函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

沖縄知事選が終わって

2010年11月30日 12時45分11秒 | えいこう語る
現職の仲井真さんが圧勝した。
仲井真さんは元通産省官僚である。
米軍基地はなるようにしかならないのなら、県外移転の旗を掲げながらも、さらに逆手に経済支援を求めようという、二刀流の達人のような見事な戦いぶりを見せ付けた。
県民の現実生活を第一に考える知事であれば、当然のような気がする。
支持したのは自民党・公明党・みんなの党である。
一方負けた井波氏は、基地撤去なくして沖縄の平和はないと、反基地を掲げたが、県民には現実論として受け入れがたかったのだろう。
推薦は、共産・社民・国民新・日本などである。
肝心の民主党が傍観者を決め込んだ。
どちらも支持しないなら独自候補を立てるのが、当たり前であろう。
民主党は、沖縄を見捨てたに違いない。
支持率が1%でも続投すると、寝ぼけ眼で話したというが、99%が支持しない国家の首相では、民主主義国家ではないだろうに。
北朝鮮砲撃後の米韓軍事訓練で、沖縄にはどこから飛んできたのか、米軍機がたくさん集結し、にわかに殺気立っている。
県民も基地があるから、爆撃の対象になりはしないかと不安がっている。
※何かが爆発するとこんな空になるのだろうか。


今回の緊迫した半ば臨戦態勢に入った状況で考えれば、地図上では我が国はただの米軍基地である。後方支援基地だとしても、政府の緊張感が伝わってこない。自衛隊は一応戦闘準備体制が敷かれ、飛んでくるミサイルを打ち落とす体制になっているのだろうか。
それなのに同じ国民でありながら、沖縄県民だけが極度の恐怖感を味わっているのだ。税金をただにしたって割に合わないだろう。
政権交代とは、国民の多くが沖縄県民の恐怖を、緩和することに期待していたのではないだろうか。
選挙とはいったいなんだろうか。
選挙民の選択は正しいのだろうか。
何が真実なのか、事態が収集する前に、それを国民に向かって予知させることが、マスコミの真の使命であると思うのだが。
朝刊を開く時のときめきが最近感じられなくなったのは、単に私が老いて来ただけなのだろか。
「曖昧な日本の私」
そんな気がますますしてきた、沖縄選挙であった。


日本人の味覚

2010年11月30日 11時21分02秒 | えいこう語る
漬物の美味しい季節になってきた。
漬物と日本酒、それだけで日本人である事を実感できるのだ。
外は雪、なんて情景であればなお趣を増すのだが。
私たちが子供の頃は食料もあまり豊富でなかったので、自家製の漬物が大きな樽にたくさん漬けられ、物置にあった。
量がたくさんあったので残り少なくなると、ちょっぴりすっぱめの味になった。
でも、そのかすかな匂いと微妙な舌触りに、旨みが凝縮されていたのだ。
私たち世代はその味を『こぐさい味』と称していた。
「こぐさい」とは「かすかな臭み」というような意味である。
臭みというと、今の若い人は絶対の拒否反応を示すだろうが、私たちの世代の「こぐさい」とは、熟成した旨みというような意味だった。
時代とともに味覚も変化するのだろうが、私はテレビコマーシャルによる影響も大きいのではないかと思っている。
「ビューティフル」「クリーン」「アメニティー」等という、CMの戦略キーワードが、「臭い」とか「匂い」という概念を、完全に悪役にしてしまったからだ。
「こぐさい味」とは、例えればチーズもそうだ。
チーズにはワインが合う。
漬物には日本酒だ。
日本酒もワインも漬物もチーズも、すべて醗酵であり「こぐさい」文化の圏内である。
それなのに漬物の「こぐさい」は犬猿され、チーズのそれはお洒落に感じる。
そう考えたら、昔からなじみの漬物がかわいそうになってきた。
先日から私の居間で、でかい顔をして座っている新顔がいる。
画面があまりにも鮮明な地デジテレビだ。
それに若くて、肌の美しい女優が出ていた。
その女優に向かい「“こぐさい味”の出ていない女優なんて、女優じゃない」なんて、口走ってしまった。
この地デジテレビ「こぐさみ」という日本伝統の味を、抹殺してしまいそうな怪獣ではないかと、思ったりもしてきた。
ちょっぴりボルテージが上がったところで、外はタイミングよく、雪が舞い降りてきた。


