クレイジー・キャッツのボーカル、植木等さんが亡くなった。
戦後の高度成長時期(昭和30~50年代)サラリーマンはマイホーム・マイカーを夢見、勤勉に働けばその夢がかなった時代だった。
それは都市部の発展による、労働力の集中化と、農山漁村の過疎化の始まりでもあった。
当時、都市生活の利便性と田舎暮らしの不便性の格差は、若者の感性を故郷に留めて置く魅力は、ほとんど見当たらなかった。
ただがむしゃらに若者は地方を捨てた時代だった。
個人が自分の力で自立できるそんな時代でもあったが、仕事におわれるだけの自分に、多くの人々は精神的疲労の色を、濃くしていった時代でもある。・・・「砂漠のような東京で」という歌が流行ったのも、その頃だった。
そこに植木等が、「サラリーマンは、気楽な家業ときたもんだ♪」と歌いだした、「日本一無責任男シリーズ」映画の始まりである。
みんなが会社で一生懸命働いているのを尻目に、いとも簡単にギャグを連発し、調子良く世の中をスイスイ渡り切り、出世するというストーリーである。
大ヒットした映画を見て、多くの人はそれを真似したわけではない。さらに勤勉に働いた。
これは現実ではない、映画の世界だと理解していたからだ。それでもヒットしたのは、都会のサラリーマン生活の中で、故郷にいた時の、隣人愛や地域共同体が持っていた、やさしさや思いやりのようなものが薄れていく自分を自覚していたのだ。
主人公の無責任さ加減の中に、ゆとりのようなものを感じ取って、どこかで人間性を取り戻そうとしていたのではないだろうか。
この時代は、日本人が持っていた、独特の価値観や良さの様なものを失った時代だとも言われる。
ギャグは疲れた心をいやし、人間性回復のカンフル剤だとおもっている。
地下潜伏を繰り返し、後に大統領になった、ポーランドのワレサ大統領に、地下生活でのすごし方を聞いたら「ユーモアがなければ生きていけなかった」と答えた。あの人なつっこい顔で、一日中、ギャグを飛ばしていたのだろうか!!!
親父ギャグがダサいといわれる。・・・ダサくて何が悪いのだ。・・・親父からギャグを取ったら、親父が死ぬ時なんだ。・・・オヤジは生き続けるために、人間らしさを取り戻すために、ギャグを連発し続けなければならないのだ。
早稲田の隣、バカ田大学出身のバカボンの親父も「これでいいのだ!」と言ってるじゃないか。
クレイジー・キャッツの谷啓も、どうしようもなくなると、「ガチョ~ン」と言ったではないか。
どこまで、往生際が悪いのか、このオヤジと言われれば「お呼びでない、お呼びでない・・・これまた失礼しました」・・・「ハイ!それま~でよ」と植木さんは、現世にサヨナラした。
浄土真宗の家に生まれ、親鸞聖人の薫陶を受け、責任感の強かった植木等さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。