函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

原発汚染水・韓国議会で問題視

2023年06月30日 20時02分24秒 | えいこう語る
▼福島第一原発の汚染水を貯蔵する屋外タンクが飽和状態となり、政府は海洋投棄をこの夏にも行うとしている。

▼放射性汚染水というのが正式名称なのだが、放射性物質を取り除いたり希釈しているので「処理水」と呼んでいる。だがトリチウムは処理できないので、そのまま海洋投棄される。

▼もちろん地元漁業組合は大反対だ。だが補助金を積み上げ承諾させる魂胆だろう。原発問題は金で処理するのが常識だ。それらの費用も「総括原価方式」という、国民が払う電気料金に含まれているからだ。

▼海洋投棄となれば、世界中から環境問題に対する日本の姿勢が問われる。隣の韓国では、福島の汚染水の海洋投棄を容認する与野と、健康被害を訴える野党の対立が激化している。

▼我が国の国会では、野党も海洋投棄には絶対反対ではないようだ。「しかたがない」という風潮は、世間ばかりではなく国会でも同様のようだ。

▼この先に、自衛の為の【憲法改正】も「止む得ない」という国民感情が、相当醸成されているのが今の日本社会だ。

▼韓国政府が、我が国の植民地支配下にあった「徴用工問題(賠償)」を、取り下げたことで、韓国内では‟与党批判”が起きている。

▼日本の賠償を取り下げ、その分を韓国政府が保証するという、俄かに信じられない動きを見せている。

▼さらに韓国与党は、福島に自国の原子力関係者のメンバーを派遣し「海洋投棄は安全だ」とのコメントまで発している。このあたりの韓国政府の真意が読めない。

▼日本が海洋投棄に踏み切る夏ごろには、韓国政界は日本のことで、政権を揺るがす混乱が生じそうだ。

▼原発のゴミ処理もできないまま、終いには海洋投棄や地下に埋めるという最悪の結果になるのだが、今の日本国内ではさほど関心を持たないようだ。

▼北海道漁協も国に海洋投棄の反対を求めたが、実際は風評被害による保障を、事前に求めるというように感じた。

▼しかし韓国は、日本問題で国会がもめている。というのに肝心の日本が騒がないのは、納得がいかない。裏の裏がありそうだ。米国が絡んでいるのかもしれない?

▼こんな「しかたがない国」は、アジアの盟主には絶対なれない。「曖昧な日本の恥ずかしい国」。そしてそこに住む、恥ずかしい国民だ。

▼原発再稼働と「核爆弾の製造」は、一体だ。日本に原発を持ち込んだ中曽根康弘は、総理の時に「核爆弾の製造研究」を指示している。

▼原発再稼働は、核製造が目的だという主張をメディアは、はっきり国民に示して欲しい。北海道電力も「原発を再稼働すれば、電気力金を下げる」と報道している。

▼ふざけた話だ。

国内最古の原発再稼働

2023年06月26日 21時59分47秒 | えいこう語る
▼原発施設の耐用年数は40年と言われてきた。原発の燃料は、核の燃料であるウラニウムやプルトニウムを使用するからだ。

▼40年とは核分裂で、炉心の劣化が限界だということだろう。その二つの燃料を混合して稼働するプルサーマル原発は、最も危険だ。

▼原発の危険性を払拭させるため「原発は安全・安心なクリーン・エネルギー」だとの、政府広報がテレビで流れる。国が嘘をつくわけはないと、国民もそう信じてきた。

▼だが東日本大震災の津波で非常電源が壊れ、炉心への冷却水が供給できず、メルトダウンを起こした。地下にあるデブリは、いまだ取り出せていない。

▼さらにデブリは地下水を汚染し、その汚染水を貯蔵する屋外タンクは膨大な数になり、海洋投棄せざるを得なくなった。だがトリチウムは水に溶けない。

▼融けなくても広大な太平洋に投棄すれば、影響が少ないと国は言う。だが魚の体内にトリチウムが蓄積し、その食物連鎖はやがて人体に影響をもたらす。

▼さらに海洋でのマイクロ・プラスチック問題も、このままでいけば魚の数より多くなると予測されている。これも魚が摂取し、人体には影響を及ぼす。

▼人間の英知を結集した、科学技術の最高峰といわれる原発も、事故後の処理は未知の段階だった。いや事故など考えないようにしていたのだ。

▼「安全。安心の神話」は不滅なものだとそう思い込んでいたのだ。神の国が戦争に負けるわけはないという、その安易な考えと同様だ。

▼稼働後に出る核のゴミの処理も考えず、稼働させていたというのは、あまりにも非科学的すぎる。

▼つまり原発は、事故が起きると科学的な処理能力ができないということだ。にもかかわらず、原子力規制委員会は規制するどころか、耐用年数を60年に延長した。

▼「規制委員会」は今や政府直属の「拡大委員会」だ。さらに日本最古の古墳の様な福井県高浜原発を、再稼働させるというから、開いた口が塞がらない。

▼原子炉を新品に取り換えるなら理解もできるが、放射性物質で劣化し高齢化した原発を稼働させるのは大反対だ。狂気の沙汰だ。

▼意識がない病人を、延命のため「胃ろう」を付けるのと似ているように感じるからだ。私の身近でも医師や看護師に「胃ろう」を勧められ、死んだような状態での延命を実体験しているからだ。

▼「胃ろう」なら栄養補給もあるが、原発再稼働は単なる規制委員会の非科学的判断だ。委員5人の中で一人が反対した。

▼多数決が民主主義の原理とはいえ、国民の命に関わることなら、反対した一人の声を重視しなければならない。

▼一人でも反対なら、稼働延長など中止するのが、真っ当な民主主義国家というものだ。最近私は多数決というものに疑問を感じている。

▼どうもコロナ発生からの影響のようだ。ワクチンの投与、マスク着用。「自粛」というマインド・コントロールの様な「同調圧力」が、社会に蔓延しているように感じる。

▼賛成か反対かの単純な選択肢以外のところに、人間の本質が含まれているように感じる。それを多数決に安易に持っていけば「多数決の横暴」と感じることが、最近ままあるからだ。

▼時間をかけてじっくり話す場面にもかかわらず、多数決を持ち込み判断を容易にする傾向だ。これはコロナ禍後の社会変化ばかりではなく、安倍晋三の登場がもっとも影響しているように感じる。

▼体制の都合の良いように、多数決を簡単に使いすぎる。日本人は一億火の球になりやすい「集団的国民」で「同調圧力」に弱い。それが【憲法改正】へと、なだれ込まなければいいと考えるが。

▼原発とは「ポータブル・ストーブの燃料に、灯油ではなくガソリンを使うようなものだ」というのは、元京都大学原子力研究所で、小型の原子炉を作り研究していた、小出裕章さんだ。

