私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

姫路の旧街道を歩く 浜街道篇4(広畑~網干)

2019-12-27 15:38:51 | 歴史探索
 12月27日(金)   天気:晴れ    室温:17.1℃

 きょう あるところで FMゲンキのフリーマガジン ”冬号” を 入手しました。
”冬号” の 気まぐれ途中下車 「姫路の旧街道を歩く 浜街道篇4」 は 広畑~網干です。
 夢前川から 御津町との境界の中川まで 書かれていますが 広畑区西土井からは 室街
道(室津道、室海道)になっています。 見所は 2:夢前川の渡しから 浜田の24:
龍門寺まで 24ヵ所 書かれています。 2から7までの区間は 歩いたことがありません。
 ※1月3、4日に 光栄橋から 広辻、八町道、大津区恵美酒町の砂堆から 網干区浜田
の不徹寺まで行き このページに 一部 写真を追加しました。
1月4日の 広畑(夢前川))から 龍門寺(中川)までのページは <こちら> です。 
●姫路の旧街道を歩く ”室津道篇2(才崎橋西詰~下余部)は 2018.4.8 です。
●室街道を歩いたのは ”室街道を行く(英賀保駅~八十大橋)” 2015.1.12 です。
●”室海道を行く(西土井~龍門寺)” を歩いたのは 2018.9.19 でした。
●”網干まちなかあるき(ダイセル異人館~龍門寺)” は 2012.3.8 です。
   
 

1.広土地区画整理事業(「広畑区整理誌」より)
   世界恐慌と その後の満州事変による」軍需の急増を受け、昭和9年、国家の統制
  の下、官営八幡製鉄所を中心に 複数の民間製鉄会社を併合した国策会社 日本製鉄が
  誕生。 阪神地区に製鉄年産70万とん、鋼塊年産50万トン/製品年産40万トン
  新製鉄所の建設を行うという第4次 拡充計画に基づき 昭和11年7月から 建設用地
  の選定を開始。 翌年3月には いくつかの候補地から 諸条件を満たす広畑に決定し、
  事業に着手。 新興工業都市(土地区画整理事業)が 行われました。

2.渡し
   明治17年の絵図 「廣畑村ト英賀村ト境界争論現今景況略図」 には、夢前川の渡河
  地点に 「此所廣畑村渡舩場」 と表示してあります。 渇水期には 板橋もしくは 徒歩で
  渡り、それが適わない時期には 渡し舟によったと推測されます。

3.広畑天満神社
   江戸時代の広畑村は、当時の大庄屋制度の下では 英賀組に属しており、英賀村の英賀
  神社の氏子でもありましたが、両村の関係悪化から、明治2年に 英賀神社を離脱し。
  京都北野神社から 菅原大神を分祀し 新たに 広畑天満神社を創建しました。


4.広辻
   天満社の境内にある広辻神社は 霊亀年間の創祀と伝えられ、神社が元あったとされる
  清水町の辺りを 広辻といい、清水が湧き出したという ここが 広畑村の始まりの場所だと
  考えられています。 英賀城 落城後 三木家家臣が 広辻に逃れたことで 村は大きくなりま
  した。 地元の田中酒造場の社長によると 湧水が 3カ所あり そのうちに一つが田中家にあった。


5.本町の道標
   裏面 「左 網干港室津 右 あぼし驛」、北面 「左 飾磨港」、南面には 「明治十七年
  施主 瀬尾孫次郎」 とあります。 最大の謎は 明治17年には 網干驛は まだなく・・
  さらに 「飾磨津」 が 「飾磨港」 に改称されたのも 明治22年だということです。

6.八町道
   広畑村は 夢前川西岸の沖積平野にあり、一帯に広々とした畑が広がっていたことから
  名づけられたと言われています。 戦後すぐの航空写真を見ると 京見山以南の日や部の
  北半分一帯に古代の土地区画の条里制が布かれていたいたことや 浜街道が 小坂へまっすぐ
  伸びていることが分かります。 恐らく 条里田八枚分すなわち八町(約880m)の距離。
    
