私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

『室街道』を行く・予告編

2014-12-31 12:36:23 | 歴史探索
 12月31日(水)  天気:晴れ  室温:15.4℃

 きのう 姫路医療生活協同組合から 機関紙 ”ひめじ” NO.414 2015年1月1日が
配達され 中に ”海と陸の要衝 室津と姫路を結ぶ 『室街道』 を行く” という記事があり
ました。 JR英賀保駅の北の飾磨区山崎から 姫路市の西端・下余部の揖保川まで 道
標などを見ながら 約8kmを 歩くというものです。 面白そうなので また 時期を見て 歩い
てみたいと思います。 勿論 足で歩くのは しんどいので 自転車で 行こうと思います。
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 江戸時代 西国大名は 参勤交代では 船で室津まで来て 室津から 陸路・室(津)街道
で 姫路まで来て 西国街道で 東へ進んだ。 江戸幕府は この要衝の室津を 姫路藩の飛び
地領とし その管理にあたらせ これに伴い 姫路から室津への交通路を 『室街道』 として
開発しました。


「室津道の道標」 というページによると 室津道には 下記の道標などがあるようです。
 御津町中島の道標、八十の渡し、八枚橋、二神神社、網干区津市場の道標、魚吹神社参道口の
 道標、魚吹神社楼門前の道標、宮内圓勝寺前の道標、田井の土橋、室街道橋、西土井の六地蔵、
 日本回国地蔵、むろかい道の道標、網干区天満の道標、大津区西土井の道標、郡境石、菅原神社・
 狛犬、広畑区才の道標1、2、室津道の高札場跡、才の地蔵尊、飾磨区才崎橋東詰の道標、飾磨区
 西蓮寺西角の道標、琴平常夜燈、JR英賀保駅前の道標。

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北海道・小樽のガラス

2014-12-29 16:42:44 | 日記
 12月29日(月)  天気;晴れ   室温;16.8℃

 12月23日(火) 7:30から BSプレアムで ”イッピン 小樽のガラス” が放送されました。
「 きらめくガラスに 命を吹き込む 北海道・小樽のガラス 」 ~魔法の色 大人気! しょう油さし~
小樽のガラスは お土産として 人気があそうです。 きらめく光、美しく便利な しょう油さしは
生活を 豊かにする 小樽のガラス製品です。 秘密は キレの良さ。
以前 どこかの番組で ”小樽のガラス” を見たことがるのですが 思い出せません・・・。
よくよく調べると 2013.3.28 に ”檀れいの名匠の里紀行” で ”浪速の美 手ぬぐいと
浴衣” のページの下の方に “恋する雑貨 小樽のガラス工芸品” がありました。

番組案内によると
 北海道・小樽市は 日本有数の手作りガラスの生産地です。
 小樽のガラス製しょう油さしは 美しく、しかも “液だれしにくい” と 大人気です。
 実は これは 高度なワザを持つ職人たちの 一糸乱れぬチームワークによって 作り出されたもの。
 さらに 「宙吹き」 と呼ばれる技法によって どんな形も 創造する熟練のワザ 魔法使いのように
 多彩な色を操るワザなど 一つ一つの器を 命を吹き込むようにして 作っていく 不思議と美に
 豊田エリーが 迫る。

 まず 持ちやすい形が評判の しょう油さし を作る工房を 訪ねます。 工房では 1日に 600個の
しょう油さしを作りますが 玉取り、吹き、運び、フタ削り の工程が 分業で 行われ 職人のチーム
ワークで 逸品を作っています。

 玉取りは 溶けたガラスを吹き棒の先に取ります。 同じ量 取らなければ・・・。
 吹きは リンと呼ばれる型に当て 丸味とくびれを付け 足より低い位置にある型に入れ
 ガラスにを膨らませます。 この型吹きは 型に合わせ 底を先に膨らませ 蒸気を逃がす必要が
 あります。 上部が 先に膨らむと 蒸気の逃げる隙間がなくなり 形ができません。
 型によって いろんな形を作ることができます。

 運びは 底を整え 形を完成させます。 これらの作業は ガラスの温度が冷めないよう 短時間
(約1分以内)にやる必要があります。 後は ゆっくり冷まします。 もう一度焼いて 丈夫にする?

 フタは ぴったりしていることが大事で きつすぎても 緩くてもダメ。 口の大きさは 一品ごとに
違うので 一品ごとに フタに合わせ 口を削ります。 これも 職人技です。 このように
液だれしない しょう油さしは チームワークによって作られます。 


 昔 小樽では ニシン漁で 賑わっていました。 明治時代の末期 魚を採る網の浮玉を ガラスで
作ることから 小樽のガラスは 始まりました。 いまでも 浮玉を作っている職人がいます。

 豊田エリーが お寿司屋さんへ行くと 出された料理のガラスの器は カラフルで 面白い形を
しています。 これは オーダーメードで 作られます。 この職人の工房を訪れます。


 ここでは 宙吹きと言われる熟練のワザで 器が作られます。 濡らした新聞紙で 形を整えたり
木コテで 押さえつけて 平らな器を作ります。 豊田エリーも 自分がデザインした器を作って
もらいます。 下のイチゴを 乗せた器ができました。

 きらめく虹色の器を生み出す技は?  まず色ガラスを作っておき ガラス玉に 色ガラスの
小さな破片を付け 吹きガラス法で 形を作ります。 このとき 色ガラスの色が 寒色系の時は
膨らみやすく 暖色系の時は 膨らみにくいので 形がいびつになる。 これを考慮して 形を
整えます。  


 高温で 赤くなったガラス玉は どこが どの色か分かりませんが 職人には 分かるようです。
拓さんの色を使う場合は 細心の注意が要ります。 このメガネの女性の職人さんは 2013
年の ”恋する雑貨” に登場した職人のようです・・。


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今年の燃費

2014-12-27 13:40:32 | ドライブ
 12月27日(土)  天気;晴れ  室温:14.2℃

 きょう 休日割引を利用して セルフのスタンドで 車に ガソリンを入れてきました。
ガソリン代は 135円で 大分 安くなりました。 えっ 30日に GSの横を通ると
ガソリン代は 134円になっていました。 平日なのに・・・。 21円 損した・・。

 最近 寒くなってきて 暖房を 使うようになってきました。 アクアは バッテリーの充電や
暖房に エンジンを使います。 走行していないのに 充電や 暖房のため エンジンが回ると
燃費が 悪くなります。 温度設定は 低くしており 22、23度ですが・・・。 下の棒グラフ
を見ると 4~10月頃は 24km/Lくらい走りますが 冬場は 22km程度です。
 大体 月に1回給油しますが 今年は 秋に 広島へ2、3度 帰ったので 14回給油しま
した。  今回は
  走行距離 km   給油量 L で   燃費 km/L
  483.4       21.5       22.48    でした。

今年1年間の燃費の総括を 昨年と比較すると (上が 昨年 下が 今年)
  7901.1     335.69     23.537    ガソリン代 49682円
  7081.0     304.71     23.238            46635円
山歩きをしなくなったので 守備範囲が狭くなり 年間の走行距離も 少なくなっています。
 
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ひょうご 官兵衛を訪ねて

2014-12-25 20:32:55 | 歴史探索
 12月25日(木)  天気:晴れ   室温:15.6℃

 今年の予定は なにもなく きょういく 所もありません。 年が明けるまで 家で コタツで
丸くなって テレビでも見るしかありません。
 きょうも テレビを見ていると 3:15 から NHKで ”兵庫特集” の再放送があり ”ひょうご
官兵衛を訪ねて 総集編 ゆかりの地を歩く” が 放送され 廣峯神社、御着城、志方城、青
山古戦場、英賀城、上月城、三木城、有岡城、篠の丸城、ドラマ館、姫路城、国府山城、志
知城(南あわじ市) が 紹介されました。 いっぺんに 13もの箇所を 紹介されても・・・・。
 大部分は これまでに 訪れ このページで 紹介済みですが・・。


1.廣峯神社
 備中の福岡に住んでいた黒田家は 官兵衛の祖父の時 姫路に来て 廣峯神社の近くに住みました。
 ここには 御師といわれる人が住んでいて 神社の神符(おふだ)を 売り歩いていました。
 黒田家秘伝の目薬を一緒に売ることで 財をなし 小寺家の家臣に迎えられ 姫路城を任されます。
 官兵衛は 姫路城で生まれたといわれています。 また 御師から いろいろと情報を収集していた・・。


2.御着城
 御着城は 官兵衛の主君・小寺氏の本城です。 御着城が 本店なら 姫路城は 支店です。
 なぜか ここに 官兵衛のおじいさんと お母さんの墓(五輪塔)があります。
 お父さんの墓だけ 離れた妻鹿にあるのは?  ここには 官兵衛の顕彰碑もあります。

3.志方城
 官兵衛の妻・照姫は 志方城の城主・櫛橋家の娘です。 本丸跡は 今は 観音寺になっていますが
 ここに 櫛橋家の家系図があり 照(光)姫の名も 位牌もあります。


4.青山古戦場
 青山古戦場は 官兵衛が初陣を飾った場所で 姫路城を攻めようと 龍野城の赤松氏が攻めてきたとき
 夢前川を挟んで 東の土器山に 官兵衛が 陣を置きます。 ここからは 今でも 西が見通せます。
 多勢の赤松軍に 一旦退却し 敵が油断している夜に 夜襲をかけ 赤松軍を撃退します。
 今は 青山ゴルフクラブになっていますが 千石池には 今でも骨が埋まっているので 戦国池とも。


5.英賀城
 英賀城は 伊予・河野氏一族が 応永のころ 讃岐から播磨に来て 嘉吉の乱後 英賀に築城。
 天正八年 秀吉の攻撃により 落城。 落城時の城主は 三木通秋。
 天正四年 毛利の大軍が 田井ヶ浜に押し寄せた際 官兵衛は 少数の兵で これを 撃退した。
 今は 中浜町に 本丸跡碑、英賀神社と 英賀薬師に 土塁が 残るのみ。 昔は 明蓮寺、英賀神社、
 中浜町周辺の英賀三ヶ村の 「寺内町」 を 守るように 連なっていたそうです。



6.上月城
 織田・毛利の二大勢力に挟まれて 半年間に二度も 落城した悲劇の城。 まず 天正5年には
 毛利方の城主・赤松政範が 秀吉の軍勢に敗れて 自害。 城は 尼子勝久と家臣の山中鹿之介に
 預けられたが 翌年 今度は 毛利の軍勢に包囲され 落城。 信長は 援軍を送らず・・。
 本丸跡には 赤松政範の供養塔が立つ。 麓には 尼子勝久に仕えた 山中鹿之介の碑があります。


7.三木城
 信長に反旗を翻した別所長治が 播磨の諸将とともに戦った城。 「三木の干殺し」 と呼ばれる
 兵糧攻めで 落城。 長治は 一族の命と引き換えに 自害。 本丸跡に 辞世の句の碑がある。
   ”今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身と思へば”
 三木城の北東の平井山に 秀吉の陣があり 近くに 竹中半兵衛の墓があります。 半兵衛は
 武将なので 戦地で死にたいと 病を押して 三木攻めに参加し 病死・・。


8.有岡城
 三木合戦のさなか 有岡城主・荒木村重が 信長に背いて 籠城。 村重の説得に向かった官兵衛は
 捕えられ 土牢に幽閉され 1年後 有岡城が落城し 救出されます。 城下町の周囲を堀と土塁で
 囲む 惣構えの城だったが 明治時代に 城郭の大部分が 削られた。 当時の石垣が 史跡公園の
 奥に わずかに残っている。


9.篠の丸城
 三木城を攻め落とした秀吉が 続いて攻め落とした城。 官兵衛も参加し その功績により
 揖東郡など 1万石を与えられ 大名となり 篠の丸城を 居城とした。 二の郭、三の郭、
 空堀や 土塁などの遺構が残っている。


10.ドラマ館
 姫路城の南の家老屋敷跡公園にあり 大河ドラマ・軍師官兵衛をテーマに 姫路城のジオラマや
 撮影に使われた衣装・小道具などが 展示されています。

11.姫路城
 今の姫路城は 関ヶ原の合戦後 池田輝政が 姫路に来て 6年の歳月をかけて 完成しました。
 秀吉の時代は 3層の天守でしたが 5層6階の白亜の大天守に改造。 内濠、中濠、外濠や
 城の北にあった西国街道を南に移し 城門なども整備されました。



12.国府山城
 標高102mの甲山にあり 妻鹿城・功山城とも言われる。
 天正8年 官兵衛が 秀吉に譲って 国府山城に 移り住んだといわれる。
 頂上から 瀬戸内海、姫路城、広峰、書写の山々が見え 姫路城の防禦には 絶好の位置にある。


13.志知城(南あわじ市)
 天正11年(1583)羽柴秀吉による淡路攻めで、岩屋城・由良城に続き志知城も落城した。
 その後 官兵衛が 志知城に在城し 阿波の長宗我部氏に備えた。 天正13年 秀吉は
 洲本城に脇坂安治、志知城に加藤嘉明を配して治めた。 その後 嘉明が 伊予正木に移封と
 なると 志知城は秀吉の直轄地となったが 代官の三好・石川氏が 河口の叶堂に 新しい城を
 築いたため そ れに伴い 志知城は 廃城となった。
 中堀が 本丸跡を取り囲むように残っている。 中堀の外には 外堀の遺構が一部残っている。
 城跡の南に 野口氏の菩提寺の声明寺があり 本堂内に 当時の城の絵図(復元)が掲げられている。



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にっぽん絶景街道・吉備路

2014-12-25 17:03:29 | 歴史探索
 12月25日(木)  天気:曇りのち晴れ   室温:16.8℃

 12月18日(木) 夜10時から BS朝日で ”ニッポン絶景街道” が放送されました。
大河ドラマ・軍師官兵衛は 21日の放送で 終わったので 時期を逸した感はありますが・・・。
 今回は 第63回 岡山・吉備路で 大河ドラマ・軍師官兵衛の曽祖父が住んでいた 備前
長船の福岡から 備中・高松城まで 案内人・梶本晃司と 写真家の鶴巻育子が 吉備路
の官兵衛ゆかりの地をめぐります。  軍師・官兵衛 ~大河の舞台へ~

 私が 官兵衛ゆかりの地めぐりで 水攻めの備中・高松城を訪れたのは 2011年12月24日
のことです。 この時 訪れた備中国分寺は 別ページにしています。
 備前・福岡を訪れたのは 2012年11月24日 のことです。 この時は 福岡の妙興寺の
黒田家のお墓を見て 長船刀剣博物館を訪れ 伊部の備前焼を見て さらに 閑谷学校の
紅葉を見に行ったので ページが長く 分かりにくい内容になっています。

番組案内によると
 軍師・黒田官兵衛  天下統一の奇策とは? ・・・・・
 旅の起点は 中世の城下町であり 黒田家が 力をつけた礎の地とも 呼ばれる備前福岡。
 鎌倉時代、水運の町として 栄えた備前福岡。 福岡は 吉井川のほとりにあります。


 福岡県は 官兵衛の嫡男・長政が 筑前に 城を建て 先祖ゆかりの “長船・福岡” に
 ちなんで 福岡城と 名付けたことに 由来する地名です。
 まずは 妙興寺で、官兵衛の曾祖父の墓所に お参りします。
 むかしは 一遍上人が 訪れたこともある 「福岡の市」 がたつほど にぎわった街だった・・。
 しかし 近江・長浜辺りに住んでいた黒田家が なぜ 福岡まで 流れていったのでしょう。 


 続いて向かったのは 日本刀の聖地と呼ばれる備前長船。
 官兵衛の愛刀も 作られたという この地で 今も 脈々と受け継がれる 刀工の技術を見学。
 鉄と職人の真剣勝負に 次々と シャッターを切る鶴巻さん。
 途中で 立ち寄った足守は 秀吉の正室・おねのゆかりの地だった?


 そして いよいよ旅は クライマックス、備中高松城跡へ。 官兵衛が 発案した奇策とは?
 官兵衛は 高松城を攻める際 水攻めにし 城を孤立させ 城主・清水宗治に 和睦を迫りますが
 清水宗治は 最後まで 毛利に忠誠をつくし 部下の命と引き換えに 自刃します。
 清水宗治の天晴な武者ぶりも 浮き彫りに。 戦国時代のキーポイントとなった地を目指ざす。


 湖になった高松城に 船を浮かべ 清水宗治は 自刃。
   辞世の句 : 浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して
 毛利と和睦した 秀吉は これを見届け 中国大返しで 明智光秀を討つため 大急ぎで 京へ・・。

 鶴巻育子 本日の渾身の一枚は 作業中の刀鍛冶。

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