私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

高丸山 たかまるやま 536m

2011-02-26 17:30:17 | 山歩き
 2月26日(土) 天気:晴れ 暖かい     地図:土万(南東部)

 きょうは 佐用町(旧三日月町)上本郷の高丸山に登ってきました。 二等三角点:上本郷です。 『播磨
山の地名を歩く』の西播磨の項に載っている山です。 いつものように 勘違いし 北の鉄塔を巡視し 2時
間のロス。 高丸山への登りは 倒木地獄で・・・。
 三角点に到達したとき 今回ほど 嬉しかったことはありません。 下山は 倒木帯を避け 北の谷を降り
たのですが これも 倒木地獄・・・。 どんぴしゃ 車に降りた時は 涙がでそうでした・・。 たった ひとつ
の三角点を 踏むのに これほど 苦労するとは・・。 先が 思いやられます。 二等三角点は 71個目。

 帰ってから 冷静に考え 分かったのですが 下の右の地図で 添谷から北の谷へ入ったつもりだった
のです。 山頂から北の谷へ降りて 車に戻った、 また 添谷から 林道を2km走ったことから 地図の
北端に 車を停めたと考えられます。 林道は まだ先へ続いています。
 本に 添谷集落から 熊野神社を右にしながら 流れに沿って山頂を目指すとあり 確か 「点の記」にも
林道・池ノ内線を 約0.5km、谷沿いにのびる小径を 約1.2km・・・とあったように思います。
 左の地図は 高丸山から北の図で 前半は 間違えて 北の林道を歩き 鉄塔55へ行きました。 後半
戦は 車に戻り 少し南から 高丸山を目指します。


 8:17 出発。 きょうも いい天気です。 国道2号線を西へ行き 8:41 龍野西ICから山陽道に
入り 播磨道に廻り 8:52 播磨新宮ICを降ります。 播磨道は 車が少なく 走りやす道です。
 播磨道は 15.6km 300円。 テクノ中央へ出て 右折して北へ向かい 急坂を下り 市ノ上へ降
りて 右折。 国道179号線を 東へ 1.9km 進み 桜橋の信号で左折 県道433号線に入ります。
 県道を3.3km北へ走り 県道を離れ 左の細い道へ曲がります。 道なりに 約1km進むと 添谷
集落です。 ここで 分岐を左へ進んだので 予定のコースを進んだと 思ったのですが・・・。
 進んだ林道は 未舗装の荒れた細い道で 引き返そうとしても Uターンも出来ません。 車の底を
ガリガリっと 2、3度 擦りました。 路肩の崩れた所もあり 落石もあり・・・。 なんとか 停められる所
に出て 9:35 やっと駐車。 添谷の分岐から 2.0kmも 北へ行きました。 家から 44.6km。 


 9:39 スタート。 自分の居場所が分からなかったので とりあえず 林道を北へ進みます。
が 歩き始めると 止まりません。 少し先に土砂崩れで 倒木が林道を遮っていますが 倒木を
潜って 歩くことはできます。 林道には 雨水が流れ 路面が荒れています。 造林事業のため
の林道と 表示されていますが 長年 整備されていないので 通行不能です。
 歩くのに問題は なく ずんずん歩き S字カーブを曲がり 分岐を左にとり 分岐を 左へ進みま
す。 緩い登りで いいハイキングロードです。 H7年の古い2.5万の地図には この林道は 描
かれていませんし 持っている地図のコピーには 高丸山から 北は ありません・・・。
 分かったのは 家に帰り 地図作成サイトから 最新?の地図を 入手してからです。


 ずんずん歩き 林道が 南に向かって U字を描く手前まで来ると 右に 景色が見え 鉄塔が
並んでいます。 正面のでこぼこの山頂は 水剣山? やっと おかしいことに 気付きました。
 尾根には 地籍調査のピンクのテープがあり 杭も 多くあります。 尾根を 歩いていると 前
方に 鉄塔が 見えたので イバラを 踏み越えて 行ってみました。  


 10:57 播磨西線55の鉄塔に 出ました。 完成しているように 見えますが 未だ 工事中。 工
事中の札によると ここは 上本郷字六郎木173番地? 『播磨 山の地名を歩く』には 高丸山の
所在地も 同じ住所に なっています。 住所・番地が 書いてあっても 居場所は 分かりません・・。
 僅かに 北に雪の山が 見るだけで 展望も・・・。 腰を降ろし 頭を冷やし 冷静に考えると 「点
の記」に 林道終点まで 500m、小径を 1.2km とあったような・・・。 引き返します。


 1時間20分かけて 歩いた 約2kmの林道を戻ります。 下りなので 走るように どんどん歩き
ました。 40分ほどで 車に戻り 車の距離計を見ると 添谷から 林道を 2kmほど 来ています。
 300mほど 南へ戻らなくては・・。 停め場所が ないので 車は移動せず 11:40 歩いて行
きます。 前半戦の2時間の林道歩きは ウォーミングアップの散歩ということで・・・。



 後半戦のスタートは 11:40。 林道を 南へ下ります。 登れそうな所を探しながら 適当に沢を
渡って 山へ取り付きました。 登り始めは 何の問題もなく 登れたのですが・・。 急斜面に 倒木が
出てきて 次第に 倒木地獄になり・・。 シダやタケニグサが 枯れて 地面を隠し うっかり踏み込み
ずぼっと 踏み抜くと ただでは 済みません。 全身 上から下まで 枯れ葉にまみれます。



 この倒木帯は 長く ズーッと続きます。 等高線300m辺りから 450m辺りまで 続いたでし
ょうか? 靴の中はゴミだらけになりました。 倒木帯の急斜面から 後方を 振り返ると 東の尾
根が えらく 高く見えます。 まだ あまり登っていない ということか?
 今までにも 何度か 倒木と格闘したことは ありますが 今回は 格別でした。 急斜面で 長く続
く倒木帯は・・。 格闘に 忙しく 写真を撮る暇が ありません。



 傾斜が 緩んだ標高450m辺りで 倒木がなくなると 雑木林になり 楽になりますが また
倒木が 現れ ぞっとします。 この辺りに なぜか ネットが 落葉に埋もれていました。
最後 急斜を登り やっと 尾根に出て やれやれです。 



 13:07 尾根に出ました。 沢を渡ってから 70分かかりました。 左が高そうなので 左へ
進むと 山頂でした。 13:12 高丸山に登頂。 右に ”高丸山” の白プレートがあり 間違い
ありません。 この人は こんな山に 二度も登ったのでしょうか? 四天王岩に守護された三角
点も 二等でした。 やっと 居場所が はっきりしました。 



 山頂は 南北に延びる尾根道で 北東にも尾根道があり 三差路になっています。 周りは 雑
木に囲まれ 見晴らしはありません。 疲れて 食欲はありませんが 落葉に腰をおろし 遅い昼
食にしました。
 13:32 重い腰を上げ 登ってきた東へ降ります。 登った倒木帯は 降りる気がしないので
少し先の北から 谷を 降りることにしました。 しかし この谷が すごい倒木で・・。



 降りた谷も 倒木地獄でした。 横の尾根に上がろうと 思えど 地図の通り 急斜面で迂回する
ことも 出来ません。 谷底の枯れ沢を下りましたが 岩の上は 足場が安定せず・・。 谷の倒木
も 林道の手前まで ずーっと 続きました。 ところが 林道の手前まで降りると 突然 昔の道
が 現れたのには 驚きました。 丸太を 4、5本渡した橋があったので 間違いありません。
さらに驚かされたのは 下に車が見えたことです。 谷の下に停めたとは 思いませんでした。


 下山にも ちょうど 1時間かかり 14:33 車に降りました。 14:36 帰路につきます。 慎重
に運転したつもりですが 帰りも 車の底を 1、2度 擦りました。 14:50 県道433号線に出て
南へ下ります。 残念ですが きょうは 高丸山の姿を 捕えることが できませんでした。
さらに 残念なことに 帰りに 三日月温泉に寄ろうと思っていましたが 温泉を 探す元気もなく・・。
 15:08 播磨新宮ICから播磨道に入り 15:19 龍野西ICを降り 国道2号線を走り 15:45
家に帰ってきました。 まあ 二等三角点が 踏めたので 良しとしましょう。
本日の走行距離は 往路:44.6km 復路:44.5kmで 計:89.1kmでした。
 私の車は きょうも 4WDに なってしまいました。 すなわち 4輪とも 泥んこ・・・。


 最近 国土地理院の 「基準点成果閲覧」 のページが 変更になり これまでのように 三角点の
点名を 調べることが 出来なくなりましたが 検索を うまく行うと 兵庫県の二等三角点の点名一
覧を 調べることが できるように なりました。 これで 調べると 京都府との県境に 二つあること
が分かり 新たに 2.5万地図:福知山西部の「下竹田313.1m」、:三岳山の「登尾峠633.3m」
が 判明。
 姫路市に 「松島83.67m」(地図:寒霞渓) があり これは 家島諸島・西嶋のさらに南の孤島?
さらに 淡路島の :諭鶴羽山の 「沼島117m」の4点が 見つかりました。
 これで 兵庫県の110点は すべて リストアップできました。 えっ 111点になる? 大阪府との
境界にある高代寺山(点名:七宝山)488.5mは 残念ながら 大阪府の山でした。

