函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

誰が信頼できるか

2023年08月31日 19時58分14秒 | えいこう語る

自分自身をも信頼できない昨今だ。なぜこうなってしまったかと言えば、極論だが私たちを代表する政治家が、まるで信頼にあたえしないからだ。

 

特にアベシンゾウが総理になって以来、我が国からは、信頼という言葉がなくなってしまったような気がする。さらに私が信頼に与えする職業として考えていたのは、医師と教師と住職だった。

 

大きな手術を4回ほど受けたが、よく話し合って納得する状態で手術に向かうというのではない。話をすればするほど、不安を増す若い医者が多くなったような気がする。

 

教師だが、もはや教職者そのものが、尊敬される職業でなくなっているようだ。学校でのいじめなど、全く解決できないような体質になってしまったようだ。

 

近年特に感じるのが、教育関係の会議ほど、真実を追求することを、極端に避けているように感じるからだ。

 

単に私の方が馬齢を重ね、経験知が多くなったということもあるかもしれないが、教師としての矜持を全く感じられない人物が、多いような気がする。正々堂々と教育論を展開する猛者など、もはや漱石の文学の世界で終わりなのかもしれない。

 

子供のころから信頼していたのがお寺の住職だ。なんだか偉い人だと思っていた。あまり会話をする機会がなかったせいかもしれないが「お宅の息子さんは、なかなか利発ですね」と言われれば、両親も自分もなんだか気分がよくなった気がしたからだ。

 

近年の住職は社会経験が少なく、世間を知らないでお経を空読みしている人物が多いようだ。お経の説明などお寺参りでも聞いたことがない。

 

教師と同じで、社会実践がほとんどなくどなく、教科書(お経)だけを読み聞かせているので、質が落ちてしまったのではないかと考えている。

 

つまり住民の中に入り、住民の心に寄り添う姿勢が少ないので、自分たちの考えだけが正しくて、住民はレベルが低いと考えているようなきらいもある。

 

もっとも私たちの知識も、テレビが主だから、知れたものだ。昔は一目置く先輩がたくさんいた。「ダメなものはダメ」という【矜持】を持った先輩がいた。そんなかたくなな姿勢に、私たちは憧れを感じていたからだ。

 

つまり個人が光っていた世代から、組織や団体の中で埋没する人間が多くなってきたような気がする。「ご意見ございませんか」と言われれば、意見などたくさんあるはずなのに意見を差し込まない。

 

個が滅しているようだ。付和雷同というか、波風立てないというおとなしい人間が、周囲に多くなったような気がする。

 

会議で異論を唱えれば、「君の意見ももっともだ」と言ってくれる人はもういない。誰もが黙っているので、異論を差し込んだ人間が異端者扱いになってしまう。

 

採決など行えば、自分の意見に賛成する人も以前は少しはいたが、今は全くいない。自分がただのごろつきにように思えてしまう。民主主義などもはや、風前の灯火のように思える。

 

全体主義がはびこってきたのではないかと、近年心配もする。満場一致などありえないというのが私の主張だ。異論があって初めて、正しい考えに導かれるような気がするからだ。

 

福島第一原発の汚染水海中投棄が始まり、中国が海産物の輸入禁止措置に出た。国はIAEAが認めた基準値以下だから安全だとし、日本国民の批判をかわして「中国悪し」と、WTOに訴えるという。

 

買う買わないは中国の考えだ。相手にしなければいい。一時的もので、おいしく安全な日本の海産物は、中国国民が知っているからだ。

 

だから日本国民の批判を中国に向けるような、姑息な手段はよした方がいい。黙っていれば、輸入解禁するはずだ。いつまでもおいしい海産物を我慢できる、中国人ではないからだ。

 

小国日本が、大国ぶりを発揮し、どんと構えていればいい。それよりデブリを取り除く算段を発表してもらいたい。問題はデブリだ。取り除けないから汚染水は発生し続ける。

 

中国がなんと言おうとも、デブリを取り除けば解決する問題だ。もし政府の会議でそんなことを言おうものなら、すぐ委員を外されるに違いない。みんなと一緒になり中国批判をしていればいいからだ。

 

「デブリも取り除けないのに高齢の原発を再稼働するのはおかしい」などと発言すれば、即座に解任にされるに違いない。

 

なんだか至る所で、まともな会議がなされていないような気がする。テレビのコメンテーターも怒るなら怒ってほしい。奥歯にものが挟まったような解説ばかりだから、一向に日本はよくならないような気がする。

 

最近は映画監督・森達也の、日本人の分析が一番胸に張り込んでくる。関東大震災での朝鮮人虐殺をテーマにした映画が上映される。これはぜひ観たい。

 

人は集団になれば、悪魔の行為に走る。「集団的自衛権行使」などという法律は、人間を悪魔に駆り立てる法律なのかもしれない。

 

2015年函館市議会は「15VS14」で、この法律を容認する決議を行った。もしかして函館港を軍港化するという決議をしたのではないかと、最近疑問を強く感じている。


日本学術会議こそ平和の砦

2023年08月30日 15時31分40秒 | えいこう語る

戦後わずか78年しか経っていないのに、我が国は間違いなく戦争できる国へと舵を切っている。「集団的自衛権行使容認」は「憲法9条」の底に大きな穴をあけた。我が国の「憲法第9条」は、完全にメルトダウンしている。

 

にもかかわらず国民の多くが、防衛費の特出に対し、大きな反対もしない。つまり政府にとっては、国民主権などは国家防衛のための妨げに過ぎないと考えている。

 

国家主権こそが国民主権に優先すると考えているようだ。国民の一部がどう叫ぼうが、周辺事態の危険性を煽れば、国民は自衛能力のさらなる強化には反対しない。

 

国民は日本国憲法などよく理解していないから、一度も変えたことがない古い憲法を新しいものに変えるというのは、反対ではないと政府は理解している。

 

国民は「戦争しない国」を維持するため、どう声を上げたらいいのかわからない。戦争に反対できるのは科学者だ。先の戦争で、戦争に加担した事実があるからだ。

 

政府と科学者と軍隊が三位一体となれば

、最強の国家になるのは、米国の核製造の「マンハッタン計画」の歴史が物語っている。

 

戦争に加担してはならないと、戦後発足したのが「日本学術会議」だ。日本の英知が集結するこの団体から、政府の軍拡問題に批判が上がれば、政府として相当な痛手となる。

 

そこで政府に批判的な科学者の任命を拒否し始めたのが、菅総理だ。もちろん拒否の理由などみじんにも説明しない。一刀両断だ。

 

科学者ごときに政治の複雑さは理解できないだろうという、独善的、高飛車な考えだ。学者から見たら、戦争できる国へと誘導する菅総理などは、総理に値しない人物に見えるだろう。

 

この学術会議任命拒否問題。日本の国の在り方が問われる問題だが、周辺はあまり関心を示さない。どこか、科学者と政治家だけの問題としか、考えていない感じがするからだ。

 

話はそれるが『ジャニー喜多川の性加害問題』だ。世界犯罪史上に残る事件だ。私たち団塊世代も、この事件は以前から聞いていた。

 

しかし、戦後のこの事務所の活躍は、日本の復活に寄与したのは間違いない。その陰で許されされないことが、許されていた。そんな日本は戦前にもあった。

 

「国体」意識は戦争終了後崩壊したように思えたが、戦後の芸能界には、ジャニー喜多川を中心に、出来上がっていたのだ。

 

ジャニー喜多川は【戦後幼児性犯罪の超A級犯罪者】なのだ。そんな処理の仕方でいいような気がする。この会社に更生を期待してはならない。

 

戦後復興のため「芸能界と電通と政治」、すべてがオール日本で頑張ってきた。電通の社則などは、旧帝国軍と全く同じ精神だからだ。頑張ってきたからこそ、許されるものではない。

 

菅総理に任命拒否された一人に、東大の歴史学の女性教授がいる。彼女は、「天皇制の批判がない日本には、真実はない」とまで言い切る。

 

天皇制とジャニー喜多川問題を、マスコミはタブー視する。無理につなげるものでもないが、なぜか日本社会に巣くう問題に接した時、奥歯にものがはさまってしまうのが、戦後日本人の特性のような気がしてならない。

 

こんな話が酒の席でも話せるような、日本であってほしい。


大阪からの万博情報

2023年08月27日 21時01分13秒 | えいこう語る

第2回目の大阪万博が間もなく開催予定だが

、各国のパビリオンがウクライナ戦争以来の材料費高騰で、開催自体が危ぶまれていると聞く。

 

先日自転車で北海道旅行をしているという、4~50代の男性が店を訪れた。早速そのことを聞いてみた。

 

彼は地元の建設業界に勤務しているという。はっきり言って、万博は時代が要望しているわけではなく、行政(維新)が前のめりになっているといい、市民の関心は今一だという。

 

彼の会社も役所との付き合いがあるので、小さな仕事を受け持ったという。でっかいものに参加しても、利益が出ないと判断したからだという。

 

大阪の経済状態を、的確に分析している会社に勤務しているらしい。さらに万博が失敗すれば「維新」が衰退するとまで言い切った。

 

一人旅する人物は、自分の来し方を整理する、何か覚悟のようなものを、内に秘めているようで、会話が弾む。

 

翌日も名古屋から会社を辞め、自家用車で北海道一周してから、次の仕事を探すという、先に私は独身ですと断ってから、話し始めた40代後半の男性が来店した。

 

この男性は温泉を目指しながら、北海道を一周したいと話したので、近所の縄文露天風呂を紹介してやった。

 

ところがこの男性、3年ほど前から縄文文化に興味を持ち、長野や青森などの遺跡群も訪れ、私の隣町にある、縄文世界文化遺産に向かうという。

 

午前中で来客がなかったせいもあり、1時間半程縄文世界について、二人で話し合った。支払いの時「いろんな話を聞かせていただき、ありがとうございました」と礼を述べられた。

 

こんな時は接客していて、最もうれしい気分になる。「SDGs」について、それから戦争のない世界についても、十分話し合えた。

 

ついでに名古屋市長・河村たかしの市民の信頼度について聞いてみた。「彼はちょっぴり品がないと思われているが、仕事はまじめにこなしていて市民の支持はある」と。

 

大阪と名古屋。互いに個性的なまちだが、首長が市民目線で考えているかいないかで、市民の満足度も変わってくるのかなと思った。

 

我が函館市の大泉潤新市長だ。初の選挙ではマニフェストが多すぎて、よく理解できない。9月に台湾を訪問し、観光客誘致に力を入れるようだ。

 

帰りに中国にも立ち寄り、観光PRを行いながら、中国と台湾両国の平和促進をおねがいして、きてほしいものだ。

 

マニュフェストにない、楽しい市長であってほしいものだ。


汚染水から日本を分析

2023年08月26日 10時25分02秒 | えいこう語る

福島第一原発事故でメルトダウンし、デブリがたまった。そこに地下水が流れ大量の放射性汚染水が出る。

 

貯蔵タンクがいっぱいになれば、目の前の海に放出するしかない。ALPSなどという濾過装置で、放射性物質を取り除いた後、放出とはいうが、トリチウムは除去できないのは一般国民でも知っている。

 

そこで広大な太平洋に流し込み希釈するというのは、何ら科学的ではない。ただ溢れたので海に放出しかないと、国民にあきらめさせようといているからだ。

 

国民の多くも徐々に「納得」し始めているに違いない。「仕方がない」からだ。だが隣の中国が日本の水産物の輸入禁止を行った。

 

自分の国も多量の放射性物質を海に流し込んでいながら、日本だけに制裁を加える。中国は元をただせば親戚のような国なのに、日本が過去に侵略したことを忘れずに、仕返しを続ける。

 

中国の対処に、底意地の悪い国だとレッテルを張る。いずれは戦うこともあるという事を匂わせ、9条をないがしろにする「防衛費拡大作戦」の一つのようにも思える。

 

汚染水放出問題を、自分の中でどのように理解したらいいか、新聞の論説など注視しているのだが、これと言って納得できるものはない。

 

世界的な問題なのに、国内でも溢れるものは処理するのが当たり前という、考えが蔓延してきている傾向に、心がしっくりこないからだ。

 

それはコロナのパンデミックに乗じて、米国製のワクチンが効くなどという‟不確かな報道”?に惑わされ、数回も無批判的に接種に応じる、従順な日本国民の‟あやふやさ”に、似たものを感じるからだ。

 

原子力政策は、始め「核開発」から始まったのだが、広島・長崎への投下から、それを「原子力エネルギーの平和利用」という方向転換で「電力」として、人類の生活向上に貢献してきた。

 

もちろん電気には感謝しかない。だが、電力の生み出す最大のものが「原子力発電所」だ。ここから発生する放射性物質が「核開発」の原料を生む。

 

このサイクルを人類は忘れてはならないはずだが、被爆国である我が国民も、忘れている人が多くなっているようだ。忘れているのではない。初めからそんな歴史を知らない人が多くなっているようだ。

 

なので、溢れたら処理しなければならないと思う人が多くなっているようだ。ここが福島汚染水放出の重要な視点だ。

 

 

そのあたりが、メディアの解説が奥歯にものが挟まったような、充分な解説ではないので、何か‟もやもやした”ものが、心に残っているのが、私の今の放出に関するメディアへの不満だ。

 

これは海の問題だが、この放水に乗じ政府は、殺傷武器の輸出解禁を行おうとしている。中国や北朝鮮やロシアの‟野蛮性”を煽れば、どうせ国民は武器の製造や輸出ぐらい、容認してくれるに違いないと、国民を見下しているのだ。

 

さらに戦闘機まで、海外に輸出する旨の検討を始めている。「陸」の部分は殺傷兵器の輸出、「海」の部分は放射性物質の投棄、「空」の部分は戦闘機輸出。もはや、キシダ政権は「陸・海・空」を、我が手中に収めようとしているようだ。

