函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

粋な計らい

2011年02月28日 12時10分52秒 | えいこう語る
還暦を当に過ぎたというのに、ハンバーガーやケンタッキー・フライドチキンが大好きだ。
かといって年齢を考えると、年に何十回という回数でもない。
若者が集まる場所に不釣合いな感じがするが、私はその場所に団塊世代の私たちの居場所は、極めて適切にあると考えているからだ。
店内に流れている曲が、オール・ディーズである。
「若者よ、これは俺たちの世界だぜ」という自負心があるからだ。
先日腰痛の治療で通っていた鍼灸所の前に「ほっともっと」というテーク・アウトの弁当屋があった。
ここが最近、ステーキ弁当なるものをテレビで流している。このコマーシャルが実に美味しそうなのだ。
妻に買ってほしいと頼むと「腰痛が治ってから」という。「どうしても食べたい」というと「年齢なんだから、脂っこいものを食べるのはよしなさい」という。
※春の訪れを待つ、津軽海峡。


その夜お寺の総会に出かけた。
今年は、法然上人800年忌の大法要が4月に開催され、全国から住職が参集するため、4日間お寺を留守にするという。
檀家で亡くなったら、誰が葬儀を仕切るのだというと「それは仕方がないから、待っててもらう」という。
「法燃上人は、それが望みではないだろう。それなら、中央ばかり見て仕事する、地方の役人と同じではないか」と、怒鳴り散らそうと思ったが、本堂の中である。グット怒りを飲み込み、心を鎮めた。
皆さん「今日は夕食時間にもかかわりませず、総会に出席していただきありがとうございました。ほんの少しですが、夕食代わりにお弁当を用意させていただきました」と、副住職である若い奥様の心遣い。
何と!「ほっともっとのステーキ弁当だ」
「怒れば地獄」という仏教の戒めがある。
阿弥陀様は今日私に、我慢することの大切さを教えてくれたに違いない。
阿弥陀様も、なかなか粋な計らいをしてくれたものである。
住職がすべていなくなる4日日間。
檀家の誰もがあの世に招かれぬよう、お祈りするしか他はない。
神無月という粋な言葉があるが、ここはなんと名付けたらいいのだろうか。


函館西部戦線異常有り

2011年02月27日 11時34分25秒 | えいこう語る
腰痛の治療に函館に通っている。
痛みもどうやら緩和してきたので、西部地区で開催された「観光ホスピタリティ講演会」に出席してきた。
函館と同様、開港都市長崎では、歴史を生かした「まちあるき」という新たな観光スタイルで、まちを活性化させているという。
市民が大勢ボランティアガイドを務め、おもてなしの心で接することにより、観光客が増加した経過が報告された。
長崎は鎖国の中に外国との交易を認められた、ただ一つの藩である。
コンプラドール=おせっかいする人
サルク=うろうろ歩く
などの、長崎人の特性を生かした、まちづくりを進めているようだ。
昨年は龍馬ブームで、相当にぎわったという。
講演会会場に行くには二十間坂を登っていく。そのど真ん中に位置しているのが、昨年この地区の景観問題で、市民とカニ卸売業者が火花を散らした「自由の女神像」を設置した、店舗である。
設置を承認したのは行政である。それを盾に業者側も、個人の財産権の侵害だと対立姿勢を示したが、歴史的景観を守ろうとした市民の声に圧倒され、女神像は撤去となった。
ところが、店舗の屋上にブルーシートをかぶり、女神像は不貞寝していたのだ。
寒さの厳しかった北国にも、ようやく雪解けが始まり、海峡から吹く冷たい風の中にも、かすかな春のやさしさを感じ始めたこの頃だが、な・な・なんと!女神像が、二十間坂の真ん中に、堂々と横たわっているではないか。


早速、この地区の景観を守る市民の方に、事情を伺った。
自由の女神像は、市内の別な場所に移動し、新たに「イカの像」を持ってくるらしいという話も出ているという。
イカのまち函館であるが、この業者、歴史的景観はすべての人の共有財産であるということを、理解していないらしい。
ここで登場する水戸黄門の印籠が、4月から施行される「函館市自治基本条例」である。
行政や議会は「自治体の憲法」と呼ばれるもので、すばらしいものと自画自賛しているが、ここで規定されている「情報公開」「住民参加」などが、この景観問題で、実効性があるかどうかが試されるのである。
「自由の女神像」人民の自由と独立の象徴であるはずが、函館では個人の営業の自由と独立の象徴と化し、寒風にさらされ坂の上に寝そべっていたされていた。
統一地方選挙も、そろそろ盛り上がってくる頃である。
立候補者は、誰もが「マチづくりに命をかける」と連呼する。
さて市民の心に、その言葉は届くのか。
「心に愛がなければ、どんな言葉も相手の心に届かない」
聖書の中で、私が唯一覚えている言葉である。
函館西部戦線、再び異常有り。
※イルミネーションがつき始めた二十間坂。女神はこの坂の上の突き当たりの、ど真ん中にいた。



また逢う日まで

2011年02月26日 07時30分15秒 | えいこう語る
昭和46年のレコード大賞は、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」である。
その年大賞にノミネートされたのは「傷だらけの人生」「よこはま・たそがれ」
「知床旅情」「私の城下町」だという。
横綱や大関が優勝争いをしていた、活力溢れる土俵を思い出すような、豪華な顔ぶれである。
作詞家の何久 悠が「愛すべき名歌たち」に書いている。
「また逢う日まで」は数奇な運命の歌である。最初はCMソングとして、筒美京平が曲を書き、二度目に自分が「ひとりの悲しみ」という詞を付け、ズー・ニー・ブーが歌った。安保で挫折した青年の孤独の歌であったが、売れなかったという。どんないい曲でも二度の失敗ならあきらめるものだが、筒美の自信か三度目の挑戦で、尾崎のために「また逢う日まで」という、まったく別の詞を書いたという。
あの明るく元気な歌には、作詞家と作曲家のひたむきな努力があったのである。
※寒波が続く今年、何年ぶりだろうか、1メートルもあるようなツララ。


二週間ほど前から、風邪の影響か腰痛が出てきた。
鍼灸所に通っているが痛みが止まらない。昨日、腰痛に効くという近くの温泉に出かけた。
浴槽からあがり脱衣所にいると、以前仕事で顔見知りのNさんが入ってきた。
Nさんは私より3歳ほど下である。あまり親密な関係ではなかったが、何度か宴会で一緒になった。仲間が演歌を歌う中、Nさんは「また逢う日まで」を歌った。
色白でおとなしく目立たない存在だったが、彼の歌う「また逢う日まで」は、実に堂々とした声量あふれる歌声だった。
宴会で逢う度、私はその曲をリクエストし、Nさんも快く歌ってくれた。
そのN さん、難病を抱えているというのを人伝に聞いた。
彼と逢ったのは五年ぶりであろうか。
脱衣所の椅子に腰掛け二人で話した。彼が私に尋ねた。
「昨年新聞の文芸欄で、あなたと同じ名前の人を見たが、あなたなのか」
私が真冬のウニ漁を詩にしたのが、特選に選ばれたのをNさんが見たという。
「やはりあなただったのか、退職しても頑張っているんだな」と、思っていたという。
1年も前のことを忘れずにいてくれたことに、うれしさが込むあげてきた。
彼は自分のお腹をみせ、気落ちしたように、ついに手術をしたという。
「一度の手術で驚いていてはだめだ。私は三度手術をした。手術をするというのは悪い箇所を取り除くので、長生きできるということだ」と、手術をし落ち込んでいる人に言う、私のよくわけのわからぬ持論を述べた。
私の三度に驚きつつも「あなたも頑張っているのだから、自分も頑張らなくては」といい、湯煙の中へ入っていった。
♪また逢う日まで 逢える時まで 別れのその訳は 話したくない・・・♪
浴場からエコーの効いた、Nさんの元気な歌声が聞こえてきたような気がした。
帰路は妻に運転を頼み、酒屋で缶ビールを買った。
私は心の中で乾杯した。「また逢う日まで」