7.室津道(室海道)
   西土井から東では 「室津道」と呼ばれ、天満から西では 「室海道」 と呼ばれているとか。
  古代からの重要港室津は、江戸時代の参勤交代の上陸地点、朝鮮通信使の寄港地にもなりました。 
  幕府は 重要度の増したこの港を、譜代大名の姫路藩に管理させました。

8.郡境石
   2枚の長方形の石の先端にV字状に切れ込みがあり、飾磨郡と揖保郡の境界を見通せるように
  なっていたそうです。 小坂橋付近の川から発見され、現在は 菅原神社の境内に保存されています。
  菅原神社内の金比羅社前の狛犬は 天明4年(1784)の年号があり、市内の狛犬の中では 古いもの。
  もと菅原神社前にあったものを、昭和17年に移したもので、阿形と吽形の配置が普通とは 反対になっている。

9.砂堆
   かって この辺りは 遠浅の海で、姫路南高校から県道421号線の間の地域には 東西に延びる
  3本の砂堆(波浪などによってできた砂州)がありました。 街道も この砂堆上にあり 「室海道」
  と呼ばれたことも うなずけます。 歩くと 道の北側の家屋の敷地や門扉が 3~4段上がっている。

10.平松の道標
   昭和2年建立。 南面 「右 しかま ひめじ 左 むろつ あぼし」 道、西面 「右 吉見村
  左 太田 網干駅」。 県道421号線の敷設に伴い 現在地に移されたとのこと。

11.吉見
   揖保川分流の網干川と大津茂川の合流地点に位置する吉見は 良好な河口湊で 林田藩役人の
  常勤する蔵屋敷や藩主の御茶屋のほか、廻船問屋が軒を連ねていました。

12.大吉橋
   吉見⇔大江島間は 昭和7年に 架橋。 当時は 帆船や高瀬舟が 大津茂川を頻繁に航行して
  いたため、橋の東半分を手動ウインチで 巻き上げる跳ね橋として 架設された。(記念碑より)

13.大江島の地蔵
   大江島という地名は、河口の大きな江の島から名付けやれたという説や 洲が増加・生長するかの
  ようであったので 「生い島」 と呼ばれ、それが転訛したとも言われています。 弘治2年に没した
  梶山城主 肥塚和泉守祐忠らの霊を弔うため 大江島に土着した子孫が 建立したものです。

14.播電網干港駅跡
   明治39年、揖保郡小宅村の実業家・堀豊彦を社長に 龍野電気鉄道が 設立。 明治42年に
  国鉄網干駅から龍野町間の営業を開始、さらに同年、北は 觜崎、南は 網干港まで延伸し 最終的に
  新宮まで延伸しています。 大正14年に 播電鉄道に改称。 昭和9年に 幕を閉じました。

15.稲香村舎 誠塾
   林田藩の儒学者 河野鉄兜の弟・東馬が 慶応4年に設立した私塾。 医業の傍ら子弟の教育に
  あたりました。 東馬は 勤皇の志士として 蛤御門の変に参加、敗れて 出石藩に捕らわれ・・。
  
16.船渡八幡神社
   網干町史は 「船戸は 道祖神であり、猿田彦明神を祀ったものであるとしています。 船戸は
  「岐の神」(くなと=道祖神)からの転嫁と考えられます。 境内の燈籠は 元は堤防の上にあり
  高瀬舟や筏が 夜の目印としていたもの。

17.揖保川舟運
   江戸時代初期、網干と山崎を結ぶ揖保川舟運が 開通。 網干は 揖保川流域の物資の集散地で
  かつ河川水路と海上航路を結ぶ拠点となり、龍野藩、丸亀藩、幕府の三つの領主が それぞれ
  新在家、余子浜、興浜を分割統治しました。

