私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

多田銀銅山

2011-01-29 20:34:05 | 日記
 1月29日(土) 天気:晴れ・曇り    地図:武田尾

 きょう 銀山城山に登り 降りてから 多田銀山周辺を散策しました。 例によって 紙面の都合上 別ペ
ージにさせていただきます。
「悠久の館」でもらったパンフレットによると
 多田銀銅山は 北摂地域にわたり鉱区が広がる鉱山です。 その歴史は古く 奈良時代の東大寺大仏
 建立の際に 多田銀銅山で採掘された銅が使用されたと伝えられています。
 猪名川町域では 銀山地区を中心に栄え 豊臣政権時には 直轄鉱山となり 「台所間歩」や「瓢箪間
 歩」 など 秀吉ゆかりの間歩(まぶ)(坑道)が残り 盛山の様子がうかがえます。
 江戸時代には 代官所が設置され 幕府直轄地となり 「銀山三千軒」と言われるほどの賑わいをみせ
 我が国の鉱山史の一端を担いました。 ・・・・とあります。

 パンフレットのマップを見ると ①~⑫の見所があるようです。 ⑪の村上新田は パスして 残る11ヵ所
を観て回りました。 城山から降りて 林道を戻り ソエ谷分岐に戻り 北の廃坑へ向かいます。 道標の
ある分岐を左へ曲がると 少し先にスペースがあり ここに車を停めると 目の前が ④の大露頭でした。


 ④大露頭は 通常 地中を走る鉱脈が 大きく地上に露出している珍しい自然の産物です。 鉱脈と
は 鉱物を多く含む岩石が 帯状に走ったもの。 マップを見て 大露頭の前の道を上がると ⑤の日
本鉱業多田鉱業所跡かと思いましたが ここには資材置き場があるだけでした。
 大露頭のすぐ先が ②の台所間歩でした。 ②の台所間歩は 大阪城の台所(財政)を潤すほどの
銀や銅の産出量があったことから その名がついたと言われる間歩。 間歩とは 鉱山の坑道のこと
です。 標識の奥に 坑道がありますが 落盤の恐れがあるため 立入禁止。 真っ暗なので 入りた
くもありません。 鉱山には 秀吉の多額な埋蔵金が 眠っている と言われているそうなので もしかし
て 埋蔵金盗掘を防ぐため 立入禁止にしているのでは・・・。


 台所間歩から 北へ100mほど歩き ①の瓢箪間歩へ。 瓢箪間歩は 豊臣秀吉が 自らの馬印
を掲げることを 許したと言われるほどの 銀や銅の産出量があったといわれる間歩で 原丹波らに
千成瓢箪が 与えられた。 秀吉は ここに 馬に乗ったまま 入ったとか。 ここも 坑道に入ることは
できません。 瓢箪間歩は 永禄~天正年代(~1590)にかけて 全盛をきわめたそうで 江戸時
代 良質な鉱脈の発見により 再び 盛山期(第二次)を迎え 多田銀銅山では 最盛期の1664年に
は 銀が 5625kg、銅が 453トン 産出したそうです。


 銀山川のほとりに 「久徳寺跡、山中鹿之助一族の墓」 の道標があります。 対岸のようですが 橋
がないので 渡ることができません。 しかし なぜ 鹿之介一族の墓が ここに? 山中鹿之介は 主
君・尼子氏の再興を願いつつ 毛利軍と戦い 毛利の大軍に囲まれ 上月城で投降し 備中松山城へ
護送される途中 高梁川で斬殺された・・。 鹿之介の弟は 城主として鉱山を監視した? 弟は 後に
財閥・鴻池を興した?    それにしても 鹿之助の すけ は 介 なのか 助 なのか?
調べると やはり 鹿之介 が正しいようで 講談で 誤って表記され それが 広まったようです。

 車で南へ戻り 川の路肩に停め ⑧の金山彦神社へお参りします。 大同二年(807)建立。 天禄
二年 源満仲により 修理された。 鉱山の神様で 祭神は 筒男三神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)。
 階段を上がり 山門を潜り 本殿にお参りしました。 ここの狛犬も かなり古そう。 ここから 青木
間歩の方へ行けたようですが・・。 階段の所から 先ほど登った城山の頂を 見ることが出来ます。