海の中にも春が

2011年02月24日 15時17分28秒 | えいこう語る
寒さの中にも日中の日差しは、ようやく春の輝きを見せて来た。
陸上ばかりでなく、海の中にも春の訪れを感じる。
先日ウニ漁に出漁したが、海が濁り海底が見えにくい。
船を移動させ魚場を探すが、どこも濁りがあり、ウニの姿が見えない。
漁開始直前、中止の放送が流れた。
※山の雪も急激に解け始めた。


数日前の夜中、屋根の雪の落ちる音を聞いた。
氷状になったのもあり、ドスーン・ザーザーという音だ。
空爆なら、こんな音が夜を徹して聞こえてくるのだろう。
これが春の訪れと思えば、明日が明るい感じがして来るものだ。
雪解け水が、いっきに海に流れ込んだという。
「これじゃ、ウニ漁も終わりだな」と、ウニ漁のリーダーの声が聞こえる。
その言葉に寂しそうな感じはない。
雪解け水には、山の養分がたくさん含まれ、春の日差しが海中に注がれると、養殖昆布がみるみるうちに発育する。
昆布の間引き作業が始まると、若い昆布やワカメなど、湯にくぐらすとそのあざやかな青が、春を感じさせる。
3月からは、ぴちぴち飛び跳ねる、甘エビ漁も解禁だ。
真冬のウニ漁が終わると、浜は春のエネルギーにあふれるからだ。
今年の冬は、隣町の漁師夫婦が、天候の急変で命を落とした。
厳しさと悲しみの中、前浜には今年も輝かしい春がやってきたのだ。


政治を行う環境

2011年02月23日 09時35分22秒 | えいこう語る
アフリカや中東諸国で、独裁国家に対する市民の反乱が勃発している。
我が国も自民党一党独裁の「55年体制」が崩れてから、混迷が続いていたが、
国民はついにしびれをきらし、クーデターを起こした。
自民党を壊滅状態に追いやる、民主党への政権交代である。
ところがこの新政権、寄り合い所帯のせいなのか、はたまた役者不足なのか、さっぱり芝居が面白くない。
そろそろ、木戸銭を返してくれと、観客も堪忍袋の尾が切れそうである。
この頃は政治ばかりではない、国技と思われていた相撲界も総崩れだ。
観客離れもはなはだしい。
それに歌舞伎界。芝居は立派だが、下半身のだらしなさには、あきれ返る
政界・相撲界・歌舞伎界。この三界に共通しているのは、子供の教育にはよくない存在だということだ。
この三界は、共に国民の目からかけ離れた世界であることが、常識に欠けるのである。
つまりその場所が非常識が常識としてまかり通っているので、単に住環境が悪いということである。
政界だけに絞ってみよう。今の日本を良くするには、政治家が政治や経済学を学び、仕事をする場所としては、東京は適していないのである。
壊れかけた日本を立て直すには「遷都」しかないのである。
※岩に繁殖する、寒フノリ。味噌汁はフノリに限る。


例えば、埼玉や長野県の国有林の中に、国会を移設する。
周囲は、日本の故郷のように仕上げればよい。
小川が流れ、水車が回り、ウサギが飛び跳ね、、秋にはトンボが飛び交う、そんな感じだ。
国会と呼ばず、民主主義の学校と呼ぼう。
講師は世界中から来てもらう。そうだ国会図書館も移設しよう。
午前中は、早朝から会議だ。午後は勉強をする。
国会議員を先生と呼ぶのはやめよう。ここでは、民主主義を学ぶ生徒だからだ。お昼休みはおにぎりを持って校外に出よう。とてもすがすがしい環境ではないか。
靖国神社の小さいのも建てよう。朝に夕に手を合わせ、戦争のない平和を祈るのも必要だ。
議員宿舎は一戸建ての木造建築を大工さんに建ててもらおう。
そこが町になるのだ。日本国平和町一町目一番地というような。
こんな環境であれば、財源不足を消費税で補うというような、単純な発想は出てこないだろう。
最近は国民より頭が悪い議員が目立つ。特に大臣クラスに、国語の能力不足が見られる。
日本学を真剣に学ぶ議員が多くなれば、日本は日、没する国から、日、出ずる国になるに違いない。
昨夜は、国会でそんな演説をしている夢を見てしまった。
シーツに世界地図を描かなかったので、ほっとしている。