▼環境大臣が出席する水俣病患者との会見で、発言時間を一人3分に制限した。参加者の多くに発言をさせるという趣旨なのだろうが、心身の障害と人生を狂わせられたこの問題に、3分は意味をなさない。
▼大臣は忙しいに違いないが、この会見は1日を当てるぐらいの配慮が必要だ。役人側は大臣が忙しいことを盾に、限られた時間で多くの意見を聞くためという。
▼だがこんな時間配分では、忙しい大臣が来てくれて、時間を割いてくれたという、それで十分だろうという、高飛車会見だ。
▼私も会議の司会を担当したことがあるが、大勢の中での3分という時間は、実は発言するには充分な時間だ。
▼3分の発言だと、原稿用紙(400字)でいうと、3~4枚ほどだ。要点を的確にとらえれば、3分は発言時間としてはちょうどいいと考える。
▼例えば会議の内容に詳しい人がいると、あれもこれもで、時間が長引く。また年輩者は感情が高ぶり、つい長くなる傾向がある。
▼司会者としては、発言の配分も考えなくてはならない。発言が長くなりそうな会議が想定されたので「発言は3分以内で簡潔明瞭に」と伝えておいた。
▼だがその会議の内容からして、オーバーになりそうなので、3分たったらベルを鳴らしますのでと伝えた。
▼質問を受ける時間が来たら、誰も手を上げない。私もその行為が、プレシャーを与え過ぎたのではと反省したことがある。
▼私は自分の発言は、3分以内にまとめることにしている。箇条書きでメモしていれば、大抵のことは3分あれば十分質問できる。そして他人の発言の時間にも、配慮したいと思っている。
▼だが今回の環境省の役人は、3分でマイクのスイッチを切ったという。表現の自由の制限だ。主役は大臣ではなく被害者だ。
▼役人は上司を優先し、国民を見下すという病気がある。所謂「役所病」だ。さらに役所主導の会議では、説明が長く質問時間が少ない。これは故意に質問を少なくするためだ。
▼さらに上役は、挨拶が済めば所要のためと席を立つ。これって一番腹が立つ。大事な会議なら、最後まできちんと把握してほしい。肝心の責任者がいないから、いつまでたっても解決しないままなのだ。
▼国会議員や知事や自治体の首長などと、ひざを交えての懇親会があった。そこではざっくばらんな話が聞ける。‟ここだけの話”が聞けて、人柄も鮮明になる。
▼だが、教育長と話したことがない。教育は健全な自治体をつくる基本中の基本だ。そのトップが何を考えているのか、聞くことがなかった。
▼こんな状態では、何時まで経っても「いじめ問題」など解決できない。解決できないから、早々に席を立っていなくなるのだろうか。
▼「役所病」とは、市民に内部をさらけ出すのを極力避けることを言う。上役に忖度し、問題の本質を避ける。
▼「水俣病」と「役所病」。かみ合わないのが、問題解決を先延ばししている、最大の原因ではないか。