私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

黒鉄山から百間岳

2012-01-29 14:59:35 | 山歩き
 1月29日(日)  天気:曇り  室温:?   地図:備前三石

 きょうは 赤穂の黒鉄山(二等三角点:西有年)へ登り 西の百間岳まで歩いてきました。 12月23日に
山ちゃん達が歩かれたルートですが 三角点が無視されています。 わたしは 二等三角点に興味がない
頃(2006.12.3) に 本を見て 登りましたが 今回 もう一度 三角点を 確認に行きました。
 山ちゃんのページで 登山道が 整備されているそうなので 西の百間岳まで 縦走しました。 やまあそさ
んは 2002.2 に Mr.M氏と 歩かれていますが ひどいヤブだったそうで 自転車を 百間岳に 置いて
黒鉄山へ登られたようですが 地図がありません。
 予報も 今朝の空も 良かったのですが 山では 北西方向から 雪雲が流れてきて 雪もちらつき 帰りに
は 小雨も降りました。 こんな天気なら きのう 死ぬほど暇だったので きのう 行くのだった・・・。

 8:48 出発。 相生、赤穂の市街を走るのも 面倒なので 山陽道で行くことにして 国道2号線から 龍
野西ICに廻り 9:13 山陽道に入ります。 山陽道を 15.5km(250円)走り 9:23 赤穂ICで降りて
県道96号線を西へ。 正面に 反射板のある黒鉄山が見えます。 登る前に 山の姿が見られるのは いい
ものです。 県道557号線に曲がり 新幹線高架下で 左折して 下を潜り 新幹線沿いに進むと フェンス
があり フェンス脇に 停めます。 赤穂ICから 2.8km、家から 31km。


 スタートしようとすると 上りの新幹線が 一陣の騒音とともに 走り去っていきました。 9:37 スタート。
扉を開けて 林道へ。 この扉の開閉には 紐を解き 縛らなくてはなりません。 轍の残る林道を歩き
ます。 この林道が 結構 急で ひと汗をかきます。 少し 進むと 後方が開け 下に 山陽道が見えます。



 奥の平らな山は 雄鷹台山? 10分ほど歩くと 鍋森神社の赤い鳥居ある林道終点。 この林道は
何だったの? 作業道? ここに 里山防災林整備の説明板があり 兵庫県、赤穂市、兵庫みどり公
社が 県民緑税を活用して この辺り一体を 整備したようです。



 お役所仕事なので ここから 丸太の階段が 多くあります。 地図にある通り ここから 上の尾根に出る
まで 等高線の詰まった急傾斜の谷を登ります。 登山道・管理道?は 小さく折れ曲がり ジグザグに 登
りますが 地面の土が崩れ 20cmくらいの石が ごろごろしたガレた道で 歩き難いです。 石に乗り 足
首を ねん挫しないよう 慎重に 歩を進めます。 急なので ゆっくり登るしかありませんが・・。



 道脇には ロープが張ってありますが ほとんど役には 立ちません。 地面には 栗のイガが いっぱい
落ちています。 椿の花も落ちていますが 咲いている花は・・・。 左に折り返す所で 振り返ると 後方
の稜線に 反射板が見え 上の尾根が 近い。
 雑木のトンネルに入ると 尾根の笹谷分岐です。 10:26 分岐に登りました。 前回は 下山時 北
の谷へ降りましたが 谷・沢は 道が 分かり難いのです。


 分岐を 左へ進みます。 今までのガレた道とは 打って変わって 土道の歩きやすい なだらかな道に
なり 松葉を踏みながら 歩きます。 テーブル岩を過ぎ 開けた所に出ると 左に フェンスに囲まれた
大きな 関電の反射板があり 反射板は 東を向いています。 10:33 反射板。 前は 確か 雑木に囲ま
れていましたが 今は 回りの雑木が切られたのか 開けています。 反射板の前から 赤穂市街が 望
めますが 手前の木が 視界を遮り 写真が撮り難い。



 山頂手前は 山上庭園風に 岩が配置された枯れススキの道で やや 道が分かり難い・・。 10:39
黒鉄山に 登頂。 木は切られていますが 枯れススキや岩が点在し 雑然としています。 とりあえず
二等三角点:西有年 431mを ゲット。 前には 無かった記帳ノート・箱が 設置されています。 ノート
を見ると 意外と多くの人が 登っているようですが 山ちゃんも とうこさんも記帳しなかったの?
 やまあそさんが 赤穂は 四神相応の地形と言われています。 北の玄武に当たるのが この黒鉄山だ
そうですが・・。 東には 青龍の清流・千種川が流れています。 西の大路は? 



 山頂から 南が 絶景ですが きょうは 雨の降りそうな空模様で 淡路島にも雲がかかり 墨絵の世界で
す。 風は 無いようで 煙突の煙が まっすぐ上がって 空に漂い 異様な景色が広がっています。 実際
は 写真ほど 暗くは ありません。 山頂から 北も望め 天気がいいと 氷ノ山や 那岐山も見えるそうです
が・・・。 見える山は 特徴のない山ばかりで 同定できる山は・・・。 左奥の山は 八塔寺山?

10:48 西へ降り 百間岳へ向かいます。 降りる道は 新しい赤テ-プがあり 分かります。 やや急な
下りを 鞍部へ降りると イノシシ?が 道を掘り返し 分かり難くなっていますが テープを頼りに進みます。
 420mピークへの登りにかかると シダが出てきますが 道は はっきりしています。



 ピークへの登りに 岩があり 市街の展望台で 赤穂市街や 瀬戸内海が一望できます。 420mピー
クは なだらかな雑木の尾根道で ピーク感はありません。 ピークから降りる手前に 岩があり 先端の
岩は 展望台で 黒鉄山や 北が望めますが・・。 黒鉄山の左に見える山は 天下台山? 



 百間岳への登りにも シダがありますが 整備されていて 気持ち良く歩けます。 山頂手前は 岩
や 低い雑木があり 雑然としています。 岩の奥に ケルンがあり ここが 百間岳の山頂。 11:28
登頂。 黒鉄山から 40分ほどでした。 念のため 地図は 持ってきましたが 地図を見ることなく 道
なりに歩き 到達することができました。 ここには 三角点はなく 地図では 435mの標高点です。



 『播磨 山の地名を歩く』 では 赤穂市の最高峰は 黒鉄山の431mということになっていますが
ここ 百間岳435mの方が 高いのです。 見晴らしも まずまずで 北には 六道山や 八塔寺山?
が見え 南西方向の採石場の奥に見えるのが 天狗山だと思うのですが・・・。 南には 瀬戸内海
が望めますが 小豆島には 雲が かかっています。 手前の島は 鹿久居島?



 石を積み上げたケルンの横の木に 札がぶら下げてあり 第4回、第5回 山道整備とあり 四人の
名前が 書かれています。 第5回が 昨年の12月だったようで それで 歩きやすい道だったようです。
新しい赤テープも多くあったし・・・。 シダが多いので 手入れも大変でしょう。



 一人で 景色を堪能し 11:40 降ります。 雑然とした山頂で 降りようとすると 道が・・。 左寄
りにありました。 帰りは 写真も撮らず どんどん歩きました。 黒鉄山への登りも 大したことなく
12:11 黒鉄山へ戻りました。 山頂で おにぎりを 食べていると 雪がちらついてきて・・。 北の空
は 真っ白で 雪が降っているようです。 おにぎりを 一つ食べて 急いで 下山。 雪は ちょっと降っ
ただけでした。 分岐からの下りも ねん挫しないよう 慎重に降りて 13:00 車に戻りました。