18.境橋
   龍野藩(新在家)と 丸亀藩(興浜)の藩境となっていた掘割に架かっていた石橋。
  道路拡幅のため掘割は無くなり 橋は 取り外されました。


19.ダイセル異人館
   日本セルロイド人造絹糸株式会社(現ダイセル化学工業)の技術指導に来たイギリスやドイツ
  からの技師らの宿舎として建てられた洋風住宅。 通天閣を設計した設楽貞雄による設計で 竣工は
  明治43年。

20.旧網干銀行本店
   網干銀行は 明治27年 山陽鉄道網干駅に近い高田村で 開業。 明治29年に 網干支店を開設。
  その後 日本セルロイド人造絹糸や 龍野電機鉄道の開業に伴い 本店を網干に移し、レンガ造りの
  洋館を建設。 その後 第三十八銀行、神戸銀行となり、令和元年の現在は レストランになりました。

21.山本家住宅
   網干銀行頭取や町長を務めた山本真蔵の住宅。 明治初期建築の主屋と 大正7年建築の洋館・離れ
  などで構成されています。 外観の特徴は 三階建て洋館の望楼。 洋風の近代和風建築です。 現在
  第1・第3日曜日に 公開されています。 山本家住宅を訪れたのは 2016.10.2 です。


22.大覚寺
   天福元年(1233) 隆禅上人の開基。 天文3年(1534)兵火で焼失。 その後 現在地に
  移りました。 信長・秀吉・家康それぞれが 当地について発した禁制を保管するなど、網干の中心的
  位置付けの寺。 江戸時代には 将軍家光から朱印地30石を認められ、盤珪国師、鉄兜らが学んだ。


23.不徹寺
   田捨女が開いたお寺。 氷上郡柏原(現丹波市)で 庄屋の家に生まれ、6歳で 「雪の朝 二の字
  二の字の 下駄のあと」 の俳句を詠んだ捨女は、夫の死後 仏門に入り、京都での修業ののち 盤珪
  禅師の徳を慕い 網干に移住。 多くの弟子を育てました。 座禅堂は 元禄13年(1700)に建
  てられたもので、全国でも数少ない 尼僧修業道場である。
   太宰府天満宮の飛梅で作った小さな天神様が 不徹庵の守り神(300年以上前の作)
   1月25日 合格祈願、厄落とし 初天神祭を行います。


24.龍門寺
   地元浜田の出身で 17歳で出家し 全国を修養、難解な禅をやさしく説いて多くの
  信者を得た盤珪禅師が、丸亀藩京極氏の保護と 豪商 佐々木家の援助を受け、寛文元年
  (1661)に 創建した播磨屈指の禅宗寺院。

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BSプレミアム 美の壺 悠久なる器 青磁

2019-12-25 15:16:55 | 日記
 12月25日(水)   天気:晴れ   室温:17.4℃

 12月20日(金) 午後7:30から NHK BSプレミアムで File493 ”悠久
なる器 青磁” が放送されました。 青磁は 人間が作り出した最高の焼物。
茶人の心を とりこにする上品なたたずまい。 中国風 精進料理の盛り付けに使われる青磁。
義政、信長、秀吉に愛された南宋の名宝 香炉。  さまざまな分野で 徳の高い焼き物として
愛用されてきました。 気鋭の作家が作る 近代の青磁とは・・。


※青磁とは、青磁釉を施した磁器または炻器のこと。 透明感のある青緑色の磁器で、紀元前
 14世紀頃の中国(殷)が 起源とされる、後漢代に流行し 以後 次第に普及した。
 製造技術は 日本や高麗にも伝播した。 特徴的な青緑色は、釉薬や粘土に含まれる酸化第二鉄が、
 高温の還元焼成によって 酸化第一鉄に変化することで 発色する。
 色艶は 全く異なるが、酸化クロムの還元で発色させる物も青磁と呼ばれる。
 
番組案内には
  皇帝が青磁に求めた「空の青」とは?
 ▽幻の色の再現を目指す陶芸家に密着!
 ▽茶人が憧れる、青磁の茶道具。 気品あふれるたたずまいを生かした「見立て」を楽しむ!
 ▽気鋭の作家が生む、青磁の質感を生かすフォルムとは?
 ▽青磁が引き立てる、鮮やかな精進料理!
 ▽香道・志野流の家元蜂谷家に 代々伝わる青磁。 織田信長・豊臣秀吉が所持したという香炉とは?
 ▽青磁の滑らかな手触りが、風雅な世界へと誘う!