2011年2月末現在 70座に登り 淡路島の11点と 孤島の松島を除き 未登は 28座となりました。

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行矢神社

2011-02-23 13:08:30 | 日記
 2月23日(水)  天気:晴れ のち くもり    地図:なし

 きょう 辻井の行矢神社へ行ってきました。 この前からの 神功皇后つながりです。 しみけんさんから
「歴史教室」のページに コメントをいただき 行矢神社近くに 車が停められそうなので ”善は急げ”
さっそく 行ってきました。 姫路へ行くなら この前の稲岡神社つながりで 柿本人麻呂の人丸神社へ
寄らないと・・。
≪ 2月25日 追記 ≫
 きょう 公民館だより3月号が 配布されましたが 3月の「歴史教室」 は ”もっと知りたい播磨の文人達”
「詩人 有本芳水について」 となっており 私は 文学に 全く 興味がないので 欠席するつもりです。
  ・・・・・・・・・・・・・   ・・・・・・・・・・・・  ・・・・・・・・・・
 その前に きのう 家のすぐ近くで 火事があり なぜか 今日の新聞に載っていました。 夕方 5時半
過ぎでしょうか? 消防自動車の音が うるさいなと思って 窓を開けると すぐ近くで 真っ黒い煙が
もくもくと上がっています。 すぐ見に行きました。 不謹慎と思われるのは イヤなので 載せるつもりは
なかったのですが 新聞に載ったので 大丈夫でしょう。
 ちなみに 新聞の写真に 読者提供 とありますが 私では ありませんから 念のため・・。 しかし 間
近で 暗闇に上がる炎を見ると 怖いですよー・・。 この辺りは 民家が建て込んでいて 道も狭く 消火
活動は 難しいのですが 不幸中の幸い 隣家への延焼は まぬかれ 18:30 ほぼ 鎮火しました。



 まず 人丸神社へ行きます。 10:25 出発。 京見山の北を走り 国道2号線に出て 東へ行き
夢前橋の手前の信号で 左折。 細い道を 約400mほど北へ行くと 道がS字に曲がる所がありま
す。 ここで 直進すると すぐ左へ上がる道があり これを上がると 人丸神社です。 車は 境内に置
けます。 10:42 駐車。 家から 8.6km。 小高い丘に 社があります。



 人丸神社は 稲岡神社の由緒に 摂社 人丸神社とあることから 縁の深い神社のようで、祭神は
柿本人麻呂。 柿本人磨呂朝臣は 持統天皇や 文武天皇に仕え 殊に 和歌の道に勝れ 歌人とし
て 高く評価され 小倉百人一首や 万葉集に歌が 載っています。
 人丸神社は 古来からあった小詞堂を 明治十三年 古社を移転、本殿を建て 後 拝殿を建立。
その後 昭和四十年に 解体修理された。
 人麻呂は 播磨守のとき 青山に居住し 大和への旅先にて 石見より妻の来る夢を見て 引き返
し この丘にて 妻を見た と言い伝えられ この丘を 妻見ヶ岡と称し この地に 社を建てた とあり
その時 詠んだ歌が

    ”あいみては 千とせやいぬる 稲岡も 我やしかとふ 君まつほどに”



 歌聖と言われた柿本人磨呂の1250年大祭を記念し 昭和48年 奉賛会が 建立した歌碑があり
稲岡神社の旧鳥居の石を使った 風変わりな形をした碑で 帆かけ船の帆の形をしているそうです。
 碑には 読みにくい草書体で 歌が 書かれていますが 資料によると

      ”青山や あさかげ沼の こがくれに あわんとすれど 逢ふよしもなし”

拝殿には 絵馬が奉納してあり 確か 稲岡神社で見た 牛若丸と弁慶の絵馬が ここにもあります。



 人丸神社を後にして 行矢神社へ向かいます。 国道2号線に出て 東へ向かい 今宿で左折し
て ザ・モールの前を北へ行き 名古山の北 辻井で左折。 次の信号で 右へ曲がり 住宅街の
細い道へ入ります。 3mくらいある大きな石灯篭を見て 左折して 住宅の間を進み 大鳥居を
潜ると 行矢神社に突き当ります。 ん? 神社の境内に 車が停めてあります。 私も停めさせ
て! 11:14 駐車。 人丸神社から 5km。 神社は 塀に囲まれ 5、60m四方の広さが あ
るでしょうか? 街中の住宅街にありますが けっこう 広い境内の神社です。



