還暦を当に過ぎたというのに、ハンバーガーやケンタッキー・フライドチキンが大好きだ。
かといって年齢を考えると、年に何十回という回数でもない。
若者が集まる場所に不釣合いな感じがするが、私はその場所に団塊世代の私たちの居場所は、極めて適切にあると考えているからだ。
店内に流れている曲が、オール・ディーズである。
「若者よ、これは俺たちの世界だぜ」という自負心があるからだ。
先日腰痛の治療で通っていた鍼灸所の前に「ほっともっと」というテーク・アウトの弁当屋があった。
ここが最近、ステーキ弁当なるものをテレビで流している。このコマーシャルが実に美味しそうなのだ。
妻に買ってほしいと頼むと「腰痛が治ってから」という。「どうしても食べたい」というと「年齢なんだから、脂っこいものを食べるのはよしなさい」という。
※春の訪れを待つ、津軽海峡。
その夜お寺の総会に出かけた。
今年は、法然上人800年忌の大法要が4月に開催され、全国から住職が参集するため、4日間お寺を留守にするという。
檀家で亡くなったら、誰が葬儀を仕切るのだというと「それは仕方がないから、待っててもらう」という。
「法燃上人は、それが望みではないだろう。それなら、中央ばかり見て仕事する、地方の役人と同じではないか」と、怒鳴り散らそうと思ったが、本堂の中である。グット怒りを飲み込み、心を鎮めた。
皆さん「今日は夕食時間にもかかわりませず、総会に出席していただきありがとうございました。ほんの少しですが、夕食代わりにお弁当を用意させていただきました」と、副住職である若い奥様の心遣い。
何と!「ほっともっとのステーキ弁当だ」
「怒れば地獄」という仏教の戒めがある。
阿弥陀様は今日私に、我慢することの大切さを教えてくれたに違いない。
阿弥陀様も、なかなか粋な計らいをしてくれたものである。
住職がすべていなくなる4日日間。
檀家の誰もがあの世に招かれぬよう、お祈りするしか他はない。
神無月という粋な言葉があるが、ここはなんと名付けたらいいのだろうか。
かといって年齢を考えると、年に何十回という回数でもない。
若者が集まる場所に不釣合いな感じがするが、私はその場所に団塊世代の私たちの居場所は、極めて適切にあると考えているからだ。
店内に流れている曲が、オール・ディーズである。
「若者よ、これは俺たちの世界だぜ」という自負心があるからだ。
先日腰痛の治療で通っていた鍼灸所の前に「ほっともっと」というテーク・アウトの弁当屋があった。
ここが最近、ステーキ弁当なるものをテレビで流している。このコマーシャルが実に美味しそうなのだ。
妻に買ってほしいと頼むと「腰痛が治ってから」という。「どうしても食べたい」というと「年齢なんだから、脂っこいものを食べるのはよしなさい」という。
※春の訪れを待つ、津軽海峡。
その夜お寺の総会に出かけた。
今年は、法然上人800年忌の大法要が4月に開催され、全国から住職が参集するため、4日間お寺を留守にするという。
檀家で亡くなったら、誰が葬儀を仕切るのだというと「それは仕方がないから、待っててもらう」という。
「法燃上人は、それが望みではないだろう。それなら、中央ばかり見て仕事する、地方の役人と同じではないか」と、怒鳴り散らそうと思ったが、本堂の中である。グット怒りを飲み込み、心を鎮めた。
皆さん「今日は夕食時間にもかかわりませず、総会に出席していただきありがとうございました。ほんの少しですが、夕食代わりにお弁当を用意させていただきました」と、副住職である若い奥様の心遣い。
何と!「ほっともっとのステーキ弁当だ」
「怒れば地獄」という仏教の戒めがある。
阿弥陀様は今日私に、我慢することの大切さを教えてくれたに違いない。
阿弥陀様も、なかなか粋な計らいをしてくれたものである。
住職がすべていなくなる4日日間。
檀家の誰もがあの世に招かれぬよう、お祈りするしか他はない。
神無月という粋な言葉があるが、ここはなんと名付けたらいいのだろうか。