私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

美の壺 エアプランツ

2014-08-31 21:46:15 | 日記
 9月 1日(月)  天気:曇り のち 雨   室温:27.5℃

 8月29日(金) に BSプレミアムで 放送された ”美の壺” は 「エアプランツ」 で
した。 エア(空気)+プランツ(植物) で 枯れ草のような植物で 面白くないかと 思い
ましたが 意外と 緑鮮やかで すっきりとして 涼しげで 観葉植物のように 自己主張
しない 控えめで 独特の美を 持っています。 綺麗な花の咲くものもあります。


 エアプランツは 砂漠ような厳しい環境でも 生育できるよう 独特の進化を 遂げてきまし
た。 普通 植物は 根から水分を 吸収しますが エアプランツは 空中湿度があれば ト
リコームという組織で 葉に付いた 水分を吸収して 成長します。

 厳しい環境で 生き残るため 葉を 細く 丸くカールして 蒸発を防ぎ 乾燥に耐え 年間
雨量が 30mmほどしかない 南米ペルーの2000mの高地に 自生し 健気に生きていま
す。 砂漠にも 根をおろし 生き残る力を 持っています。


 中には 紅葉するものもあり 妖艶な花を咲かせるものもあり 室内に置いても
優しいエネルギーを発散する癒し系のインテリアとして 若い人に人気がある・・・。



 テラリウムのように ガラスのボトルに入れ 室内インテリアとして 自分の好きな
空間を作ることができる、 エアプランツならではの 飾り方・・・・。


 最近では 自然界にはない 交配種もある。 キセキ、ミラクル・・。

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室津 八朔のひな祭り

2014-08-31 13:01:52 | 日記
 8月31日(日)  天気:晴れ   室温:32.2℃

 8月28日 6時からのNHKローカルニュースの中で ”官兵衛参上!” が 放送され
今回は ”室津の八朔 ひな祭り” が 取り上げられました。

大河ドラマ 軍師・官兵衛 : 第4回 室津 八朔(はっさく)のひな祭り
 永禄9(1566)年1月11日 室山城で 浦上政宗の息子清宗の婚礼の日 龍野城主・赤松政秀
 の急襲に逢い 奮戦むなしく 親子、花嫁ともども 討ち死にするという 悲劇が 起こった。

 この花嫁こそが 黒田官兵衛の妹であった。 その後 官兵衛は 永禄12(11569)年 姫路に
 攻め入った 赤松政秀の軍勢を 二度にわたって 撃退。 青山の合戦(官兵衛×赤松政秀)で
 その名を 挙げるのである。
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 もともと 播磨は 赤松氏の守護するところで 姫路城も 赤松氏が 砦を築いたのが 始まりとされ
黒田氏は 後から来たので 赤松氏に攻められても 仕方ないとしても なぜ 黒田氏と 浦上氏が
婚姻関係に?  なぜ 赤松政秀は 黒田・浦上氏を 襲ったのか? それが知りたい・・・。
 赤松氏は 室山城を 浦上氏に 守らせていたが 浦上氏が 徐々に力を付け 赤松氏に逆らうように
なり 1534年には 朝日山の合戦で 赤松晴政と 浦上政宗が 戦い のち 浦上村宗が 室津で
赤松義村を 殺害。 1566年 息子・赤松政村が 浦上政宗を 殺害し 敵を討つ・・・。

 室津では 非業の死を遂げた 花嫁の鎮魂のために 雛祭りを 延期するようになった。
 これが 旧暦の八朔(8月1日)に 行われる ”八朔のひな祭り” なのである。

 室津民俗館では 雛人形のほかに 官兵衛や 黒田24騎の人形も 展示されているそうです。
室津 八朔ひな祭りは 8月31日 きょうまで 行われています。  

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あぼし探検スタンプラリー?

2014-08-29 15:47:14 | 日記
 8月29日(金)  天気:晴れ 後 曇り  室温:28,4℃

 きょうは 網干の街を自転車で 走り回ってきました。 きょうは 意外と 涼しい・・。
先週 姫路で 入手した 楽しく健康的に 網干の魅力発見 ”あぼし探検スタンプラリー” という
パンフレットを参考に 網干を回ります。 広報ひめじ9月号が配布され 「ふるさと探訪263」
官兵衛ゆかりの地を巡る:9に ”鶴立山大覚寺・御茶屋鶴松亭跡” が載っています。 ちょう
ど いいタイミング。 スタンプラリーに載っている ”網干地蔵” と ”大江島地蔵” は まだ 行っ
たことがないので ついでに 全部 まとめて 面倒みましょう。
 ただし スタンプラリーのパンフは 2013年3月~12月のもので すでに 終了しています。

 まず 一番近い 魚吹八幡神社へ行きます。 久し振りに来ると 拝殿の向拝の唐破風屋根の
下に 金色の飾り金具が 付けられ たくさんあった絵馬が ほとんどなくなっています。

 次は 三石天満宮。 これは 山電網干駅の北にありますが なぜ ここが スタンプラリー
のポイントになっているのか? 寂れた神社で 見るものは なーにも ありません・・・。
 すぐ近くの ”ひまわりサロン” が ラリーのスタート・ゴールなので ちょっと寄って と・・・。

 国道250号線を 南へ越え 住宅街にある ”稲香村舎 誠塾” へ。 稲香(とうこう)村舎
誠塾 :幕末のころ 「播州の花神」 といわれた 河野鉄兜・東馬兄弟が 網干に居ました。
河野兄弟は 長州藩と親しく 禁門の変では 桂小五郎らと一緒に 尊王攘夷派として 戦い
ました。 その後 網干に戻った河野東馬は 慶応5年(1868) この誠塾を 開設しました。
 この塾で 多くの門弟を育成し その中でも 枢密院 書記官 神楽江 薫、東京都知事・肥
塚 龍など 優れた人材を 輩出しました。 いまは 姫路市指定文化財。

 次は 市街地を抜けて 揖保川の土手下にある ”加藤家” へ。 加藤家は 天領の蔵元で
加藤邦太郎氏は 県会議員、初代網干町長などを 歴任。  顕彰碑を作る際 河野東馬が
勝海舟に 依頼し 勝海舟が 揮毫した擷秀(きっしゅう)碑が 加藤家の隅に立っています。

 加藤家の隣が 船渡八幡神社。 『播磨国風土記』 に 宇須伎津の湊は 神宮皇后の御船
渡り 給いし泊と 陳書す。 神宮皇后は このとき 風波を静めんとて 天神地祇を祭祀し 御
神楽を 奏せられ 故に この処を 神楽江と伝え 船渡八幡神社として 魚吹八幡神社の若宮
と称す。 また 宝暦年間の地史に 船渡八幡宮の名があります。 船渡は 神宮皇后の故事
により 神楽岡、神楽江の伝説を云うが 定かでない。

 境橋は 昔は 丸亀藩と 龍野藩の境界にあったのですが いまは 道路の関係で 移設されています。

 金比羅神社は 龍野から 丸亀藩に移封された 京極家が 四国から 勧請したのでしょうか・・。 
神社の屋根は 銅板葺きで 緑青で 渋い緑色になっています。 この辺りでは 珍しい・・。


 網干の陣屋は 江戸時代初期には 姫路藩であったが その後 龍野藩領となった。
万治元年(1658) 龍野藩・京極高和は 丸亀藩へ移封されますが 網干地区一万石だけは
京極家の領となり 明治まで 丸亀藩の飛び地であった。 いまの陣屋門は 移設されたもの
です。 復元図によると この辺りには 陣屋屋敷、武家屋敷、神社などが 南西端には 角櫓
があったようです。 秀吉が この陣屋を 鶴松亭と名付けたそうですが 面影はありません・・。 

広報ひめじには
 天正8年(1580) 秀吉から 1万石が与えられた官兵衛は 大名に。
 そのとき 賜った所領の中に 網干がありました。
 官兵衛は お礼のため 秀吉を網干に招き 大茶会を 開催。
 陣屋の大松に 鶴が 見事な巣を 懸けているの見た 秀吉は 喜び
 陣屋の名を 「鶴松亭」 にするよう 命じたそうです。
 現在 網干には 官兵衛が 残した書状などは ありません。
 しかし その逸話が 今に伝えられています。

 鶴立山大覚寺は 前身は 隆禅上人が 天福元年(1233) に 創建した 光接院で もとは
真言宗として 古網干にあったが 兵火で焼失し 弘治2年(1556) 堯淳上人が この地に
移して 再興した。 このとき 上人は 白鶴に導かれて 当地を選んだので 以来 鶴立山・大
覚寺と称し 浄土宗に改められた。  江戸時代には 幼児の盤珪国師や 河野鉄兜の勉学
所でもあった。 盤珪国師は 浜田の龍門寺を 創建(再興?)。 河野鉄兜は 東馬の兄。

広報ひめじ9月号 官兵衛ゆかりの地を巡る9 官兵衛の領地であった網干の地 には
 網干区興浜にある名刹・鶴立山大覚寺。 ここには 羽柴秀吉らが 配下の兵に対し
 網干の住民への乱暴狼藉や 放火などを 禁止するために出した 「禁制」 が残っています。
 秀吉の播磨攻めが 行われたころ 網干は 浄土真宗の門徒が 多く 反信長の勢力圏だった。
 そんな中 荒木村重の叔父・荒木平太夫から 網干の住民と 信長との仲立ちを請う手紙が
 届きます。 官兵衛の働きがあってか その後 信長から 禁制が出されました。

 善慶寺にも 寄ります。 浄土宗 西山禅林派 当的山・善慶寺は 明応元年(1492) 勧空善慶
上人の開基。 八世山空和尚を 中興開基とする。 本堂は 18世紀前半の様式で 入母屋造・
本瓦葺で 簡素な造りで 江戸時代の浄土宗 本堂の形を残すもの。 裏の墓地に 河野東馬の
大きな墓があります。 当寺には 河野東馬の書画が 多く残されています。
 善慶寺は 大覚寺の塔頭だった?

 少し東にある 網干神社へお参りします。 ここに 縁起が書いてありますが 古くて 風化して
ほとんど 読むことができません。

 これで 網干の市街地は 終わり。 網干地蔵へ向かいます。 網干小学校の北を 東へ走り
網干川に沿って 南へ。 ダイセル化学の裏側ですが 辺鄙なところで 薄ら寂しく 歩いて来る気
には なりません。 自転車なので・・。 網干小学校から 1km以上走ったでしょうか ダイセルの
裏門を過ぎたところ 川の傍、草地に 「網干地蔵」 がありました。 海が近いのか 潮の香りが
します。 網干地蔵の北は 網干川と 大津茂川が 合流し 川幅が 広くなっています。
     當一軒家地蔵尊縁起
 近郷及出入船舶ノ崇敬信仰スル當地蔵尊ハ梶山城ノ直裔豪族肥塚九兵衛 徳川幕府ノ
 允許ヲ得肥塚新田及流作酉高ノ地ヲ開拓スルニ及ヒ其子加志土地ノ地鎮海陸安全発展
 水難者ノ菩提追悼ノ為地蔵尊ノ奉祠ヲ発心シ其尊藏ノ彫刻ヲ播州明石ノ名工六兵衛ニ命ス・・・
 光明寺管長哲空隆賢工人西国巡錫ノ途開眼ヲセラレタリ・・・・元治元年三月
 詠歌  海の原 舟子安かれと 守るなり 出船入船 見立ての地蔵

 最後に 大江島地蔵を見に行きます。 網干川沿いに 引返し 東雲橋まで戻り 網干警察の
前を通って 大江島へ行きます。 この地蔵の場所も 分かりにくい・・・。
 すぐ近くに 住んでいるの人に 聞いても 知りません・・。

 川が合流するコーナーにありました。 大江橋を渡り Uターンするように 上流の橋を
渡り返し・・・。 このお地蔵さんも 肥塚さんが 建てたようです。 
 梶山城主・肥塚祐忠は 西播磨で 龍野城主・赤松政秀、室山城主・浦上政宗、備前天神山
城主・浦上宗景らが 激しく対立するなか 弘治二年に 没した。 この地蔵は 肥塚氏らの
霊を弔うため 建立された。 なぜ この地・大江島に 建てられたのでしょう・・・?
≪ 梶山城跡 ≫
 梶山城は 明徳年間(1390-94)七条家赤松氏系の赤松治部少輔教弘が 築城したと
 言われている。 教弘が のちに 伝台山城に移った後 一族の肥塚和泉守頼房が 入城し
 以後 肥塚氏が 数代にわたり 居城した。
 弘治二年(1556)祐忠の代に 楯岩城の広岡五郎に攻められ 落城した・・・。

 二つの地蔵を探すのに 時間がかかり これだけを 回るのに 3時間もかかりました。
11時ころ 家を出て 帰ってくると 2時でした。 疲れましたぁ・・。
 きょうは 梶山城跡の肥塚氏の名が てきましたが 梶山城跡は 近いので 登ろうと
思えば 登山口も分かるので 登ることは できますが 体が付いて来ない・・?
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高齢者作品展

2014-08-27 14:53:22 | ギャラリー散策
 8月27日(水)  天気:曇り 一時 晴れ  室温:31.8℃

 きょうは 姫路を歩いてきました。 イーグレひめじへ行って ”甲本 喜胤 水彩画展” を見ま
すが これは 写真禁止でした。 第1~第4展示室では ”第40回 姫路市 高齢者作品展”
 ~ めざそう生涯現役 ~ が 行われていて 400点近くもの作品が 展示されていました。
 ヤマトヤシキの特選ギャラリーを覗いて 中井三成堂画廊へ。 きょうは ”浮世絵展” をして
います。 山陽百貨店の 山陽ギャラリーでは ”北海道工芸展”、 美術画廊では ”有田焼
藤井錦彩 作陶展” をしていました。

 イーグレひめじへ行き 平成26年度 第40回 ”姫路市 高齢者作品展” を見ます。
作品は 15の部門に分けられ 洋画35点、日本画18点、書66点、水墨画37点、写真59点、
彫刻12点、盆栽6点、陶芸9点、工芸16点、ちぎり絵23点、すこやか人形11点、パッチワー
ク19点、手芸44点、絵手紙9点、その他(紙粘土、版画、拓本など)12点、 計376点が 展
示されています。 写真は 多く撮りましたが このページに載せるのは ごく一部です。







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 カフェ・ゆうゆうゆうで 休憩。 きょうのカップは NARUMI。

 中井三成堂画廊では ”浮世絵展”(展示即売)が行われていて 意外と安い。


 山陽百貨店の5階 山陽ギャラリーでは ”北海道工芸展” が行われています。
銅板を加工した操り人形が面白いので 撮らせてもらいました。

 美術画廊では ”有田焼 藤井錦彩 作陶展” が行われています。 絵付けが 繊細で
美しい。 華麗なる錦絵と 有田焼伝統の手造り 手描きの心に現代感覚を見事に調和。

 きょうの 12:56 の電車は 官兵衛電車でした。

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山へ水汲みに

2014-08-25 15:32:10 | ドライブ
 8月25日(月)  天気:曇り 一時 雨   室温:32.3℃

 きょうは 何もすることがなく 暇だったので ”きょういく” を実践するため 山崎まで
ドライブし よい温泉の水を汲んできました。 片道32kmほどの ドライブです。
 ドライブするときは 山歩きをしていたときの習慣で 周りの山並を見ながら 走りますが
きょうは あいにく 雨雲が 低く垂れこめ 眺めも いまいち・・・。

 12時ころ 出発し 太子町を抜け 国道179号線で 新宮まで行き 県道26号線を北上し
山崎で 国道29号線に合流し さらに 北へ。 井ヶ瀬橋の手前で 左折し よいたいトンネ
ルを潜り その先で 左折して 坂を上がると よいたい温泉です。 50分ほどかかりました。


 暑いとき 温泉に入ると 貧血で のぼせて 倒れるかもしれないので 水だけ汲みます。
この前 水を汲んだときは 100円で 18リットルくらいしか 出ませんでしたが きょうは
罪滅ぼしか 25リットルほど 出ました。 前回の不足分は 倍返し。


 水は すぐに汲み終わりました。 他に用事はないので すぐ帰ります。 きょうは トンネルが
できるまでの道路だった ”与位の洞門” へ寄ってみましょう。 北の揖保川沿いにあります。
山崎町指定文化財 与位の洞門
 この洞門をくりぬいた乢(ほき:崖のこと、歩危) と その東にあった 田井の船渡し付近は
 奇景として 有名であったが 宍粟奥地へ向かう交通の難所でもあった。

 大正12年 刊行の 「宍粟郡誌」 に 「田井より 与位に至る途(みち) 揖保川の清流 山脚を
 洗う処に 二箇の巨巌あり。 其の形 すこぶる奇なり。 巌頭には 老松 枝を 伸べて 空に翻り
 断崖数十尋(ひろ)、羊歯 岩松の類 これに 叢生し ・・・・」
 桟橋は 荒天の度に 落ちるので 明治36年頃に 村民が 二年がかりで 隧道を掘った・・・。

 たつのの新竜アルプスを見ながら走るとき いつも思うのですが 亀山は どれ? 北の
祇園嶽は 団子のような 特徴ある形から すぐ分かるのですが・・・。

 この前 広島へ墓参りに帰るとき ガソリンを入れ 620kmほど走り 燃料が 残り3目盛に
なりました。 週末には ガソリンを入れないと・・。 燃費は 24.9km/Lとなっていますが
実燃費は?  この車の燃費の悪いのは どうにか ならないのでしょうか?

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