 入口の説明板によりますと 行矢神社は 昔 八丈岩山の南麓 矢落村にあった。 神功皇后が
韓国出兵のとき 麻生山から射た矢が落ちた所で 八丈岩山と秩父山の間である。 祭神は 八丈
岩山に 祀られた伊達神(射楯神)と 秩父山に祀られた大汝命(兵主神)である。
 土地の人々は この二神を行矢に祀り 落ちた矢を 社宝とした。 その後 矢落の人々は 神社と
ともに 現在地に移った。
 明治三年 神社の格式調査をしたとき 行矢神社が 射楯兵主神社と決定したが 異論が出て 再
審議の結果 射楯兵主神社は 播磨国総社と決定、 この社は 行矢社 射楯兵主主神社となる。



 広い境内に入ると 右に立派な手水舎が ありますが 完全に干上がっています。 境内の中央に
社があり 駐車場に使われているためか 荒れた感じがします。 何本か 大木がありますが 鎮守
の森という雰囲気では ありません。 本殿にお参りしましたが ご利益は 期待できそうにもありませ
ん。 本殿は 鉄筋コンクリート造りで ピンク色も 雰囲気を損ねます。 本殿、拝殿と 建物が三つ
つながっています。 権現造りというのでしょうか?
 犬のフンに関する注意書が 多いのも 地域の人が 境内を 犬のトイレに使っているからでしょう。


 右奥に 絵馬殿があり 絵馬がたくさん奉納されています。 が 盗難防止のためか 絵馬は 金網
で覆われています。 武者が二人描かれた絵馬は 上杉謙信と武田信玄? 古い絵で 色あせて は
っきり 見ることができないのが 残念です。
 境内の右隅に 滑り台があり 若いお母さんが 子供を遊ばせていました。



 境内の左隅に 東宮殿下御渡欧記念碑が 立っていて 横に蔵がありましたが 屋台蔵?
境内を隈無く歩き 11:32 帰路につきます。 辻井の交差点に戻り 国道2号線西行きに
出て 右折。 国道2号線を走って 帰りました。 ちょうど 12:00に 帰着。
本日の走行距離は 往路:人丸神社まで 8.6km 行矢神社まで 5km 復路:13.5kmで
計:27.1kmでした。
 あと 残るのは 陰陽師・芦屋道満の出身地 加古川の西神吉町の正岸寺だが・・・。


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雛山 ひなのやま 92m

2011-02-21 16:04:18 | 山歩き
 2月21日(月)  天気:晴れ 暖かい     地図:網干

 2月19日 土曜日に 碇岩北山に登り 降りてから ついでに 雛山に登りました。 『播磨 山の地名
を歩く』に 「御津の小富士」とある山です。 地図は 前ページの碇岩北山を 参照してください。
 碇岩の伊和神社を後にし 雛山の北の道路を東へ進み 駐車地を探していると 保育所の前に 1台
分のスペースが空いていたので 停めさせていただきました。 11:37 駐車。 碇岩から 1.5km 走
りました。 保育所の隣は ”マリナグリーンみつ” とありましたが 老人ホーム?


 道路の南は 栄町公園で 東に栄町公民館もあります。 公園と言っても 滑り台があるだけ・・。
公民館前の道路を 東へ進むと 右に道が分岐し 車止めの鎖があります。 車止めを越えて 右
の坂道を上がると 大きな配水地に出ます。 御津町中島第二配水池とあります。
 地図の通り 大小二個のタンクがあり 大きい方は 直径24m、3200立方メートル、奥の小さい
方は 1500立方メートル。 手前には 御津町通信所・鉄塔があります。
 昭和33年 配水池の工事中 石棺が見つかったそうで この辺りは 古墳だったのでしょか?


