私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

イーグレひめじで ”ひめしん美術展” 他

2017-09-29 14:50:11 | ギャラリー散策
 9月29日(金)    天気:晴れ    室温:27.1℃

 きょうは 姫路へ行きました。 イーグレひめじで ”全日写連 姫路地区委員展” と ”好古学園
大学 水墨画作品展” と ”ひめしん美術展” と ”面愉会 能面展” の4つの展示を見ます。
 中井三省堂画廊へ行き ”宮本景 砂絵展” を見て 山陽百貨店の美術画廊で ”河嶋淳司
版画展” を見ました。 きょうは 9:59の電車で行き 13:01の電車で帰りました。

 大手前通りを歩いていると ギンナンが カゴに入れて置いてあります。 歩道を工事中なので
集めて置いてあるようです。 大手前公園では 赤や青のテントが並んでいます。  週末に
”豊穣の国はりま 物産展” が行われる?

 イーグレひめじの市民ギャラリーへ行きます。 第1展示室では ”’17 全日本写真連盟 兵庫県
本部 姫路地区 委員展” が行われています。 播磨地区在住の委員9人が この1年間で撮影した
3枚ずつの組み写真を展示。 丸亀市の本島など 離島の暮らしや 廃校の風景、花畑、花火などの
写真が並んでいます。 年1回の作品展で 今回は 第37回展だそうです。 会場で 聞いていると
田村さんが 亡くなられたとか・・・。



 第2、第4展示室では 好古学園大学校 水墨画クラブ ”第9回 水墨画作品展” が行われてい
ます。 大学1年生~4年生、大学院生、OBの約100名の作品が並んでいます。 講師は 妹島
柏雲先生と 井上柏耿先生。 大学1年生から 順に展示してあります。





 第3展示し室では ”第48回 ひめしん美術展” が行われています。 日本画、洋画、水彩画、
水墨画、版画、剪画、絵手紙など 45名の作品を 展示。 出品目録には 青田賢蔵、氏平健吾、
竹廣龍三、田中繁雄、山本雅也、神吉孝子、松島佳子、金澤徹さんらのお名前があります。








 特別展示室へ行くと まだ準備中・・。 1階へ上がり カフェ・ゆうゆうゆうで休憩します。
いつもの壁際の席は 女性陣に占領され・・ 仕方ない 窓際の隅のテーブル席へ・・。

 特別展示室では きょうから ”第二回 面愉会 能面展” (松本洋一能面教室) が行われます。
12時からなので カフェで 休憩して 時間をつぶして 行きました。 松本さんと 生徒5名が 制作
した能面を展示。 木曽桧から 能舞台で使われる能面(目標) を 自分の手で打ち終えた喜びは
作った者にしか 味わえません。 初めは 一つ完成させるのに かなり時間が(約半年程度) かか
りますが 二つ三つと打つうちに 時間も短くなり 出来映えも良くなっていきます。
 女面(子姫・若女・姥・・)、男面、御霊面、鬼神面、翁面、尉面 などがあります。
 



 中井三省堂画廊では 九州災害復興支援チャリティー展 ”宮本景 砂絵展” が行われています。
「砂で描く すな絵」、幻想的で しかもリアルな雰囲気を醸し出す 新しい表現技法の絵画です。
 約60色の砂を 液体状の糊で 貼り付けるそうです。 宮本さんは 以前 油絵を描いていたそう
です。



 山陽百貨店の美術画廊の ”-平成の俵屋宗達ー 河嶋淳司 版画展” が行われていました。
河嶋さんは 東京芸術大学 大学院 博士課程修了後 国内はもとより アメリカ、カナダ、ドイツなど
で 開かれた展覧会で 高い評価を受け 国際的にも注目されております。

 。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エルミタージュで 和の小物と着物リフォーム展

2017-09-27 13:49:47 | ギャラリー散策
 9月27日(水)   天気:曇り、小雨    知る温:26.7℃

 きょうは 朝日谷のカフェ・エルミタージュへ 福原さんと岩佐さんの ”和の小物と着物
リフォーム 二人展” を見に行きました。 歩いていると 雨が降ってきましたが 大したこ
とはありません・・。 会長さんが 来ておられましたが いつもと車が違う・・。 車検?
 きょうは 特別なことは何もなく 隣の女性は にぎやかでしたが 静かなカフェでした・・。








     ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・


 。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姫路文学館で KoReKaRa展

2017-09-26 15:47:20 | ギャラリー散策
 9月26日(火)   天気:晴れ    室温:30.2℃

 きょうは 姫路文学館へ ”KoReKaRa展” を見に行きました。 水野さんから 案内状を
いただきました。 もちろん 文学館だけでは 終わりません。 ループバスで 清水橋まで
行き 鷺の清水を見て 男山へ上がって 姫路城十景を見て 八幡宮へお参りし 千姫天
満宮を見てから 文学館へ行きます。  帰りに 発掘調査された 備前門跡を見に行きまし
たが きれいに埋め戻され 舗装も完了。
 展覧会は 初日のきょうは 13時からなので 12:00の電車で行きます。 駅前から レト
ロなループバスに乗りますが 平日は 30分おきしか バスがありません。 12:30のバスで
清水橋まで行き まず 鷺の清水を見ます。
 宝暦12年(1762)の 「播磨鑑」 によれば 「鷺の清水」 は 赤松義村の時代から ”播磨
十水” に数えられています。


 男山へ上がる 約200段の石段には 苦労しましたが 上がってしまえば こっちのもの。
標高59mの男山は 姫路城十景の一つで 絶景で 姫路市街が 一望できます。
 男山といわれる由縁は 「播磨鑑」 に記されている 「飾磨のかち染」 の伝説に関係があり
白国辺りの長者屋敷から 難を逃れて 男が 逃げて来た 山を 男山と名付け・・・・。

 この前のしみけんさんのページにあった 三角点もどきを探します。 石階段を上がった左に
三角点標石がありましたが これは 国土地理院の管理する正式な三角点ではないようです。
地図には 載っていないし 三等、四等の表示もありません。 右側面に 公共の公の字が見
えます。

 この男山は 『播磨国風土記』 に記されている説話の中で 姫路の十四丘の物語に出て
くる箱の流れ着いたところ 「筥丘」 だと言われています。 
 男山天満宮の本殿前の石段の下にある石鳥居は 姫路城主・榊原政邦が 進したもの。
男山八幡宮へお参りし 千姫天満宮を見て 山から降りて 文学館へ。

 姫路文学館 北館2F特別展示室で ”KoReKaRa展 2017” が きょうから 行われます。
受付に 水野さんがおられました。 お会いするのは はじめて。
 個々の個性を尊重しつつ 制作に励み KoReKaRa展も 5回目を迎えることができました。
まだまだ学ばなければならないことが多い 未熟な私たちでございます。・・・
 足立さん、菅野さん、野々村さん、水野さん4人の 油彩、水彩、アクリル画など 約30点を
展示いたします。 ご高覧いただければ 幸いです。









 。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

垣内探訪 「長太郎さん」 の碑

2017-09-25 13:10:51 | 歴史探索
 9月25日( 月)   天気:晴れ    室温;27.9℃

 きょうは 先日 妻鹿さんに いただいた ”広報かいちNo.76” に載っている ”垣内探訪
「長太郎さん」 の碑” を 訪れました。 ちょうど うまいタイミングで ”『室津道』 をたずねて”
(姫路市教育委員会 文化財課 昭和59年発行)” を ある人からいただき それに 角戸の
石仏、河野鉄兜生家、長太郎石 などが 描かれているので それらを 合わせて訪れます。
一番下に 「垣内探訪」 を載せておきます。 少し長い文ですが 興味のある人は どうぞ。
 きょうは 下の図の赤丸印の 角戸の石仏、盛徳寺、津の宮のお旅所、鉄兜生家、長太郎
石(碑) を回りました。     福井にお地蔵さんがあるので お参りしていきましょう。

 旭陽小学校の南西に 角戸の石仏があります。 花崗岩を使って 彫られている3体の石仏は
鎌倉時代の造立とみられ 市内の石仏の中でも すぐれた作品として 知られている。 3体とも
舟形光背をもつ 半肉彫座像。 一説では 文覚上人を慕って この地に来た角戸三郎の菩提
を弔うために 造ったという。  付近から 布目瓦が出土するので 古い寺院跡ではないかと考
えられる。 

 文覚上人は 平安末期に 袈裟御前を殺害するに至った己の非を悔い 武士を捨て 出家した
遠藤盛遠が 文覚と名を改めたもので 高雄神護寺の地頭職として 福井庄に来 この地に寺を
建てたという。 その寺跡が ここだといい 網干史談会によって 石仏の脇に石碑他立てられて
いる。 坂上の盛徳寺には 上人の木像が安置され 遺愛の品の石が伝わっている。

 南の盛徳寺へ行きます。 心光山 盛徳寺は 臨済宗妙心寺派のお寺で 通称 文覚寺といわれ
文覚上人の開基。 龍門寺の盤珪国司の弟子が 中興した。

 盛徳寺を南へ進むと 宮内の交差点に出ます。 交差点の北の宮内川の橋の下のコンクリート
構造物の残骸が 播州電鉄の名残ではないかと・・。 播電は 昭和の初めころまで 龍野から
網干港まで通っていました。 現在の県道27号線に沿って 軌道が走っていましたが この辺りで
県道の東から 西へ向きを変えているのです。  


 宮内の交差点から西へ行くと 津の宮のお旅所・渡神殿があります。 毎年 秋の例祭には
御輿の渡御が行われ 各氏子より繰り出される屋台で 賑わいます。

 少し南へ下り 細い道を東へ入ります。 河野鉄兜の生家は やや分かり難い場所にあります。
誰かが整備するようで きれいに掃除されて 木々も青々としています。
 庭に 網干と言う題の七言絶句を彫った石碑が建っています。
    吾郷山水本超凡 淡蕩煙波開鏡函 十里垂楊風不断 家々門外有春颿
 鉄兜は 幕末の詩人として有名で 医者であり 林田藩 藩校敬業館の教授をつとめました。
 弟の東馬は 網干に誠塾を開き 多くの人材を育成した。

 檀尻蔵は 分かり難いところにあります。 蔵の左は 武大神社で 大きな鳥居があります。
檀尻蔵の左前に 「長太郎さん」 の碑があります。 ”『室津道』 をたずねて” には 長太郎石は
載っていますが ”「長太郎さん」 の碑” は載っていません。 長太郎さんは 垣内を切り拓いた
人なのに・・。

 檀尻蔵の少し南に 長太郎石があります。 石は 路面に埋まっているので 誰かに聞かないと
分からないと思います。 道路脇に 長太郎石の碑があり 網干音頭発祥の地と刻まれています。
 長太郎石は 長者・長太郎の屋敷跡の礎石だというのですが 道路に埋まっていては・・・。

 檀尻蔵の裏側(東側)は 萬福寺ですが 入り口が分かりません。 裏口?の墓地から入りました。
以前 新聞の折り込み広告に 永代供養の話が出ていたので 一度見てみたいと・・。

     ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・
※垣内探訪 「長太郎さん」 の碑 (広報かいちNO.75)
  歴史を紐解くと 真実が見えてくる・・・。 この伝説は 一党の身内だけで伝承されていて
 垣内でも知る人は ほとんどいない。 また 何の物証になる物品も残っていない。 その理由も
 合わせて後述したいが 個人情報保護のため 姓は 控えて掲載させていただきます。
 「孫三郎長宗」 =鹿児島の薩摩氏長の孫で 元弘の頃(1300年代) 武者修行で 国内を廻り
 播磨国に来た時 赤松円心に惹かれ 属した。 怪力で イケメン、身長は 2mを越え 相撲を取らせば
 日本最強である。(「播磨鑑」、「太平記」)
  円心は 次々と勢力を拡大していく中 長宗は その功績を認められ 初代城主となるが 三郎四郎長定
 (円心の姪の配偶者)は 嘉吉の乱で 退転する。 赤松満祐軍に属した諸城主は 随分討死したという。
 (姫路城史) また 「播磨城交替連綿記」 によれば 長定(のち薩摩守ト号ス) 長宗の孫ナリ
 此城ヲ守ル 赤松満祐家臣ナリ、嘉吉元年 此城落亡タリ とある。
 赤松満祐が 将軍・足利義教を殺したのは 嘉吉元年(1441)六月二十四日、同年九月に たつの
 城山城において幕府追討軍に敗れた。 ・・・ しかし 長定は 逃げ延びたのだ。 そして その後の
 消息は 文書として どこにも見当たらない。
  ・・・ 垣内の農家に残る口伝では 城山城から 揖保川を下り 竹藪の茂った龍門寺領へ落ちた。
 一時は 再起を計ろうとしたが 追っ手の目も厳しく 百姓として身を隠し その夢を子孫に託したという。
 この事を唄ったのが 『長太郎音頭』 なのです。
  明石在住の赤松研究家は 自分の祖母から 我家のルーツは 揖保川の下流に 同じ姓の家が 必ずあるから
 探してほしいと言われ 電話帳で探し 何度も訪ねてきては 話を聞き 祖母から聞いている話と重なって
 驚きと確信を得たという。 昭和47年のこと。
 身を隠した長定は 「長太郎」 と名乗り 仲間の武勇達と 草地を開墾していった。 これが ”かいち”
 の始まりと言われている。 長太郎さん(長定)が 垣内を作った人に 間違いはないだろう。
 それは 嘉吉の乱の後、1450年代のことであろうとも 伝えられている。
  江戸後期、長太郎筋、短命と言われてきた この旧家は 幼子ひとりになってしまったとき 村の有力者が
 蔵にあった鍋釜(茶釜)、巻物(掛軸)等、ほとんどの財産を ”市” にかけ 処分し 幼子を他の村へ
 預けた。 そして 成人すると ”垣内の宝” だから、と言って 村が呼び戻したのである。
 かって 「長太郎伝説」 を書かれてきた人達(歴史研究家) も 皆その人の想像の域を越えていない。
 最後は すべて ”伝説の人” としている。 それは いくら調査をしても 行き詰まり 不幸が
 起きることを恐れた。
 この旧家にも 「外へ話すことで 何か不吉な事が起きる」 と言われている由縁なのか。 (T・M)

 。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手柄山で ”富貴蘭・長生蘭展” & ”洋ラン原種展”

2017-09-23 13:53:03 | ギャラリー散策
 9月23日(土) 秋分の日   天気:曇り    室温:27.5℃

 きょうは 手柄山へ行き 交流ステーションの ”富貴蘭・長生蘭展” と 温室植物園で きょうから
行われる ”洋ラン原種展” をを見てきました。 土曜日は いつも車が多いのですが なぜか きょう
は スムースに走れ 交流ステーションの駐車場も 空きがあり すぐ停められました。
 まず 交流ステーションの ”富貴蘭・長生蘭展”(共催:日本風蘭・石斛保存協会) を見ます。
なぜ 今の時期に 展示会が行われるのか 分かりませんが 花の咲いているものは ありません・・。


 ラン科 デンドロビウム属 モニリフォルメ(セッコク) 個体名:季香苑



    ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・
 坂道を下って 温室植物園へ行き ”洋ラン原種展”(共催:関西洋ラン原種保存会) を見ます。
こちらは 花が 華々しく 咲いています。










 。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする