函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

北海道のシンガポール化!!!?

2019年02月28日 13時47分41秒 | えいこう語る

▼IR法(賭博法と呼ぶ)をめぐり、北海道新聞(道新)が全道世論調査を実施した。誘致【賛成7%】どちらかと言えば賛成『25%』だ。

▼【反対39%】どちらかといえば反対『27%』だ。つまり【反対側が66%】VS【賛成側が33%】で、結論は道民は賭博法誘致には【反対】という結果を出した。

▼第一候補とされる「苫小牧市」を含む胆振管内では【反対58%】で、賛成は【39%】だ。苫小牧市長は誘致に積極的なので、賛成【39%】は、意外と大きい数字だ。

▼米軍基地新設をめぐる「沖縄県民投票」は「賛成・反対」のほかに「どちらでもない」という3択になった。基地が新設されれば、米軍はさらに今後も居座るということだ。【どちらでもない】という選択肢は、県民としてはありえない選択だ。

▼博打は【道徳教育】では、ダメに決まっている。だから「どちらか賛成・反対」などという選択肢は論外だ。そうであれば、北海道民は賭博誘致には【反対39%・賛成7%】だけの結果でよい。

▼さらに分かりやすく拡大すれば 、おおよそ【(反対84%・賛成15%)】というところだろう。


▼アベ総理は基地反対の沖縄県民を無視し、埋め立てを続行するという。北海道のはるみ知事も、今期限りの引退だが『誘致に向けた取り組みを進めることが重要だ』と寝ぼけたことを話している。「シンゾウ&はるみ」は【国民主権】ということを全く理解していない【憲法痴呆派】なのだ。

▼と、いくら国民の一人だと思う私がほざいても、何ら影響がないが、ここは専門家の意見を拝聴したい。内田樹・白井聡の対談集【日本戦後史論】からの驚くべきメッセージだ。

▼内田=「最近の日本は右傾化しているといわれているが【シンガポール化】している。シンガポールは国是が【経済成長】だ。経済システムも教育も、メディアも、すべて社会制度が「経済成長に資するか否か」を基準に適否の判断がなされる。そこには【民主主義は経済成長にプラスにならない】と判断されたので一党独裁が続いている。
▼「国内治安法」があり、反政府的な人物は令状なしで逮捕拘禁できる。労働組合は政府公認だけ。大学入学は、反政府的な意見がないという証明書の提出。さらに反政府的メディアは存在しない。首相ポストは世襲で、国有企業を支配している。極めて効率的なトップダウンシステムだ。
▼我が国は「特別秘密保護法」「集団的自衛権の閣議決定」や、自民改憲草案における「非常事態」の適用による独裁制の合法化とか「教育法改定」による「学校の株式会社化」など、すべてが【シンガポール化】の流れだ。
※だからアベ政権を支える支持層は、大日本帝国のような日本をつくりたいのではない。シンガポールみたいな、金もうけだけに特化した社会の仕組みにしたいので【民主主義は邪魔なだけ】なんです、と指摘する。

▼そうであれば【賭博法】から、北海道の未来づくりが見えてくる。道内の空港の一元化を図り、千歳空港のハブ化で、世界から多くの観光客と博徒を迎え入れる。さらにスポーツによる、北海道の新たな魅力作りも始まった。

▼不健全な精神(賭博)と同時に健康促進(スポーツ)をプラスし、不健全さを緩和させようという目論見だろう。日本ハムの北広島移転は、球場のほかに大規模なテーマパークの建設もある。賭博場の可能性も大いにある。

▼千歳空港を中心に、北広島・苫小牧市・ルスツこのゾーンは、北海道がシンガポール化を目指す好適地ではないだろうか。北海道という広大な自然は、人間が自然と共生することを追求する場所ではなく、自然を破戒し経済を優先する、戦後日本の繰り返しの大地にはならないだろうか。はるみ知事はすでにシンガポールの賭場を視察している。

▼アベ総理が総裁選4選を目指すというような、物騒な話題が飛び込んできた。もしアベ一党独裁が12年も続けば、北海道は経済優先の【シンガポール化】され、金もうけには向かない民主主義は、北海道には馴染まない考えになるだろう。

▼守るべきは【民主主義の大地北海道】だ。そのためには【シンガポール化】をさせる博打法には絶対反対だ。知事選の投票もそれ一点張りでいい。

▼IR法の函館地区の説明会は【3月13日14時30分から、渡島総合振興局で開催】される。私が申し込んだら、名前と住所と電話番号を聞かれた。事前にIR法の資料でも送ってくるのだろうか?!