 いったん道路に降りて 川の上流側へ戻り 小さい橋を渡り 砂利道を100mほど北へ歩き ③
の青木間歩へ行きました。 青木間歩は 周囲に薬用植物として利用されるアオキが 繁茂してい
たことから その名が付いたそうです。 昔 ノミやタガネを使って 掘った手掘りの露天掘りと 削岩
機などの機械を使って 採掘した坑道があります。 ここは 中へ入れます。 50mほど入ってみまし
たが・・。 特に 見るものはありませんでした。 外へ出て 左へ廻ると 手掘り跡があります。


 車に戻り 南へ下ります。 途中に 停める場所がなかったので 悠々の館の手前のスペースに
車を停めました。 ここに 城山へご一緒した測量隊が 戻っていました。 今度は 歩いて行きます。
銀山橋を渡ると 左が ⑩の高札場跡です。 高札場は 法度・掟書・犯罪人の罪状などを 板札に
書き 人々に 広く周知させるための掲示板のようなもの。 今は 石塔があるだけです。



 ここから 川沿い進むと ⑥の代官所跡。 今はなにもなく 広場になっています。 残された
絵図から 代官所があったと言われ 発掘調査の結果 建物跡や畑跡 階段跡などが 見つか
り 当時の代官所の様子が 分かったそうです。 川向うの悠久の館の裏庭から見ると 石垣を
見ることができます。



 道路脇に 甘露寺入口の表示があったので 坂道の登り ⑦の甘露寺へ行きました。 が これ
には がっかり。 平屋の民家のような建物がるだけ。 裏は 墓地で 六地蔵もあります。 浄土宗
大雲山甘露寺は 敏達天皇の頃(6世紀)の開基と伝えられ 本尊は 阿弥陀如来像、観世音菩薩
像、大師像。 ここも 見るものもは ありません。



 道路を北へ歩き ⑨の代官所の門(伝承)へ行きます。 道路脇の民家も 空き家が多いのか
町は寂れています。 代官所の門は 以前 代官所にあった門を 移築して保存しているもので
す。 実際の中門は 馬上のまま出入りできるよう 高い門でしたが 足元を切り取り 現在の高
さにしたそうです。
 さらに北へ歩くと 左のソエ谷峠への分岐の手前 川向うの斜面が ⑫の平炉跡でした。 ここも
橋がないので 対岸には渡れません。 何もなさそうです・・。 これで ①から⑫まで ”みどころ”
は 全部見たかな? ⑤の多田鉱業所跡は 見ることができませんでしたが・・。



 引き返し 手前に停めた車を 悠久の館の駐車場へ停め直し 悠久の館へ。 昼食が まだ な
ので うどんかラーメンでも と思いましたが 食堂はありません。 入口で パンフレットをもらい
館内に入りますが 館内は 撮影禁止。 絵図や道具類が 展示してあります。 机の上に置いて
ある本を ぱらぱらっとめくると 「銀山城落城悲話」 が 目につき 城山の歴史が知りたかった私
には 大変役に立ちました。 むさぼるように読む暇はないので ページを撮りました。 館内は
撮影禁止? 外で・・・。


 車で 弁当を食べていると 隣の車のご婦人が戻ってきて びっくりしていましたが・・。 車で
弁当は おかしい? 13:52 帰路につきます。 県道12号線に出て 左折。 紫合の信号で
左折し 少し北にある東光寺と屏風岩に寄りたかったのですが 後ろから 車が どんどん来るの
で 車が 停められません。 道の駅手前で 左折して 県道66号線を 9.9km 西へ走り 14:21
志手原小学校の信号で左折。 県道37号線を南へ下り 三輪で 国道176号線に入り 三田
の街を抜けると 道が広くなり 走りやすくなります。



 14:43 西宮北ICから 中国道に入り すぐ先で 左にそれ 山陽道に入り 西へひた走り 姫
路東ICで 降りて 播但連絡道に廻り 15:16 花田ICを抜け 姫路バイパスに出て 15:42 家
に帰ってきました。 帰りは 2時間足らず。
本日の走行距離は 往路:一の谷池まで 117.9km 悠久の館まで 4.0km 復路:111.7km
で 計:233.6kmでした。 きょうは いろいろと いい勉強になりました。
 。。。。。。  。。。  。。。  。。。  。。。  。。。  。。。。。。
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猪名川町の城山 405m

2011-01-29 16:01:38 | 山歩き
 1月29日(土)   天気:晴れ ときどき 曇り+モヤ     地図:武田尾(北東部)

