私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

御嶽山清水寺

2011-07-30 16:56:10 | ドライブ
 7月30日(土)  天気:曇り 十一時 雨 後 晴れ   室温:31.8℃

 皆さん 今週は いい一週間でしたか? 私には つらく しんどい 一週間でした。 風邪は 引かないと思っ
ていた私が 風邪を ひいていしまい・・・・・
  通年性の鼻炎との相乗作用で のどは 痛いし 咳は 出るし タンは 詰まるし
  38.5度くらいの微熱が 続き 体がふらつくし
  食後の薬を飲むため 無理に お茶漬けを流し込み・・・
  薬の副作用なのか 眠気はするし 口の中に 苦みが残り 味がおかしく 余計に食欲もなく
  なにもすることができず ほとんど 死んだような一週間でした。

 風邪は まだ 治りませんが 体のふらつきは収まったようなので 出かけてきました。 播州・清水寺です。
「はりまハイキング」で 紹介されています。 標高552.3mのどっしりとした山容と書いていますが この山
には 三角点はないし 地図を見ても 540mの等高線しかありません。 この本の著者は 一体 何を考え
ているのか理解できません。
 この前の NHKの『新兵庫史を歩く』で 加東市を歩き 清水寺も 訪れていました。 また この前の地元
の『歴史教室』で 姫路周辺の古代寺院を 勉強したこともあるので それを 訪れるのもいいでしょう。
 西国二十五番札所・播州清水寺は 「播磨六ヶ寺」のひとつで 法道仙人の開基と言われ この地は 水に
乏しく 法道仙人が 水神に祈ったところ 霊泉が湧出し それ故 清水寺 と名付けられたそうです。  

 9:27 出発。 姫路バイパスは 事故の後遺症か 思うようには 走れません。 花田ICから播但道に廻り
福崎ICから中国道に 入る辺りから 雨が降ってきました。 10:18 滝野社ICを降りて 国道372号線に
廻ります。 上鴨川の信号で右折して 県道311号線で東へ廻ります。 体調万全なれば 「新兵庫史・・」
の鴨川の郷や 住吉神社へ寄りたいのですが きょうは 清水寺だけ にしましょう。



 清水寺の登山口に料金所があり 拝観料500円を支払います。 駐車料金込みです。 坂道を 2.8km
登ると 仁王門前の広い駐車場に出ます。 10:46 駐車。 滝野社ICから 20.9km、家から 78.3km。
 観光バスもあり 結構な人です。 雨は上がったようです。 
仁王門は 旧参道にあったものが 壊れ 昭和54年末 再建。 金剛力士像は 大正10年 奈良仏師の菅
原大三郎の作。 すっきりした感じには 見えますが 悪人を通さないという 力強さ、迫力が ありません。



 雨に濡れた参道を歩いて 大講堂へ向かいます。 道の脇には 青いアジサイが多くあります。 手水舎
の向かい側に 薬師堂があり 入口が開いているので 中へ入ると 小さい仏像が 祀ってありましたが
薬師如来像でしょうか? 十二支の酉の彫像は 私の干支ですが 東京芸大 薮内佐斗司教授作で 「十
二神将」 のひとつです。


 大講堂の前にある大きな燈籠に彫ってあるのは 四天王? 大講堂の前を 宝篋印塔を見ながら
旧参道へ降り 白壁の右の門を潜ると 庭園になっています。 ナツツバキもありますが 花は 見
当たりません・・・ 下には 苔のような緑の絨毯で 申し分ないのですが・・・



 奥は 本坊です。 本坊から階段を上がり 大講堂の回廊へ出ることもできます。 このように 山の
斜面を利用し 平坦地を設け 仏殿を直線的に並べる伽藍配置は 「禅宗式」 というのでしょうか?
ここ清水寺には 国宝級の建物は ありませんが 根本中堂、大講堂、鐘楼、本坊が 登録文化財。
 どこにあったのか 分かりませんが 阿弥陀堂は 源頼朝により建立されたそうです・・・。




