私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

建屋山 たきのややま 856m

2012-04-29 18:39:54 | 山歩き
 4月29日(日)  天気:晴れ+モヤ  室温:27.7℃  地図:但馬竹田、大屋市場、八鹿

 きょうは 養父市と朝来市との境界近くにある 建屋山に登ってきました。 私に残された 二等三角
点の山の一つです。 地図に 山の名は 載っていません。 以前 二等三角点の残りの山のリストを
発表したとき 作畑ガールが お母さんのゆかりの地で 行きたいと言われ・・。 私は 案内するこ
とは できないので やまあそさんに お願いしました。
 きょう 作畑ガールの又従兄妹さんが 地元ということで 特別参加され TQFも参加され 総勢 5
名で 登りました。 きょうは 気温が 30度近くになる 暑い日で 急な登り 急な下りのある難コー
スでしたが 何とか 二等三角点;建屋 を踏むことができ 残るは 福岡、柤岡、奥米地の三点にな
りました。 今年中には 踏破できるかも・・・。 しかし あと 3つ登っても 95点。 100点満点には
なりません。  下の地図は やまそさんから いただきました。


 7:00 出発。 姫路バイパスから 播但道に廻り 7:21 花田ICに入ります。 連休だからか 播
但道は やや 車が多いようです。 7:55 朝来ICを降ります。 花田~朝来は 48.9km。 ETC
カードを 外して 支払いました。 1100円でしたが 休日3割引の筈。 県道70号線を北へ走りま
す。 八代坂トンネルを 抜けると 下り坂で どんどん走れます。 8:14 集合場所の船谷の日枝神
社に 着きました。 朝来ICから 16.9km。 家から 89.6km、1時間14分でした。


 やまあそ&作畑ガールが来て しばらくすると 軽トラで 老人が 通りかかり・・・。 ともみさんの
又従兄妹のK本さんと おじいさんでした。 K本さんが 一緒に 登るそうです。 やや 遅れている
TQFさんが 先に 石ヶ堂古代村へ行くとのことで 我々も やまあそ号で 古代村へ。 従兄妹さん
が 了解を得てくれて 古代村の駐車場に 停めさせて いただきました。
 石ヶ堂古代村は 約1万年前の旧石器時代の遺跡が 近くにあることから 名付けられた? 山
にある洞穴から 奈良~平安の土器が 多く発見され 神域を構成していた・・。 9:20 スタート。


 いきなり 丸太階段のやや急な登りで これは きょうの難コースの序奏に過ぎません・・。 上の
広場に上がり 左寄りに登り 尾根に出ます。 この辺りは 石ヶ堂の巨岩めぐりの遊歩道(石環状
歩道)で 明確な道ですが 岩が風化し ザレて 滑りやすいところもあります。 「兵庫の山々 山
頂の岩石」 の橋元先生は 2003年秋に 洞穴の方から登られ 尾根に出られたようです。


 我々が 大神岩の下で 道を探していると TQFさんは いつの間にか 岩の上に 上がっていま
す。 TQFさんの元気は どこから来るのでしょう。 右から回り込んで 9:53 岩の上に上がりま
した。 ここに きれいな 四等三角点:オオカミ岩 345mがあります。 点名は 狼ではなく 大神
です。 岩の上からは 絶景で 西の稜線の上に見えるのは 御祓山? やまあそさんから 山の
名を いろいろ 教えてもらいましたが 老化現象で 全然 覚えられません。


 TQFさんのページを見ると トップの写真が 大神岩(大テング岩?)からのパノラマ写真に 変
わっていました。 早っ! 下の写真の岩は カガミ岩ではなく ウス岩。 タチツボスミレが 多い。


 小テング岩を過ぎた 絶壁状の斜面には アルミの梯子があります。 やあそさんが 先に登っ
たので 大丈夫そう・・。 写真では 作畑ガールは 静かですが 本当は ギャアギャア 叫んで
いて やまあそさんのアドバイスは まったく 聞こえません・・・。


 大神岩、臼岩、鏡岩、小、中テング岩を見ながら登ります。 南の尾根には 帯締岩もあったよ
うです。 10:33 大テング岩も 右から巻いて 上がりました。 岩の上から絶景ですが 絶壁な
ので 身の危険が 危ないので 岩の上に出るのは 遠慮しておきました。 