 きょうは 北摂・猪名川町の城山に登ってきました。 二等三角点:広根 です。 山の名は 銀山・城山
の方が 分かりやすいでしょうか? 昭和48年に 廃坑となった 多田銀山のあったところです。 山から降
りて ついでに 多田銀山の銀山地区を 散策してきました。 お天気は 思ったより いい天気で 暖かく
いい日溜まりハイクが できました。 
 これで 二等三角点を巡る旅も 一応 北摂地区は 終了しました。 都市部の 西宮(打出)、伊丹(塚口)、
和田岬、尼崎は 残りますが・・。 これで 今年3個目、トータル69個目です。
 城山 というからには 昔は 山城があったはずですが 事前調査では 情報を得ることは 出来ませんで
したが・・・。
 7:50 出発。 今朝も フロントガラスには 霜がびっしり。 姫路バイパスから 播但道に廻り 8:19
花田ICに入り 姫路東ICで 山陽道に廻ります。 山陽道を走り 神戸Jctで 中国道に入り すぐ先の西
宮北ICで降ります。 花田~西宮北IC間は 57.6km、900円。 左折して 国道176号線に入り 北へ
向かいます。 三田市街の三輪の信号で 右折して 県道37号線に乗り 北へ。

 9:14 有馬富士公園入口の信号で 右折。 県道68号線で 東へ向かいます。 以前 羽束山や 布見
ヶ岳に登るとき 来たことはあるのですが なにも覚えていません。 県道12号線に突き当り 右折。 ここ
までは 間違いなく順調に 走りましたが 紫合で 右折する所を 直進してしまい 役場の南から 銀山口へ
出ました。 ここから 道は細くなります。 「悠久の館」に出ましたが 帰りに寄ることにして 先へ進みま
す。 ソエ谷峠の道標のある分岐で左折。 直進すると 扉があり 通行止め。 一瞬 えっ・・。 角の家に
おやじさんが居たので尋ねると 右折して行ける! 地図を見たら分かるやろっ(汗;) 右折する路地が
細くて 見えませんでした・・。

 右折して 細い林道を進みます。 その先で また ミスって 林道分岐を 左へ進み・・。 気付いても U
ターンできる場所がありません。 北のゴルフ場の所から 引き返します。 林道を西へ進み 一の谷池
脇を通り 池の西の広場に車を停めました。 やまあそさんに 資材倉庫の裏から登ると ありますが 車
を停める所がありません。 ソエ谷分岐から 3.8kmも走りました。 帰りは 1.9kmでした。
 10:23 駐車。 家から 117.9km。 2時間半かかりました。 10:27 スタート。

 登山口が 分かりません。 沢を越え 道を探していると 下で 人の声が聞こえ 誰か来たようです。 道
はなかったので 引き返し その人たちの所へ行くと 山へ登るそうで 一緒に登らせて もらうことにしま
した。 よく見ると ここに 巡視路の表示があります。 これがあれば 独りで 登れたのに・・。 この人た
ちは 富山県から来た測量隊で 三脚などの測量具を持っています。 車には JOHCHI とありました
が 国土地理院の関係者では ないそうです。 山から降りても 道路を うろうろしていましたが・・。

 山道を 50mほど行くと 巡視路分岐があり 左の沢へ降りて 山へ取り付きます。 いきなりの急
登で 脚がずるずる滑りそう・・。 測量隊は 長靴で 難なく?登っていきます。 しばらく 木を掴ん
で 喘ぎながら登り 傾斜が緩むと 巡視路分岐の表示が あります。 が 測量隊は直進します。 仕方
ない 左の鉄塔は 帰りに行きましょう。 シダが青々と 茂っていますが なだらかで 歩きやすい落葉
の道です。

 写真を撮ったり 景色を見たりして 測量隊に 少し遅れて 10:52 鉄塔33に出ました。 測量
隊は 少し休んで 先へ進みます。 仕方ない ここの写真も 帰りに・・。 山頂の手前は また 急な
登りになります。 少し遅れて 山頂に着くと 早くも 三脚を立てて 測量準備中。 11:02 登頂。
とりあえず 二等三角点:広根 を撮りました。  

 雑木に囲まれた狭い平坦地の山頂で 準備をしているので 邪魔にならないよう 周辺を廻りまし
た。 山頂の一段下も 平坦地になっているようで 段差の箇所には 崩れた石積みのようなものも
あり 石垣跡かも? 下の平坦地の土を盛り上げて 山頂の平坦地を造ったようにも感じられました
が・・。 山頂から 北と東に 道があると思い 探しましたが 道は 見当たりません。
 測量隊は 三脚の上の器具から細いワイヤーを三方に伸ばし・・。 三脚上に伸ばした丸いものは
GPS用のアンテナ? 準備に時間がかかりそうなので 挨拶して 11:12 先に下山します。

 雑木に囲まれ 降りる道は・・。 道は 巡視路で はっきりしているので どんどん降りられます。
11:21 南大浜線33の鉄塔に 降りました。 少し上から 右の雑木越しに見えた山は 大船山?

 鉄塔から巡視路を すこし南へ歩くと 南に 鉄塔34が見え 西の山並も見えます。 古宝山は?
古宝山には まだ 登っていないので 一度登って 山頂にある祠の黄帝?の像を 盗らなくては・・。
さがらなおみ に似ているって 本当? 下の写真の左奥に覗いている山が 古宝山でしょうか?
 少し右の稜線には 丸い山が 頭を出していましたが 羽束山でしょうか?

 下の巡視路・分岐に降りて 右の鉄塔32へ行きます。 分岐から 鉄塔は直ぐでした。 11:33 鉄
塔32に降りました。 ここは 東が見晴らせ 猪名川の街が見えます。 右には 城山の山頂や鉄塔
33が見え 左には 送電線の先に鉄塔31も見えます。 ここへ来た甲斐がありました。 地図には
北東へ降りる破線の道が 描いてありますが 道は あったのでしょうか?

 巡視路分岐に戻り 右へ降ります。 雲が出て 薄暗くなったり 陽が差して 明るくなったり・・。
陽が差すと 巡視路は いい雰囲気の雑木道です。 最後の激下りも 慎重に降り 沢を渡り
11:52 車に戻りました。 戻るとき 気付いたのですが 一の谷池の西端に しめ縄が張って
ありましたが なにか 祭られているのでしょうか? 11:55 車を出し 林道を戻ります。
・・・・・・・・ つづきは 多田銀銅山のページを 見てください ・・・・・・・・・・・

 では 最後に 銀山城にまつわる ”歴史秘話ヒストリア” を

 城山から降りて 銀山地区を散策し 最後に 「悠久の館」 に寄り 館内を見学(無料)しました。
 猪名川町の歴史が 書かれた本があり パラパラっとめくると 「銀山城悲話」 がありました。

 ここ銀山が 多田源氏の所領として 出城を築き 八代にわたって銀・銅の出産を守護していたの
 であろう とあるので 銀山城は 銀山砦とか金懸城と言われるそうですが 多田地を本拠とした
 ”源氏の祖” と言われる 清和源氏・源(多田)満仲(912~997)の頃に 築かれたのでしょう。
 しかるに 治承元年(1177)鹿ヶ谷事件により 城主・源(多田)行綱は 安芸国に流され 多田庄
 の城・陣屋は破壊された。 勿論 銀山城も 例外では なかったようで 廃絶となった。
 源行綱は 摂津源氏の流れをくむ 多田源氏の源満仲から数え 八代目に当たるそうです。 

 源満仲は 住吉神社に願をかけ 北西方に矢を射て 矢を問いながら 矢を追い 川西に 「矢問」
 という地名が生まれたそうで 川の中に 大きな龍が白い矢を受け 死んでいた。 それで 満仲が
 多田地に住み着くことになり 多田源氏が生まれた。
 
 源満仲は 武士の原型とか やくざの原型とか言われるそうですが 満仲の長男・頼光は 大江山の
 酒呑童子退治で 有名で 次男・頼親は 大和源氏の祖といわれ 三男・頼信は 河内源氏の祖と言
 われるそうで この頃 源氏が各地に広まった。 頼信は 源氏正統の棟梁となり 家系には 四代
 目に 鎌倉幕府の源頼朝や 源義経がいます。 また 西脇の長明寺にある ヌエ退治の像の源頼政
 もいます。 行綱は 頼政の従兄で 頼政は 平家の横暴に腹を立て 戦いを挑み 戦いに敗れ 平
 等院で没した? なぜ 長明寺に 像やお墓があるのでしょう?
 いやぁー 歴史って 本当に 面白いですねえ・・・。 今回の城山は 私には いい勉強になりました。
  ・・・・・・・・  ・・  ・・  ・・  ・・   ・・  ・・・・・・・
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稚子ヶ墓山 ちごがはかやま 596m

2011-01-22 16:33:56 | 山歩き
 1月22日(土)  天気:晴れ やや雲あり   地図:有馬(西部)

 きょう 大蔵山に登ったついでに 神戸市北区山田町にある 稚子ヶ墓山 に登ってきました。 山の名は
ちごがはかやま と思うのですが・・。 地図にある山名 ちご は 稚児でなく 稚子なのは 何故でしょう?
三等三角点の点名は 稚児ヶ墓 です。
 この前 わーさんが 登っておられ 頭にはありました。 大蔵山からの帰り道を考えると 県道38号線を
戻るより 国道428号線で 南の箕谷ランプへ出る方が 便利が良さそうです。 ならば 国道428号線の
脇にある 稚子ヶ墓山には 簡単に登れそう・・。

 このページは 前の大蔵山からの続きです。 大蔵山から降りて 車で 深谷の交差点に戻り 県道38
号線を 西へ 10.1km戻り 淡河本町の信号で 左折して 国道428号線に乗ります。 国道を 5.1km
南へと 踏んでいましたが ちょうど 5kmで 双坂(ふたさか)池の手前に来ました。


 すこし手前の環境センターの前から 右前方に 丸い山が見えていましたが 撮って 調べると 帝釈
山でした。 国道脇の三角スペースに 車が3台停めてあり これ幸いと 横に 停めさせてもらいました。
11:30 駐車。 六甲八多霊園から 16.4km走りました。 走っていて 気付いたのですが 燃料計
の針が 真横のレベル(半分)になっているのに まだ 400kmしか 走っていないのです。
今回は 燃費が 超悪くなりそう・・。 リッター14kmほど? 好調時には 550km以上走りますが・・。


 11:38 スタート。 破線の道 ”太陽と緑の道” を 双坂池に向かいます。 池の傍を進み 11:44 登山
口に出ました。 道標が 何枚かあり すぐ分かりました。 帰りに ここで 神戸市の職員?に バッタリ。
その人が 言われるには ここ 登山口から南西への破線の道は ”太陽と緑の道” ではない。 道標に ガ
ムテープを 貼っていました。 まぁ 休日に わざわざ ご丁寧に・・。
 落葉の山道に 入ります。 谷あいの道で 雲が出てきて 陽が陰り やや 薄暗くなりました。


 初めは なだらかな落葉の 広い 歩きやすい道でしたが 徐々に 岩が現れ ガレガレの歩き難い
道になり 捻挫しないよう 慎重に 足場を選び 歩を進めます。 この道は 丹生山系の縦走路なの
で 至る所に 道標があります。 こんなに 必要ないのに・・。
 ガレ場を 抜けると いい道になり なだらかに進みます。 右にカーブして 550m小ピークの東を
抜ける所は 左足下がりの急斜面の細い道で 滑ると大変です。 これを クリアすると なだらかにな
り 12:06 道標のある分岐に。 右に道が ありますが・・。 南西に降りる破線の道は 荒れている
ので さっきの神戸市の職員?が 道標を 外したそうです。 ここは 何も考えず 直進します。


 ここから やや急な登りになります。 トラロープもあります。 登るときは それほど とは思いませ
んでしたが 降りるときは 急斜で 滑らないようロープを 掴んで降りました。 傾斜が緩んだ所に
稚子ヶ墓山・山頂がありました。 12:15 登頂。 なだらかな尾根道で ピーク感は ありません。
 三等三角点:稚児ヶ墓 は 尾根道の左横にあります。 雑木に囲まれ 展望は 全く ありません。
こんな所で 測量できたのでしょうか? 今は 黄チップが 埋め込まれているので GPS測量できる
でしょうが・・。 登山口から ここまで 全く 展望が ありませんでした。 この先に 唯一の展望地が
あるらしい?ので 行きましょう。


 三角点から なだらかな尾根道を 200m?ほど進むと 稚児の墓 でした。 ここに 近くから来た
というご夫婦がいました。 しばらく この夫婦と お話しながら 写真を 撮りました。 南から西にかけ
て大展望ですが 白いベールのような モヤに覆われています。 左に見える鉄塔の山が 菊水山だ
そうです。 正面に明石大橋が 見えるそうですが 目の悪い私には さっぱり・・。 西には 丹生山の
左斜面の奥に 雄・雌岡山が かすんでいます。 まあ 景色が見えたので 良しとしましょう。



 稚児の墓は 秀吉が 三木城の別所長治を 攻めたとき 別所側に付いた丹生山・明要寺は 容
赦なく 焼き払われ このとき 多くの幼子も犠牲になり 周辺の人々は これを憐れみ この山に
墓を作って 弔ったという。 これが 稚子ヶ墓山 の名の由来とか・・。
 山と渓谷社の 『兵庫県の山』 48番の丹生山の項に 丹生・帝釈山系の縦走コースとして 東か
ら 金剛童子山、花折山、稚子ヶ墓山、帝釈山、丹生山の15kmが 紹介されています。
 ご夫婦は 昼食を済ませ 縦走路を 東へ降りて行きました。 12:34 私も 西へ降ります。



 来た道を 戻ります。 急な下りを ロープを掴んで滑らないよう・・、斜面の細い道は 滑らない
よう・・、ガレた岩場は 捻挫しないよう 慎重に足場を選び・・。 登山口に降りると 神戸市の
職員の親子三人がいました。 「太陽と緑の道」の道標を 整備しているようです。 この親子の
後ろに付いて歩き 13:06 車に戻りました。 親子は 挨拶をして 車で去っていきました。
 「太陽と緑の道」は どこから どこまでを 言うのでしょう? ネットで 検索すると やまあそさん
の 2002.9 の ”黒甲越周回” のMTBレポがあり 六甲山系を中心にして 広範囲に延びて
いるそうです。 M井さんのページにあった 車の異臭とは なんですか? 大日如来供養塔は?
 本日の第二部の行程は 11:38~13:06 で 1時間半ほどでした。



 車で弁当を食べ 13:29 帰路につきます。 国道428号線を南へ下り 原野南の信号から
後ろを振り返ると 稚子ヶ墓山の山並が すっきり見渡せます。 国道を左折して 東へ向かうと
右側が いい景色なのですが 車が停められません・・。 山並の写真を 撮ることが できません
でした。 13:42 箕谷ランプから 北神戸線に入りますが 一つ手前の信号で 左折しそうにな
り 一瞬 慌てました。 箕谷ランプに入れば 「姫路」の道標に 従って走れるので 安心です。



 伊川谷JCTで 第二神明に入り 加古川バイパス、姫路バイパスを走り 14:37 家に帰って
きました。 加古川バイパスを走っていても 高御位山の方に 煙は 見えませんでした。 この頃
は まだ 山火事は 発生していなかった のでしょうか?
 本日の走行距離は 往路:大蔵山まで 80.6km 双坂池まで 16.4km 復路:75.6km
で 計:172.6kmでした。


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大蔵山 おおくらやま 453m

2011-01-22 16:16:08 | 山歩き
 1月22日(土)  天気:晴れ         地図:有馬(中央部)

 きょうは 神戸市北区八多(はた)町にある 大蔵山に登ってきました。 二等三角点:附物(つくもの)
です。 私の二等三角点をめぐる旅も 中盤戦に入ってきました。 山としては 面白味のない山で い
つものように シダヤブを迷走しましたが 今日も 結果オーライで 二等三角点をゲット。
 大蔵山が 早く終わったので この前 『趣味色々』のわーさんが 登られた 稚子ヶ墓山へ寄りました。

 7:57 出発。 きょうも 冷えたのでしょう 車のフロントガラスが バリバリに凍っていました。 取る
のに 一苦労。 8:26 姫路バイパスから播但道・花田ICに入り 山陽道・姫路東ICに廻り 山陽道を
東へ走ります。 山の北側の日陰の箇所は 路面が凍結しているような気がして 慎重に走りました。
 8:50 三木東ICで 降ります。 播但・山陽道は 37.4km 650円。 大蔵山へは 神戸北ICの方
が近いのですが 神戸北ICから一般道には 降りられない? 御坂で左折して 県道38号線を 東へひ
た走ります。 淡河本町交差点を過ぎ 9:14 やっと 深谷の信号に着いて 右折。 三木東ICから
17.5km。 Uターンする感じで 細い道に 折り返します。


 この道へ乗れば あとは一本道。 細い道を 1.4km 舗装路が終わる所が ”六甲八多霊園” 入
口。 右の坂を登り 墓地の横の砂利スペースに 車を停めます。 9:21 駐車。 家から 80.6km。
上の事務所に 電気が点いていたので 挨拶に寄ると 元気なおばあさんが お墓に供えるお花を作
っていました。 普段 誰も来ないのか 久しぶりに人が来たのか にこにこ顔で お話され・・。(汗;)
 


 9:27 スタート。 霊園から下の道に降り 林道を南へ進みます。 石が転がり 歩き難い。 車も
通るのでしょうか 路面が荒れています。 沢沿いの林道を 15分、ビクニ池に 出ました。 緑の水は
凍っています。 雪も残っている? 説明板があり ”昔 大蔵山奥蔵寺に八百比丘尼(やおびくに)と
いう尼さんが長らく住んでおり 日々 写経や読経に励んでいたが ある日 日頃大切にしていた玉手
箱を抱え 池に身を投じた。 「我が命尽きるまで この池の水は渇れることなし」 と言い残したと言わ
れる。 現在も かれることなく 青々とした水をたたえている神秘な池である。”・・なにかおかしくない?



 池の右を進むと 林道は 池を巻いて左へ曲がります。 おばあさんの話では この林道を南へ抜け
ると ゴルフ場を造っている? ここで 右へ折れると 登山口。 ここから山へ入ります。 風化した小
さな道標とテープがあります。 なぜか 長靴も・・。 初めは 枯れ沢のような岩の露出するガレた
道?です。 しばらく進むと ガレ道は終わり 落葉の地道になり 右へ廻ります。


 その先で T字分岐に突き当りました。 いつものように勘違いして 左へ行くと 山頂と思いましたが
この分岐は 尾根の鞍部だったのです。 踏み跡をたどると この道には シダが出てきて 道を隠し・・。
まあ これくらいのシダヤブなら 簡単に突破できます。 なだらかな雑木のピークに登りましたが 三
角点は見当たりません。 太陽に向かって 下りになる所まで歩いてみましたが 前方にピークはなく・・。
南の470m+Pに登ったことに 気付きました。 10:07 引き返します。 シダヤブを歩いて 何とか
分岐に戻り 今度は 直進。 見晴らしのない雑木林の道ですが 僅かに 東?が見えました。



 山頂へは 人一人歩ける幅の道があり 何カ所か 赤布がありましたが 大柿布? 10:21 三
角点に出ました。 ここは 袋小路で行き止まり? 二等三角点:附物 があるだけの 雑木に囲ま
れた狭い山頂ですが こんな所へも 来る人はいるようで 札が何枚か ぶら下げてありました。
 この前見た 「観石万歩」 もありました。 JL3VOG、JS3UUU の札もありましたが 無線関係者?
写真を撮って すぐに退散。


 どんな道を歩いたか 記憶には ありませんが 道が はっきりしていたからか 間違えずに
降りることができ 10:37 登山口に降り 林道を歩いて 10:53 車に戻りました。
午前の部の行程は 9:27~10:53 で 1時間半足らず。



 霊園事務所のおばあさんに お礼の挨拶に行くと 嬉しそうに話をされ 月に1回は 山へ
行くとか 今度来たら 私が 案内するとか言われ 参りました・・・。 もう来ませんよ!
 10:58 車を出します。 まだ 早いので 帰路の途中にある 稚児の墓へ行きましょう。
地図は ありませんが わーさんのレポを見て 国道428号線を南へ向かうと 双坂池があり
脇に登山口があることは 覚えています。 つづきは 稚子ヶ墓山 のページを 見てください。



 下の写真は 県道38号線を 少し西へ戻った西畑の交差点から 振り返って撮ったのですが・・。

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世界の梅公園 2011年

2011-01-21 12:18:40 | 日記

 1月21日(金)   天気:晴れて 暖かい   地図:網干

 きょうも いつものように ゆっくり起きて ご飯を食べ お茶を飲みながら FMラジオを聞きながら
新聞を広げながら PCを開けて 皆さんのページを 閲覧していると 今週 えらく静かで 風邪でもひ
かれたのかと思っていた やまあそさんは 何かトラブルがあったそうで・・・。
 えっ 新聞に 大寒に「小さい春」みつけた。 御津自然観察公園 「世界の梅公園」で は 梅の花が 蕾を
ほころばせ始めている・・・。 ロウバイの写真も 載っています。
 天気は いいし 暇なので 早速 行ってきました。 ついでに? 綾部山 二等三角点:登り岩144.5
mも 忘れず 踏んできました。 風もなく ぽかぽかとして いい日溜まりハイクでした。

 9:54 出発。 王子橋を渡り 御津町に入り 山裾を通って 国道250号線に出て 少し西へ行くと
梅公園の入口。 曲がりくねった坂道を 約1.8km登り 一番上の駐車場に 車を停めました。
10:22 駐車。 家から ちょうど 10km。 新聞を見た人は 他にもいるのでしょう。


 途中 王子橋辺りから 北に 新竜アルプスが見え 三足富士も くっきり。 左に 見える 旧龍野市
最高峰の大倉山も 二等三角点の山です。 新竜アルプスは 『はりま歴史の山ハイキング』で 祇園
嶽から南の鶏籠山までの絶景の縦走路を 本の筆者が 便宜上付けた名称 とあるので 大倉山は
含まれないようです。


 駐車場は 展望台になっていて 南が見渡せ 瀬戸内海に浮かぶ 家島諸島を一望することができ
ます。 小豆島は ややかすんでいまが 西には 嫦峨山から南の室津へ延びる半島も見えます。 駐
車場に「歴史の門」のモニュメントがあり その説明に 御津町は 朝鮮時代の朝鮮通信史が 幾度と
なく 往来していた歴史的な所であり この歴史的背景を踏まえて 「歴史の門」と 命名したとあります。



 見渡しても 梅は 全然咲いていないようです。 未だ 蕾硬し。 捜し廻って 僅かに咲いている花を
盗りました。 ロウバイは ほぼ満開で 梅の時期に来ても だめです。 通年性鼻炎の私には 全然
香りがしませんが 傍にいたカメラマンのご婦人?には 少し離れた所からも 匂うそうです。 ともみ
さん 匂いますか? わ~さん 年末の匂いは もう 消えたでしょうね?


 咲いているのは ロウバイだけなので 公園内を廻っても 特に 観るものはありません。 北の
唐梅閣(展望台)へは行かず 尋梅館から獅子吼亭を回り 芝生広場から 綾部山・三角点に向
かいます。 ロウバイが 咲いているのは 尋梅館の前と 芝生広場の左側だけです。 


 菜の花を見ながら 南へ歩きます。 案内図では 冒険の森となっていますが この辺り、
綾部山の山頂辺りだけが 森林です。 道の脇には シダが青々と茂っています。


 山頂下の梅林を左へ廻ると 斜面に岩が散在し これが 三角点の点名:登り岩です。 上には
 展望台・東屋があり 南の大木の下に 二等三角点があります。 ここへ来るのは 三度目だったか?


 三角点の横に 階段状の岩があり これを上がると 岩の上から絶景です。 東側が180度見渡
せます。 きょうは モヤっとしているので 遠望は利きませんが 太子・城山、京見山は見えます。
 空気が澄んでいると 明神山や高御位山が見えます。 下には 網干、広畑の街が広がり 眼下
には 新舞子の海岸や 国民宿舎・新舞子荘が見え 右手、きらきら輝く播磨灘には 男鹿島が
軍艦のように浮いています。


 三角点から南へ降りると 冒険の森の遊具がありますが 整備不良なのか トラロープで 封鎖。
西へ寄ると 大木の下から 西が見渡せ 南西方向に 西島、小豆島。 正面に 嫦峨山から南
の室津へ延びる半島が さらに 北東側には 御津山脈のY山を 望むことができます。 なぜか?
御津山脈には X山、Y山、Z山と アルファベットの付いた山があります。 


 景色を見て 三角点を撮って 引きあげます。 駐車場近くまで戻ると まだ 車が1台 2台やって
きます。 梅の木も 少し離れてみると 赤く見えるのは 蕾が 紅くなり始めているからでしょうか?


 見るものもないので 11:19 車を出し 帰路につきます。 坂を少し下った所に 東屋が
あったので 寄ってみました。 今の時期 車も少ないので どこでも停められます。 東屋は
来鶴軒で 展望台で 東の展望良好。 下の国道に降りて 東へ戻り 次の信号で右折して
新舞子の方へ行ってみました。 昔は 広い菜の花畑があって 綾部山を撮るのに いい前
景になったのに なくなってしまったのか 見当たりません。


 来るときは 王子橋から来ましたが 帰りは 南の網干大橋を渡りました。 新しい橋が
でき 国道も広くなり すっかり様変わりしています。 昔は この近くに住んでいたので
私の縄張りの一角でしたが・・。 山電網干駅前を通って 帰りました。 11:48 帰着。
 本日の走行距離は 往路:10km 復路:11.5kmで 計:21.5kmでした。

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コメント (2)
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