▼自分自身をも信頼できない昨今だ。なぜこうなってしまったかと言えば、極論だが私たちを代表する政治家が、まるで信頼にあたえしないからだ。
▼特にアベシンゾウが総理になって以来、我が国からは、信頼という言葉がなくなってしまったような気がする。さらに私が信頼に与えする職業として考えていたのは、医師と教師と住職だった。
▼大きな手術を4回ほど受けたが、よく話し合って納得する状態で手術に向かうというのではない。話をすればするほど、不安を増す若い医者が多くなったような気がする。
▼教師だが、もはや教職者そのものが、尊敬される職業でなくなっているようだ。学校でのいじめなど、全く解決できないような体質になってしまったようだ。
▼近年特に感じるのが、教育関係の会議ほど、真実を追求することを、極端に避けているように感じるからだ。
▼単に私の方が馬齢を重ね、経験知が多くなったということもあるかもしれないが、教師としての矜持を全く感じられない人物が、多いような気がする。正々堂々と教育論を展開する猛者など、もはや漱石の文学の世界で終わりなのかもしれない。
▼子供のころから信頼していたのがお寺の住職だ。なんだか偉い人だと思っていた。あまり会話をする機会がなかったせいかもしれないが「お宅の息子さんは、なかなか利発ですね」と言われれば、両親も自分もなんだか気分がよくなった気がしたからだ。
▼近年の住職は社会経験が少なく、世間を知らないでお経を空読みしている人物が多いようだ。お経の説明などお寺参りでも聞いたことがない。
▼教師と同じで、社会実践がほとんどなくどなく、教科書(お経)だけを読み聞かせているので、質が落ちてしまったのではないかと考えている。
▼つまり住民の中に入り、住民の心に寄り添う姿勢が少ないので、自分たちの考えだけが正しくて、住民はレベルが低いと考えているようなきらいもある。
▼もっとも私たちの知識も、テレビが主だから、知れたものだ。昔は一目置く先輩がたくさんいた。「ダメなものはダメ」という【矜持】を持った先輩がいた。そんなかたくなな姿勢に、私たちは憧れを感じていたからだ。
▼つまり個人が光っていた世代から、組織や団体の中で埋没する人間が多くなってきたような気がする。「ご意見ございませんか」と言われれば、意見などたくさんあるはずなのに意見を差し込まない。
▼個が滅しているようだ。付和雷同というか、波風立てないというおとなしい人間が、周囲に多くなったような気がする。
▼会議で異論を唱えれば、「君の意見ももっともだ」と言ってくれる人はもういない。誰もが黙っているので、異論を差し込んだ人間が異端者扱いになってしまう。
▼採決など行えば、自分の意見に賛成する人も以前は少しはいたが、今は全くいない。自分がただのごろつきにように思えてしまう。民主主義などもはや、風前の灯火のように思える。
▼全体主義がはびこってきたのではないかと、近年心配もする。満場一致などありえないというのが私の主張だ。異論があって初めて、正しい考えに導かれるような気がするからだ。
▼福島第一原発の汚染水海中投棄が始まり、中国が海産物の輸入禁止措置に出た。国はIAEAが認めた基準値以下だから安全だとし、日本国民の批判をかわして「中国悪し」と、WTOに訴えるという。
▼買う買わないは中国の考えだ。相手にしなければいい。一時的もので、おいしく安全な日本の海産物は、中国国民が知っているからだ。
▼だから日本国民の批判を中国に向けるような、姑息な手段はよした方がいい。黙っていれば、輸入解禁するはずだ。いつまでもおいしい海産物を我慢できる、中国人ではないからだ。
▼小国日本が、大国ぶりを発揮し、どんと構えていればいい。それよりデブリを取り除く算段を発表してもらいたい。問題はデブリだ。取り除けないから汚染水は発生し続ける。
▼中国がなんと言おうとも、デブリを取り除けば解決する問題だ。もし政府の会議でそんなことを言おうものなら、すぐ委員を外されるに違いない。みんなと一緒になり中国批判をしていればいいからだ。
▼「デブリも取り除けないのに高齢の原発を再稼働するのはおかしい」などと発言すれば、即座に解任にされるに違いない。
▼なんだか至る所で、まともな会議がなされていないような気がする。テレビのコメンテーターも怒るなら怒ってほしい。奥歯にものが挟まったような解説ばかりだから、一向に日本はよくならないような気がする。
▼最近は映画監督・森達也の、日本人の分析が一番胸に張り込んでくる。関東大震災での朝鮮人虐殺をテーマにした映画が上映される。これはぜひ観たい。
▼人は集団になれば、悪魔の行為に走る。「集団的自衛権行使」などという法律は、人間を悪魔に駆り立てる法律なのかもしれない。
▼2015年函館市議会は「15VS14」で、この法律を容認する決議を行った。もしかして函館港を軍港化するという決議をしたのではないかと、最近疑問を強く感じている。