函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

ギャグが映し出す時代

2007年03月30日 12時11分19秒 | えいこう語る


クレイジー・キャッツのボーカル、植木等さんが亡くなった。
戦後の高度成長時期(昭和30~50年代)サラリーマンはマイホーム・マイカーを夢見、勤勉に働けばその夢がかなった時代だった。
それは都市部の発展による、労働力の集中化と、農山漁村の過疎化の始まりでもあった。
当時、都市生活の利便性と田舎暮らしの不便性の格差は、若者の感性を故郷に留めて置く魅力は、ほとんど見当たらなかった。
ただがむしゃらに若者は地方を捨てた時代だった。
個人が自分の力で自立できるそんな時代でもあったが、仕事におわれるだけの自分に、多くの人々は精神的疲労の色を、濃くしていった時代でもある。・・・「砂漠のような東京で」という歌が流行ったのも、その頃だった。
そこに植木等が、「サラリーマンは、気楽な家業ときたもんだ♪」と歌いだした、「日本一無責任男シリーズ」映画の始まりである。
みんなが会社で一生懸命働いているのを尻目に、いとも簡単にギャグを連発し、調子良く世の中をスイスイ渡り切り、出世するというストーリーである。

大ヒットした映画を見て、多くの人はそれを真似したわけではない。さらに勤勉に働いた。
これは現実ではない、映画の世界だと理解していたからだ。それでもヒットしたのは、都会のサラリーマン生活の中で、故郷にいた時の、隣人愛や地域共同体が持っていた、やさしさや思いやりのようなものが薄れていく自分を自覚していたのだ。
主人公の無責任さ加減の中に、ゆとりのようなものを感じ取って、どこかで人間性を取り戻そうとしていたのではないだろうか。
この時代は、日本人が持っていた、独特の価値観や良さの様なものを失った時代だとも言われる。
ギャグは疲れた心をいやし、人間性回復のカンフル剤だとおもっている。
地下潜伏を繰り返し、後に大統領になった、ポーランドのワレサ大統領に、地下生活でのすごし方を聞いたら「ユーモアがなければ生きていけなかった」と答えた。あの人なつっこい顔で、一日中、ギャグを飛ばしていたのだろうか!!!

親父ギャグがダサいといわれる。・・・ダサくて何が悪いのだ。・・・親父からギャグを取ったら、親父が死ぬ時なんだ。・・・オヤジは生き続けるために、人間らしさを取り戻すために、ギャグを連発し続けなければならないのだ。
早稲田の隣、バカ田大学出身のバカボンの親父も「これでいいのだ!」と言ってるじゃないか。
クレイジー・キャッツの谷啓も、どうしようもなくなると、「ガチョ~ン」と言ったではないか。
どこまで、往生際が悪いのか、このオヤジと言われれば「お呼びでない、お呼びでない・・・これまた失礼しました」・・・「ハイ!それま~でよ」と植木さんは、現世にサヨナラした。
浄土真宗の家に生まれ、親鸞聖人の薫陶を受け、責任感の強かった植木等さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。

ギャグ一発!!

2007年03月28日 10時42分09秒 | えいこう語る


今年になって、椴法華で3戸全焼の大火があった。
550戸の地域で3戸は大火である。ちょうど50年前、自宅のすぐそばで3戸が焼けた以来の、大きな火事だった。しかも今回も、自宅から約80メートルの近さだ。
「災難は忘れたころにやってくる」・「火の用心 心で用心 目で用心」・「今捨てた タバコの温度は 700度」などの防火標語が頭をよぎる。
今回の火事で信号機が焼け、しばらく無信号で走行していたが、人口1,400人の地域では何の支障もなく、車もいないのに信号待ちをされるストレスから解消され、みんなが喜んでいたはずだ。
椴法華第1号のこの信号。僕が学生時代(約38年前)夏休みで東京から帰郷したらついていた。まだ車の所有も少なかった時代、信号機だけが都会ぶって見え、ずいぶん違和感を感じたのを記憶している。その後、公共施設が立派になり、田舎の景色も徐々に変化していった。昭和40年後半の田中内閣の日本列島改造計画で、公共事業に多額の補助金をつぎ込み
地域を開発し、自然環境がどんどん破壊されていった。・・・つまり田舎らしさが失われ、建物だけが立派で、風景にマッチしないな田舎くさい地域が、日本全国に出現した時代である。
普段「ぼけているんじゃない」と家族にののしられている割には、過去の記憶は鮮明で、文章が長くなってしまうのが、我々団塊世代の特徴で・・・許して頂戴!

信号の話に戻るけど、以前道警本部を訪問し、婦人警官の案内で事件を受け付ける、通信司令室を見学した時のこと。
街中の混雑を解消するため、現場の映像を見ながら、司令室で信号の変わる操作をしてスムーズにさせていると、美人の婦警さんが極めてまじめに説明していた。
僕は質問していいですかと静かに尋ねた。信号のことを英語でシグナルというのはどうしてなんですか?・・・・・・・・彼女は答えることができない。
そこで僕は、あなたに特別教えてあげますと言った。
「青信号だとおもっても、赤にシ・グ・ナ・ル」気を付けなさいという意味ですよと、伝えると、彼女は反応よろしく大きな声で笑った。・・・50人ほどいた参加者は、一斉に彼女のほうを見たが「大変失礼しました」と平然とし、笑みを浮かべて私にささやいた。
「このギャグ、使わしてもらいます」     ・・・きっとすばらしい、お母さんになるに違いない。

宗男さんと清美さんに会った

2007年03月27日 11時48分34秒 | えいこう語る


昨夜、五稜郭本町で、鈴木宗男さんと辻元清美さんに会った。
3年ほど前、国会で歴史に残る迷場面(舌戦)?を演じた二人である。
ムネオさんの強引な政治手法と、旧態依然とした地域誘導型の泥臭い自民党政治には、かなりの違和感を持っていたが、私たちグループ(北海道チャレンジネット、代表が私)が支持する荒井さとし知事候補の支援を、ムネオさんがしてくれた関係で、顔見知りになってしまった。
話をすると以外に好人物という印象はある。・・・58歳・道産子・大学が僕と同じだ?!

