函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

函館港祭り

2012年08月07日 12時19分58秒 | えいこう語る
昆布漁で疲れがピークになったが、8月1日から始まった函館港祭り、初日の花火大会と、恒例のグループサウンズの演奏を楽しんできた。
バンドに参加しているIさんは古くからの知り合いだ。3年前脳梗塞で倒れたが,今は完全復帰しギターをガンガン鳴らしていた。
「ローリングストーンズだって頑張っているんだから、俺もまだ63歳だからがんばるよ」と、力が入っていた。
私のジーンズのポケットには、ウィスキーの小瓶が入っている。
我が青春のグループサウンズにしびれながら、小瓶はあっという間に空になった。
2日は、函館市町会連合会の踊り行列100名を引率する役目だ。
連合会の浴衣と半被を着て、先頭に立つのはなんだか気持ちがいいものだ。
この日はミッキーマウスが、函館市の招きでパレードに参加していた。
ミッキーの出演料は400万円だそうだが、子供たちや市民がたくさん集ったので、それはそれでいいのではないかと思う。
※グレイな朝も素敵だ。


この祭り、「港祭り」となっているが、昭和9年に、函館市の3分の2が焼失する大火があり、悲しみに暮れる市民の心を奮い起こそうと、翌年に開催したものだ。
想像するに、多くの犠牲者の冥福を祈りながらの、涙の踊り行列だったに違いない。
そんな先人たちの思いを心に秘めながら、歴史的耐火建造物があちこちに建ち並び、防火帯の広い道路がある防災都市の街並みを、町会連合会の踊り行列は沿道に群がる人々へ笑顔を振りまきながら、列を乱さず整然と進む。
もちろん終わりには、冷たいビールが待っていた。
東日本大震災の被災地でも、災害にめげず地区の祭りの行列が瓦礫の中を練り歩く光景をテレビで観た。
政治家の発する「絆」という言葉は、どこか空々しく聞こえてならない。
地域の伝統的な祭りの中には「命の絆」が、だれに言われるともなく脈々と流れているのである。
自分の地域の祭りを、住民一人一人が参加し盛り上げるという姿勢が、「まちづくり」の、原点かもしれないと感じた、函館港祭りである。