 大講堂に戻り 靴を脱いで お参りしました。 周囲の回廊は 展望台ですが きょうは 明石大橋を見る
ことはできません。 大講堂は 十一面千手観音菩薩を本尊に 神亀二年(725) 聖武天皇が 行基菩薩
に勅願し 建立したもの。 御詠歌 : あわれみや あまねき門の 品々に なにをか波の ここに清水


 大講堂の上に 道標がありました。 こんな場所にあってもと 思いますが・・。 右 なつやま? 左
ふ○あい? 階段を上がると 右が 地蔵堂で 本尊は 地蔵菩薩。 常行堂の跡地に 昭和12年創建。
この地にあった常行堂は 後白河法皇の創建と伝えられる。
 地蔵堂の左上に 鐘楼があります。 大正2年消失、同9年再建。 釣鐘は山上にて 大正8年に鋳造
された。 武田五一博士の意匠で 銘は 吉田源応天台座主。 この鐘の音は 播磨、丹波、摂津にひび
きわたり ”開運の鐘”として 親しまれているそうです。 釣鐘は 高い位置にあり 写真を撮るのは 難し
い・・。 鐘は 自由に 撞くことができるようですが・・・。


 階段を上がると 根本中堂があります。 立派な建物ですが 肝心の木鼻や蟇股が見当たりません。
本尊は 十一面観世音菩薩で 脇士は 毘沙門天王と吉祥天女。 本尊は 法道仙人一刀三礼の秘仏。
 創建は 推古天皇35年(627)で 推古天皇の勅願で 金堂として創建されましたが 大正二年の火
災により焼失。 同6年 武田五一博士の設計により 再建。



 根本中堂の裏から 100mほど奥に ”滾浄水”(お陰の井戸)があります。 開山の法道仙人が 水神
に祈って湧出した霊泉で 清水寺と称せられる由緒の地。 この井戸を覗き込んで 自分の顔を写したら
「寿命が三年延びる」らしいので 私も少なくとも 後三年は 生きられるかも・・・。 かやぶき屋根で覆わ
れ 今でも大切に守られています。
 一番高い所(標高540m?)に 多宝塔跡がありますが その前に 下にある宝篋印塔へ寄りました。
昭和九年 護摩堂跡に 般若心経の写経を 3333巻納め 建立されたそうです。 丸いドーム型の台上
に 宝篋印塔が 立っていますが あまり いい雰囲気ではありません。 やはり ひっそりとある方が・・。


 最後に 多宝塔跡へ。 多くの礎石があります。 現在 再建予定の多宝塔(大塔)は 平清盛の母とい
われる祇園女御により建立されたと言われている。 高い位置にありますが 見晴らしは よくありません。
多宝塔跡から 右へ降りて 参道へ戻り 駐車場へ戻りました。 12:10 車に戻りましたが 何台か
あった車は なくなっていました。 清水寺に お参りする人は 大講堂を往復するだけ なのでしょうか?



 すぐ帰路につき 来た道を戻ります。 国道372号線の戻り 滝野社ICから中国道に入り 加西
SAへ寄り ラーメンを食べましたが すごい人でした。
播但道、姫路バイパスを走り 13:57 家に帰ってきました。
 本日の走行距離は 往路:78.3km 復路:78.5kmで 計:156.8kmでした。
次は 神積寺と八葉寺ですが・・・・。
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仏像の祈り4

2011-07-22 21:03:22 | 日記
 7月22日(金)  天気:晴れ  室温:31.0℃

 きょうの 「こころの巡礼」 仏像の祈りは 奈良・円成寺の大日如来 と 秋篠寺の大元師明王・伎芸天
と 西大寺の愛染明王です。

 円城寺の多宝塔に安置されている 大日如来像は 若いころの運慶の作で 金剛界で 知恵を司る?
いろいろな装身具を身に付け 額には 白豪があり 暗い世の中を照らし 玉眼は 運慶が 初めて採用?
黒漆に張られた金箔がはがれ まだら模様で 見難くなっています。