▼先日函館市内で小出さんの講演会があり、参加してきた。大間原発が完成し稼働後シビア・アクシデントが起きた時の、シュミレーションを説明された。

▼大間原発はフルMOX燃料(ウラニウムとプルトニウムを混合)を使う、世界初で最大の原発だ。実験炉は作っていないという。

▼結論は風向きが函館に向いていれば、急性死が8000人で、後にガン死が28万人だという。つまり函館市民は全員死亡するという計算だ。

▼現在函館市は国と大間原発の建設会社を相手取り、原発中止の訴訟を起こしている。昨年市は、市民向けに原発訴訟の経過説明を、担当弁護士を呼んで開催した。

▼裁判の経過を聞いても、市民としては勝訴できるのか見通しがつかない。そんな中での原発再稼働と60年延長だ。国は地方自治体の函館市など、歯牙に欠けない状態だ。

▼そこで私が小出さんに質問した。もはや原発訴訟問題は『憲法改正』に焦点を絞らなければならないのではないかという内容だ。

▼現憲法「第13条」は、基本的人権は「公共の福祉に違反しない限り保障される」だが、自民党改憲草案では【公益や公に違反しない限り】となっている。

▼そうであればエネルギー問題は国策なので、憲法が改正されれば、国策に反するものは敗訴となるのではないかという見解だ。

▼それに対し小出さんは、小さなことにも注意を怠らず、市民が監視していくことが大切で、憲法改正まで注視するのは、重要なことだと話された。

▼私の故郷は2004年に函館市に合併された。それまでは村民だったが、函館市民となり「市民」とはなにかを、自問自答してきた。

▼結果、市民とは積極的に政治に関心を持ち、周囲の環境を考えてよくしていくのが、市民というものではないかと考えてきた。

▼だが函館市は市民が政治に積極的な感じには見えない。それは長く役所からの市長が誕生していたため、イノベーションに欠けた体質が市内を席巻しているように感ずる。

▼名前は忘れたがドイツの哲学者が【行政組織による生活社会の植民地化】といった言葉が、頭の隅から蘇ってきた。

▼3期務めた前市長は市の職員だった。それを7万票の大差で破ったのも市の職員だ。この市役所内部闘争での大差が、歴史と観光の文化都市函館の、革命的勝利であることを、新人の市長に見せてもらいたい。

▼単なる頭が変わっただけでは、7万票の大差の意味がないからだ。

▼日本最古の原発再稼働が、函館再生の期待までにつながるとは思っていなかった、今日のブログです。

総理をヤジって逮捕される日本

2023年06月23日 18時31分13秒 | えいこう語る
▼戦争できる国へと憲法を変えようとする総理、こんな総理は一日も早く辞めていただきたい。
国家の基本秩序(憲法)を破壊しようとする総理だからだ。

▼戦争は言うまでもなく、公共の福祉に違反する行為だ。そんな総理の人権は守られないのが、我が国の常識的な憲法解釈だ。

▼そんな憲法違反の総理が、札幌駅前で街頭演説を始めた。国民の一人が「安倍辞めろ」と叫んだ。「その通り」と、私もテレビの前で叫んだが、現場で叫んだ真っ当な国民は、道警に排除された。

▼「安倍総理大好き。安倍総理一刻も早く辞めてちょうだい。お願い」と言えば、排除されなかったのか。

▼堀内健志著「公法1第三版・憲法」信山社には【表現の自由とは、内心を外部へ表そうとする意志と行為を伴った精神作用であり、その内容は‟真実であるを要しない”】。旧憲法29条でも保護されていたとある。

▼表現の自由とは、真実でもないことも容認されているということであれば「安倍辞めろ」は
、何ら憲法解釈上問題はない。真心から出た言葉だからだ。

▼ヤジった本人は凶器も持っていない。ただ聴衆の中でヤジったのは一人だったので目立ち過ぎたから、妨害行為の範疇と判断し排除したという事件だ。

▼海外でも大統領の演説に聴衆が猛反対し、大統領夫妻が引きずり降ろされ、銃殺されたという事件は記憶に新しい。

▼もし「安倍辞めろ」という聴衆が多かったら、道警は排除するのだろうか。その時は、聴衆ではなく総理を排除(避難)させるのが妥当な判断だろう。

▼つまり国民が否定する総理を‟排除”すればいい。戦争礼賛の総理など日本国民に該当しないからだ。それが国民の生命・身体を守る、警察の真っ当な責務だからだ。

▼思い出して欲しい。都内での安倍総理の街頭演説だ。安倍批判が大きくなると「あなた方のような国民には、負けるわけにはいかない」と、国民に向かって暴言を吐いたことを。