 大テング岩の位置は 尾根の684m標高点の西にある 620m等高線の小ピークだと 思う
のですが・・・。 地図には 岩の印がありません。 遊歩道は ここまで。 ここからは はっきり
とした道は ありません。 TQFさんが 先頭を歩いて 偵察し 尾根上は ヤブなので 尾根下の
道のない斜面を歩きます。 橋元先生が ヤブと書いておられるのは この辺り? 登りは 問題
ないのですが この尾根を降りるのは 難しく 橋元先生は 一、二度 迷われたようです・・・。


 11:21 684m標高点に登りました。 やっと 半分 登ったでしょうか。 尾根は しばらく
緩やかです。 岩の露出するやせ尾根もあり 左が絶壁状に切れ落ちた 個所もあります。


 標高700m辺りから 急登が始まります。 等高線10本ほどを カタツムリの歩みで ゆっくり
ゆっくり 登りました。 きょうは 風もなく 気温も高く 猛烈に 暑い! この急な登りで 一人、二人
死人が出ても おかしくない? さいわい 死人は 出ませんでした・・・。


 急登を登ると 山頂手前は なだらかです。 ここから 西下に ふた筋の能座の谷を 見ること
ができます。 ということは 能座の谷に行くと 山頂が見える。 橋元先生は さすがです。
能座から 建屋山を撮っておられました。 TAJIさんの 「兵庫の山めぐり」 を 確認しようと 思い
ますが ページが開きません。 確か 東の藤和から登られた?


 12:12 やっと 建屋山に登頂。 3時間近くかかりました。 とりあえず 92個目の二等三角
点:建屋を ゲット。 地図では 高さは 855.3mですが 基準点閲覧のページでは 855.8mに
なっています。 四捨五入すると 856mで 1m高くなります。
 山頂は ハゲ山で 暑いので 日陰に降りて 昼食。 K本さんは おじいさんに 登頂の報告。


 12:50 北へ降ります。 南の尾根にも 道?がありそう・・。 いきなり 急な下りです。 ここ
からは ほとんど下りなので 歩みは 早い。 少し下った 800m等高線では 東の尾根にも 道
がありそうなので 要注意。 どこだったか 左が開けたところがあり 北に 大徳山が、西の奥
には 氷ノ山が かすんでいます。 大徳山は 近くに見えますが 二等三角点の山です。 


 右が開けたところから 北東方向に 西床尾山が見えた? いつの間にか 雲が出てきて
モヤも出てきて 遠景は かすんできました。 登った尾根にも ありましたが ミツバツツジが
見頃です。 13:17 712m標高点を 通過。 歩きやすい尾根で 歩が進みます。
西に 船谷の集落が見えるところがあり 車を置いた日枝神社も見え K本さんは うれしそ
う・・。 下の日枝神社からも 雑木の疎らな この尾根が見えました。


 13:50 四等三角点:毛坂 620m に降りました。 ここも 切り開かれた ハゲ山です。 三角
点は 2010年11月に設置された 新しいもので コンクリの杭に 丸い金属プレートが 埋め込
まれています。 一休みして 左に方向を変えて 西へ降ります。 急な下りには トラロープがあ
りますが これは 山登り用? このル-トを登る人が いるのでしょうか?


 新緑のいい雰囲気の林です。 左に 建屋山山頂の稜線を 眺めながら下ります。 谷を歩い
ていた やまあそさんが 一輪だけあった ヤマシャクヤクを 見付けますが まだ 蕾でした。
ずんずん 降ります。 下に 400m小ピークが見えるところまで 降りると ピークに 段々畑があ
り 寺跡 と期待していた やまあそさんは 喜びますが 喜びもつかの間 ここは 大昔の桑畑。