 西大寺は 平城京の西にあるので そう呼ばれ 東にあるのは 東大寺です。 秘仏・愛染明王は 赤く塗ら
れています。 32cmの小さな像です。 善悪を見抜く仏眼、手には仏具を持っています。 勿論 愛のキ
ューピット役の弓と矢も持っています。 頭には 獅子の冠をかぶり 金色に輝く光背は 釈迦が悟りを開いた
とき 全身が黄金に輝いたことを示します。




 秋篠寺の大元師明王は 12神将を統率する総大将で 伎芸天は 芸術を司る役目を持っています。




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三鈷峰? さんこほう 1516m

2011-07-17 22:06:36 | 山歩き
 7月17日(日)  天気:晴れor曇り? ガス   室温:32.5℃   地図:伯耆大山

 きょうは 『メ~さんの山日記』のOAPさんに同行させていただき 大山の北東にある三鈷峰に行きました。
残念ながら 体力の限界で 三鈷峰の手前で リタイア・・。 わーさんから連絡をもらい 一度は お断りしたの
ですが・・。 体力のない私は 皆さんの足を引っ張り 帰りが 遅くなってしまいました。
 本日 一緒に歩いたのは OAPさん、二女さん、しみけんさん、わ~さん、Mさん、MKさんの計7名です。
Mさんは わ~さんのお友達で かずさん。 女性のMKさんは 以前 やまあそオフで 行者岳・岩屋観音を
一緒に歩きました。 しみけんさんのレポを参考に 書きたいと思います。 しばらく おまちください。 何しろ 歩
いたルートも なにも覚えていないのです。
 今の時期 OAPさんが ユートピアを計画されたのは ユートピア避難小屋の上にある お花畑の”ダイセンオ
ダマキ”を見るためです。 が 私のカメラは ダイセンオダマキに ピントが 合いません。 クガイソウ、シモツケ
ソウには 一週間ほど 早かったようですが・・・。
 『鳥取県の山』によると 三鈷峰とは 仏教の法具「金剛杵(独鈷、三鈷、五鈷)」のひとつ「三鈷」の形に似て
いることから 三鈷峰と呼ばれているそうです。


 5:58 出発。 たつの、新宮を走り 7時前に道の駅に着きました。 誰も来ていないようです。 少し
経って しみけんさんが来て 裏の駐車場に行かれたので 私も車を移動しました。 ここまで 27.4km。
メンバーが揃い 7:00ころ出発。 OAPさんの車は 7人乗りなので 1台で行けます。 OAPさん よろ
しく お願いします。 山崎ICから中国道で 落合JCT経由 米子道へ。 蒜山SAで休憩し どこかのスマ
-トICで 降りました。 大山に近づくと 道路脇にも たくさんの車が停めてあり すごい数のハイカーです。
橋を渡り 少し先の駐車場に駐車。 こちらは 少し空いていました。 山崎から 約2時間かかりました。


 準備をして 9:27 スタート。 やや 分かり難い道を通り 大山寺の広い参道に出て 石畳の坂道を
歩きます。 OAPさんの娘さんも きょうは 女性のMKが 参加しているので いい話相手のようです。
大山寺の山門の手前で 左折して 鳥居を潜り 大神山神社へ向かいます。 この石畳の参道は 表面
が でこぼこで 苔で滑りそうで 歩き難い。 私だけ 脇の平らなところを マムシグサでも 見ながら歩き
ます。 途中 左に 水場ありましたが 写真は ありません。


 階段を上がり 神門を潜ります。 この神門は なぜか 門の表裏が 反対になっているので 「後向き門」
と言われているそうです。 横にある説明板に この壮麗な建物は 大神山神社の奥宮で 大神山とは 大
山の古名で 大国主命(大黒さま)が祭ってあります。 社殿は 文化二年(1805)の建立と言われ 神仏
混淆時代の特徴である権現造りという形式で 中国地方でも大きい神社です とあります。 きょうの安全
登山を お祈りします。 皆さんが 何を お祈りしたのか? 神のみぞ知る・・・。 大神山神社には トイレと
水場があり 一息入れることができます。



 神社の右から 「行者コース」へ入ります。 ここからは うっそうとした森林の山道で この行者コースは
元谷から 夏山登山道に合流する 大山へのルートのようです。 少し先で OAPさんが ここで 左へ と言
われ 左の細い道へ入ります。 古い道標があったかもしれませんが 分かり難い分岐です。 岩や木の
根が 露出し 歩きやすい道とは言えません。 青いアジサイが たくさん咲いてるアジサイロードですが 花
を撮る暇も余裕もありません。
 標高950m辺りから 1080mの下宝珠越の尾根に出るまで ものすごく しんどい登りでした。 地図を
見ても それほど急な登りでもなく 日も差さない 暑さもそこそこなのに・・。 皆さんに 先に行ってもらい
一人 休み休み登りました。 女性のMKさんや 娘さんも 何ともなかったようです・・。


 時間集計も いい加減ですが 10:40 下宝珠越に上がり 待ってもらった皆さんに追いつきました。
宝珠尾根は 少し なだらかです。 歩く人が 少ないためか 木が茂り ヤブっぽくなています。 枝をか
き分けて進みます。 この尾根道にも 何ヵ所か 難所があります。 道が崩れた絶壁状のところ、ずる
ずる崩れる砂利斜面の道、ロープのある岩場・・・。



 左に三鈷峰の斜面が見えてきて 写真を撮りながら 一休み。 前方に 白い三角錐の櫓があった
ようで しみけんさんが 測量用かと言っていましたが 後で分かったのですが このケルン?は
難者の慰霊碑でした。 右に 大山側の稜線、左に 三鈷峰側の稜線が見え 尾根の鞍部に 避難
小屋も見えます。


 下山時 上宝珠越から 「砂すべり」へ降りたのですが 登るときは 分岐には 気付きませんでし
た。 ひょとして ここに ハイカーがいて 疲れた顔も見せられないので さっさと歩いたのかも・・。
宝珠尾根で 20人以上のハイカーと すれ違ったでしょうか? 挨拶するにも 疲れます。



 尾根を歩いているときは 避難小屋まで まだまだ 遠いなと 思いましたが 急登を登り 黙々と
歩いていると 突然 開けた尾根に出ました。 木のポールが 1本立っています。 この辺りは 遮
るものがなく 展望抜群です。 登山道の脇に オオバギボウシ、シシウドなどが 咲いています。



 100mほど上のユートピア避難小屋へ行きました。 12:26 到着。 予定では 12時頃に着く筈?
でしたが 私が遅かったので 30分ほど遅れました。 皆さん 十分汗をかき リュックまでべとべと
です。 私は 疲労困憊で 食欲もありません。 おにぎりを ふたつ お茶で 流し込みました。 南から冷
たい風が ガスとともに 流れてきて 火照った体を 冷ましてくれます。


 しみけんさんは パノラマ写真を撮るため 少し下へ降りて 高い三脚を立てています。 野歩記さん
も 自分撮りのため 人知れず 苦労されていますが しみけんさんも 撮影場所の選定、機材のセット
など 人知れない苦労が 必要です



 昼食を終え 一息入れてから リュックを置いて ”ダイセンオダマキ”を見に お花畑に上がります。
地図には 破線の道がありますが 草木が茂り 道はあるのかないのか・・・。 この辺りも 展望抜群で
OAPさんに 烏ヶ山、蒜山や 矢筈ヶ山などを教えてもらいました。 大山側の稜線、北壁が見え 後方
尾根の先端には 尖った三鈷峰が その左奥に は 弓ヶ浜や島根半島が 望めます。
 わーさんが 今度 烏ヶ山(からすがせん)に登ろう と言っていますが・・。



 OAPさんが オダマキを見付け 皆で 写真を撮りました。 イヨフウロ? シコクフウロ?も 咲いて
います。 こんな高い所にも アジサイが・・。 シモツケソウ、シシウド、オオバギボウシ、クガイソウ、
ヤマブキショウマも・・。 わ~さん 私に花の名を 聞かないで!
通りかかった女性に聞くと ”アシタバ”を教えてくれました。 しみけんさんは 職場で 両手、両足に
花なので 本物の花には 興味がない? きょう撮った花の写真を 下に並べておきます。 『メ~さん
の山日記』を見ると 黄色い小さい花は オトギリソウだそうです。






 小屋へ戻り リュックを回収し 14:00 下山。 MKさんが ここまで来て 三鈷峰へ登らなかったら
悔いが残るゥ・・。 OAPさんが 同行することに。 かずさんと娘さんが 後を追います。 しみけんさん、
わーさんと 三人で 尾根の分岐に座り 待つこと 25分 4人が 帰って来ました。 ガスが流れてい
ましたが 見晴らしは 良かったのでしょうか? 三鈷峰へ行っても 三角点は ないし・・。 そうそう き
ょう 歩いたコースには 三角点が ありません。
 14:25 尾根の分岐から降ります。 上宝珠越に降り ここから 「砂すべり」へ降りるようです。
OAPさんが 用意された土嚢袋を 脚に付けます。 テープまで用意してもらって 至れり尽くせりです。
が 私が飛び入りで 参加したため OAPさんの分がありません。 申し訳ありません。 分岐から100
mほど 急な岩場を降りると 開けた宝珠谷に出ます。 一歩足を出すと 砂と共に足が ズズッーと滑り
気持ち良く降りられます。 皆さん上手です。 足が何かに引っ掛かり ヘッドスライディングになると・・・。
あっという間に 砂すべりを降りて 岩の転がる転がるガレ場を過ぎた平坦な所で 袋を外しました。



 少し下にケルンがありましたが これも慰霊塔でした。 砂防ダムの土手からは 土道で 歩きやすくな
ります。 「行者コース」と合流したところが 作業用の林道終点。 ここから林の中へ入ります。 登りの
分岐を過ぎると 大神山神社。 ここで 休憩し 一息入れてから降ります。 後ろを歩いていると 大山寺
山門前で みんな食堂に入り・・・。 仕方がない 私もビールを飲みました。 山崎から車で帰るのを す
っかり忘れていました・・。 ここで ちょっとした騒動が ありましたが 省略・・・。



 16:40 車に戻ったのでしょうか? 休憩等含め 往路は 3時間、下山は 2時間40分。
17:00 帰路につきます。 往路と同じ 大山SAから米子道に入ったのでしょうか? 途中
中国道のSAで 休憩し 19:04 山崎に戻りました。 OAPさん 長時間の運転 お疲れさ
までした。 ビールを飲みましたが 無事 帰ることができました。 20:03 帰着。



 きょうは 本当に疲れました。 ふくらはぎが 3、4日 筋肉痛で痛かった。 翌日 目が覚めたら
9時過ぎていました。 歳とともに疲れやすくなりました・・・・・。

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仏像の祈り 3

2011-07-15 21:02:58 | 日記
 7月15日(金)  天気:晴れ 暑い  室温:33.9℃

 きょうは BS8で 『日本人こころの巡礼~仏像の祈り』の放送がありました。 きょうは 薬師寺の薬師三
尊、聖観音 と 法華寺の十一面観音 と 東大寺・戒壇院の四天王像です。 薬師三尊、十一面観音は
さておき 四天王は 私が 仏教の世界を 知るきっかけとなった像です。
 2007年12月の年の瀬の迫るころ 年内に 金城山に登ろうと 西脇へ行きました。 苦労して 金城山へ
登り 下山後 長明寺へ戻ると 頼政像のところで 散歩中の92歳の元住職さんに お会いし いろいろと
お話を聞くことができました。 河原の手前にあった岩で作った四天王は この元住職さんが 造ったそうで
中央の岩が 我々自身で 周りの四天王が 我々の幸せ、安全を守っている・・・。 家に帰り 四天王を調べ
仏教に関心を持つようになったのです。



 薬師寺は 奈良時代の伽藍で 東塔と西塔があり 薬師寺式と言われる伽藍配置だそうです。 東塔
は 六重に見えますが 三重塔だそです。 680年に 天武天皇が 皇后の病気平癒を祈願し 建立。
 本尊の薬師如来は 古来より名仏といわれ 左右にある日光菩薩と 月光菩薩 とともに 薬師三尊と言
われています。 修二会のときには 造花が飾られる?



