという。
親子3人が車で避難中津波にのまれ、遺体が車中で発見されたらしい。
テレビから伝わって来る悲しみが身近に起きたことで、不安と悲しみががよりいっそう増してきた。


昨日の新聞に、北海道ゆかりの彫刻家、佐藤忠良さんの封報が掲載された。
明治45年宮城県で生まれ、父親を7歳で亡くし、母方の両親が住む北海道夕張市で暮らしたという。出兵しシベリヤ抑留も経験している。
佐藤さんの作品は、美術館などで拝見したが、やさしさの中にも品格を備えているのが印象に残っている。
釧路の幣舞橋に作品が設置されている。
幣舞橋は北海道で津波が発令されると、潮位測定でテレビには必ず出るので、おなじみだ。
以前釧路に出かけたとき、早朝ホテルから出て橋を散歩した。
釧路特有の霧の中で佐藤さんの作品に出合い、北の港町にふさわしい作品だと、感動を覚えたことがある。
佐藤さんは札幌二中の出身だ。
先輩に同じ彫刻家で「わだつみ像」の製作者、本郷新さんがいるという。
佐藤さんの「柔」と本郷さんの「剛」は、共に戦争をくぐり抜けてきた世代の、人間に対する「やさしさ」にあふれた作品である。
宮城県出身の佐藤さん、存命であったならこの度の震災の復興を願い、新たな作品に挑戦するに違いない。
大津波に襲われた後の、奥尻島に出かけたことがある。
津波よけの巨大な堤防が、まるで城壁のように町を囲み、海の景色を遮断していた。
被災地には地震や津波に強い、防災の町が出来るのだろうが、佐藤さんの作品が町の中にあれば、心が癒されるだろうなとふと考えた。
原発の施設も海岸風景を打ち砕くが、防災が強化され日本列島全域に消波ブロックが並ぶ姿も、あまり好ましいものではないと思う。
佐藤さんの作品から私が感じたのは「忠」と「良」の、日本人特有の「やさしさの精神」である。


耳を澄ませば

2011年03月30日 13時38分29秒 | えいこう語る
春の海ひねもすのたりのたりかな
この句が真っ先に浮かんでくるような、朝の光に輝く前浜の光景である。
※早朝から間引き昆布作業の船が沖にでている。


雀たちもうららかな日和に、元気にさえずっている。
ふと思う。被災地の小鳥たちの泣き声は、元気なのだろうかと。
それとも小鳥たちは、遠くに飛び立ってしまったのだろうかと。
今朝の新聞のトップは「冷却復旧 長期化も」である。
チェリノブイリ事故を連想してしまう。
あの事故の後、函館に訪れた旧ソ連の女性が、店頭に並ぶ大きなりんごを見て「放射能汚染で、日本もりんごがこんなに大きくなったのですか」と訊ねたという、新聞の記事を思い出したからである。
空気中の飛散した放射能は、すでに世界各国で検出されている。
原子力発電所の事故は、地球全体の事故だ。
放射能で被曝し犠牲者が出ると、ヒロシマ・ナガサキにフクシマが加わることになる。
原発事故は「想定外」を想定した対策が必要である。
北海道には泊村に原発がある。
原発施設からの固定資産税や各種補助金で、地方交付税不交付団体である。
その泊原発の周辺町村が動き出した。
北海道の原発事故での避難想定範囲は、10キロメートルであったが、周辺町村が30キロに拡大しようとの会議を開催した。さらに周辺の農業団体が「泊原発を止める会」を結成した。
函館市ではすでに市民団体が、放射能測定などの要請書を市長に届けた。
昨日、函館市内のホテル関係者と話したが、海外からの旅行客は激減し、回復の見通しもたたないという。倒産するホテルもあるかもしれないとの情報である。
原発誘致にはほとんどの地域で、地元や周辺住民が反対していた。
建設を決定したのは、住民の代表である地方議会である。
自治体の条例で規定されている「住民投票」で原発反対の意思表示がされても、その法的効力はない。
決定するのは、唯一議会である。
議員は住民に選ばれたのである。国や原発会社の言いなりにならず、ここは地域住民の心の叫びに、耳を澄ましてもらいたいものである。
地域振興という名目で魂を失い、住み慣れた土地まで奪われたくないものである。


前浜に吹く風の匂い

2011年03月29日 16時51分26秒 | えいこう語る
3月中旬から養殖昆布の間引き漁が始まった。
間引いた昆布を乾燥させると、椴法華名産「おとひめ昆布」が出来上がる。
村は春のまばゆい光の中に、昆布の匂いがするすこし塩ょっぱめだけど、さわやかな風が吹き渡っている。