 昔は 養蚕が盛んだったそうで・・。 鉄パイプの柵があり いまは 牧場風ですが 桜の木のあ
るササヤブです。 しかし ここは 新緑の景色が広がる 開けた 気持ちのいい場所です。
 問題は ここからの下りです。 急斜を西へ直接 降りるか、北の峠に降りて 今はない地図の
破線の道を探すか・・・。 結局 峠から降りることに・・。 14:36 峠の鞍部に降り 西の谷へ
降ります。 TQFさんが 先頭に立ち 道を探しますが 消滅したようです。 道のない 谷沿いの
急斜面には 倒木もあり 難儀しました。 写真を撮る暇もありません。 ヒルが出てきて ともみ
さんに付き・・。 ヒルも おいしいものが 分かるのでしょうか? が 死人は出ず 全員無事。


 沢の左に渡り 杣道を見付け なんとか降りることが できました。 沢を渡り林道に。 滝が
あり TQFさんが 滝壺を掃除して 混浴風呂を 作りますが・・。 大日如来の石碑を見て 人
面岩を見て 道脇に咲いている草花を見ながら てくてく歩いて 集落へ降りました。


 船谷集落に 社があり りっぱな仏像が 安置してありますが 割愛。 15:58 日枝神社の
車に戻りました。 きょうは 9時から16時まで 約7時間かかりました。
K本さんとは ここで お別れし 4人で 石ヶ堂古代村へ戻り 16:14 古代村で 三人と お別
れし 先に 帰路につきました。 


 県道70号線を戻り 16:29 朝来ICから 播但道に入ります。 車が多く 思うようには走れ
ません。 17:06 花田ICを通過し 姫路バイバスへ廻ります。 途中 太子バリュウへ寄り
買い物をして 17:06 家に帰ってきました。 きょうは 疲れました・・。
 本日の走行距離は 往路:89・6km 古代村まで:3.8km 復路:87.8kmで 計:
181.2kmでした。
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エビネ 野生蘭展

2012-04-28 12:30:02 | 日記
 4月28日(土)  天気:快晴 爽やか   室温:23.9℃

 きょうは 手柄山交流ステーションへ ”エビネ展” (播磨野生蘭愛好会 主催) を 見に行きました。
上の緑の相談所では ”さくらそう展” を していました。 エビネは 可憐な花で ほのかな香りもあり
好きな花です。 以前 但馬のトンガリ山で 初めて見たときは 嬉しくて 感動しました。
 エビネは 全国各地に 分布していますが いずれも 林の中の薄暗い場所に 自生しています。
エビネには 基本種、自然交雑種など いろいろあり 最もよく見かけるのが ジェビネで 北海道から
南西諸島まで 広く分布しています。 種類も多く 栽培の優しいものから 難しいものまであるそうです。




 日本に自生している野生蘭の人気は高く 近年ブームの再来となっています。
それは 人工交配などで 新しい花の出現 その花形の可憐で 美しく 色彩が豊富なこと 渋く
落着いた色から 目のさめるような色まで 色彩変異が楽しめ また 病害虫にも強いため
手軽に育てられるからだと 思われます。  播磨野生蘭愛好会



エビネの基本的な栽培方法として
 鉢:一般的に 丹波鉢が よく使われ 大きさは 5~7号。 元気の良い株は 根が伸びるのが
 早いため 深めの鉢を用いる。
 用土:水はけ、水もち、通気性の良い用土を 用いる。 用土の大きさは 米粒大から アズキ粒大
 植え替え:植え替えは 花が終わった 5月上旬ころから 6月上旬か 9月中旬から 10月上旬。



 置き場所:鉢は 直射日光の当たらない屋根のある なるべく 明るく 適度な風通しのある場所に置く。
 水やり:水は 普通の山野草と同じ要領で 冬の乾燥した風と 水切れは 禁物。
 肥料:エビネは 多肥を好みますが 無肥料でも育ちます。 充実した株にし 花つきを良くするには
 やはり 肥料が必要。 3月初旬に 置き肥、花後に お礼肥と 秋に 置き肥を与える。



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林田まちなかあるき

2012-04-24 17:14:29 | 日記
 4月24日(火)  天気:晴れ   室温:26.6℃

 きょうは 林田・伊勢の歴史文化遺産をめぐる ということで ”林田まちなかあるき” に行ってきました。
この前の ”網干まちなかあるき” の一環です。 網干で 生まれた 「播磨の花神」 河野兄弟の兄・河野鉄
兜(てっとう)は 林田藩の藩校・敬業館の教授に迎えられ 後に 林田村に住み 家塾を開いた・・。
 林田陣屋跡に 鉄兜の碑があり 道林寺には 鉄兜の墓があるそうなので ”林田まちなかあるき” のパ
ンフレット(下の図)を 片手に 歴史の道を ゆっくり散策したいと思います。  が きょうは ゆっくり散策
するには 暑かったぁ・・・。 午後の部は 自転車ですが この暑い中 14000歩も歩いて もう へとへと・・・。
 林田町のイメージキャラクターは 鉄兜先生と ゆたりん姫?