 薬師寺の聖観音像は 四天王に守られています。 六道の地獄道に堕ちた人を救う観音様です。
額には 白豪があります。 人々を救うとき 漏れのないよう 指の間には 水かきがあります。



 法華寺の十一面観音像は カヤの一木造り。 人々を救うため 左手が膝まで 延びています。
光背は 汚れない象徴のハスの花や蕾、葉でできています。 高さ1mほどの小さい仏像です。



 東大寺・戒壇堂には 四天王像(国宝)が 安置されています。 粘土で作られた四天王は 高さ160~
170cmの像です。 東を守る持国天は 国家安泰の任務を負い 炎の光背は 仏の敵をやっつけるるた
めのもので 邪鬼を踏みつけています。



 南を守る増長天は 法統を生み出します。 槍を手にし 腕には 獅子の顔が 口を開けています。



 西を守る広目天は 仏界の財宝を守り 釈迦の説法を聞きとめるため 手には 筆、巻物を持っています。



 北を守る多聞天は 財宝を生み出す法力を持ち 手には 舎利と宝塔を持っています。



 この後 NHK・BSプレミアムで 「新日本風土記」”宮島・神の島の暮らし”で 平清盛の野望という
番組があり 世界遺産・厳島神社を撮ろうと思っていましたが 残念ながら カメラの電池が切れて・・・。
 対岸の宮島口から宮島を見ると 弥山が 額で 岩峰の駒ヶ林が 鼻で その右が 口で 観音様の横
顔に見えるのだそうです。



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歴史教室2

2011-07-12 12:35:14 | 日記
 7月12日(火) 天気:雨 のち 曇り やや涼しい   室温:28.5℃

 きょうは 久しぶりに 公民館で行われた 『歴史教室』 に 行きました。 本日の講演は 「古代 姫路付近
の寺院」で 講師は 元旭陽小学校・校長の大西 文雄先生で 現在は 姫路古文書研究会。 題目に 姫路
付近 となっているのは 法道仙人開基と伝えられる 法華山・一乗寺(加西市)を 入れるためだそです。
 以前 「道満ツアーin加古川」 のとき 貰った「法道仙人伝承の形成と展開」が 役に立つかと 思ったので
すが・・・。 序盤の仏教伝来などの項に 時間が かかり 終盤は 忙しくなり 詳しい話を聞くことが できませ
んでした。  まだ 行ったことのない寺院を訪れると 暇がつぶしになるでしょうか?
 帰り際 ある人から声を掛けられ・・。 顔は 分かるのですが 名前が・・。 勤めていたころの知人でした。
同じ会社に勤めていた人が もうひとり・・。 10人ほどの参加者のうち 知り合いが 二人もいました・・。

   

 頂いた資料では 本日は 下記の内容です。

 1.はじめに
 2.仏教の伝来
   仏教伝来以前、仏教の伝来、仏教論争、仏像崇拝、仏塔の建立、蘇我氏と物部氏の争い、
   古代寺院の伽藍配置
 3.仏教の広まり
   推古天皇時代の寺院数、持統天皇時代の寺院数
 4.白鳳期の姫路付近の寺院
   見野廃寺、辻井廃寺、多田廃寺、下太田廃寺・・・。
 5.奈良時代の姫路付近の寺院
   南都六宗、国分僧寺の建立(聖武天皇・国分寺造営の詔(みことのり)、姫路の国分僧寺と国分尼寺、
   姫路のその他の寺院
 6.平安時代の姫路及びその付近の寺院
   密教の伝来、書写山圓教寺、その他の寺院、日本仏教の宗派
 7.性空上人と法道上人
   性空上人、法道仙人、法道仙人は 徳道上人か?
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 仏教伝来については 『扶桑略記』に 継体天皇13年(522)に 仏教が 伝来したとあるそうです。 しかし
一般的には 仏教伝来については 宣化天皇の時代(538年)と 『日本書紀』にある欽明天皇13年(552)
の二説が あるそうですから 仏教伝来が 522年になると 歴史が 少し変わることになります・・。