被災地にも、いつもと変わらぬ春光輝く、広大な海が広がっているのだろう。
瓦礫の山の廃墟から見る沖には、軍事同盟国の米国軍、空母ロナルドレーガン等の軍艦3隻が、いち早く救護活動に活躍してくれている。
被災地は今、どんな匂いの風が吹いているのだろうか。
道路を走る車から立ち上がる、乾いた海水混じりの泥の匂いだろうか。
流出した油が混じった匂いだろうか。
突然命を奪われた人々や残された人々の、悲しみが混在した匂いなのだろうか。
空気中に含まれている放射能は、本当に無臭なのかとも。
そして、海を見てふと思い浮かべる沖縄のこと。
今回の災害での米軍の協力で、基地問題がさらに固定化するようなことに、なりやしないかと。
各国の支援の下、尖閣列島や竹島や北方領土問題は、どうなってしまうのかとも。
災害は東日本だけの問題ではないようだ。
災害に強いマチづくりとは、自然災害ばかりではなく、文明社会が引き起こすあらゆる人的災害にも、対処してほしいものである。
世界に見本を示す「希望のマチ」を、被災地につくってほしいものである。
今年の前浜に吹く風の匂いは、様々なことを私に想起させてくれる。


原発の昨日・今日・明日

2011年03月28日 16時13分34秒 | えいこう語る
昨夜、前浜の消波ブロックに打ちつける波の音が気になり、なかなか寝つかれなかった。ドーン・ドドドーンと繰り返し襲ってくるのだ。
脳裏にテレビで繰り返された津波の映像と、被災地の光景が次々浮かんでくるからだ。
今朝、朝刊を読もうと思ったら、テーブルの上に昨日の朝刊が置いてあった。
1面トップを比べてみた。


北海道新聞27日=福島第1原発『2号機制御室も点灯』これで4号機を除く5基で制御室の照明がともり、復旧作業や原子炉や使用済み燃料プールの状況把握に向け、環境改善の一歩となった。
全紙に目を通したが、セシウムとヨウ素の記述だけしかない。

同紙28日=福島第1原発『高濃度の放射能漏出』「4時間被ばく(曝ではない)・・・30日で半数死亡』2号機のタービン建屋の地下のたまり水の表面で、毎時千ミリシーベルト以上の極めて高い放射線量を測定。
プルトニウムが拡散していないか、調査に着手した。

前日喜ばせて、今日は水(放射能)を浴びせたような内容ではないか。
セシウムやヨウ素は生命に直接影響がないと、専門家たちは一様に発言している。
問題はプルトニウムである。
それに今になって原子力安全保安院が、事故発生後3時間以内の「炉心溶解」を予測していたと、発表している。
明日の新聞を見るのが、恐ろしくなる。
養殖昆布の手伝いが始まっているが、もっぱら話題は震災についてである。
「海を見て暮らしていたものが、海が見えない場所で暮らすなんて、俺たちには考えられない」と、80歳の男性がつぶやいた。
移動販売の魚屋さんの車から、拡声器の声が流れる。
「ごっこ・・・ごっこ・ごっこ~」
ゴッコとは布袋魚のことである。真冬が旬だ。
「今頃、ごっこが獲れるんだべか」
「地震のせいでないの」
決して笑えない会話である。
それにしても海鳴りの音が一向に止まない。
裏山に反響し、村中に不安を掻き立てる。


そろそろ真実を語るべきだ

2011年03月27日 17時33分56秒 | えいこう語る
私たちは長い間、多数決の中で暮らしてきたような気がする。
採決を取らないまでも、周囲がおおよそそれでいいのではないかという雰囲気であれば、良しとし生活してきたような気がする。
白黒はっきりつけると、集団生活がギクシャクするからである。
原発が誘致されることになったとしよう。
いくら危険性を声高に叫んでも、多額の補助金や保証金を目の前にし、行政や議会が安全性を語れば、誘致は「しかたがない」と考えてしまう。
多数の前には、少数は異質で、仲間ではなくなるからだ。
今までどれほどの「しかたがない」で過ごしてきただろうか。
「しかたがない首長」がいて「しかたがない議員」がたくさんいた。
私もそうだったが「しかたがない住民」もたくさんいた。
世の中「しかたがない」で済ませてきたから、間の抜けた曖昧な国、そして地方になってしまったのではないだろうか。
今や我が国は、防災一色になってしまったようだ。
高齢化社会の私たち地域も、それを支えあう災害に強い地域づくりが求められる。マニュアルが示された中の画一的な防災意識ではなく、地域独自の体制を作り上げなければならないと考える。
※村のガソリンスタンド。震災後、定休日がとても寂しく感じる。


「津波てんでんご」という言葉が、今回の津波で被災された地域に、昔から伝わっているという。
津波が来たらてんでんばらばらに、自分だけでも高台に逃げろという考えのようだが、現在の三陸地方では「自分の命は自分の責任で守れ」という教訓として使われているという。
お年寄りや子供をどのように地域で支えるかが、防災の基準になるだろうが、助けに戻った方の多くが犠牲になったとも聞く。
とかくこのような災害の復興には「美談」が流れる。
美談の中に真実が隠されてしまっては、多くの犠牲者に失礼である。
国家の財政が破綻する状況下での今回の大災害だ。
国の仕組みも地域も変わる。新しい仕組みの構築である。
真実は何かを追及する時代が来たのかもしれない。