▼こんな国民を軽視する総理こそ「国民主権違反」で、街頭から排除すべきだ。警察は国家の番犬ではなく、国民の番犬であるべきだ。

▼札幌高裁の判決が何とも奇妙だ。声の大きな男性だけの排除は認め、もう一人の女性の排除は、道警の行き過ぎと判決を下した。

▼落語に江戸時代の裁判で、どっちにも利益があるように判決を下した名裁判!がある。その落語が大好きな裁判長ではないかと、ふと思い出した。

▼この裁判の判定に影響を与えたのは、キシダ総理への爆弾投下事件だろう。だがこれは完全に武器を使用した犯罪だ。

▼ただ「安倍辞めろ」と発しただけで、警察が取り締まるそんな状態を、法治国家の裁判長が過剰に‟忖度”し、この程度の行為で国民を犯罪者扱いにしてはならない。

▼「忖度」をある外国メディアが定義したのがある。「与えられていない命令を先取りし、穏便に従うこと」だ。

▼国家ではなく、国民に忖度する裁判所であってほしい。我が国の憲法は何度も繰り返すが【主権在民】とあるからだ。

▼国民も誰か一人に任せるのではなく、戦争する国にしたい総理が来たら、みんなが声をそろえ「辞めてちょうだい」という大合唱で、歓迎してあげれば良い。

▼表現の自由とは、国民の多くが声を挙げれば、いくら総理でも警察に排除され、引き下がるはずだ。

▼札幌駅前での道警ヤジ控訴判決。表現の自由は、国民の多数が声を出すことで、解決する問題だと考える。一人の声では排除されるからだ

カラスもキスする海岸のベンチ

2023年06月19日 20時45分44秒 | えいこう語る
▼初夏を迎える、函館市東海岸椴法華(とどほっけ)銚子ビーチ。1980年代に、北海道初のプロ・サーファーの大会が開催された、北海道NO1のサーフ・スポットだ。

▼その海岸の前に、私の妻がシェフをし!夫の私が接客を手伝う、海岸食堂「サーフ・サイド」がある。

▼妻はせっせと料理を作り、私はというと店を手伝うというより、お客様との会話を楽しんでいる。自分はこの地域を誰よりも、素晴らしく紹介できる‟コンシェルジュ”?!だと自負しているからだ。

▼コンシェルジュというが、ただのおしゃべりで、本来の接客の仕事に身が入っていないというのは、厨房に中に閉じこもったまま、せっせと仕事に精を出す妻だ。

▼お客様を歓待するのは、店中に張っているマリリン・モンローの、飛び切りの笑顔だ。マリリンの笑顔は世界NO1だ。私を最大限にサポートしてくれる。

▼店から太平洋を望むカウンター席がある。その先30メートルほどの防波堤の前に、ベンチが置かれている。

▼海から上がってきたサーファーや、ドライブで訪れる恋人たち、散歩している近所の老人たちも、広大な太平洋とサーフィンを眺めながら座っている光景が、一幅の絵となる。

▼先日40代後半と思われる、絶対夫婦ではないと感じる男女が、来店後そのベンチに座り女性の方からキスをしたのを、店内から見た様子をブログにした。

▼このベンチに掛けての光景は、左右に岬が付き出、特に本州側の右側の岬は、活火山恵山(618m)が噴煙をたなびかせ、その裾野が海になだらかに突き出ている。

▼果てしなく広がる水平線、そこに現れる白いフェリー。こんな美しい場所で、ベンチに腰を掛ければ、海や山の神様が、キスしなさいと、声をかけるに違いない。

▼その数日後ドイツのお嬢さんとボーイ・フレンドが来店した。店を出てからベンチに座ったがキスはしなかった。景色がドイツより美しかったので?故郷を思い出し、キスするのも忘れたに違いないと勝手に想像した。

▼ところが人間ばかりではなく、カラス二匹がベンチの背もたれの上で、キスしているではないか。母親が餌を与えているという感じではなく、何度もくちばしでキスしている。

▼カラスは学習能力がある。クルミや貝を道路に置き車に轢かせ、それを食べたりする光景は日常だ。たぶんベンチでキスする恋人たちを真似ての、行為ではないかと想像した。

▼人は美しい風景の中で暮らしたいと思う。以前は誰も訪れない、村はずれの海岸だった。1984年に始めた北海道アマ・サーフィン大会。

▼それから海岸の草刈りをし、湘南海岸の様なビーチを目指した。近所のおじさんも草刈りを手つだってくれ、美しい海岸になってきた。

▼村はずれの小さなエリアだが、前浜はサーフィン、その後ろの山に、最近大きな岩がたくさんあり、ロック・クライミングを楽しむ若者が増えて来た。

▼函館市内にあるボルダリング教室の子供たちが、すでに全国大会で入賞しているという。その子供たちがやってきて、この岩で練習を重ねている。

▼中には全日本の大会で、入賞する子供たちも出てきた。近い将来日本チャンピオンがこの場所から誕生するに違いない。

▼日本画の大家、東山魁夷の「風景との対話」という本を読んだことがある。若い時分海の村に生まれ、閉鎖的な村社会からの脱出を試みた。

▼結果終の棲家は、自分の故郷になった。若い時分と違い「風景との対話」ができるようになった。そして少しは「良い風景」を演出できる能力もついた。

▼以前は見放されていた風景が、現在は五輪競技の二種目が練習できる環境になってきた。驚いているのは私だけのようだけど、自然環境が幸いしている。

▼だんだん激しくなるウクライナ戦争。我が国も『憲法改正』へ前のめりだ。不確かな世の中にあって、海岸のベンチに腰を掛け水平線を眺めていたら、水平線こそが「不動で確かな存在」に思えてきた。

▼アイヌ語で北海道は「アイヌモシリ」という。『人間が住む静かな大地』という意味だ。それは「風景との対話」ができる、人間が人間として生きることができる『人間の大地』だということではないか。

▼そんなことを考えさせられた、海岸のベンチだ。

自衛隊乱射事件勃発

2023年06月16日 07時35分13秒 | えいこう語る
▼安倍晋三以来「閣議決定」なる、国会軽視の政権運営が続いている。国会軽視とは議員代表制をとる国民を無視する行為だ。民主主義社会への「パワー・ハラスメント」だ。

▼戦後、超長期政権を維持する自民党は、もはや独裁国家の様相を呈している。その最大原因は、国民そのものが下支えをしているからだ。やがて独裁政権は憲法を改正し、政権に都合の良い国家体制にするだろう。

▼現在は憲法は変えられていないが、自民党一党独裁政権は、完全に【現憲法無視】の体制だ。世界に誇る「9条」は、すでに自民党では『笑いもの』的存在にされている。

▼「防衛費増額」は与党多数で採決され「最小限の自衛力の保持」というのも、もはや死語だ。「敵基地攻撃能力保有」などという「9条」の国では考えられない憲法無視が、我が国の現状だ。

▼元総理安倍晋三が街頭で射殺された。当時前任者の総理の射殺など、社会を震撼させる大事件なのだが、今ではすでに忘れ去られているような、我が国の国民感情だ。

▼その後も意味不明な殺人事件や、これまた意味不明な宝石強盗などが相次ぐ。さらには現キシダ総理までが、爆発物を投げつけられる。

▼我が国は世界で一番「安全・安心な国」という神話は、もはや存在しない。「帝国日本復活」の前兆は、国内では飽和状態だ。

▼キシダ政権はロシアのウクライナ侵略、北朝鮮のミサイル発射、中国の台湾攻撃の恐れなどを口実に、軍拡路線を扇動する。

▼国民の目には晒されないが、自衛隊の訓練も以前より実践即応の実射訓練などが多くなっているようだ。

▼さらに近年聞こえてくるのは、自衛官によるパワハラや、セクハラ問題だ。これらも軍拡路線の影響が表面化した事件に違いない。

▼さらに近年は自衛官の自殺も増加している。総理の一声で「集団的自衛権の行使容認」となれば、「戦場」に赴き敵を殺害しなければならないからだ。

▼たぶん以前より、自衛隊の訓練は過酷になっているに違いない。何時戦場に送られるかわからないからだ。訓練の強化は自身を守るためだからだ。

▼安倍晋三・菅義偉・岸田文雄の軍拡路線は、自衛官のストレスを急増加させているに違いない。それは自衛官の家族にも、心配を増殖させる。

▼「自衛隊は自衛隊のままであっていい。軍隊になれば人殺しをしなければならない」というのが、私の基本的な考えだ。

▼軍隊は命令で動く。だが今の若者は命令や指導を‟いじめ”と感じるのではないだろうか。今の「スマホ人間」に「軍人精神」など通用するのだろうか。

▼軍隊は人殺しが容認される組織だ。この基本に立ち返り【憲法改正】を国民全員で考えてみる、貴重な事件ではないか。

▼安倍元総理射殺・キシダ総理爆弾投下・自衛官銃撃事件。一個人の変質的問題ではなさそうな気がするが。