 配水池の奥から山へ入ります。 ここには 巡視路の表示もあります。 いい雰囲気の雑木林で
見晴しの森と言うのでしょうか? 100mほど緩やかに歩くと 送電線・鉄塔 相生線7に出ます。
鉄塔の左上の岩が 山頂です。 この山は 三角点も標高点もありませんが 本では 92.4mとな
っています。 どの位置で 測られたのでしょう? 11:54 登頂。


 岩の下には 小さい祠があり 八大龍王分霊が祀られています。 本には 見晴らしが利く とあり
ますが 見晴らしは殆どなく 僅かに 木々の間から東が覗け ちょうど 正面に 京見山が見えてい
ます。 廻りは雑木のヤブで 踏み込む余地はありません。 巡視路は 西へ降りていますが・・。



 山頂の写真を撮って すぐ 下山。 山の名前は 可愛いのですが 山自体は面白味のない山
です。 見晴らしの森から 木々を透かして 南が見え 男鹿島が確認できましたた。 道路を歩い
て 12:18 車に戻りました。 車を停めた 保育所や老人ホームの梅が ほころび始めています。



 12:23 帰路につきます。 東へ進み 県道133号線に出て 北へ向かうと 揖保石見
(いぼいわみ)神社があります。 ついでに 寄りましょう。 神社の前に 短時間なら停めら
れます。 ここにも 由緒を書いたものがありません。 御津町では こういう文化財に手は
回らないのでしょうか? 神門を潜ると 右手に手水舎がありますが 蛇口から水は出てい
ません。 折角なので 水を ぽたぽた落としておきました。 



 正面の拝殿の屋根は 唐破風で 豪華な感じですが 中に 絵馬がたくさん奉納されていて
これにも驚きました。 平成8年の新しい、色鮮やかなものもあります。 最近になって絵馬
を奉納するのは なにか 謂われがあるのでしょうか? 屋島の合戦で扇を射る与一、毛利
元就の三本の矢、前田利家の槍の又左 などの絵馬もありました。 古い絵馬は・・・。



 本殿にお参りして 帰路につきます。 来た道をそのまま戻ります。 王子橋を渡り・・・。
12:52 帰ってきました。 本日の走行距離は 往路:伊和神社まで 5.9km 雛山北P
まで 1.5km 復路:5.2kmで 計:12.7km でした。 今日も楽しく遊ぶことができました。



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碇岩北山 いかりいわきたやま 201m

2011-02-19 14:07:43 | 山歩き
 2月19日(土)  天気:晴れ 暖かい  地図:網干

 きょうも 近場の低山 御津山脈縦走路にある碇岩北山へ登りました。 この前の 「歴史教室」 の
神功皇后つながりで 御津町碇岩にある「船つなぎ岩」を見に行き 伊和神社に お参りし ついでに
碇岩北山へ登りました。 神功皇后にまつわる伝説の地は 手柄・三和山の生矢神社や 辻井の生
矢射楯兵主神社などが 残りますが 今回の 船つなぎ岩で 一応 終わりに したいと思います。
 時間があったので 帰りに 雛山(ひなのやま)へ寄りました。 「御津富士」 と呼ばれる碇岩北山へ
登ったら 「御津の小富士」 と言われる 雛山に登らないと・・。 『播磨 山の地名を歩く』に 雛山は
優美なたたずまいの山容から 御津の小富士 と呼ばれる とあります。

 8:45 出発。 上余部を通り 王子橋を渡り 左へ曲がり 石見神社の先 鳥居があるところで
左折し 田園地帯の農道に出ると 目の前が ぱっと開けます。 左手には 雛山の配水池・鉄塔が
見え 正面から右手にかけて 御津山脈の東端 碇岩北山から権現山の山並が 連なります。
いい里山の景色が 広がっています。 天気も良く 快晴の青空に 白い飛行機雲が 尾を引き・・。
碇岩公民館の前から 細い集落の道を 西へ進み 大池の手前の空き地に 停めました。
 9:06 駐車。 家から 5.9km、20分ほどの距離です。


 実は きのう 御津町総合支社へ電話して 岩の位置を確認しておいたのです。 目の前の大池に
ある岩が そのようです。 なんの表示もありませんが 二本の石灯篭があります。 歴史教室で 先生
は 揖保川は 暴れ川で 昔は 蛇行して 碇岩の方へ流れていたのでは ないかと言われましたが 地
形図を 見ると 北は 権現山があり これを越えて 流れることはありえないでしょうし 権現山の東麓
から 鋭角的に 流れを変えて 流れることも 考え難いし 南も山で 流れていく先もないし・・。
 やはり 大昔 ここは 海の入江だったのでは ないでしょうか? 2mほどの岩は 池の水面が上昇
すると 水没しそうです。 神功皇后の舟つなぎ岩は やはり 伝説だった?
 それにしても 神社の真ん前に 船つなぎ岩があるのは なぜ? 岩と神社のつながりは?



