▼私が痴漢をしでかしたわけではないが、万が一自分が痴漢にされた時、絶対逃げ切る方法がある。その方法は、私の先輩で元警察官のブログに書いてあった。その先輩の許可を得てそれをみなさんに伝授したい。しっかり頭に入れてほしい。
▼先輩自身が職業柄知った事象かと思ったが、実は誰かがネットにアップした内容が、その手口?いや処理の仕方があまりにも見事だったので、元警察官としての職業意識が働き、自分のブログにアップしたという。
▼ある男性が、電車内で痴漢だと叫ばれ、その女性と警察署に連れていかれた。警官も「早く白状したほうがいい」というような顔になるらしい。こうなるとほとんど無駄な抵抗になってしまうようだ。
▼だが、その男性は冷静だった。「俺は捕まってから手を洗っていないのは認めるよな。本当に触ったなら、手から繊維片が出るはずだ。女の服にも俺の皮脂や皮膚片、場合によっては指紋が付いているから、調べてみろ」と言ったそうだ。
▼被害者だという女性の服から、それらの確認は全くなかった。そこでその男性がさらに続けた。「お前はこのように痴漢に仕立てることを、何度もしているのではないか」と。
▼慌てた警察が、その女性を調査したら、なんと痴漢犯罪の常習犯だったという。だぶんこの男性は、犯罪調査にかかわっている人か、いわゆる「科捜研」のような、職業に関する人ではないかと思う。
▼半世紀前の東京の山手線。ぎゅうぎゅう詰めだった頃を思い出した。周囲の女性には気を使った。だが「痴漢だ」と声を上げる女性など見たこともなかった。あの頃の女性は辛抱強かったのだろうか?。
▼それから半世紀。女性が男性を貶め痴漢詐欺を働く。男性はどう変化したかと言えば、相変わらず痴漢行為を繰り返している。
▼私が知っているおばさんは、若い男性に近づくと「むぎゅっと、握る人がいる!?」。「過酷な社会の中で、元気で暮らしているかどうかの反応を見る」のだという??。
▼その真意は理解できないが、そんなおばさんがいるという環境は、極めて明るく元気で、すこぶる健全な社会ではないかと、私は納得している。
▼私も若い時分、女性ばかり80人ほどがいる職場を預かっていた。その中でワイ談は割と一般的だった。ある時、若い私は調子に乗って、猥談を始めた。しかし「あなたはそういう話は似合わない」とたしなめられた。
▼セクハラなどというものが、極めて狭い感情の領域の中で、争われている。でも、握りおばさんは、別妙なタイミングで周囲を明るくしてくれる。
▼寛容か不寛容かの問題でもないと思うが「セクハラ」などという造語をつくり、それを流行り言葉とし、必要以上に社会問題化する我が国が、軽率のようにも感じる。
▼軽率という言葉を吐くと、さらに叱責されるかもしれない。あまり極端すぎると不寛容社会の様な気がして、笑いが少なくなる社会になるような気がする。かといって、私がセクハラに寛容と言っているのではない。
▼もし周囲が笑え、楽しい気分になるような範囲でも、セクハラだと感じる人がいたなら、それを擁護してやるユーモアが周囲の人にも無ければならない。
▼みんながセクハラと感じたら、セクハラした人を戒める、ユーモアのセンスを持ち合わせていなければならない。それが社会人としての自覚でもあり、責任でもあろう。
▼私も酒の席で、50代のキャリアウーマンに「あなたは着物が似合いそうですね、赤いかんざしなどさしたら、きっと色っぽいでしょうね」と、少し気がゆるんで話してしまった。
▼彼女はすかさず両手の人差し指を回し“指導”と、柔道での審判の仕草をした。「指導が続けば、失格です」そんな感じを私に与えた、見事な一本勝ちだった。
▼世の中すべてこうであれば、うまくいく。国会討論会を観て時々彼女のことを思い出す。横道にそれてしまったが、痴漢詐欺にあわないためにも、前述のことは覚えていてほしい。