 三木家住宅の北 200mにある駐車場に車を停め 歩いて 三木家、宝塔寺などを見て 北へ歩き
敬業館、陣屋跡、円福寺など見て 車に戻り 車で 鴨池に行き 東へ戻り 林田川の傍にある薬師寺へ
寄り 林田温泉ゆたりんで 昼食。 ここで 自転車(無料)を借り 北の八幡神社、因幡街道、道林寺、
祝田神社をめぐり ゆたりんへ戻り 帰路 南東にある 梛(なぎ)神社と 伝久寺に 寄りました。



 9:44 出発。 太子町を抜け たつの市に入り 永久橋を渡り 右折。 県道435号線を 北上。
真っすぐ 北へ走ると 神岡町を抜け 林田町に入ります。 三木家住宅の北 200mに 無料駐車
場があり 10:17 駐車。 家から 13.2km。 まず 南の旧大庄屋・三木家住宅へ行きます。


 三木家は 英賀城主・三木氏の出自と 伝えられ 羽柴秀吉による播磨侵攻により 英賀城が
落城した際 一族は 各地に逃れた。 三木家は 林田に来て 帰農し 江戸時代を通じて 林田
藩の大庄屋をつとめた。 敷地内に 主屋、長屋門、土蔵、裏門などがあり 周囲は 土塀で囲
まれ 南西には 江戸時代に造られた 池泉回遊式庭園があり 背後の山並を 借景として 楽
しめます。 公開日では ありませんでしたが 掃除中の人がおられ 特別に 建物だけ 見せて
いただきました。 えっ 拝観料300円? 庭園へは 南の御成門から こっそり 入りました。


 三木家の東にある済水寺へ行きます。 臨済宗妙心寺派の龍潜山・済水寺は 盤珪禅師の
開基。 林田藩 大庄屋 三木家の寄付・建立と伝えられ 林田藩主・建部家の菩提寺でもある。
 本堂は 鬼瓦の銘から 宝暦14年(1764)の建築。 山門は 棟札から 天明元年(1781)の
建築だそうです。 南の山門から入ると 奥の深い境内です。 五輪塔は どこに?


 林田川に突き当り 南にある宝塔寺に。 縁起など書かれたものが 何もないので なにも
書けません。 住職さんと奥さん?が 一心に 掃除をされていて きれいな境内でした。
 宝塔寺は お祈りしたところ 病が治ったことから 藩主・建部家の祈願所になった。 網干
の龍門寺と同じく 盤珪禅師の創建? 横にある庫裏は 昔の武家屋敷?


 宝塔寺の前が にれの並木? にれの木を 知らないので・・・。 木の幹は ぐにゃっと 曲が
っています。 NPO法人 新風林田 に 聞きますと 出雲の国からやってきた伊和大神が 播
磨の国造りを行った。そのとき 杖をつくと そこに にれの木が生えた。 杖は にれの木だった?
 三木家住宅の横を歩いて 一旦 車に戻り 一息入れ 北の敬業館へ行きます。
下の地図は 右が 北になっています。


 北へ歩き 県道が右へ曲がる 左角が 姫路市役所 林田出張所兼 林田公民館。 その左が 敬
業館。 敬業館は 寛政六年(1794) 第7代 林田藩主・建部政賢が 創設した林田藩校で 河野
鉄兜は 教授として 迎えられました。 昭和55年に 復元され 現在の敬業館は 当時の講堂です。
 庶民の志願者にも 入学を許可し 士庶共学で 全国的にも 珍しい進歩的な 藩校でした。
「敬業館」の額の字は 松平定信の書 と言われ 敬業の名は 「礼記」から 採ったと思われる。
今は 県下に残る藩校の建物として 唯一の遺構であり 姫路市指定の重要有形文化財です。 