 伊和神社に お参りします。 境内に入ると 手水舎はないし やや荒廃しています。 神様は 不
在? 山から降りてくると 男の人が ひとり 掃除していましたが・・。 急な石段を上がり お参りし
ましたが ご利益は? ここも 本殿、幣殿?、拝殿が 並んだ造りですが 切妻の屋根は つながっ
ては いないようです。 この前 破磐神社で 教えたもらった 権現造りは 本殿と拝殿の二棟を一体
化し 間に 石の間と呼ばれる一段低い建物を設けているのが特徴で 全国で 最も多い神社建築
だそうです。 拝殿正面の庇は 大きくU字形を描く曲線構造ですが 唐破風と言われる造り?
 急な石階段は 幅も狭いので 降りる際は 滑らないよう 要注意です。


 上の地図で 大池の東を 進んだように描いていますが 大池と中池の間を歩いたかも・・。 中池の
南に 「碇岩南山遺跡」の表示板があります。 遺跡は 池の底? 「碇岩南山遺跡」は 後期旧石器
時代の遺跡で サヌカイトで作られたナイフ形石器などが 出土していて 瀬戸内海沿岸では 珍しい
遺跡です。 また 碇岩南山瓦窯は 古代瓦を焼いていた瓦専用の窯で ロストル式平窯と呼ばれる
奈良時代後期から平安時代にかけて 畿内で 多く構築された 複雑な構造を持つ窯だそうです。
私としては 遺跡の説明より 船つなぎ岩や 伊和神社の由緒が 知りたいのに・・。



 北の道へ戻り 登山口へ向かいます。 道が 南へカーブした先が 登山口です。 9:36 雑木林の
山へ入ります。 湿った道を 右に左に やや暗い雑木林を登ります。 整備する人が いるのでしょう
道脇のシダは刈られています。 5、6分で 峠のような鞍部に出ました。 右も左も 低い石垣がある
急斜面で 道は西へ延びています。 ここは 御津山脈縦走路で 左は 稲富山、右は 碇岩北山で
す。 トラロープを掴んで 土手を 右へ上がります。


 山頂近くまで ズーと 急な登りが続きますが 幸い ロープが垂らしてあります。 登るにつれ
後方の見晴らし良くなり 南180度 展望が 広がります。 急な登りは 景色を見ながら ゆっくり
登りましょう。 登れば 景色も 少しづつ変わります。 東には 下に 大池・中池が見え 奥には
網干市街が かすんでいます。 南には 瀬戸内海に 家島諸島が 並び 小豆島も見えます。
西には 大浦北山、野瀬奥山、天下台山が 並んでいます。 空には 飛行機雲が たなびき・・。


 岩の上を歩き 10:06 碇岩北山に登りました。 登山口から 30分ほどです。 狭い平坦地
で 尾根道の途中です。 中央に 石に囲まれた 四等三角点:東山があります。 西へ 10mほ
ど 行くと 岩場があり 絶好の展望台で 南から西、北にかけて 見渡せます。


 南西方向には 御津山脈の山並があり X山の奥には 小豆島が かすんでいます。 山頂の
北も 展望台で 新竜アルプス、寝釈迦を見ることができます。 御津山脈は 見晴らしが良い
ので 冬場の日溜まりハイクには 最適です。 きょうは 風もなく 暖かいので 言うことなしです。


 景色を ひとり堪能し 水を補給し 東へ降ります。 ここからの下りは 雑木のトンネルと 開け
た展望道の繰り返しです。 山頂から 2、30m降りたところに 分岐があり 消えかかった古い
”伝台城跡”の道標もあり 左へ行くと 伝台(つだい)城跡へ行けますが・・。 以前 歩いたこと
が ありますが 道は怪しく 難しいルートです。 縦走路は いい道で ルンルン気分で歩けますが
所々に 木の切株が 出ているので つまずかないように・・。



 地図は持っていませんが 分岐のない一本道で これでもかと テープが付けてあり 迷うことは
ありません。 ズーと なだらかな下りで 景色を見ながら のんびり歩けます。 前方には 網干市
街の奥に 高御位山が確認でき 北には 明神山も確認できます。
 途中の岩場から 後方に 碇岩北山から北へ延びる尾根に 伝台城跡ピーク見え 山頂の白い石
碑が 光っていました。 地図がないので 奥山まで 結構 遠く感じましたが 10:45 北山の奥山
を通過。 そうそう どこか 道脇に 古墳がありましたが・・。 この辺りは 古墳が多い?