一.憧れの青を求めて
 青磁の器を集めている柳沢さんのところには 汝窯の名品が並ぶ。 宝石を感じるような
 透明感のあるガラス質の器。 見る場所、方向によって 見え方が違うのを楽しむ。
 品格も備えていて あたたかみや 深みがあって 優しい。
 表面は わずかに光沢があるけど ずっと奥行きがある。 空の青を ふかくたたえた 湖の
 奥行きのあるような色。 汝窯は 鉱物とか植物でない 色を作り出そうとしたのではないか。


  岐阜県土岐市の陶芸家・塚本さんは 長石を砕いて 釉薬を作る。 釉薬の配合や 窯の温度を
 変えて テストピースを作る。 汝窯の釉薬は 薄いが 釉薬を厚くして 深みをねらう。
 18時間かけて 窯の温度を950度に上げていく。 総熱量を計算して 酸素を1/8にして
 1200度に上げる。 酸素還元焔焼成。 2日後 窯から出す。 色むらが見られ 汝窯の
 ものに近づいたものは 3点だけ。


  姿は 様々な形が作られたが 元は 青銅器の形をしたもの、青銅器を意識して作られた。
 裏千家の小澤さんは 青磁を収集しているが 花入れとして使う。 青磁は 「真」の花入れで
 格付の真・行・草の中で 一番高く扱う。
 汝窯は 鉱物とか植物でない色を作り出そうとしたのではないか。 人工の宝石を目指していた。
 人間の作り出した最高のやきもの。


二.いにしえの時代を写す
  多治見市の陶芸家・伊藤さんは 薄さにこだわり 薄さとハリをもつ造形を目指す。
 塊でなくて 薄さの中に その奥行を ピタっと閉じ込めてしまう。
 薄く作ると 柔らかさが出て 焼くと ゆがみ、特別な格調がでる。



 宇治市の萬福寺は 約350年前 隠元上人が 開いたお寺で 中国風精進料理が 青磁の器で
 盛付される。 料理と器の共演。

三.主役に寄り添う
  名古屋の香道・志野流の家元 蜂谷さんのところに代々伝わる家宝の青磁。
 足利義政、織田信長、豊臣秀吉らに愛された名宝は 南宋香炉で 銘「あをやぎ」。


 きょうの草刈さんは 何してたんですか? おじいちゃんの花瓶に 花を飾る?
 「見てたぞ」・・「冷蔵庫を見ろ」・・ビールを冷やして・・「花より団子」・・
 
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文化財見学シリーズ81 『飾磨街道』 をたずねて

2019-12-23 15:59:18 | 歴史探索
 12月23日(月)    天気:晴れ    室温:17.1℃

 きょうは 飾磨街道を歩いてきました。 姫路市教育委員会 文化財課 平成30年9月
1日 発行の文化財見学シリーズ81 ”『飾磨街道』 ” を たずねて” を参考にしました。
 姫路駅西で 姫ちゃりを借りて 飾磨門から 南へ下り バイパスを潜り 本徳寺を経て
山電飾磨駅手前の薬師寺まで 歩きました。 薬師寺から南は 以前(2015年12月に
”飾磨津散策 その2” で 歩いたことがあります。 きょうは いい天気で 風もなく 穏や
かなウォーキング?日和でした。
 下の地図は 国土地理院 H11年発行 1/2.5万 「姫路南部」のコピーです。


