私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

室街道を行く(英賀保駅~八十大橋)

2015-01-12 15:40:28 | 歴史探索
 1月12日(月) 成人の日  天気:晴れ+風  室温:14,0℃

 きょうは 『室街道』 を 自転車で 歩いてきました。 予報外に 天気が良かったので 出か
けたのですが 風が出てきて 行程の大半が 西行きで 向かい風が強く しんどかったです。
 室津は 『播磨国風土記』 に 「室の如く 静かかな津」 ということで 「室の泊」 と呼ばれ
海と陸の要衝として 「室津千軒」 と呼ばれるほど栄えた とあります。
 江戸時代には 西国大名の参勤交代で 室津に上陸し 陸路を進んだため 港の周辺は
日本最大級の宿場街でした。 江戸幕府は この要衝・室津を 姫路藩の飛び地領とし その
管理にあたらせ これに伴い 姫路から 室津への交通路を 「室街道」 として開発しました。
 今回は 姫路医療生協の ”ひめじ” No.414(1月1日)号を 参考にして JR英賀保駅か
ら 揖保川に架かる八十大橋までを 道標などを見ながら めぐります。

 上の地図は 古いので 現在の地図とは 大きく異なります。 NETで 調べると 『室津道の
道標』
というページがあり これも 参考にしました。
 12月31日に ”予告編”として 概略を説明しています。 また 網干の魚吹八幡神社周辺
は 1月2日 神社へ初詣したとき 回りました。
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 10:05 自転車に 十分に空気を入れ 東のスタート地点・英賀保駅へ向かいます。 東
へ行くときは 追い風なので 風は 全く気になりません。 10:40 英賀保駅に着きました。 

 駅の南に 道標があります。 「網干駅七粁」? 室津道は 駅の北の山崎から 山裾を北の
苫編の方へ行くので ここは 室津道ではありません。 ちょっと 道標を見に寄っただけ・・。

 西へ戻り 春日神社へ寄って 踏切を渡り 北へ進むと 西蓮寺があります。 西蓮寺の
西の塀際に 道標があります。 この道標には 「西山参道」 とありますが 西山は 亀山
本徳寺・西山廟所のことだそうです。

 更に進むと 才崎橋の手前の県道に出ます。 右に 大きな常夜燈があり これが 「琴平
常夜燈」 で そばに 道標があります。 ここ山崎の地は その昔 室津道の夢前川の東渡し
場で 讃岐国・琴平参りの旅人が 利用しました。  道標には 「右 阿がほ 左 八幡」。

 才崎橋を西へ渡ると 県道の交差点の南西角のこんもりしたところが 「才地蔵」。 才地蔵
(地蔵菩薩坐像)は 行者・玄達が 地元の協力を得て 賽河原の地蔵尊にちなんで 天保2年に
造立したものです。 高さは 3m。
 ここから 南へ下り 西の才ヘ向かいます。 この辺りから 白毛山方向を見ると 何年か前の
山火事の跡が 茶色で 痛々しい。 才の街中を進むと 街道が南へ曲がる角に 道標が 3つあ
ります。 手前の角に 一つあり 北へ10mの倉庫の角に 木製の高札場跡の道標があります。
下の写真に 右室津 とあるのは 旧室津街道 の間違いです。

 南の古民家の角にある道標には 「左 あぼし むろつ 右 びぜん たつの」 とあります。
ここから 室街道を 南へ歩きます。

 JRの踏切を越えて進むと 県道の早瀬町北の交差点に出ます。 県道を越え コンビニ前の
細い道を進みます。 この辺りには 見るものはありません。 どんどん進み 小坂に入ると
菅原神社に出ました。 ここの狛犬は 市内で 2番目に古いものだそうです。

 境内の左側には 飾磨郡と揖保郡の境界を示す 「郡境石」 があります。 郡境石は 二枚の
長方形の板石からなり 先端部を V字状にくぼめ 郡境を見通すようになっている。 市内でも
珍しいものだそうです。  ここに 勝原区大谷に 同じような牓示石があると 書いてありますが・・・。

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 14日 カフェ・エルミタージュへ行ったついでに 大谷の牓示石を探しました。 教育委員会へ
電話して 賃貸住宅の敷地の中にあるとは 聞いたのですが 場所は? 散々 探し回って 最
後に 農区長さんに尋ね やっと分かりました。 ”あれは 牓示石と言うかどうか? 聖徳太子
の投げ石?” ”路傍の石?”
 やっぱ きょうは 仏滅か・・。 次は いつの日か 太子町の12個?の 「牓示石」 を探すぞ!

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 西へ進むと 「御用米蔵跡」 の説明板があります。 それによると 江戸時代に 年貢米を
入れるために 2棟の土蔵が この地に造られ 戦後まで その建物が残っていた。 小坂は
江戸時代を通じ 幕府領、姫路藩領など たびたび 所領替えになったが・・・。 室津街道沿
いで 汐入川の舟運が 利用できる小坂は 交通要地の一つで 年貢米が ここに集められ
高瀬舟で 汐入川河口まで運び 本船に積み替えて 大坂、江戸へと 廻送されていた。

 汐入川に架かる西土井橋を渡ると 西土井です。 橋の袂に 「室津道」 の道標があります。
室街道は ここで 南に曲がり 天満へ向かいますが まっすぐ西へ100mほど行くと 左に
「日本回国地蔵」 があります。 石燈籠に 享保14年の年号があり 地蔵も 同時に 奉納され
たとみられます。 かって 願がかなうようにと 法華経の経典を 全国66ヶ国の霊場に 納める
という風習があった。 そのため 諸国をめぐりをしたのを記念して 銘文にしたものを 回国地
蔵(塔)という。 市内には 白浜町、国分寺境界、四郷町山脇、飾東町八重畑の5ヵ所に 回
国塔や 回国石仏がある。  西土井橋に戻り 室津街道を 南へ向かいます。 

 南へ歩きながら 六地蔵を探しますが 見当たりません・・。 市内の六地蔵では 古い方・・。
このままでは 寝つきが悪いので 後日 電話で 確認すると 汐入川公園にあるそうです。
16日に 見に行きました。 公園の東隅に お墓があり その横に 六地蔵がありました。 近く
の人の話では 六地蔵の前の幅2mもない 狭い道が 室街道だったそうです。 この道を北へ
抜けると 回国地蔵へと 通じている・・・。 六地蔵の後は 保存樹です。


 次の道標は 13「天満の道標」 ですが 傍を通ったのに 見過ごして 通り過ぎ・・。 大津中学
の傍の 「長松の道標」 行ってしまいました。 引返して探しますが 地図と現在の道が 違って
いて 場所が分かりません。 通りかかった女性に尋ねると 親切にも 連れて行ってくださいま
した。 見通しのいい 分かりやすいところに 設置されているのに 見落とすとは・・・。
ここの道標は 「室海道」 と 海 になっています。

 14「長松の道標」 は 「むろかい道」 で 自然石の碑です。 中学校の南を西へ進むと
西汐入川に架かる室街道橋に出ます。 こういうのがあると ここは 室街道に 間違いない と
嬉しくなります。 欄干には 参勤交代のレリーフがあります。

 西へ直進すると こんどは 今度は 大津茂川に架かる 「田井の土橋」。 昔は 土橋でしたが
今は コンクリート。 ここからは 初詣の時に歩いたので 軽く流します。

 宮内川に架かる宮内橋を渡り 南へ下ると 右に曲がる角が 圓勝寺で 角に小さい道標が
あります。 西へ進み 魚吹八幡神社の楼門の前に行くと 大きな常夜燈の脇に 道標があります。

 更に 西へ行くと 県道27号線の宮内交差点。 北東角の植え込みに隠れて 道標があります。

 県道を横切り 更に西へ進みます。 が ここからは 道が 細く ごちゃごちゃして どこを
歩いたか 全く分かりません。 適当に進んでいると 専稱寺がありました。 専稱寺は
念仏道場で 元播磨文明道場の一つで 津市場道場といわれる。 かっては 揖保川の
中州あり 物産流通の要で 津の市場と言われた。
 津市場の道標も 場所が分からなかったので 近くにいた人に聞きました。 親切にも
連れて行ってくださいました。 ここは 独りで 探しても 分からないでしょう。

 西へ行くと 下余部地区に入り 二神社(二神神社)があります。 ここは 古くは 平安時代から
余部郷と呼ばれ 二上神社は イザナギニミコと イザナミノミコトの二神を 祀っています。

 ここまでくると ゴールの八十大橋は 近い・・。 西へ進み 揖保川の土手に上がると 南に
八十大橋が見えています。 しかし 土手道は 吹き曝しで 風当たりが強く 飛ばされてし
まいました。 帽子が・・。 八十大橋の下は 昔は 八十の渡しがあり 御津町中島へ渡って
いましたが 今は なにもありません。 橋の袂の記念石でも 見てください・・・・。

 土手の下の河原で とんどを作っている人たちがいたので 「千本松の碑」 を尋ねると
少し上の水門のところにあるそうです。 ついでなので 寄ってみましょう。
 しかし 風が強く 自転車では 前に進めません。 自転車を降りて 押して行きました。 

 下余部堤防は その昔 毎年のように 洪水の被害を被り その度に 農民たちは 復旧に狩り出さ
れていました。 この有様を見かねた 同村の庄屋岩村源兵エ村行は この水害から 村人と田畑を
救うため 元禄年中に 私財を投じ 若松980本を 植えた。 この松並木は 明治中期まで 揖保川
の清流に 美しい姿を うつし 余部の千本松として その名を広めた。

 これで 今日の行程は すべて 完了。 強い風の中 必死にペタルを漕いで 家に帰りました。
家に着くと 14:20 でした。 10時に出発したので 4時間20分かかりました。
西土井の六地蔵を見ることができなかったのが 残念です。 次は 太子町の牓示石巡りです。
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2月9日 新舞子のホテル シーショア・リゾートへ行ったついでに 室街道の中島の道標を
見てきました。
 来るとき 国道が混んでいたので 王子橋を 渡って 帰ることにしました。 御津病院(現市民
病院) の前で 交差点に 道標があるのを 思い出しました。 手前に 車を停めて 交差点の歩
道を 渡ると 左にありました。 ここは 室街道だったのです。 ここ中島と 下余部の間の揖保
川には 八十の渡しがあったそうです。  道標の正面に 苅屋とあるのは 読めますが・・・。
 この道標は  右面  「右 山田 加家 釜屋 /稲富 片 石見港 道」
          正面・南 「左 苅屋 黒嵜 道」      とあるそうです。

 道標を見て 県道を北へ帰っていると 王子橋の手前に お地蔵さんがあります。 ちょっと
寄ってみました。 何のお地蔵さんか 分かりませんが 台座に 「三界萬霊」 と刻んであり
ます。 「三界萬霊」 って・・・。  調べると
 三界とは 私どもが 生まれかわり 死にかわりするこの世界のことであり 万霊とは ありと
 あらゆる 精霊のことであるから 三界万霊牌は この世のありとあらゆる 精霊を 合祀した
 位牌のこと・・・・。

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2 コメント

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西土井橋→おさか橋 (三木義弘)
2017-03-07 11:42:22
おさか橋が正解と思います。
西土井橋 (YS11)
2017-03-07 16:49:57
コメント ありがとうございます。
地図に 西土井橋とあったので 書きましたが
西土井橋は 一つ南の橋ですね。
昔のページを 修正するのは・・・。

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