私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

NHK ニッポン 不滅の名城 姫路城

2022-12-30 15:00:56 | 日記

 12月30日(金)   天気:晴れ    室温:16.5℃

 12月30日 7:30 NHK BS プレミアムで ”絶対行きたくなる ニッポン 不滅の名城

姫路城 スペシャル” が 再放送されました。(初回放送日: 2022年11月26日) 普段は 非

公開で 見ることのできないところも 特別な許可を得て 紹介されます。

 第一章 なぜ 天主が 連立しているのか?

 第二章 なぜ たくさん門があるのか?

 第三章 なぜ これほど巨大な城が造られたのか?

NHKなので、CMなしで、90分 目が離せないので 見るのも 大変です。

 城の魅力と謎に迫る人気シリーズ。 今回は 姫路城を徹底検証する 90分スペシャル版。なぜ

姫路城という巨大な城が 造られたのか、その目的を 未公開エリアを中心に 徹底検証!

 姫路城といえば、五層の大天守を中心とする 複雑に連なる天守群を始め、数多くの門や櫓、石垣、

堀など 見どころは 尽きない。 白亜の城の美しさに目を奪われるが、その実像は 豊臣氏との最終決

戦に備えた 徳川陣営が、当時最新の設計思想を取り入れて 整備した、空前の城郭だった。

 謎の解明に挑むのは、城郭考古学者の千田嘉博先生。 天守内部など 様々な初公開の映像を駆使して、

姫路城の秘密を これまでにない 視点から 大胆に描き出す。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR網干駅西 茶ノ木踏切 立体交差の現状

2022-12-27 20:41:53 | 日記

 12月27日(火)   天気:晴れ    室温:18.8℃

 この前、電車に乗ろうと 網干駅へ行くと、西の踏切の向こうに クレーンが 見えま

した。 陸橋工事が始まったのかと、 きのう 見に行きました。  陸橋工事個所は、

白い壁で 囲まれ  中へ入ることはできませんが、覗くことは 出来ました。

 線路に近い側に 橋脚を 建てるための基礎工事が 始まったようで、鋼矢板が 打ち込

まれています。 表示板によると、大阪の大鉄工業(株)が 工事を行い、注文主は

西日本旅客鉄道(株) 神戸土木技術センターで、事業期間は、自 令和4年10月7日、

至 令和5年6月28日 となっています。 この期間に どこまでの工事が 行われるのか

分かりませんが、まだまだ 当分かかるようです。

 陸橋の構造は、5月26日の ”茶ノ木踏切の立体交差について” ページを 参照ください。

   

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姫路市立美術館で 鉄と技の美Ⅲ

2022-12-22 15:07:58 | ギャラリー散策

 12月22日(木) 冬至    天気:曇りのち晴れ   室温:16.9℃

 きょうは、姫路市立美術館へ 「鉄と技の美 ー姫路藩主 酒井家の刀剣ー」 を見に行き

ました。 火曜日の歴史教室で 中川先生が 美術館で 酒井家の刀剣の展示をしているので、

見に行ってください と言われたので、行ってきました。 藩主 酒井家が作陶した刀 11振り

が 展示されています。 入場無料で、写真撮影OKです。 残念ながら 刀剣女子は いません。

 出かけるときは、曇りで 小雨が降っていましたが、午後には 晴れて 日がさしてきました。

 姫路城管理事務所が 管理していた 「酒井家の刀剣」 は、江戸時代の幕末までは 姫路城内に

保管されていたものと 考えられる。 それぞれの刀剣は、共鎺(ともはばき)などの白鞘に 収

められていて、刃文を焼刃した藩主の戒名(院号)が 白鞘に墨書されている。 もとは、拵(

柄・鍔・鎺・塗鞘)が 付属し、武器蔵の刀箪笥に収納保管されていたと推定される。

 江戸時代後期に 酒井家にあった御宝器のうち、刀剣類を記した 「姫路酒井家宝器明細簿・乾」

に記載される155口の一部と考えられる。 なお 本書で 歴代の焼刃だけで 43口を数える。

 姫路藩主 酒井雅樂頭家は、鎌倉時代の後鳥羽上皇による鍛刀・貴人が 刀を打つという系譜を

受け継ぎ、当主自らが 鍛刀に携わっていた。 姫路城内の大手門東の内堀に沿って 鍛冶小屋

(現在の護国神社本殿付近)があり、これらの刀剣も ここで 作刀されたと推定される。

 相手鍛冶は、馬橋時代からの 「服部秋広」 や 「市橋秋久」、「伊勢崎正次」 などが知られ

ている。 現在は、13口が 伝来し、1口を除いて ほとんどが 酒井家歴代の焼刃による作刀

と指料である。  今回は、当館が所蔵する10口と 姫路神社の1口を 紹介する。

 2月26日に 市立美術館へ ”姫路市美術展” を見に行ったときにも 刀剣が 展示されていました。

   

◆酒井雅楽頭家:

  酒井家の遠祖は、徳川家康の8代前の祖・松平親氏が 三河国坂井村の五郎左衛門の養子となり

 雅楽助(うたのすけ)と称し、五郎左衛門の女を妻とし、生まれた子・広親により始まると伝えられる。

  広親の二男・家忠の玄孫・正親は、幼少の頃から徳川家康に仕え しばしば 軍功をあげた功により、

 三河国西尾城を与えられた。 その二男・忠重も 関ケ原合戦などで 戦功をあげ、慶長6年(1601) 上野国

 厩城主(前橋市)となり 3万石を与えられた。 以降 この重忠の子孫が、酒井雅楽頭(うたのかみ)家

 として 社稷を守っていくのである。 その後 8世の孫・忠恭の時に、播磨国姫路城へ転封となるのである。

 ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・

 

 12時前に 美術館を出ました。 いそいで 駅に戻れば 12:14の電車に間に合うかと

思いましたが、急ぐこともないので 山陽百貨店へ寄りました。 美術画廊では、”東京芸術大学

彼末 宏と門下生たち 油彩画展” をしていました。 これを見て 駅に戻りました。

 12:49の電車は しばらく待たないと・・、ところが ホームに上がると 電車は 約10分遅れ。

約40分待たされることに。 駅そばを 食べて 時間をつぶし、寒風の椅子に座って・・。 悪いこ

とに 50分頃に 姫路止めの電車が着くと、乗客が どっと降りてきて 7番ホームに並びました。

 仕方なく 後ろに並びました。 が、遅れた電車が来ても 誰も乗りません。 並んだ人は 後発の

赤穂行の電車を待っていたのです。   家に帰ると、BSシネマのジェームス・スチュアートの

映画  ”素晴らしき哉、人生!” は もう始まっていました。 やれやれ・・。

 。。。。。   。。。   。。。   。。。   。。。   。。。   。。。   。。。。。。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史教室12月 「姫路藩御用窯 東山焼 と 刀剣」

2022-12-20 13:54:47 | 歴史探索

 12月20日(火)   天気:晴れ   室温:14.5℃

 きょうは、公民館の歴史教室に出席しました。 11月は 休講でした。 今月は、元城

郭研究室長の中川秀昭先生の 「姫路藩御用窯 東山焼 と 刀剣」 です。

 公民館だより12月号によると、江戸時代後期、播州飾東郡東山村の興禅寺山麓で 始まった

東山焼は、天保2年1831)頃、姫路藩家老 河合道臣の肝いりで、姫路市山の井町の男山

山麓に 窯が移され、姫路藩御用窯として 青磁の名品が多く制作されました。

 一方 姫路藩  酒井家では、御鍛冶小屋を置き、藩主自ら 抱え鍛冶を相手に 作刀を行いまし

た。 そこで、時の将軍にも 献上された 東山焼 と 刀剣、とりわけ 刀剣は 手柄山氏繁・正繁

など 姫路の町鍛冶による作刀も含めて ご紹介します。              中川秀昭

  。。。。。。。。 「姫路藩御用窯 東山焼 と 刀剣」 。。。。。。。

1.姫路藩御用窯東山焼

 1)陶磁器の種類

  ・陶器:粘土を材料とし、素地に釉薬をかけて 窯で焼成 ・・楽焼、唐津焼、萩焼など

      厚手で たたくと 鈍い音

  ・焼締め:乾燥させた素地に 釉薬をかけず 高温で焼成 ・・備前焼、伊賀焼、信楽焼、丹波焼など

    (炻器) 薪・藁が燃料。 登り窯、穴窯を使用

  ・磁器:磁石を材料とし、素焼きの後、釉薬をかけて  ・・伊万里焼、九谷焼、砥部焼、東山焼など

      高温で焼成(二次焼成も)東山焼は素焼きをせず自然乾燥

  ※豊臣秀吉の文禄・慶長の役で 朝鮮半島から連れてこられた 陶工・李参平が 肥前有田で 磁石

   (磁器の原料)を発見したことから 1610年代(慶長期)に 磁器の制作が 始まった。

※下の写真は、2019年6月 書写の里美術工芸館の 「播磨に息づく匠の技」 で 展示されたものです。  

 2)東山焼(とうざんやき)とは

  ・江戸時代後期に 制作された姫路の焼物

  (1)概要

   ・種類:磁器(染付、青磁が中心)  ・原料:天草石(丹波古市、東山・山の脇石)

   ・形態:花瓶、鉢、皿、徳利、燭台、筆筒、杯洗、水指、托、瓢瓶など

   ・銘 :「東山」、「播磨東山」、「姫路製」、無銘 

  (2)東山焼の歴史

     民窯(興禅寺山窯) ⇒  姫路藩御用窯(男山窯) ⇒  民窯(男山窯)

     文政5年(1822)   天保2年(1831)頃    安政元年(1854)頃

   ①興禅寺山窯

    ・文政5年(1822)に 姫路市南東部・東山村の興禅寺山 山麓に窯が築かれ 九州の天草石

     (磁石)を 海路運んで 染付や 青磁が 製造されたのが 始まり

    ・総取締役:橋詰藤作(東山村庄屋8代目、橋詰山三郎の実弟)

     ※橋詰本家は、代々東山村庄屋を務め、醤油醸造、製塩、米・肥料販売を 家業とした豪商

       陶工:池田弥七(元瓦職人)など 

    ・作品:茶碗、鉢、皿、花瓶、壺などの日用雑器が ほとんど

   ②姫路藩御用窯(男山窯)

    ・天保2年(1831)頃、姫路藩家老 河合道臣の政策で 姫路城に近い男山(愛宕山・姫路市

     山野井町)に 窯が移され、藩営の「御用窯器所」となった

    

<背景>・文政5年(1822).6 姫路藩主 酒井忠実の養子酒井忠学(15歳)と 11代将軍 徳川家斉

     25女 喜代姫(5歳)の婚約が整う(その功により 河合道臣は 1500石から3000石に加増)

    ・天保3年.12 酒井忠学(25歳・のちの姫路藩主)と喜代姫(15歳)が 婚姻

    ・当初は、橋詰藤作が 総取締役、池田弥七も 東山から移り 作陶に従事したが⇒尾形修平(京都)に

     弟子入りしていた橘秋蔵(姫路藩士)が 総取締役に 就任。 また、尾形周平などの名工が 来窯して

     指導にあたり、姫路藩 御用窯・男山窯で 京焼の影響を受けた すぐれた作品が

     焼かれるようになった。

    ・作品:花瓶、水指、皿、鉢、煎茶器、酒器、文房具、火入、燭台など

        城内の調度品や贈答品が 目的の御用窯・・・日用品は少ない

    ・銘 :「男山」 「播磨東山」 (興禅寺山窯・男山窯)、「姫路製」(男山窯)

    ・民間への払い下げ

     ・一流品・・・・ご用品として 姫路藩へ納入  ・二・三流品・・民間に払い下げ

      ◇購入希望者は、御用陶器所発行の印紙を購入し、陶器引換所(俵町・木綿屋清次郎、

       龍野町・米屋友七)で 印紙と引き換えに 代価相当の東山焼を購入

     ・印紙:4種類 : 花印(2朱)、鳥印’(1朱)、風印(2両4分)、月印(1両2分)  

     ・御用陶器所の廃止(安政初(1854)頃 :天保12年(1841)に 河合道臣が 没すると

      藩は 陶器製造に消極的になっていき、安政初頃に 御用窯は はいしされた

     ・藩の経営が終わると 橋詰藤作は 東山に帰り 家業に専念。 池田弥七は 万延元年(1860)頃に

      新式コンロを開発し、「弥七焜炉」と呼ばれ 世に好評を受け、文久元年(1861)独立し 池田屋

      弥七商店を始めた

   ③民窯(男山窯)