天皇陛下万歳にみる国家総動員

2019年02月25日 11時29分43秒 | えいこう語る

▼今上天皇在位30年記念式典が行われた。生前退位を自ら決意したことを国民に実感させるかのように、お言葉の読む順番を間違えた。そこにすかさず皇后陛下が、手を差し伸べられ無事終了した。

▼助け合う夫婦像が全国に放映され、国民統合の象徴としての、平成の天皇の役割が見事に表現された、心温まる出来事だった。

▼さらに、式典同日に行われている「米軍基地移転」に対する【沖縄県民投票】を気遣ったかのような、天皇皇后両陛下が自ら作詞・作曲を手掛けた(沖縄の歌)・「歌声の響き」が、激戦地沖縄県民に常に寄り添ったお二人の心が、国民に伝わったに違いない。

▼私は沖縄戦で指揮を執った大田実海軍少尉が、海軍次官に宛てた電文を思い出した。【沖縄県民斯ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ルコトヲ】。

▼天皇皇后両陛下は、大田実少尉の願いをそれから74年後に、国民に改めて伝えてくれたのではないかと、私も胸が熱くなる思いだった。

▼式典終了は、大田実少尉の心をまるで理解しない、アベ総理の【天皇陛下万歳】だ。自分は「沖縄県の心に寄り添う」と、平気で嘘をつく。そんな人物に万歳をさせてはならない。

▼もし、沖縄県民に常に寄り添う総理なら【沖縄県民万歳】を三唱してほしかった。そうであれば、天皇皇后両陛下も、微笑んで退場したに違いない。

▼アベ総理の【天皇陛下万歳】の発声は、なぜか私には「マンセー!」と聞こえる。それは「憲法改正」への【天皇の政治利用】という心が、透けて見えてくるからだ。さらに【国家総動員】という言葉も同時にだ。

▼これは、あくまでも私の「妄想」で、終わってほしいと思うのだが。

天皇在位30年と70歳の私

2019年02月24日 23時00分02秒 | えいこう語る

▼今日(24日)は、今上天皇の在位30年記念式典がある。国民の一人として、象徴であることの大変さと、平和を祈ってきた天皇皇后両陛下には、ご苦労様と言いたい。

▼一方沖縄では、米軍辺野古基地建設に対する「県民投票」がおこなわれる。戦後74年間、我が国が沖縄を、米国の植民地として提供してきたことに対し、国民の一人として申し訳なさを感じている。

▼「祝意」と「悔恨」の情、二つ我にあり、といった複雑な気持ちが入り混じった今日だ。沖縄県の玉城知事の言葉が、重く心にのしかかっているからだ。

▼【なぜ沖縄が県民投票で、意思を示さなければならないのか。国民全体が考え、結果をしっかり受け止めていただきたい】。

▼その言葉を無視するように、県民投票と在位式典を同じ日に設定したのは、アベ政権の【天皇の政治利用】ということではないか。「沖縄を無視(しかと)する」というやり方は、国家による「沖縄イジメ」ではないか。

▼「一世一元制」は、元号を使用することによって国民は、無意識の中に天皇を国民の上位にある存在という認識を高めて行くのではないか。さらに、元号は天皇が決めるのではなく内閣が決定する。これも【天皇の政治利用】につながるのではないか。

▼「平成」を発表したのは内閣だ。内閣の思うような時代の象徴であってほしいという、これも【天皇の政治利用】の一つではないか。などという素朴な疑問がわいてくる。

▼戦争が終わり、戦争遂行に寄与した大日本帝国憲法が廃止され、日本国憲法が発布された。簡明に言えば、国を支配していた神の存在であった天皇が、新憲法下の国民主権により、天皇は国民の下にある存在となったのだ。