朝鮮半島が緊張する中の沖縄知事選

2010年11月28日 13時02分30秒 | えいこう語る
田舎暮らしをしていると、単調すぎて刺激が少ない。
刺激がないと、ボケが加速するのではないかと心配になる。
北朝鮮の砲撃問題も「第2次朝鮮戦争勃発」などとの言葉に触れれば、俄然隣国であることを意識し出し、あらゆる情報に耳を立てる。
我が国最大の米軍基地の沖縄は、どんな緊張状態にあるのだろうと考えるが、テレビではいっこうにその様子を伝えていない。
そういえば沖縄ばかりでなく、我が国の米軍基地の現在の様子が、まったく報じられていない。
国民をいたずらに混乱させてはいけないという、マスコミの配慮だろうか。
台風情報のように、現場での臨場感を伝えて欲しいものだ。
それにより国民は、国家の安全保障問題をより身近で自覚することになると思うのだが。
今日は沖縄知事の選挙日である。
※先日前浜に出た虹。


政権交代で、最も国民が民主党に期待した普天間基地問題。
迷走した鳩山政権がそれにより倒れたほどの重要な問題なのだが、なぜか今回の知事選の報道がないように感じていた。
今朝の或る報道番組で「今日は沖縄の知事選挙なので、影響があれば困るので、報道は控えます」と発言した。
日本の安全保障問題を考える最大の山場である。
尖閣列島漁船衝突問題から北方領土問題へ、そして今回の北朝鮮による砲撃問題である。
我が国の安全保障に係わる、最も重要な選挙の報道をしないマスコミは、自らの責任を放棄しているのだろうか。
現職仲井間氏と前宣野湾市長伊波氏、きわめて沖縄の将来を決定的に意義付ける重要な選挙である。
沖縄は今日、近くの海で米韓合同訓練が実施されようとしている緊張感の中で、我が国の安全保障の在り方を一県だけに背負わされ、苦渋の選挙を強いられているのだ。
昨夜は雨が屋根をたたき、今朝は雪が降り強風が吹き荒れ、海は白波を立て漁船の出港を阻んでいる。
そんなとどほっけ村の光景を見つめながら、沖縄県民の痛みを傍観し続けるだけの、戦後65年目の私である。


きな臭くなってきたぞ

2010年11月27日 13時05分20秒 | えいこう語る
北朝鮮の意味不明の砲撃で、罪なき韓国民間人が死傷した。
世界を敵に回した北朝鮮。食料もなくガソリンもなく、何にも無い窮鼠は、果たして猫を噛めるのか、とどほっけ村からも心配になる。
いよいよ明日は、米韓軍事共同訓練が開始されるという。
それも砲撃を受けた延坪島近くの、黄海海上だという。大国中国の目の前である。
「いくらなんでも、それはないべさ!」と、中国は米国に抗議する。
米軍はハリウッド映画のように、アクションがカッコいいのだ。
大スター、空母ジョージ・ワシントン、なんたって初代大統領のお出ましである。
今回は単なる軍事訓練ではない。世界中が注目する歴史的ワンシーンである。
ジョージ・ワシントンの艦長には、ジョン・ウェーンを乗せたであろう。
準主役はイージス艦フィッツジェラルド。いわずと知れたベトナム戦争の英雄、フィッツジェラルド中尉の名を冠したもので、とにかく気合が入っているのだ。
さらに続くは、原子力潜水艦、等等である。
それも日本国横須賀基地からの、堂々の出陣だ。
朝鮮半島とは歴史的付き合いのある我が国といえば、閣僚が集合して、まさかエコポイント駆け込みで購入した、3Dテレビでの高みの見物でないだろうね。
先の戦争で、原爆投下の候補にも挙げられていたという函館市である。
もし全面戦争に突入すると、米軍基地のある沖縄と北海道、つまりは端っこ同志に、核搭載のテポドン様が飛んでこないか心配である。
テレビでは、北朝鮮・韓国・米国・中国の対応だけを注視しているが、巨大白熊ロシアの情報は、なぜおこなわないのだろうか。
火事場泥棒の伝統よろしく、こっそり後から、北海道をいただこうなんて魂胆なのではないかと、妙に勘ぐってしまう。
邪推はこのぐらいにしておくが、我が函館市も、新函館戦争勃発の様相を呈してきたのだ。
※北朝鮮から見た延坪島ではない。暗雲立ち込める函館島である?


前回の市長選は、政権移譲の予定が反故なり、副市長が打って出て「悪代官と越後屋を追放しよう」とのスローガンに、「勧善懲悪」が好きな市民は、拍手喝采をしてしまったのだ。
今回はまた前回同様、腹心の副市長が反旗を翻した。マニフェストなるものも現政権に習い、双方「大風呂敷合戦」になるような感じが、匂ってきている。
函館城(東雲城ともいう)内部での政権争いに、市民も半ば呆れ顔である。
これでは、北朝鮮と大差は無いのではないか?・・・と思ったところで、目が覚めてしまった。
夢は現実の投影だというが、なんだか変な夢ばかり見るこの頃である。


風景と暮らす

2010年11月26日 12時18分56秒 | えいこう語る
昨日、店をクローズしようとした時、30代と思われる男性が入って来た。
注文を終えると、店内を歩き見回している。
「何かお好きな曲でも」と尋ねると「ローリング・ストーンズ」が聴きたいという。
久しぶりで銚子ビーチに、ストーンズが流れた。
客は若いわりには、ずいぶん音楽や映画にも詳しいようだ。
私もビートルズやストーンズ世代だ。
こうなれば、私も腰を落ち着け、記憶の底をかき回しながら会話がはずむ。
彼はYと名乗った。都会生まれで私の近くの町に住んで、10年になるという。
田舎暮らしでの人間関係の煩雑さに、悩んでいるようだ。
誠実な人柄で、考えもしっかりしている。
私は「地域しがらみ社会での暮らし方」をレクチャーした。
外は暗闇が迫っていた。
店のドアと外のドアを開け、海が見える椅子にYを座らせ、彼が好きだという井上陽水の「5月の別れ」をBGMにした。


あなたの住む町と同じく、この村も海ばかりです。
このドアから見える海の向こうはカリフォルニアです。
想像してください。アメリカが見えるでしょう。
Yに、若者らしい健康そうな笑顔が戻った。
丁寧なお礼を述べ、車はroute278に消えていった。
調理場から出てこないで、妻は二人の会話を聞いていた。
「よかったわね。元気な笑い声を出して」
夜、布団に入り本を読んだ。
こんなことが書いてあると、妻に読んで聞かせた。

『人間は身体の感覚によって、環境を知覚する。五感によって身体に伝えられた環境には、写真のフイルムに写った映像と異なり、感情が重ねられている。写実と感動が分かちがたく結びついた、絵画や詩のように豊かなものです。
身体という環境との通信装置によって、わたしたちは絶え間なく環境の意味を解釈し、新しい価値を生産しています。身体と結ばれた場所こそ風景を生む基盤となります。まずこの有情の場所に陰鬱と律動をあたえるもの、つまり雨がふり、風が吹く、あるいは時々刻々と変わる光線の彩。これらが重なったときに場所が見せるきらめきを見逃すことはできない・・・
これを仮に「天の息づかい」となづけておきましょう・・・』???。
妻の熟睡する息づかいが聞こえ、やがて私も本を落としてしまった。