▼東工大の中島岳志教授が「戦争の民営化・問われぬ責任 政府に好都合」というテーマで、ロシアの民間軍事会社ワグネルについての解説を行っている。(7月25日北海道新聞)
▼プーチン政権の傭兵として戦闘に参加していたプリゴジンが、一時反乱を起こしプーチン政権の打倒に出た。
▼民間の軍隊はロシアの憲法でも違反とされている。だがあえてワグネルを使用したというのは、国家の戦争であっても民間組織であれば、国家はそれらの行動についての責任は、免れるというものだ。
▼民間組織であれば、戦死者の数など発表しなくてもいい。戦死者をすくなく発表できるので、戦局は不利に思われないからだ。
▼だが国家の軍隊でなければ、国家の統制が効かなくなった時、その軍事力により、クーデターの可能性も大きくなるからだ。それが今回のワグネルの乱だ。
▼この中島の論評で、私は「教育」という言葉が浮かんできた。戦争となればまず最初に影響を受けるのが教育だ。
▼「戦争は教育現場から始まる」という、第二次世界大戦に突入した我が国の教育の変遷を思い出したからだ。戦争には国家の意思統一が必要だからだ。
▼教育は文科省の管轄だ。コロナ禍の中でリモート教育が始まり、文科省はICT化を促進し、GIGAスクール構想も学校現場に持ち込んだ。
▼タブレットの生徒全員への供給は、民間組織の教育現場への参入を拡大した。根底にはコロナ禍などで世界経済全体の停滞があるからだ。
▼【資本主義の崩壊は暴力と戦争と競争が支配する野蛮社会が復活する。どの国も債務国家になり、公教育は財政負担となる。教育産業は巨大なマーケットになり、教育の公共性は崩壊する】と主張するのは、学校教育学が専門の東大名誉教授佐藤学が、岩波ブックレットNO,1045で指摘している。
▼これ以上教育を論ずる何の知識も私にはないが、民間軍事組織ワグネルと、我が国の公教育に於ける教育産業の参加は、「公共性の崩壊」をの始まりが予感される。
▼「公共性」とは、常識ある秩序のように思う。そこに民間企業が参入することで、公共性が混乱を招くのではないかと危惧するからだ。
▼さらに自民党改憲草案で特に注目するのは「公共性」という概念を「公や公益の為」にという解釈に重視しようとする内容だからだ。
▼「資本主義の崩壊は戦争がはびこる野蛮な社会になる」との佐藤学の指摘があるが、ア民間軍事組織や、公教育の教育産業界の参入は「国家秩序」を揺るがし、さらに憲法改正への足掛かりになるのではないかという、漠たる不安が湧き上がってくる。
▼世情に疎い田舎おやじの私でも、軍事産業の民営化や、教育現場への教育産業界の参入強化は、戦後の高度経済成長期の真っ只中にいた私たち世代は、なんだか不安というより不気味さを感じる。
▼デジタル時代についていけない世代ということではない。それは「戦後日本人の忘れ物」を個々に検証していた時代の私たちが、第四次産業革命と言われるAI化の前に『ハーメルンの笛』が国内に流れているのを感じるせいかもしれない。
▼それは気候変動という中で、大雨で人類が流されていることにも通じる、予測不可能な社会の幕開けが始まった、そんな気もするが。