▼だが、新憲法下でも天皇制度そのものは、戦前からの【連続性】を維持し続けている。しかし、旧憲法が廃止されているのだから、新憲法下では天皇制度は【断絶性】の緊張感関係において象徴天皇を理解することが、この立場の特徴だ。
そして、象徴天皇制の憲法制度としての理解を国民主権原則に可能な限り近づけることで、原理的に国民主権原則と矛盾する象徴天皇制を可能な限り無化するとともに、なおかつ残る矛盾を直視しよとするこの立場は、象徴天皇からも逸脱しがちな現実を、もっともよく批判的に相対化して考察できるように思われる。
そしてこの立場からすれば、125代天皇とか、在位62年とか言った認識はありえない。憲法学者横田耕一著【憲法と天皇制】からの抜粋。

▼何度も読み返えしてみたが、私の理解は不確実だ。しか天皇制度の【連続性と断続性】は、今回の生前退位の中で、私たち国民がもう一度考えなければならない問題であろう。

▼この本の冒頭部分での、横田教授の言葉を紹介したい。

【昭和天皇の逝去ののち、戦争責任発言への威圧や代替わり儀式、そして学校教育における君が代・日の丸の強制は、天皇制度の在り方と日本国憲法との間に新たな緊張関係を生じさせている。開かれた議論を求めて、憲法上の天皇の地位、国事行為と公的行為、元首か、皇室祭祀、マスコミ報道など、象徴天皇制をめぐる諸問題を整理検討する】と書いてある。

▼昭和天皇の崩御の時、国内が「自粛ムード」になったのを記憶している。テレビの番組も天皇崩御一色だった。子供たちはビデオ店に走った。

▼2019年とは「憲法改正」に向け、アベ政権の【天皇の政治利用】が様々な場面で登場してくるに違いない。国民主権という現憲法の意義を改めて問いただす時期ではないか。

▼70歳の私は「民主主義」というものをさほど気にもせず生きてきた。さほどありがたいものだという感情もなかった。今年は「民主主義」や「国民主権」や「憲法」や「天皇制」を、ちょっぴり力を入れて勉強してみたいと思う。

▼「少年老い易く学成り難し」という言葉をしみじみかみしめている。近所の神社の階段の上がり降りで。「ガク・ガク・ガク」と膝が鳴ったからだ。

在位30年式典と政教分離

2019年02月22日 08時00分06秒 | えいこう語る

▼アベ政権が「憲法改正」に向かい、天皇の政治利用を企んでいるような気がしてならない。そんな気が増してきたのが、生前退位と新天皇即位の行事に関しての、憲法違反が色濃い政教分離問題だ。

▼とは言っても、情報が希薄な田舎暮らしの団塊オヤジには、頭の整理がつかない。そこに共産党が「30年式典」の欠席を決めたという。理由は「政府には天皇の政治利用の動きがある」というものだ。

▼そういえば、次の皇嗣になる秋篠宮が、大嘗祭の国費支出(前回22億円)は、内廷費で行うべきで、憲法に定めた政教分離に違反するのではないかと発言している。

▼私が住む田舎流にいえば「別家(長男でない者)が、余計な口を挟むな。本家の顔がつぶれる」ということになる。「次男のくせに、言いたいことを言い過ぎる。少しは口を慎め」というところだろう。

▼憲法学の横田耕一九州大学名誉教授の著書「憲法と天皇制」の中での一貫した考えは、大嘗祭は「神道儀式」なので、国費の支出や政府の要人の参加などは、政教分離違反だと指摘する。

▼元号の「一世一元制」は、天皇の統治期間と元号は不可分のものとなり、統治権の総攬者たる天皇が時を支配するという色彩はいっそう顕著となり、元号を使用することによって国民は、無意識の中に天皇支配を確認することになっていったという。

▼さらに、元号の制定は政令で行うと規定されたため、内閣が「元号制定権者」となっている。【元号は単なる時を計る単位ではない。それは、天皇と国民とを結びつける巨大な絆である。元号法制化運動の一番根源的な問題は、天皇と国民の紐帯をより強化し、天皇の権威をより高めるというところに、一番の眼目がある」と元号法制化推進論者たちが考えていたことを確認しておこう、と記している。

▼なんだか頭が混乱してきた。理解できたようなできないような「天皇制痴呆症」のような症状だ。中国にならって元号が作られたのは645年の孝徳天皇が最初だといわれる。【大化】だという。そこで私が考える、新元号候補を発表してみたい。

▼敗戦から74年。我が国は物質文明の進歩により、ミゾユウ!の経済発展を成し遂げた。だが、日本人の心はひじょうに乱れてきた。初心に帰り【退化】元年はいかがだろうか。

▼もう一つ。アベ総理は、恒久平和の実現のため積極的平和主義を掲げた。そのためには「和を以て貴しとなす」という「和」の心を重要視する。そこで、アベ総理の名をいただき【安和】はいかがだろうか。アベ総理が天皇を政治利用した時代だという確認のためだ。

▼政府による天皇の政治利用と、国民の上に戴く天皇制なるものは、国民主権をないがしろにする立派な憲法違反ではないか。別家の秋篠宮も憲法を勉強しているので、私たち国民も見習わなければならないと思う。

▼天皇在位30年を目前にした「憲法と天皇制と私」について、ちょっぴり考えてみた2月22日の朝だ。

晋三ょ!国ほろぼしたもうことなかれ

2019年02月21日 11時14分55秒 | えいこう語る

▼書店の棚に「晋三ょ!国ほろぼしたもうことなかれ」というタイトルの、真っ赤な本が目に付いた。タイトルからして、故与謝野馨?か、はたまたシンゾウの家庭教師だった平沢勝栄?かと思ったが、なんと亀井静香だった。

▼歯に衣を着せぬ“かみつき亀”は、現在の「不正統計問題」が発生する要因を、次のような視点で予測している。

▼よくも悪くも、霞が関の官僚というのは自分たちこそが国を動かしているという意識が強烈にある連中だ。「役所が出してくる数字は絶対に信用してはダメだ。権力におもねった数字しか出してこないので、実態を見誤る。仮に悪い数字でも将来はうまくいくなどとごまかす。その言葉に惑わされたら大変なことになる」とシンゾウ総理に助言しという。

▼さらに、内閣人事局をつくった件について「官邸主導などやるというとどういうことが起きるかわかるか。次官や局長など出世している者の下のクラス、審議官や課長連中が官邸の方向を向くんだよ。そうなると大臣や次官、局長の言うことも適当にあしらわれる。本来の行政として国民を向いた仕事をますますしなくなることだ。わかるか?」と、スガ官房長官に話したという。

▼役人は優秀だ。彼らを動かしてなんぼの政治だ。政治も人。役人も人。やる気にさせないと仕事は進まない。役人をやる気にさせれば、難しいことでも全部できる。役人をちゃんと使えば大胆な仕事はいくらでもできる、とも豪語する。

▼一党独裁と言われるアベ政権から、吹き出す様々な「不正統計問題」。「霞が関の活力をそぐ官邸主導の人事」が、それらの根源だというのは、老練政治家・亀井静香の鋭い噛みつきだ。

▼野党のこの問題についての国会質疑も、誰が数字をごまかしたという詮索ばかりが目立つ。最後には誰かがその責任をかぶり、一件落着という茶番劇で幕を下ろすに違いない。「森友・加計問題」のように。

▼「不正統計問題」は以前からあったという。だが「官邸主導の人事」になって、それが露骨になってきたということだろう。野党もそこに攻撃の的を定め、官邸主導型を改めるという追求であれば、官僚も野党に協力し、政権奪取した時には、味方になってくれるような気もする。

▼これは、政治に素人の私の希望の範囲かも知れない。私の友人に行政のNO2にいた人物がいる。彼と二人きりで飲んだ時の彼の「結論」だ。

▼【諸悪の根源は官僚である】。私はその言葉に何だか酔ってしまうのだ。次回の飲み会では「不正統計」について尋ねてみようと思う。でも「亀も、あまい!」というかもしれない。