 飾磨街道(「飾万道」、「飾万津道」)は、姫路城飾磨門では 姫路町と 飾磨津まで
ほぼ直線に施設された 約4kmの計画道路。 「慶長播磨国絵図」 では 姫路町と飾磨津
を結ぶ道が見え、東堀で 西に折れ 知寶前で 南下、御幸橋を西に渡り 姫路藩御蔵の東を
南下し 浜付近に至るとみられ 終点は 姫路藩御蔵だったとみるのが 妥当でしょう。
  
 飾磨門外から 飾磨街道沿いの町場9町(方豆腐町・南畝町・延末町・安田町・栗山町・
三宅町・飯田町)は 飾磨津11町(須加町・大町・宮町・御幸町・東堀町・田町の裏手6
町、細江町・上町・下英加町・上英加町・都倉町の岡手5町) と 合わせて 飾磨20町と
いい 姫路藩町奉行所の管轄下で 飾磨津町会所で 4人の大年寄が 支配しました。
 なお 飾磨津物揚場から 生野銀山までの馬車道は 東堀南端から 現南畝町交差点付近ま
で 江戸時代の飾万道を転用し 明治9年(1876)の竣工です。

   
●姫路城飾磨門:北向きの脇門付き櫓門で 瓦葺き、門の北に多門と番所、櫓門を北に出て
  西に進み 飾磨街道を南へ。


●姫路城外堀跡:痕跡を見つけることはできませんでした。 下の写真は 備前門の南です。

●船場川跡
  
●姫路城大手筋
  
●姫路市役所発祥地:明治22年 現中国銀行の地に開庁。 昭和55年 現庁舎に移転。
  中国銀行周辺に 姫路市役所発祥地の表示は 見当たりませんでした。
  
●十二所神社(お菊神社):延長6年南畝の字代将軍に創建。 安元元年 現在地に遷座。
  境内に 「播州皿屋敷」伝説で知られるお菊神社がある。


●姫路藩家老 本多家下屋敷跡:痕跡を見つけることはできませんでした。
  

≪追記≫
 2021.1.21 街道近くを歩いていると 南畝公園に お地蔵さんがありました。
「ふりむき地蔵尊」 だそうで、このお地蔵さんに お参りして 帰りに フト立ち止まって
「ふりむく」 と いつも お地蔵さんが 微笑みながら 慈愛に満ちた眼差しで 「気をつけ
ておかえりなさいョ」 と言って 見送ってくれる。 やさしかった母の面影に見えたりする
思いがありました。・・・また 自分自身の喜怒哀楽の人生を 「ふりかえり」、これから先
の願いごとを 授かりたい、そんな気持ちにも通じる思いから この呼称を付けさせて頂ました。

 ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・
   
●大年神社:飾西郡延末村の氏神、境内に 慶応3年の石灯籠。


●日切地蔵

●法専坊:真宗大谷派、明応年間(1492~1501)の創建。 本願寺 実如上人の命で
  播磨に下向した空善の開基、播磨六坊の一つ
 ※播磨六坊とは 蓮如上人が播州(播磨国)に浄土真宗を広めるために派遣した6人の高弟(浄覚、順念、
  空善<善准>、祐全、善祐、誓元)が 英賀に派遣され、本格的な活動を始めて、それぞれ一寺を建立
  しました。 これらの寺は 播磨六坊と呼ばれ 6人の高弟が開いたお寺は 下のとおりです。
   浄覚 ... 光源寺(姫路市)、順念 ... 光善寺(龍野市)、空善 ... 法専坊(姫路市)、
   祐全 ... 円光寺(龍野市)、善祐 ... 永応寺(赤穂市)、誓元 ... 万福寺(赤穂市)

●延末地蔵堂


   
●浄円寺:(浄園寺) 真宗大谷派
  
●鞆田神社:飾西郡安田村の氏神、約4km北の桑原村から漂着した御神体を 現東延末付近に
  鞆田大明神として祀り、さらに現東延末三丁目付近に 遷座。 境内に 文久元年の手洗石。
  ご祭神は 市杵島姫命

●夜啼地蔵:天正古図に記され、15世紀の逸話を伝える。 宝暦10年(1760)に成立した
  「播州万宝知恵袋」所集の「国衙巡行考証」に 応仁二年(1468) 敵討ちの武士に 父を
  殺され 母を奪われた乳飲み子が 母の尊崇していた地蔵に 夜な夜な乳を飲ませられ 泣いて
  いたことから 夜啼き地蔵といわれたとある。

●法円寺:浄土真宗本願寺派、天正8年(1580)建立。 開基は 休意。

●三宅地蔵堂:伝児島高徳供養塔。

●金剛宝地蔵堂


 ・・・・・ ページが長くなったので 本徳寺以降は 下のページへ ・・・・・
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文化財見学シリーズ81 『飾磨街道』 をたずねて その2

2019-12-23 15:41:46 | 歴史探索
 ・・・・・ ページが長くなったので 本徳寺以降は こちらのページで ・・・・・

   
●本徳寺(亀山御坊、亀山本徳寺):浄土真宗本願寺派、明応2年(1493) 空善が
  建立した英賀東かりや道場が 淵源、開基蓮如上人、本徳寺一世は 本願寺九世実如
  上人第五子実玄、天正10年(1513) 秀吉の命令で 英賀御堂を 亀山に解体移転。
  寺領300石のち500石、慶長7年(1602) 本願寺東西分立に 東本願寺に帰属、
  慶長14年(1609) 西本願寺に帰属、東本願寺派のは 元和4年(1618)
  船場に建立、大門棟札から 宝永大地震で 寺内大破。

  現在の建物19棟の大部分が 17世紀から18世紀前半(江戸時代中期)のもので
  18世紀後半の住宅風建物の茶所や 大門など 全体として 30棟近くの建物がある。
  浄土真宗の中心道場としての伽藍形態を よく伝えていると共に 個々の建物が 年代を
  異にしていて 江戸時代の建築様式を知ることができる。
  県指定文化財は 本堂、大広間、庫裏、経堂、大門。 市指定の文化財もあります。



●光養寺:浄土真宗本願寺派、永正11年 英賀に建立。 開基は 石黒源太郎(入道光養)

●勝久寺:浄土真宗本願寺派、元和5年(1619)建立、開基 浄源。

●浄福寺:浄土真宗本願寺派、蓮如上人常随の弟子教賢の開基、本徳寺とともに 英賀より
  当地に移転。

●光照寺:浄土真宗本願寺派、天文19年(1550)建立、開基 空道。
  
●眞行寺:浄土真宗本願寺派、元和4年(1618)建立、開基 覚円。
  
●正龍寺:浄土真宗本願寺派、天正8年(1674)建立、開基 常賢。
  
●法受寺:浄土真宗本願寺派、寛永11年(1634) 建立、開基什円、延宝8年(1680)
  木仏寺号付与

●法性寺:浄土真宗本願寺派、永禄10年(1567) 建立、開基円明、寛文13年(1673)
  英賀より移転

●長榮寺:浄土真宗本願寺派、寛正6年(1465) 浄円が飯田に建立。

●西徳寺:浄土真宗本願寺派、永正13年(1516) 建立、開基 了西。

●産業道路:県道62号姫路港線、国道250号宮堀端交差点~国道2号白鷺橋交差点。

●旧国鉄飾磨港線跡:播但線飾磨港支線、明治28年開業、昭和61年 廃止。


●白玉稲荷大明神:(都倉村)

●御旅所跡碑:恵美酒宮天満神社 秋季例祭の本神事には 都倉村まで神輿巡行。
  
●清水薬師井戸跡碑:「播州名所巡覧図絵」に 国中第一の水
  
●薬師寺:東寺真言宗東光院、清水の薬師堂、伝仲哀天皇創建、正徳3年(1713)
  恵賢法師 中興開基。


 ・・・ ここから南は 2015年12月の ”飾磨津散策” のページを見てください ・・・

 本徳寺周辺には お寺が たくさんありますが 多くの寺院は 門が締まっていて 中の写真を
撮ることができませんでした。
 帰りは 飾磨街道を真っすぐ北へ走って 14時前に 姫路駅北へ 姫ちゃりを返しましたが
10時半ころ借りたので 料金は 400円? この前 しみけんさんのページに 山陽百貨店
の前で売っているヤキイモが 美味しいとあったので 買おうと思いましたが 店がない!
しみけんさんのページをよく見ると 月曜は 定休日だそうです。
 駅のホームで 駅そばでも と思いましたが ホームへ上がると 14:04の赤穂行の電車
が 発車寸前。 飛び乗りました。 きょうも ほぼ満席で・・・。

 
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イーグレひめじで 翠苑書道会展 他

2019-12-19 14:51:57 | ギャラリー散策
 12月19日(木)  天気:曇り のち 晴れ?   室温:15.2℃

 きょうは 姫路へ行きました。 イーグレひめじへ行って ”第一支部 写真展” と
”翆苑書道会展” を見ます。 この展示で 市民ギャラリーの12月の展示は 終わり
ます。 次は 1月に・・。
 中井三省堂画廊へ行き ”竹紙・竹筆の世界” を見て 山陽百貨店へ行き 美術画
廊の ”山耀展” を見ました。

 イーグレひめじ 市民ギャラリーの第1・第2展示室では ”第18回 日本風景写真
協会 兵庫第一支部 写真展” が行われています。 写真撮影は 禁止でしたが 会場の
雰囲気だけ 撮らせていただきました。  会員の作品 約60点が展示されています。
 私たちの支部は、写真による創作表現の研究と技術の向上 及び 自然環境の保護、モ
ラルの向上に努め、写真を通じ 常に文化の向上と 社会の発展に貢献することを目的
に、風景撮影に取り組んでいる協会支部です。

 


 ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・
 第3・第4展示室では ”第七回 翠苑書道会展” が行われています。 「聖火リレー
とともに走れ!」 をテーマにした作品展で リレールートにある主な 見所を書作品に
仕上げたものなど 約300点を展示。  日展入選作家(書) 石山先生の作品も展
示され、今回 お忙しい中 表装の大半を デザインも仕上げて頂きました。
 内容は (学生~一般)
 ○聖火リレーのルートを ”書” で走ります!
 ○皇室の伝統と、やさしくも力強い陛下のおことばより。
 ○令和元年にちなんで ”一” のつく文字と詩文。
 ○”万葉集” などの仮名・漢字・調和体・臨書など。 









 
 ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・
 1階のカフェ・ゆうゆうゆうで 休憩して 中井三成堂画廊へ行きます。
 中井三成堂画廊では 「夢中庵」 田崎博和さんの ”竹紙・竹筆の世界” が行われて
います。 田崎さんが おられ お話をお聞きすることができました。 竹を使った筆や
紙を作られていますが 1本の竹から 繊維を出して 筆先を作る。 竹の根も 筆先に。
 紙に写真をプリントした作品もあります。 草木染もされていて 柿渋染めも。 沙
羅の花から 紙を作る?





 山陽百貨店の美術画廊では 百貨店が厳選した洋画・日本画秀選 ”山耀展” が行わ
れています。 文化勲章受章、文化功労者、芸術院会員画家たちの日本画、洋画の秀作
を展観いたします。 1月には ”巨匠版画展”、”新春 絵画福袋市” が行われます。

 きょうは 少し早めに駅に戻り 13:05の赤穂行の電車で 帰りましたが この
電車も 姫路止電車が着いて 乗り継ぎ客が乗りこむと 座席は ほぼ満席になりました。

 
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