現職の仲井真さんが圧勝した。
仲井真さんは元通産省官僚である。
米軍基地はなるようにしかならないのなら、県外移転の旗を掲げながらも、さらに逆手に経済支援を求めようという、二刀流の達人のような見事な戦いぶりを見せ付けた。
県民の現実生活を第一に考える知事であれば、当然のような気がする。
支持したのは自民党・公明党・みんなの党である。
一方負けた井波氏は、基地撤去なくして沖縄の平和はないと、反基地を掲げたが、県民には現実論として受け入れがたかったのだろう。
推薦は、共産・社民・国民新・日本などである。
肝心の民主党が傍観者を決め込んだ。
どちらも支持しないなら独自候補を立てるのが、当たり前であろう。
民主党は、沖縄を見捨てたに違いない。
支持率が1%でも続投すると、寝ぼけ眼で話したというが、99%が支持しない国家の首相では、民主主義国家ではないだろうに。
北朝鮮砲撃後の米韓軍事訓練で、沖縄にはどこから飛んできたのか、米軍機がたくさん集結し、にわかに殺気立っている。
県民も基地があるから、爆撃の対象になりはしないかと不安がっている。
※何かが爆発するとこんな空になるのだろうか。
今回の緊迫した半ば臨戦態勢に入った状況で考えれば、地図上では我が国はただの米軍基地である。後方支援基地だとしても、政府の緊張感が伝わってこない。自衛隊は一応戦闘準備体制が敷かれ、飛んでくるミサイルを打ち落とす体制になっているのだろうか。
それなのに同じ国民でありながら、沖縄県民だけが極度の恐怖感を味わっているのだ。税金をただにしたって割に合わないだろう。
政権交代とは、国民の多くが沖縄県民の恐怖を、緩和することに期待していたのではないだろうか。
選挙とはいったいなんだろうか。
選挙民の選択は正しいのだろうか。
何が真実なのか、事態が収集する前に、それを国民に向かって予知させることが、マスコミの真の使命であると思うのだが。
朝刊を開く時のときめきが最近感じられなくなったのは、単に私が老いて来ただけなのだろか。
「曖昧な日本の私」
そんな気がますますしてきた、沖縄選挙であった。
仲井真さんは元通産省官僚である。
米軍基地はなるようにしかならないのなら、県外移転の旗を掲げながらも、さらに逆手に経済支援を求めようという、二刀流の達人のような見事な戦いぶりを見せ付けた。
県民の現実生活を第一に考える知事であれば、当然のような気がする。
支持したのは自民党・公明党・みんなの党である。
一方負けた井波氏は、基地撤去なくして沖縄の平和はないと、反基地を掲げたが、県民には現実論として受け入れがたかったのだろう。
推薦は、共産・社民・国民新・日本などである。
肝心の民主党が傍観者を決め込んだ。
どちらも支持しないなら独自候補を立てるのが、当たり前であろう。
民主党は、沖縄を見捨てたに違いない。
支持率が1%でも続投すると、寝ぼけ眼で話したというが、99%が支持しない国家の首相では、民主主義国家ではないだろうに。
北朝鮮砲撃後の米韓軍事訓練で、沖縄にはどこから飛んできたのか、米軍機がたくさん集結し、にわかに殺気立っている。
県民も基地があるから、爆撃の対象になりはしないかと不安がっている。
※何かが爆発するとこんな空になるのだろうか。
今回の緊迫した半ば臨戦態勢に入った状況で考えれば、地図上では我が国はただの米軍基地である。後方支援基地だとしても、政府の緊張感が伝わってこない。自衛隊は一応戦闘準備体制が敷かれ、飛んでくるミサイルを打ち落とす体制になっているのだろうか。
それなのに同じ国民でありながら、沖縄県民だけが極度の恐怖感を味わっているのだ。税金をただにしたって割に合わないだろう。
政権交代とは、国民の多くが沖縄県民の恐怖を、緩和することに期待していたのではないだろうか。
選挙とはいったいなんだろうか。
選挙民の選択は正しいのだろうか。
何が真実なのか、事態が収集する前に、それを国民に向かって予知させることが、マスコミの真の使命であると思うのだが。
朝刊を開く時のときめきが最近感じられなくなったのは、単に私が老いて来ただけなのだろか。
「曖昧な日本の私」
そんな気がますますしてきた、沖縄選挙であった。