    ・御用陶器所が廃止された後は、豪商の姫路六人衆、桔梗屋、木綿屋、西治屋、茶屋などが 窯を

     借り受けて 製陶を続け、大阪方面に販売したが、明治期に入り 次第に衰退していった 

  (3)製陶所「永世舎」

    ・明治9年(1876)大蔵省 地租改正官 松村辰昌が 姫路に出張した際に、旧藩士の授産の

     必要性を痛感し、飾磨県令 盛岡昌純に 出資を要請。 明治10年(1877)、士族授産施設として

     旧大蔵前町に 製陶所「永世舎」が設立された。 同社は、旧姫路藩士50余名と合わせて

     男山窯の陶工も同所に移り、肥前有田出身の松村と 同郷の陶工、柴田善平、井出國太郎を

     呼び寄せ 指導にあたらせ、主に輸出向けの貿易物を製陶し 欧米などに 輸出したが、

     その後 経営不振に陥り 明治15年(1882)頃に 廃された。 製品の命には、「兵庫縣永世舎」

     「永世舎造」、松葉菱内に 「永」の文字を入れたものなど

 3)東山焼の主な作品

  ◆姫路市指定文化財               姫路市指定文化財

   東山焼狛犬:大歳神社(市内東山)       東山焼燈篭:西源寺(市内東今宿)

   「文久三年 池田屋弥七」の刻銘         安政6年(1859)陶工常吉作 男山窯陶工山名堪七氏寄進

  

  ◆興禅寺窯時代と判明した作品

  染付千里馬図椀 銘「播磨東山」     同 漢詩「唐宋八家文」雑説四

  漢詩の末尾に 「文政十三庚虎盛夏」の銘   この銘から男山窯に移る前に焼かれたものと分かる

    

  ◆男山窯時代の作品(染付)(想定)

    染付山水草花六角鷺耳花入    染付古銅写獣耳花入       染付御茶水図筒

    銘「姫路製」、美術工芸館蔵   銘「姫路製」、陶芸美術館蔵   銘「於播陽東山造之」

      

  ◆男山窯時代の作品(青磁)(想定)

    青磁鯉滝登文筒花入 銘「姫路製」    青磁燭台 銘「東山」

     

  ◆永世舎時代の作品

    色絵龍鳳凰図鶴首花瓶 銘「永世舎」   色絵旭日群鶴図花瓶 銘「兵庫縣永世舎製」

     

2.刀剣

 1)姫路藩主の作陶

  ・御焼刃:姫路藩酒井家では、城内に 鍛冶小屋を置き、藩お抱えの刀鍛冶(抱鍛冶)を相手に

       「御焼刃」と称し 作刀が行われた

  ・御鍛冶小屋:鍛冶小屋は 「御鍛冶小屋」と呼ばれ、姫路藩主 酒井忠恭が 上野前橋から 姫路に

         転封になった際に、前橋から移し 設置したもの。(現護国神社本殿付近)

  ・抱鍛冶:姫路藩 酒井家では、歴代藩主が 姫路転封に際し 前橋から 帯同した抱鍛冶を相手

       (相手鍛冶)に 作刀を行った。 抱鍛冶には、丹治姓服部氏、源姓市橋氏など。

       酒井忠顕は、安政3年(1856)に 伊勢城氏を 新たに召し抱えた

  ◆『玄武日記』より

    ・安政七年戊戌春三月:一、八時鍛冶小屋へ相越、刀二本・脇差一本・小脇差二作る事、

    ・安政七年戊戌夏五月:一、用場へ相越、吟味ものすき見いたし、帰かけ鍛冶小屋に

                 而焼刃いたす事、ちいさき大小十組、小刀三本

 2)町鍛冶       

  ・『姫路城史』 下巻 橋本政次著 :刀剣は 飾西郡手柄山住三木新兵衛氏重、その作に

    播磨国於手柄山山麓 氏重と銘し、代々相受け、後姫路坂元町に移ったが、猶ほ手柄山

    山麓の銘を用いた。 三代目氏重名を改めて 氏繁を称し、寶暦五年歿した。 酒井時代の

    氏繁は 即ち この初代氏繁以降を称した。 四代目氏繁に至り、陸奥白川城主松平越中守

    定信の刀匠となった。

  ・手柄小学校100年史『100年』 「手柄山という刀鍛冶 特別寄稿 小山金波氏」

    手柄山の名を天下に広めたものに、手柄山正繁という 江戸時代の刀鍛冶がある。・・・・

  ◆姫路藩主 焼刀の刀剣 出展:「鉄と技の美Ⅲー姫路藩主 酒井家の刀剣ー」市立美術館図録

   姫路藩主 初代・酒井忠恭、2代・酒井忠以、4代・酒井忠実、5代・酒井忠学、7代・酒井忠顕

   らが 作陶した刀(脇差、短刀、剣)が 8振り紹介されましたが、詳細は 省略します。

   ※下の刀は、今年 2月26日 市立美術館で、市民展の際に 展示されたものです。

   ※いま、 市立美術館で、「鉄と技の美 酒井家の刀剣」が行われていて、入館無料、 写真OK

    だそうなので、近いうちに行ってみます。 1月15日まで。 

   ※12月22日 市立美術館へ 「鉄の技と美」 を見に行きました。 そのページは <こちら>

                  

※出典・参考文献:「姫路城史」 橋本政次著、『姫路のやきもの東山焼と永世舎』山本和人著、

         『姫路藩窯東山焼』満岡忠成著、『姫路の文化財1』、「姫路酒井家の御鍛冶

          小屋ー歴代藩公の御焼刃と抱鍛冶」小山金波・三枝啓助・松本勉 など

 

 。。。   。。。。   。。。。   。。。   。。。。   。。。。   。。。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イーグレひめじで 井上映粧 書作展

2022-12-16 14:37:20 | ギャラリー散策

 12月16日(金)   天気:晴れ・雲   室温:15.9℃

 きょうは、久しぶりに イーグレひめじへ行きました。 今週は、「井上映粧書作展」

が 行われています。 みゆき通りを歩いていると、和田さんと ばったり・・。 久し

振りに お会いしました。 最近は 佐用方面で スケッチしているとか・・。

 帰りに 山陽百貨店に寄ると、6階 催し会場で 「黒木国昭展」 が行われ、5階 美術

画廊では  「長岡 卓・身野 友之 洋画二人展」 が 行われていました。

 イーグレひめじの市民ギャラリーでは、第1・第2展示室で、「第19回 玄燿書道会 学生展」、

第3・第4展示室で、「ー傘寿記念ー 井上映粧 書作展」(主催:玄燿書道会) が 行われています。

               

 ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・

  大手前通りを歩いていると、赤い自走ロボット車が 歩いていました。 試験走行なの

でしょうか、 二人が 後ろを 付き添っています。 横断歩道手前では、赤信号で 停止しました。

 旧ヤマトヤシキの囲いの中で、何か工事のようなことが行われていますが・・。

 山陽百貨店の6階 催し会場では、「第13回 黒木国昭展」が行われているので 覗きま

した。 喜寿記念 西洋の美と和の融合 ガラス工芸作家 国の「現代の名工」  ガラスの道、

ひたすら59年、これからも この道を歩み続けます。

 5階 美術画廊では、「洋画二人展 長岡 卓・身野 友之展」 が行われています。

現代の洋画壇で キャリア十分の写実作家お二人の作品30余点を展示即売いたします。

 長岡 卓氏は、1949年 大分県宇佐市生まれ、現宇佐市在住、1972年 独立美術展

選抜展 出品。 身野 友之氏は、1971年 相生市生まれ、現相生市在住、1995年 神

戸大学 法学部 卒業、1999年 関西美術院 入学。 お二人とも 各地にて 個展開催

 きょうは、10:20の網干始発電車で 姫路へ行き、12:14の網干止めの電

車で 帰りましたが、行きも 帰りも 電車は ガラガラでした。 朝は 寒かったのですが

午後は 日差しもあり 暖かくなりました。 これで 今年は 姫路へ行くことはないかも・・

 。。  。。。。  。。。。  。。。。  。。。。  。。。。  。。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする