私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

多可町の飯森山 901m

2024-09-23 12:29:14 | 山歩き

  9月23日(月)    天気:晴れ    室温:28.1℃

 今回の山歩きは、2006.5.21に登った 多可町と神河町の境界尾根にある 飯森山900.6mを紹介し

ます。 飯森山は、千ヶ峰~笠形山の縦走路の途中にあります。 軟弱ものの私は、車で 行けるところまで 行っ

て、最短距離で登る省エネ登山をしていました。 なので、神河町越智から 車で林道を登り、林道終点に 車を

めて、飯盛山の北の夕日坂に登り、境界尾根を南へ登り、飯森山山頂へ。 飯森山から 縦走路を先へ進み、900

mピークまで歩きました。   残念ながら、登った当時の事は ほとんど覚えていません。 登った記録と写真

があるだけです。  千ヶ峰、飯森山、入相山、笠形山に 別々に登り、縦走したということにしています。

    

 神河町越智の矢床で 橋を渡り、林道を東に登ります。 林道終点に駐車。 林道終点には 祠があり、水汲場もあ

ります。 縦走路に登ると、夕日坂の表示があります。 地図には 道が描かれているので、神河町と多可町の人の

行き来は あるのでしょうか。 夕日坂から いったん 飯森山と反対方向の千ヶ峰のほうへ登り、793mピークへ。

 鉄塔を越えて 793mピークへ登ると、テレビアンテナがあります。 景色を見て、引き返し、飯森山へ。

   

 。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イーグレひめじで 第62回 姫路美術協会展

2024-09-19 14:11:59 | ギャラリー散策

  9月19日(木)    天気:晴れ    室温:33.8℃

 きょうは、イーグレひめじへ ”姫路美術協会展” を 見に行きました。 きょうは、大安なので みゆき通りで

宝くじを買いましたが・・。 かえりに 山陽百貨店の美術画廊へ寄って、”生誕100年記念 藤城清治 版画展 光と

影のファンタジー” を見ました。

 イーグレひめじの市民ギャラリー第1,2,3,4展示室では、”第62回 姫路美術協会展” が 行われています。

日本画30名、洋画47名、工芸12名、写真26名、書50名、デザイン7名の計172名の作品が 展示されています。

                 

 ・ ・ ・ ・ ・   ・ ・ ・ ・ ・   ・ ・ ・ ・ ・   ・ ・ ・ ・ ・   ・ ・ ・

  。。。  。。。。  。。。。  。。。。  。。。。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史教室9月 「日本100名城めぐり」から たどる城郭の歴史

2024-09-17 14:05:49 | 歴史探索

  9月16日(火)    天気:晴れ    室温:33.1℃

 きょうは、公民館の歴史教室に 出席しました。 7、8月は 休講でした。 今月は、元城郭研究室長の中川秀昭氏

の  ”「日本100名城めぐり」から たどる城郭の歴史” です。 来月も つづく予定です。

    。。。。。。「日本100名城めぐり」からたどる城郭の歴史 。。。。。。。

1.城とは

 ・「城」 とは、「土」+「成」⇒「成」は 「盛」に通じる ⇒ 土を盛ったのものが 城 (小和田哲男氏)

 ・古代に 「城」・「柵」(き)の語

   「稲城(いなぎ)」:『古事記』(和銅5年(712))、「城(き)」:『日本書紀』(養老4年(729))

2.城郭の歴史

 ・環濠集落:城郭のルーツ(弥生時代 中期~後期(BC100 ~AC200))、例)吉野ケ里遺跡(佐賀県)

     ・竪穴住居群、高床式倉庫群、物見櫓、これらを囲む 空堀(V字)、土塁・木柵

 ・古代山城:(飛鳥時代・7世紀後半)約30ヶ所(確認済23ヶ所)

       朝鮮式山城:大野城、基肄(きい)城、矢嶋城、高安城、金田城、鞠智城 『日本書紀』等記載

       神籠石(こうごいし)系山城:鬼ノ城、城山(きのやま)城、高良山城、唐原城など

 ・中世城館:(鎌倉・南北朝・室町時代(戦国時代)・13世紀~16世紀、約40000~50000の城(主に山城)