 欽明天皇13年 天皇が 蘇我稲目と物部尾輿・中臣鎌子に 「禮(うやまふ)べしや不や」と宜りたまひき・・。
物部、中臣は 反対したので 天皇は 蘇我に 百済・聖明王から献上された 釈迦仏像、経論(経典)などを渡
すと 蘇我稲目は 家に安置し 向原の家を寺とする。 その後 疫病が流行り 蘇我・物部の争いとなる。
 その後 敏達天皇13年 蘇我馬子 仏像(弥勒の石像)を崇敬、 敏達天皇14年 蘇我馬子 仏塔を建つ。
 
後に 廐戸の皇子(聖徳太子)の活躍もあり 蘇我馬子は 物部守屋を滅ぼし 聖徳太子は 摂津の国に四天
王寺を造る。 これは 四天王寺式 と言われ 南大門、中門、塔(仏舎利塔)、金堂(仏を祭る所)、講堂を
一列に並べ これらを 回廊で囲む配置です。 四天王寺方式は 大陸の寺院様式を取り入れたもので 百済
から大工(現 ㈱ 金剛組?)を 呼んで 建てたそうです。 当時は 五重塔が 寺院の中心で 重要な建物だった
ようです。 当時は 四天王寺のすぐ傍まで 海だったようで 大陸から船で来た人が 五重塔などの 立派な建
物を見て 日本の進んだ文化に驚いたとか・・。
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 仏教の広まり:『日本書紀』によると 推古天皇32年(624)に 寺院には 36ヵ寺、『扶桑略記』によると
持統天皇6年(692)には 凡そ 545ヵ寺あったそうです。

 白鳳期(7世紀後半) 姫路付近にあった寺院は 見野廃寺(四郷町)、辻井廃寺(辻井)、多田廃寺(山田
町)、溝口廃寺(香寺町)、下太田廃寺(勝原区)の5ヵ寺。 今でも 当時の礎石が 残っているそうです。
兵庫県には 摂津(4)、播磨(24)、淡路(1)、丹波(3)、但馬(1)で 計27ヵ寺あったそうです。

 奈良時代になると 聖武天皇が 各国ごとに 僧寺を造ることを奨励した。 姫路では 御着に 播磨国・国分
僧寺(寺域二町四方)が造られ 今は 南西角を線路で 削られていますが 遺構は残っているそうです。
 国分尼寺は 少し北の有馬街道脇の尼ヶ池南にあったそうですが・・・。 当時 播磨には 約20ヵ寺あった
ようです。 上原田廃寺、小川廃寺、市之郷廃寺、白国廃寺、平野廃寺・・・

 平安時代になると 密教が伝来し 真言宗、天台宗のお寺ができます。 天台の三大道場といわれる書写
山圓教寺が 康保三年(966)性空により開山。 播磨六ヵ寺(圓教寺、八葉寺、神積寺、一乗寺、普光寺、
随願寺)のひとつ。 私は 八葉寺と神積寺には まだ 行ったことがありません。

 増位山随願寺は 高麗の僧・恵便により開山。 承和元年(834)仁明天皇の勅命により天台宗に改宗。
戦乱の際 兵火に遭い 景福寺山に移転するが 豊臣秀吉により 天正14年(1586)旧地に再興される。
関係はないと思いますが 随願寺と景福寺山に 亀趺があるのは このため? 両方とも 城主の墓ですが・・。

 天台宗・法華山一乗寺は 白雉元年(650)法道仙人の開基。 承安元年(1171)建立の国宝・三重塔
は 本来 釈迦の舎利を納めるための ものであるが 一乗寺では 伽藍配置の変化に伴い 法華堂の代わり
に 三重塔を建てたもので 五智如来を祀るものとして造られた。 開山堂(宝物館)には 法道仙人立像(桧
材の寄木造)があるそうです。

 日本には 真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗など 13宗56派あるそうですが 割愛。
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 最後に 性空上人と法道仙人についてですが 時間がないので 簡単に説明します。
性空上人を伝える資料としては 『今昔物語』巻12 があり ”書写ノ山ト云所ニ 性空上人ト云フ人有ケリ”
という記述があるそうで 39歳のとき 法華経を暗誦し 康保三年(966)57歳のとき 書写山に庵を結び
これが 圓教寺の始まりとなる。

 法道仙人は 天竺に住んでいたが 雲に乗って 中国、百済を経て 大化のころ 日本にやって来て 法華
山に居住する。 空鉢を飛ばして 托鉢をしたので 空鉢仙人といわれる。 白雉元年(650)法華山一乗寺
を開基。 その後 諸州に 多くの寺院を建てたと 言われていますが 事実として 確認できないものも多く
法道仙人は 架空の人物ではないかと 報道されています。
 法道仙人開基と 言われる寺院は 法華山一乗寺、御嶽山清水寺、有乳山岩屋寺、地元の朝日山大日寺、
五峰山光明寺、鹿野山朝光寺、柳山楊柳寺、如意山周遍寺、喜見山笠形寺・・など 60ヵ寺を越える。

 徳道上人は 播磨出身で 行基と肩を並べる高僧で 長谷寺の開基である。 お寺としては 開基は できる
だけ古く できるだけ 高僧にするという傾向にあり 行基と並ぶ高僧の徳道上人を開基とした?
法道の“法”と 徳道の”徳”の字は 崩し字が 似ているので 写し間違えた という説もあり・・・。
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 午後 雨が上がったので 早速 近くの 「下太田廃寺址」 へ行ってきました。 下太田廃寺址は 京見山
と檀特山の中間 大津茂川流域の肥沃な沖積平野にあり 『はりま歴史の山ハイキング』 の 檀特山の項
で 紹介されています。 こうして見ると この本は いい本です。
 この辺りは 古くから開かれた地域で 古墳時代(4~7世紀)には 瓢塚をはじめ 多数の古墳が築かれ
ました。 『播磨奥風土記』には 昔 韓国から渡来した呉勝(くれのすぐり)らが 住んで 大田の里と名付けら
れたと記されていて 大きなお寺を 建てるには 豪族のようなスポンサーが 必要だったようです。



 当址は 古代寺院跡である塔跡以外の遺構は 不明だが 心礎の形式や 出土古瓦の文様から 寺は
白鳳時代の創立と見られる。 奈良時代の瓦は 布の上に置いて 乾かすため 瓦の裏に布の文様が
付くそうです。 遺構の上に転がっている瓦の破片などを 拾うのは 問題ない?が 土を掘り返したり
すると 遺構の破壊になり ダメ! 今は 草が茂り 瓦の破片を 見付けることはできませんでした・・。


 字名や 多数の礎石・壇についての伝承などから 一町(109m)四方の境内に 大門、五重塔、金堂、
講堂などの伽藍を 配置した大寺院であった と推定されているそうです。
 現存する遺構は 東西約10m、南北7m、高さ60cmの塔基壇だけですが 心礎を中心に 計9個の
礎石が 現位置に遺存してる。 心礎の大きさは 径150cm×170cmで 凝灰岩を用い 中心には
径約33cm、深さ約10cmの柄孔をもっている。 今は 雨水が溜まっています。


 北側には 薬師堂があり 今でも 地元の人に守られているようで お堂の前には 右近の桜と左近の
橘が 植えられています。 手水舎は 基礎だけ残し 屋根はありませんが 手水鉢には 二匹の亀が・・・。
田植えの終わった田園の中 鎮守の森は ひっそりと あります。



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 7月14日(木) 天気も良く 暇だったので 下太田廃寺址へ 瓦の破片を探しに行きました。
な なんと 隅の方に瓦の破片が ごっそり まとめて置いてありました。 瓦の裏には 布の文様が
残っています。



 帰りに 県道わきにある 「史跡・瓢(ひさご)塚」へ寄ってきました。 小さいながら前方後円墳です。
直ぐ傍まで 住宅が迫っているので 前方後円墳の形は 分かり難くなっていますが 手前が 方形で
奥が円形です。 揖保川流域では 最大規模の前方後円墳で 墳丘全長は 104mで 市内では
壇場山古墳に次ぐ大きさです。 最古級の古墳と考えられ 国指定の史跡です。


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