 敬業館と西の中学校の間を 建部神社の大鳥居を潜り 北へ進み 石段を上がると 建部神社。
ここは 聖岡と呼ばれる小高い丘になっていて 通称 御殿山と言われる。 神社 左の石段を上が
ると 東屋があり 下は 梅林で 西には 忠魂碑があります。 何も痕跡は ありませんが この丘
が 林田藩 陣屋跡のようで 室町時代には 窪山城があったそうです。 


 林田藩の藩祖・建部政長は 八歳で 跡を継ぎ 大坂の陣では 尼崎城を固守した。 その功に
より 摂津国川辺郡の所領を与えられ 大名に取り立てられた。 元和三年 播磨国 揖東郡林田
に 一万石で入封し 窪山城の跡を 聖ヶ岡とし 陣屋を構えた。 以来 十代 250年余り 建部
氏が治めた。 建部政長ー正明ー政宇ー政周ー政民ー政教ー政賢ー政醇ー政和ー政世
七代 政賢は 学業を好み 敬業館を創設。 9代 政和は 敬業館の振興のため 鉄兜を迎えた。
当時 鉄兜は 網干に住んでいたため 藩は 駕籠で 鉄兜を 送迎したそうです。


 陣屋跡を 石垣に沿って降りると 河野鉄兜先生の碑があります。 後方は 保育園です。
鉄兜は 文政八年 揖東郡網干垣内村に 生まれた。 鉄兜は 号で 字は 絢夫。 五歳で 父
の素読を受け 十一歳で 頼山陽の詩、百余篇を暗誦して 神童と言われた。 14歳のとき 父
と死別、その生計は 苦しかった。 丸亀藩儒官・吉田其渕や 姫路藩藩校・仁寿山学に 学ん
だが 多くは 独学であった・・。 鉄兜の生きた時代は ペリーが 来航する幕末で 開港と攘
夷の与論が渦巻く 激動の時代だったのです。 安政の大獄、池田屋事件、蛤御門の変・・・
 鉄兜に関しては 「播州の花神」に詳しく 面白い話も多く ありますが 割愛・・。 


 マップを見ると 西に 円福寺があるので 行きました。 立派なお寺ですが・・・。
むかしは 聖岡にあったが 林田藩の陣屋を建てる際 現在地に降ろされた?



 聖岡に引き返し マップにある 「塩阜(しおおか)神水」 へ行きます。やや分かり難いところに
あります。 聖岡の東 小さい公園の傍にあります。 塩阜神水は 「播磨国風土記」 に記載があ
り 海から 3里(約12km) 離れているが 3丈(9センチ)ばかりの湧水(塩水?)が 海水と同じ
満ち引きをすると伝えられている。 2m角ほどの玉垣に 囲まれた水溜りです。 神水の碑の側
には 旧龍野藩・藩主 脇坂安之氏の歌碑があります。 とこしえの・・・


 新町橋から 菜の花の咲く景色を眺め 川沿いを歩いて 12:16 車に戻り 西池に行きます。
西池(鴨池)は 初代林田藩主・建部政長が 水利に苦しむ領民のために 水路とともに 築いた。
景色も 美しく ”林田八景” の一つとして 数えられ 当時は 建部氏の別荘もあった。 このとき
西池を禁猟(漁)区にして 鴨に餌を与え 保護したことから 地元では 鴨池の名前で 親しまれている。 


 鴨池から引き返し 新町橋の東にある薬師寺に行きます。 薬師寺は 寛文11年に 僧澄元が
開基した。 寺内には 京都の池田屋事件で 倒れた大高又次郎をはじめ 旧藩士の墓が多い。
また 安山岩・自然石の 松尾芭蕉の句碑がある。 句碑は 苔生していて 字が読めません。
薬師寺は 本堂の前に 無造作にパイプ椅子が 置かれ ゴミも散乱し 墓石も倒れかけ・・。


 12:45 車で ”ゆたりん”へ行き 昼食。 温泉に入ろうかと 思いましたが まだ 午後
の部が 残っています。 ゆたりんで 自転車を借り 午後の部に 出発。 八幡神社へ向かい
ます。 適当に 走っていると 教覚寺に突き当り ちょっと 寄ってみました。