    ・・・・ 中世城館郭の3要素:堀、土塁、曲輪 ・・・・

   ・地方武士の館:「方形居館」(堀・土塁に囲まれた方1丁の方形区画)(例)足利氏館(栃木県)

   ・山城が出現:天嶮の要害(自然地形活用、山岳密教系寺院 ⇒ 山城)、霊山城、上下赤坂城、千早城、

   ・室町殿(花の御所):室町幕府3代将軍 足利義満 築造ー守護(在京原則)。 周辺に大規模な武家邸宅

   ・守護館(守護所):方形居館(堀と土塁で囲む方1~2丁の方形区画 (例)周防守護 大内氏館

      在地領主(国人・土豪):「居館」(山麓) + 「詰の城」(山城) ※居館:館、屋形、土居

   ・戦国大名の出現:大規模な中世城郭 ← 戦乱の恒常化ー山城:多くの曲輪を造成、城主の居館山麓→山城

         (例)浅井氏:小谷城、六角氏:観音寺城、上杉氏:春日山城、毛利氏:吉田郡山城など  

   

 ・近世城郭(安土桃山・江戸時代・16世紀後期~19世紀) 約200~300の城(主に平城・平山城)

    。。。。。 近世城郭の3要素:天守、御殿、城下町 。。。。。

   ・織田信長:安土城築城(天正4年(1576))・・画期的な城

         織田信長配下の家臣の城:長浜城・姫路城(羽柴秀吉)、坂本城・丹波亀山城(明智光秀)

    ■豊臣秀吉:豊臣大坂城築城(天正11年(1583))(天下普請)

      豊臣秀吉配下の大名たちの城:大和郡山城(羽柴秀長)、高松城(生駒親正)、岡山城(宇喜多秀家)

   ・築城ラッシュー築城技術の飛躍的進歩・・石垣築造技術(算木積み・反り)、望楼型天守、層塔型天守の開発)

    ■外様大名たちの大城郭築造(主に中国・四国・九州):熊本城(加藤清正)、福岡城(黒田長政)、小倉城

      (細川忠興)、松山城(加藤嘉明)、高知城(山内一豊)、萩城(毛利輝元)、松江城(堀尾吉晴)、

    ■徳川家康による天下普請(豊臣包囲網、外様大名の財力消耗):伏見城再築、彦根城、篠山城、亀山城、江戸城、

   

 ・一国一条令(元和元年(1615)6月) 例外:伊予国(松山城、大洲城、宇和島城、今治城)

 ・武家諸法度(元和元年(1615)7月):諸国の居城、修復を為すと 雖も必ず言上すべし、況んや、新儀の構営、

  ■元和以降の築城ー幕府の政策上 必要な城は 築城を許可(40城以上)

   ・幕府の政略上(西国有力大名監視キリシタン対策など) ・明石城:小笠原忠真、福山城(水野勝成)、

   ・天下普請:徳川大坂城 元和6年(1620)、二条城拡張 寛永元年(1624)

   ・外様大名の転封 赤穂城(浅野長直・慶安元年(1648))、丸亀城再築(山崎家治・寛永19年(1642)

  ◆御三階櫓(天守代用) 水戸城、新発田城、弘前城、丸亀城など

  ◆天守台のみ築造(天守築造せず):明石城、赤穂城、篠山城

     

 ・寛永12年((1635)の武家諸法度 「普請(石垣、堀など)の修復は 届出・許可が必要に 改訂」

 ・寛永の「破城」(寛永15年(1638) 島原の乱の後):肥前名護屋城、島原城、岩国城

 ・海防強化(幕末の築城)(幕末の築城) 松前城(松前宗弘・嘉永2年(1849))、福江城(五島盛政・嘉永2年)

 ・洋式築城・砲台 稜堡式:五稜郭(函館奉行所・安政4年(1857)、四稜郭、龍岡城(長野県)

          砲台:品川台場(嘉永6年(1853)、和田岬砲台(文久3年(1863))など

 ・明治維新(19世紀~今日) 

  ・存城・廃城令 明治6年(1873)1月14日(太政官不達)存城:56城(名古屋城、姫路城)・・陸軍省管轄

                              廃城:190城(城、陣屋など)・・・大蔵省管轄

  ・米軍の空襲により焼失(昭和20年(1945)):名古屋城、和歌山城、大垣城、広島城、福山城の各天守)

  ・戦後の再興(主に昭和30年~昭和40年代)・外観復興(名古屋城など)・復興(大坂城など)・模擬復興(伊賀上野城)

  ・平成の復元(史実に基づいた再現) ・天守:掛川城、白石城など ・御殿:彦根城表御殿、佐賀城本丸御殿など

 □現存天守 12城(国宝・重要文化財)

  ・国宝5城:松本上、犬山城、彦根城、姫路城、松江城

  ・重要文化財7城:弘前城、丸岡城、備中松山城、丸亀城、宇和島城、伊予松山城、高知城

       

 。。。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギャラリー集で 谷本 洋 時空の界 伊賀陶を繋ぐ

2024-09-16 19:14:57 | ギャラリー散策

  9月16日(月)敬老の日    天気:曇り・晴れ    室温:33.5℃

 きょうは、高砂市米田町のギャラリー集へ ”伊賀焼 谷本 洋 界 時空の界 伊賀陶を繋ぐ” を見に行きま

した。 行ったとき 男の人が ひとりおられましたが 暫くして帰られました。  特別 話すこともなかったので、

県知事の一件を 話題にして 二人で 議論しましたが どうも 意見がかみ合わない・・。 しばらくして 男の人が 二人。

今度は 総理大臣の話をしましたが、これも 話が かみ合わない・・。 きょうは、マンデーですね。 えっ きょう

は 月曜日ですよね・・。 きょうは、男(man)ばかり来る日だという意味でした。 早く帰らないと・・。

 案内状には、人類の文明とともにある やきもの。 伊賀盆地で 長い年月焼成された日用器皿の壺や碗。

 桃山時代に入り ある日突然、茶人‣武将の古田織部の指導によって、花入や水指等の茶陶が 生み出された。

 江戸時代には衰退した華陶伊賀。 戦後、古伊賀の復興に尽力し、現代伊賀の名陶を確立した父・谷本 光生。

 谷本 洋さんの陶への熱は、全てこの伊賀焼の系譜と共にある。・・・今展では 谷本洋さんの世界を満喫して・・

   

 谷本洋さんのホームページは <こちら> 

 伊賀は 忍者の里である。 さらに 俳聖と呼ばれる松尾芭蕉の生まれた地である。 そして 思い出してほしい

 ことは 茶陶として名高い伊賀焼の産みだされた土地であることだ。 ・・・・・・・ 伊賀焼も そのよう

 にして 伊賀盆地で焼かれてきたのだ。 ・・・・・・・・・

 伊賀の窯元に生まれ西欧の陶芸を吸収してきた逸材、谷本 洋に期待する熱がここにある。  中島 誠之助

     

 。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第47回 神崎郡美術協会展

2024-09-13 15:47:33 | ギャラリー散策

  9月13日(金)    天気:晴れ    室温:33.5℃

 きょうは、市川町文化センター コミュニティホールで きょうから16日(月)まで行われる ”第47回

神崎郡美術協会展” を見に行きました。 銀京さんから 案内状を 送っていただきました。  が、きょうは 

銀京さんは 不在で、お会いできませんでした。 きょうは、13日 金曜日ですが なにも 起こりませんでした。

 神崎郡美術協会展も、市川町文化センターへも 行くのは 初めてです。 播但道を走るのは 10年ぶり?

 神崎郡美術協会展には、日本画4名、洋画4名、彫塑1名、写真10名、書10名の方が 50点以上の作品

を 出展されています。 日本画には、明星 明子さんも おられます。

           

 。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする