先日、石狩管内のK元村長が亡くなられた。
Kさんの村には、石狩川河川を利用した村営のゴルフ場があり、低料金なので平日は村民の方がゴルフを楽しんでいた。
私も当時のY知事に誘われ、何度かこのコースでプレーしたことがある。
河川敷のフラットなゴルフ場に日本海の夕陽が落ちると、写真で見る世界の有名ゴルフ場のような、すばらしい光景が心を揺さぶったものである。
プレー中Y知事が「Kさんはいつもボールがフェアウエーをキープしてますね。
右でもない左でもない、常に中道を行く」そんな粋なジョークが印象に残っている。
※この写真は函館の郊外だが、この場所がゴルフ場になったようなコースでした。
Kさんは当時3期目だった。もはやKさんに対抗する人物など、ありえないと思うほどの人格者に見えた。
「どんな立派な人間でも、長期政権になると周囲が崩れるので、3期ぐらいが頃合ですよ」と、若輩の私が言った言葉に「譲る人間は決めている」と言明した。
石狩の広大な大地は、このような人物を輩出するのだろうと、感動したものである。
新聞の死亡欄では7期を務めたとあった。村の発展に命を捧げ、長期になったのかと思う。
今朝の新聞に、檜山管内0町の第三セクターが解散したと出ていた。
国の補助事業を受けていたが、条件を満たさなかったため、町が5千万円強の補助金を国に返還するという。
T町長は地元出身で元中央官僚出身、現在7期目で、今や道町村会長も勤め、道内有数の実力者だ。
私の村の元村長も6期務めた方がいる。人柄は北海道庁でも評判だった。
振り返ってみれば我が村も、補助金を導入した、すでに流行遅れの企業誘致あたりから、ほころびを見せたようである。
その失敗あたりから、徐々に吸収合併への道を歩み始めたような気もする。
人間には初めから悪い人間などいるはずはない。
権力の座に着くと、やがて過信が出る。周囲もその過信を戒めることができなくなり、やがてその周囲も、変革を望まず怠惰の中で保身を貫くのだ。その寸前が引き際なのだが、当初は理解していても、軌道に乗るとその時期を見失うのである。
来年行われる、我が函館市長選挙に思いを馳せてみる。
現職と対抗馬、共に副市長経験者で、役人生活40年近くの行政のベテランである。
今の世の中の閉塞感を打ち破るには、従来の議員や役人の組織で考える発想では、立ち行かなくなっているというのが、世間の常識である。
市行政や議会運営に精通し、そこで育ち組織の色に染まった人間に、どれほどの変革が期待できるだろうか。
天下りと同じではないか。
やることはせいぜい現状維持が妥当であろう。
変革とは少なくとも、現状を否定することだ。
役人が役所や仲間を否定できるのか。それは自分の今までの存在をも否定することになるからだ。それは普通の人間では出来ないであろう。
「名人が漬けた漬物も、時間が経ち過ぎたら、匂いがしてくる」
そう思いませんか。
Kさんの村には、石狩川河川を利用した村営のゴルフ場があり、低料金なので平日は村民の方がゴルフを楽しんでいた。
私も当時のY知事に誘われ、何度かこのコースでプレーしたことがある。
河川敷のフラットなゴルフ場に日本海の夕陽が落ちると、写真で見る世界の有名ゴルフ場のような、すばらしい光景が心を揺さぶったものである。
プレー中Y知事が「Kさんはいつもボールがフェアウエーをキープしてますね。
右でもない左でもない、常に中道を行く」そんな粋なジョークが印象に残っている。
※この写真は函館の郊外だが、この場所がゴルフ場になったようなコースでした。
Kさんは当時3期目だった。もはやKさんに対抗する人物など、ありえないと思うほどの人格者に見えた。
「どんな立派な人間でも、長期政権になると周囲が崩れるので、3期ぐらいが頃合ですよ」と、若輩の私が言った言葉に「譲る人間は決めている」と言明した。
石狩の広大な大地は、このような人物を輩出するのだろうと、感動したものである。
新聞の死亡欄では7期を務めたとあった。村の発展に命を捧げ、長期になったのかと思う。
今朝の新聞に、檜山管内0町の第三セクターが解散したと出ていた。
国の補助事業を受けていたが、条件を満たさなかったため、町が5千万円強の補助金を国に返還するという。
T町長は地元出身で元中央官僚出身、現在7期目で、今や道町村会長も勤め、道内有数の実力者だ。
私の村の元村長も6期務めた方がいる。人柄は北海道庁でも評判だった。
振り返ってみれば我が村も、補助金を導入した、すでに流行遅れの企業誘致あたりから、ほころびを見せたようである。
その失敗あたりから、徐々に吸収合併への道を歩み始めたような気もする。
人間には初めから悪い人間などいるはずはない。
権力の座に着くと、やがて過信が出る。周囲もその過信を戒めることができなくなり、やがてその周囲も、変革を望まず怠惰の中で保身を貫くのだ。その寸前が引き際なのだが、当初は理解していても、軌道に乗るとその時期を見失うのである。
来年行われる、我が函館市長選挙に思いを馳せてみる。
現職と対抗馬、共に副市長経験者で、役人生活40年近くの行政のベテランである。
今の世の中の閉塞感を打ち破るには、従来の議員や役人の組織で考える発想では、立ち行かなくなっているというのが、世間の常識である。
市行政や議会運営に精通し、そこで育ち組織の色に染まった人間に、どれほどの変革が期待できるだろうか。
天下りと同じではないか。
やることはせいぜい現状維持が妥当であろう。
変革とは少なくとも、現状を否定することだ。
役人が役所や仲間を否定できるのか。それは自分の今までの存在をも否定することになるからだ。それは普通の人間では出来ないであろう。
「名人が漬けた漬物も、時間が経ち過ぎたら、匂いがしてくる」
そう思いませんか。