 

キシダ総理の最大の武器は「丁寧なよくわからない説明」だ。説明は限りなくわからないように説明する。それが今の総理としての最大の武器のようだ。

 

地球の温暖化防止に「SDGs」な地球をというキャッチ・フレーズを掲げている。持続可能なキシダ政権を目指しているのではないかと、数日前からの新聞の読み返しながら、ふと思った


トリチウム海岸

2023年08月25日 18時47分12秒 | えいこう語る

2023年8月24日午後1時。福島第一原発事故のメルトダウンで、地下にたまった大量のデブリに地下水が流れ、汚染水を発生し続けた。飽和状態になったので、海中投棄を始めた。

 

国民の心配をよそに、キシダ総理や東電が、勝手な発表をする。「汝臣民に次ぐ、汚染水はあふれ、もはや帝国の存亡にかかわる。ゆえに太平洋に投棄する。福島県民耐えがたきを耐え、よく我慢せよ」。そんな内容の発表が発せられたような気がする。

 

福島や近隣県はその日を境に、陸ばかりではなく海も、放射性物質の汚染という、風評被害にさらされ続けるに違いない。

 

そんな日が無くなるというのは、人びとの記憶が一日も早く薄れることに、期待するほかはない。あれほどの虐殺を繰り返した先の戦争も、今は記憶に残る人は少なくなり、改憲を望む国民も少なくないからだ。

 

「汚染水は完全にコントロールしている」と、世界に嘘をついたシンゾウも、すでにこの世の人ではない。

 

排水完了まで30年というが、北朝鮮や中国やロシアの動きにより、政局が一挙に混乱した場合「緊急事態条項」を成立させれば、すべて首相の権限で、排水など瞬く間に完了してしまう。

 

「溜まったものは近くの海に放出するしかない」というのが、もしかしてシンゾウの遺言なのかもしれない。汚染水ではなく【シンゾウ水】と言い換えたほうが、人びとの記憶に残るに違いない。

 

IAEAの科学的根拠などというのは、付け足しに過ぎない。近年一般家庭のゴミの分別など行われているが、私の故郷では村落ができた時分からつい最近まで「ゴミは海に捨てる」というのが常識だった。

 

子供のころなどは、生ゴミなどは海岸に山積みされていた。しかし大波が来ると海岸は、美しさを取り戻していた。これは世界中の海岸に住む人々の、常識だったに違いない。

 

海の中は普段見ることができない。見えないという感覚が、文明が急速に発達した分、ゴミが増えたので、海洋投棄につながったのではないかと考える。

 

私の20代頃の記憶が正しければ、茨城県沖で夜中に船でごみを捨てていたということを、聞いた記憶がある。

 

さらに私の記憶では、そのゴミは東海村で出た、低レベル放射性廃棄物だったと記憶している。確か夢ではないはずだが。

 

夜になると人間は、闇に隠れ犯罪を起こすのだ。今までだって闇に紛れ、ずいぶん政府は犯罪を起こしていたに違いない。

 

福島原発から電力を供給されていたのは、東京都民だ。汚染水の投棄も、自分とは全く関係ないと都民は思っているのだろう。

 

しかし福島沖の地震は、今後もあると予想されている。地震が起きれば被害は膨大になる。そうなれば風評被害など問題外だ。

 

全漁連は総理や大臣の前で、せめて国際的にも安全だと言われる汚染水であれば、東京湾へ流して下さいと要望してもいいではないか。

 

こんな要望が、常識外だというのであれば、水に溶けないトリチウムを海中に投棄するなどもってのほかだ。

 

トリチウムが海底に蓄積され、大嵐がやってきて砂浜に打ち上げられる。【トリチウム海岸】なんていう海岸を散歩する人などいない。

 

1953年、米国のアイゼンハワ―大統領の国連演説で「原子力の平和利用」が始まった。そこで我が国も「安全・安心なクリーンエネルギー」と絶賛した。

 

現在【SDGs】という世界目標があるが、そんなのは国家から言えば、関係ないことなのかもしれない。

 

海洋王国日本。自ら海を汚すことも厭わないというのは、「恥の文化」の欠片さえなくなってしまったのではないか。

 

もしかして侍大将・岸田文雄が差している日本刀は、『タケミツ』なのではないか。タケミツでもいいが、そう思わせない毅然とした態度が、総理には必要ではないか。

 

今朝の我が地域の海は、猛暑で煮えたぎっている。お盆が過ぎた。普段は秋風が吹いている気配を感じる頃だ。

 

生活の糧を長い間海に依存してきた。海を汚染し先祖に申し訳ない、そんな重い気分だ。