キヨミさんは、初めて話したが、若くして風格をそなへ、土井、福島、に次ぐ党首になるのは間違いない!
でも、腐れきったキヨミさんの地元である、大阪の知事になってもらいたい。
大阪を変えれれば、総理大臣の資格は絶対ある。
はじめは物静かに話していたが、やっぱりボルテージが上がる。議員辞職して無職になり、やさしさと、さらなる強さが増したようだ。

世間では、相対する存在に思われている二人、でも共通点がある。
政治に対する情熱・人身掌握の力・一人ぼっちが強い・しぶとい・ムショグラシ・違う政党の荒井さんを応援など。
(ムネオさんは自民の現職を倒すため、道産子の結集を叫び、キヨミさんは、議員辞職する時、他党の荒井さんが支援してくれたからだという)
ともに人のありがたさがわかる政治家のようだ。

世の中ボーダレス化して、好むと好まざるにかかわらず、関連性が複雑になってきた。
様々な価値観を共有できるメリットもあるが、正しい正しくないの判断も、基準がどんどんあいまい化している。
こんな世の中であれば、すべてが滅びそうな気もするが、考えようでは、多様性の中には、今までになかった‘いいもの‘がたくさん身近にあるということだ。
恐れずに複雑な関連性の中に飛び込み、いい答えを出そう。きっと仲間もいるし、答えを出すのを手伝ってくれるはずだ。・・・と自分に言い聞かせながら、白ワインを一本、空にしてしまった。(ちなみに肴は、ヤリイカの塩焼きとホッキ貝の刺身=閉店間際の割引品)

旭山も上野動物園も見たけど、やはり人間という動物が一番興味深い・・・!
2時間で、超人気者の旭山のアザラシと上野のパンダを同時に見た?椴法華のトドでした。

夕張・18年は我慢できない

2007年03月26日 10時29分15秒 | えいこう語る
夕張問題を考えると、あらゆる角度から憤りを感じる。市民は粉飾決算で黒字だと思わせられたと怒っているが、果たしてそうだろうか。
札幌から離れた山奥に、異常なまでの補助金が投入され、身の丈以上の施設をつくり、入場者が毎年減少する状況を見て、赤字が増えていると気付かなかったはずはない。
国のエネルギー政策の転換で、国がその責任を補償するといえ、補助金の3割は、地元の借金であるのを市民は理解していたはずだ。
行政はなぜここまで隠していたか?議会はもちろん知っていながら黙認したのはなぜだろか?

炭鉱が閉山し雇用不安に陥った。国も産炭地特措法で、救済策を出してきた。
『炭鉱から観光へ』。 N市長の力強よいメッセージに、住民はカリスマ性すら感じた。
議員の口利きや、役所関係の縁故で、雇用も確保された。
それらは当然選挙の票となって帰ってきた。
赤字が増えると、執行機関や賛成した議員の責任になる。
それが露見すると、自分たちの失職につながる。
第三セクターの決算方法が市民にわかりにくいのも彼らには幸いした。・・・・・・知らなかったと言えばよい。

借り過ぎを注意せず貸しすぎた。返せないのをわかっていながら借り過ぎた。・・・・サラ金地獄の地獄の地獄。
人を殺めたわけでもないのに、懲役18年の実刑である。
行政や議会を信じた市民に、353億円の支払命令が告げられた。
高齢化率が40%以上の夕張で、18年間生き延びる市民はどのくらいだろうか。
残される者にさらに負担がのしかからないだろうか。

市民の生命・財産を守り、福祉の充実に努めるのが、議会と行政の役割だ。その責任を放棄し、市政に参加させられなかった市民に責任を押し付けた。
夕張市民による夕張裁判を期待したい。
それは夕張のような自治体を二度と出さないための、夕張市民の使命でもある。
ただ18年間、353億円の借金を払い続けるのは、普通の神経では考えられない。
普通の神経でいれない市民を、精神的にケアーする政策が出されてないのが、一番の心配である。
道民の一人として、傍観者ではいられない。

3月25日ラストのブログです。

2007年03月25日 17時34分20秒 | ROUTE278の風景
ルート278 TODOHOKKE・銚子ビーチ
10人ほどのサーファーが、海に出ている
天気はいいが風はまだ冷たい
低気圧前線が海峡を抜けたせいか
波のサイズは2~3メートル、しかもロング!
僕は部屋の窓からその光景を眺めている
ビーチボーイズが愛用のJBLから流れ
気分は、カリフォルニアかワイキキか
午後4時30分
僕はタイピングを終了し
冷蔵庫からバトワイザーをとり出した

 
            TODOHOKKE・銚子ビーチ