 あとは 縦走路を下るだけ・・。 最後 道路への段差は トラロープを掴んで 滑り降りて
11:01 道路に 降り立ちました。 向かい側は フェンスですが 権現山へ縦走する人は
フェンスを乗り越えないで 20m先のフェンスの切れ目を回ってください。



 舗装道路を 南へ下り 途中で破線の道へ入ると 突き当りが 碇岩公民館でした。 公民館の
前に 石碑があり 地図にも 印がありますが 「森林○○碑」とあります。 何と書いてあるのでしょ
う? 私は 字が 読めません。 聞いても 誰も 知りません・・。 集落を歩いていると マンホー
ルがあり 御津町のマンホールは うめ、やまもも、せとうち です。 11:22 車に 戻りました。
 本日の行程は 2時間ほど・・。
もう一度 船つなぎ岩を見て 11:37 車を出します。 池の水がないとき 岩を 見てみたい・・。 



 まだ早いので 近くの雛山へ登りましょう。 農道を抜け 東へ向かいます。 つづきは 次の
雛山のページを見てください。



  。。。。。。。。。。。。。。。。    雛山へ つづく    。。。。。。。。。。。。。。。
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稲岡山 いなおかやま 60m

2011-02-16 12:44:39 | 山歩き
 2月16日(水)  天気:快晴で暖かい 室温:14.5℃  地図:姫路北部(南西部)

 きょうは 先日の 『歴史教室』にあった 神功皇后の射た 三本の矢の一本が 落ちたと言われ
る 青山の稲岡神社へ行き ついでに 稲岡山へ登ってきました。
 天気が良く 暖かく 家で じっとしているのは もったいないので 『歴史教室』にある伝説の地で
一番近い所へ行きました。 『歴史教室』では ここに 「生矢社」 が 祀られていると 言われましたが
ここに 生矢社は ありませんでした。 講師の田中先生に 講義(抗議)しなくては・・・。


 以前 「播州野歩記」さんを 参考に 姫路低山めぐりを したことがあり 稲岡山には 登ったことが
あるので 場所は 分かっています。 10:07 出発。 国道2号線を 東へ向かい 夢前橋の手前
で 左折して 細い道を進み 大きな鳥居を潜ると 突き当りが 稲岡神社です。 駐車禁止で 停め
る場所が ありません。 自転車の人に尋ねると 親切にも 建物の中へ行き 停めさせてくれるよ
う頼んでいただき 駐車禁止の表示の前に停めました。 10:30 駐車、家から 8.5kmです。
 横の建物は 青山自治会の事務所で 生矢神社のことを尋ねると ここには ないと言われ 稲
岡神社の由緒書を 出して 説明して いただきました。

 由緒の中に 「射目埼神社は 本社より 八丁許り北なる矢落森に在りしが 応永元年 洪水のた
め 其の社殿 稲岡山の麓に 流れ来たりて 止まりしかば 遂に 稲岡神社に 合せ祀りしなり」 と
あります。 ということは やはり 矢が落ちたのは 約1.5km北のようです。 ところで 射目埼
は いめさき と読むのでしょうか? 現在の 夢前 の元になったそうですが・・。 石碑があるそ
うなので あとで 行きましょう。 神宮皇后は 結局 何本の矢を 放ったのでしょう?
※射目(いめ)は 狩りをするとき 身を隠す設備で いめ は 昔の言葉で ゆめ(夢)?



 まず 稲岡神社に お参りします。 境内に入ると 左の手水舎の龍の口から水が 落ちていま
す。 神様は 起きておられる・・。 ここ 稲岡神社も 破盤神社と同様 雰囲気のある神社です。
 境内には 落葉ひとつ落ちていません・・とは言い難いが・・。 それでも ”境内は 広く、明るく、
爽やかに うしろの森は こんもりと”は 守られています。 稲岡山は 丸い形から 丸山と言わ
れたり 青い山を 青山と言い 青山という地名になったそうです。

 由緒によりますと 稲岡神社の祭神は 豊受姫大神と 射目埼大神で 豊受姫大神は 五穀
豊穣の神様で この神社が 鎮座する聖地が 稲牟禮丘(いなむれのおか)であることから 迎え
られた。 稲牟礼丘は 「播磨国風土記」に記載される「十四丘伝説」にある?稲が落ちたと言わ
れる丘のことです。 読んだことはないので 詳しことは分かりませんが 概略 以下の如く

 昔 大汝命が 息子の火明命の乱暴ぶりに手を焼き あるとき 火明命を 水を汲んで来てくれ
と言って 八丈岩山へ降ろし 舟で 逃げると 火明命が 怒って嵐を起こし 舟を沈めた。 その時
舟に積んでいた 稲や冑などが 落ちた場所が 船丘、波丘、琴丘、藤丘、冑丘、稲牟礼丘、箕形
丘、日女道丘、石丘、鹿丘、大丘、みか丘、筥丘、くしげ丘 の十四の丘になった。
 現在 そのうち 十の丘が 比定されていて 稲牟礼丘(稲岡山)も そのひとつです。 十の山は
景福寺山、名古山、薬師山、姫山、男山、稲岡山、冑山、舟越山、秩父山、面白山 だと思いま
すが・・。 因みに 私は 姫路・低山めぐりで 比定された10の山には 登った筈?



 このように 稲岡神社は 由緒ある神社なれば 古来 柿本人麻、赤松則弘、榊原正邦(姫路
城・城主?)等 武将・領主の尊崇 常に深く しばしば 祈請した・・とあります。 もらった資料に
摂社・柿本人麻神社の由緒記が あったのですが 家に帰ってから気付き 後の祭り・・。 ここ
から 北西200mにある人丸神社が それのようです。
 柿本人麻呂は 播磨守として 青山に住んでいたことがあり 人丸神社の祭神。 神社は 委見
ヶ丘といわれる小さな丘にあり 帆かけ舟の帆の形をした歌碑が あるそうなので また いつか
見に行きましょう。
 そういえば 神社の入口の説明板に 万葉集にある柿本人磨呂の短歌が ありました。

   ” あいみては 千とせやいぬる 稲岡も 我やしかとふ 君まつほどに ”

 下の写真は どこかにあった絵馬ですが 「お陰参り図絵馬」は 文政十三年(1830)のもの
で 県指定の重要文化財。 ストロボが反射し 見難いですが 上部に 青山の遠景 中央に 武
者二人を配し その下に お陰の幟・・一村まとまって 伊勢参宮の様子が 描かれている そうです。



 腰を深く曲げて お参りし 摂社・金毘羅神社の左を廻り 山へ登ります。 西の広場に ”稲岡山
ハイキングコース”の道標があり 鎮守の森へ入ります。 道は やや分かりにくく なっていますが
擬木階段を探しながら歩きます。 60mの山なので 5分?もあれは・・。 東へ進み 左の岩へ上
がると 山頂です。



 岩があるだけの山頂ですが スピーカのついたポールと 青山八景の石碑があります。 石碑
に彫ってある歌は 城主だった榊原政邦公の歌でしょうか? 北へ道?があり 少し降りてみま
したが ゴザのようなシートが敷いてあり 薄気味悪いので 退散しました。



 東が開け 絶好の展望台。 目の前のひょうたん島のような山は 秩父山と舟越山で その
左には 振袖山(蛤山)が あります。 右の大きい山は 籾取山。 左裾に 鬢櫛山は 見えな
い? 今日もモヤが濃く 遠くは かすんでいます。 景色を見て 下山。



 車に戻ると ワイパーに 駐車違反の札が・・。 駐車違反の札では ありません! 事務所の
人が 親切にも 稲岡神社と人丸神社のパンフレットを 挟んでおいてくれたのです。 事務所
に寄って お礼を言い 神社を後にし 大鳥居の所から 西の道路に出て 北へ向かいます。



 擦れ違いにも 難儀する細い道を 北へ 1.5km行くと 姫新線の余部駅に出ます。 駅の
手前の片隅に 「矢落の森」 の石碑がありましたが・・。 森と言っても 木一本生えていません。
横のフェンスは 自転車置き場だし・・。  矢落の森の由来には
 ”神功皇后 市川の東 麻生山より 試みの一矢 この地におつ 故に 矢落の森といふ
  応神天皇 この地に 射目を 立て狩りをし給う 郷民 ここに 社を祀り 崇めしが
  洪水のため 流れて 稲岡山に止まる 今は 青山の宮に合祀せり 夢前の名の起りである”
  とあります。
昔は この辺りを ”行矢” と言ったのでしょうか? 今は 字 森的場という?



 一応 見るものは見たので 帰路につきます。 細い道は止めて 国道29号線に出て 夢前橋
の袂から 右折して 国道2号線を走って 帰りました。 11:57 帰着。
本日の走行距離は 稲岡神社まで 8.5km 矢落の森の碑まで 1.5km 復路 10.4kmで
計 20.4kmでした。
 下の写真は 東の国道29号線側から 撮った稲岡山ですが 形が 前方後円墳に 見えませ
んか? 廻りに堀は ないので かって 前方後円墳だったということは あり得ないか?


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