 八幡神社は 山城国 石清水八幡宮から 当地 鈴が峯の山麓に 分霊を勧請。 源頼朝、赤松円
心、新田義貞、羽柴秀吉、池田輝政 らの武将の崇敬も 伝えられています。
また 八幡神社は 江戸時代には 藩主建部氏が 産土神・祈願所として 崇拝し 絵馬や石燈籠
など 藩主ゆかりの遺品も多い。 本殿の彫り物も素晴らしい。
 本殿に 林田八景が 描かれた絵が あるらしいのですが・・・。 林田八景は 分かりませんでした。



 南の八幡橋を渡ると 「素麺濫觴(らんしょう)之碑」 があります。 江戸時代末期に 揖保郡で
素麺業が起こり 林田町でも 冬の現金収入として 盛んになった。 この碑は 明治20年に 揖東・
揖西 両郡の素麺製造組合をつくり 良質の麺を製造して 販路を広げていった過程と 素麺業
に 功績のあった澤野利正を 讃えたものである。 横にあるのは 八幡宮の石燈籠。


 ここを 南へ下ると 因幡街道に出ます。 姫路から山崎に通じる宿駅として 栄えた林田街道
の雰囲気を残しています。 街道には 長谷川家、山本家、常城家などの 古民家が 並んでいま
す。 民家の間には 八幡神社の大鳥居もあります。 八幡神社から 1kmほど あるでしょうか?
八幡神社の境内は 相当広かったようです。 少し南には ヤエガキ酒造の酒蔵があります。


 国道29号線を渡ると 妙善寺。 詳しいことは 分かりません。 本殿の前に 車を停める
のは 理解できません。 近くにある稲荷神社へも 寄りました。


 西にある道林寺へ向かいます。 山裾の傾斜地にあり 自転車を 押して 上がりました。
月輪山・道林寺は 享保年間 順正の開基です。 三方を山に囲まれた 閑静な所にあり 林田
八景の一つと言われています。 ここに 鉄兜の墓があるということで 見に来たのですが・・。
右奥に墓地があり 多くの墓が並んでいますが いくら探しても 見つかりません。 後で 尋ね
ると 石燈籠を右? 墓は 神岡町に移され 今は 「丈崇先生之碑」 と刻まれた 小さい墓碑が
あるのだそうです。 墓を見るのが きょうの目的の一つだったので 残念です・・。
 鉄兜の家計は 苦しく 道林寺に 再三 米、貨を借りて その場を しのいでいたようです。 当時
の住職と親しかったようで そのような縁もあり 慶応三年 43歳で没し ここに 葬られたよう
です。(後に 改葬) 晩年 鉄兜は 兄を失い 弟は 行へ知れず(出石で捕らわれの身) 病気
は ますます重く 天下の名医・緒方洪庵にも 診察を受けたが・・。 多くの著述も 未だ 成らず・・。


 南にある祝田(はふりだ)神社へ行きました。 祝田神社は 延喜式に その名が見え 「式
内社」と呼ばれた 古い歴史を持つ神社です。 寛治7年 林田が 京都の上賀茂神社の荘園と
なったとき 貴船神社の御神体を迎え 祀ったので 貴船神社 と 呼ばれるようになった。
 明治23年 社殿を 再建したとき 祝田神社と 改称した。
祝田の はふりだ が 転化し 林田 と言われるようになった・・。 また 祭神 貴船神にちな
んで 背後の山を 貴船山と呼ぶようになった。 神門に 白いロバが いるのは なぜ? 


 一応 予定のところは 見たので 15:25 ”ゆたりん” へ戻り 自転車を 返却しました。
予定時間を 大分 過ぎてしまいました。 もう すっかり 疲れてしまって 温泉に 入る気にも
なーれない わたしー♪♪ 温泉は止めて 帰路につきます。 まだ 行くところが残ってます。
 東へ廻り 南へ下ると 国道29号線に出る手前に 梛(なぎ)神社があります。
ここに 備前焼の狛犬が いるそうなので 是非 見ないと・・。


 どこが境界なのか 分かりませんが 西は 林田藩ですが 東の伊勢は 龍野藩だそうです。
梛神社(村社) 祭神:天照大神
 垂仁天皇26年に 天から12の幡が降り その地に石碑を建てた。 その一つが 八町四方
 に繁茂する梛の大木に掛かり 天照大神が 現われたと言われている。 梛の根元には 県主
 葦原飯照が居住していた。 飯照18代目 飯粒が 良田40町を 安閑天皇に献じ 勅を奉じ
 石碑の地に 天神七代地神五を祀る。
 このとき 梛の大木を切り倒した跡に 天照大神を祀り 梛神社と名付けられた。


 伝久寺は 細い路地を入った 民家に囲まれた 分かり難い場所にあります。 が その割りに
びっくりするような 立派なお寺でした。 というのも 平成22年に 完成したばかり・・。
 伝久寺は 大永二年 安芸の国の 毛利元就が 播磨に来て 真宗に帰依し 道順と号し 永禄
元年 当地に 寺を建立したのが 当寺の開基と 言われています。
 播磨の国は 中国地方と接しており 中国地方の盟主・毛利氏との誼を 望む風潮が 播磨地方
には あったものと思われます。 とありますが 毛利氏が 播磨に 寺を造るとは・・・。


 伝久寺を後にし 帰路につきます。 国道9号線を南に走り 石倉で右折して 県道420号線に
入ります。 西へ走り 丸山で 左折して 県道423号線を南へ走り 16:43 家に帰って来ました。
きょうは 疲れました。 翌朝9時過ぎまで 泥のように 眠りました。
 本日の走行距離は 往路:三木家まで 13.2km、鴨池まで:1.3km、薬師寺まで:1.4km、
ゆたりんまで:1.8km、梛神社まで:4.7km 復路:14.1kmで 計:36.5km。
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ちょこっと檀特山へ

2012-04-23 12:23:21 | 日記
 4月23日(月) 天気:晴れ  室温:23.0℃  地図:網干(北東部)

 きょうも いい天気で 暇です。 民家の庭先に 咲いている花を見ながら 散歩ついでに 檀特山に
登ってきました。 日が照り 165mの山に登るだけで 汗をかきました。 往復7000歩ほどでした。
 朝日山の麓を 東へ廻り 下太田登山口へ行きます。 山頂から南へ延びる尾根の東麓に登山口が
あります。 階段を上がり 尾根に出て 北へ登ると 15分ほどで 頂上へ登れます。 







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山野草展示会

2012-04-21 12:46:39 | 日記
 4月21日(土)  天気:晴れ  室温:24.0℃

 きのうの新聞に ニューサンピア姫路ゆめさきで 「蘭と山野草展示会」 とありました。 暇なので 行
って来ました。 山野草や 花の愛好家らの 「雪彦山草会」 のメンバ-が 育てるなどした 約50点、即
売もとありますが・・。 これには がっかりしました。 ロビーの一角に 三つの机があり 山野草が
展示してありますが ほとんどの鉢に 値札が付けられ 仲間同士の即売会でした。 花が咲いて 見
頃のものは ほとんどなく・・。 見に来た女性が 蘭の展示は? と 聞いていました・・。(汗;)


 新聞の同じ欄に載っていた 「第20回千姫ぼたん祭り」 の ”ぼたん” は まだ ほとんど 咲いていな
いようです。 また 後日・・。 8:35 出発。 夢前橋を渡り 左折して 北へ走り 書写へ出て 県道
67号線を北上。 置本の信号で 左折して 坂道を登ると サンピアです。 9:09 着。



 山野草展が 面白くなかったので ヤケ風呂に。 パンフレットには 日頃のストレスや 疲れを発散
し 心身ともにリフレッシュができ 健康に美容に 優れた効能を発揮する、当施設自慢の天然温泉
です とありますが 風呂場に掲示してある 置塩温泉の説明文によると 湧出する湯(pH9)の温度
が低く 21度ほどで 湧出量も少ないため 水を加え 加熱して 塩素で 消毒しているそうです。
料金600円のもとは とれるのでしょうか?



本日の走行距離は 往路:17.9km 復路:寄り道をして 19.7kmで 計:37.6km。


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