 本日の行程は 9:37~13:00で 3時間半ほどでした。 車で 残りのおにぎりを 食べている間にも
新幹線が 次々に走り去っていきます。 結構 本数が 多いようです。
 13:10 帰路につきます。 雨が ぱらぱらっと 落ちてきました。 県道96号線に出て 東へ戻り 赤穂
ICから 山陽道に入ります。 帰りも 山陽道を使います。 13:26 龍野西ICで降りて 国道2号線に。
山陽道は 11分、16.5km、250円。


 国道2号線を走り 途中で スーパーで 晩ご飯を買い 14:02 帰着。
本日の走行距離は 往路:31.0km 復路:31.9kmで 計:62.9kmでした。
最近 登る山が無くなり 登る山に苦労しています。 いい山は ないでしょうか?


   。。。。。。。。。。。。                       。。。。。。。。。。。。。 
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赤穂までドライブ

2012-01-26 15:39:15 | ドライブ
 1月26日(木)  天気:晴れて 風が冷たい  室温:10.7℃

 きょうも 天気はいいが 山へ行く気がおきませんし 行きたい山もありません。 天気がよく 絶好のドライ
ブ日和です。 暇で することもないので 赤穂まで ドライブし 赤穂ハイツの お風呂に入ってきました。
 車から降りて 写真を撮ろうとすると 風が冷たく 慌てて車に戻ることに・・。 ドライブなので 南の国道
250号線、通称 浜国の七曲がりを 海岸の景色を 見ながら 走りました。 室津、万葉の岬、相生湾の
はりまシーサイドロードを走り 高取峠を越え 坂越から 赤穂御崎の赤穂ハイツまでの 片道40kmほど
のドライブです。
 10:34 出発。 王子橋を渡り 御津町に入り 新舞子入口で 国道250号線に出ます。 ここまで 6.2
km。 西へ走ると 岩見港です。


 岩見の湾を回ると 道の駅みつ があります。 平日の昼間ですが 多くの車が停めてあります。 カキ
のシーズンだからでしょうか? ここから 七曲がりと言われる カーブが続く道ですが 今は 道幅も広く
なっているので 難なく走ることができます。 海面に日が当たり ぎらぎら輝いています。 道の駅の後
方に見える山は 御津山脈のZ山とY山でしょうか? なぜ アルファベットが 使われているのか・・・。



 道の駅みつから 9.4kmで 室津の入口。 この前 室津の観光をしたので きょうは 国道脇から
写真だけ撮って 通過します。 天気は いいが 南の海側は 逆光で 暗く写ります。 ここを下ると 大
浦湾。


 大浦を過ぎ 御津町と相生市との境界に来ると 万葉岬があります。 国道から南へ入り 曲がりくね
った 坂道を1.5km登ると 万葉の岬の表示があり さらに先へ行くと ホテル万葉岬があります。
 ここは 瀬戸内海国立公園です。 説明板があり ここ金ヶ崎は 180度の視界に 瀬戸内海がひらけ
兵庫万葉の海の歌を味わうには 絶好の場所です。
 赤人望郷の歌の舞台 辛荷島、室の浦の湍門(せと)の崎 と詠まれた 岬です。 万葉集の山部赤人の
歌は ”縄の浦 ゆ背向に見ゆる奥つ島 漕ぎ廻る舟は 釣しすらしも” 辛荷島は 室津の沖に浮かぶ 唐
荷島で 縄の浦は 相生湾、奥つ島は 蔓かづら島? 詠み人知らずで ”室の浦の 湍門の崎なる鳴島
の磯越す浪に 濡れにけるかも” もあるそうです。  ホテルは 以前は 国民宿舎でした。


 万葉岬は つばき園で この辺りには 椿が 40種、230本植えられているそうです。 椿は 相生市の木。
椿の盛りは 過ぎたように見えますが 2~3月が見頃で 3月20日には つばき祭りが 行われるそうで
す。 岬の先へ降りて 海岸沿いの遊歩道を散策することもできますが 寒いので 止めておきましょう。
播磨灘の景色だけ見て 引きあげます。 国道へ戻る坂道から 相生湾を眺めることができます。



 11:39 国道に戻り 北へ下り 相生湾を見ながら 湾の北へ北へ廻ります。 IHIには 大きな
コンテナ船が 停泊しています。 相生大橋を渡り 坂を下ると 道の駅、海の駅 あいおい白龍城。
 ここにも 多くの車が停めてあります。 ここには ペーロン温泉がありますが 通過。
高取峠を越え 赤穂市に入り 坂越に降りて 坂越橋の手前で 左に曲がり 坂越トンネルを抜け
ると 坂越湾に出ます。 左へ曲がり 県道32号線を南へ行きます。



 坂越から 5.2km 県道からV字に折り返し 登ると 赤穂ハイツ。 高台にあります。 フロントで 入浴
料500円を支払い まず 食堂で 昼食。 ここからの景色は 最高。 南に 小豆島、東に 家島が見えま
す。 目がいいと 男鹿島の左に浮かぶ三つの小島の奥に 明石大橋が見えます。 昼食後 下へ降りて
お風呂に入ります。 ここは 温泉では ありません。 水を軟水処理して・・・。 入ったときは 誰もおらず
独り占め。 ゆっくり 浸かり 13:38 帰路につきます。 来た道を戻ります。



 坂越トンネルと抜け 国道250号線に曲がる信号で 正面に 砂子の山が見え この前 しみけんさん
が 雄鷹台山から 坂越へ降りた道が見えます。 国道は 何所も空いていて すいすい走れます。
帰りは 新中川橋を渡り 御津町から 姫路市い入った所で 左折して 余部を通って 帰りました。
 本日の走行距離は 往路:39.9km 復路:37.8kmで 計:77.7kmでした。




 いつもの散歩コースの土手には 水仙が 咲き始め 近くの民家の庭先では ロウバイが咲き
いい香りが 漂っています。


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夕陽ヶ山 ゆうひがやま 228m

2012-01-22 16:10:06 | 山歩き
 1月22日(日)  天気:晴れ  室温:14.7℃  地図:笠原(中央部)

 きょうは やまあそオフに 参加させていただき 笠松山の南の尾根を 歩いてきました。 99%参加しない
つもりでしたが 予報外に 天気がよく 風もなく 暑いような日和で 冷や汗をかきながら 楽しく いいヤブ山
歩きができました。 参加者は やまあそさん、かいり君、K山さん、しみけんさん、ともみさんの 計6人で
す。  尾根の西端の夕陽ヶ山に登り アップダウンのヤブ尾根を 東へ歩き 善防山の手前の分岐から
西の吊橋へ降り 橋を渡り 古法華寺へ降りました。 運良く お堂が開いていたので 中にある日本最古?
の石仏を 拝むことができました。 古法華寺から やまあそさん好みの女嶽の隕石岩を 見ながら 約2km
歩いて 自然公園に 戻りました。
 山名の夕陽ヶ山は 三角点の点名ですが 点名は 正しくは ヶ ではなく ケ で け が大きいのです。



 きょうは 少し寝過し 起きたら 7時を過ぎていました。 集合時刻が 30分遅くなったので 良かった。
8:16 出発。 コンビニで おにぎりを買い 姫路バイパスへ。 空いていて スムースに走れます。 8:43
花田ICを降りて 国道372号線に回り 東へ走り 小原の信号で 左折して 2kmほど北へ行くと 古法華
自然公園への入口があり 300m先に 広い駐車場があります。 9:00頃 到着。 すでに 何台か 停めら
れてます。 見回すと やまあそ号があり 隣に停めました。 花田ICから 10km、家から 33.9km。
K山さん、ともみさん、しみけんさんも来られ 9:28 6人で スタート。 道路を歩いて 南へ廻ります。



 池の傍が 登山口です。 稲荷神社へも寄りましたが・・。 きょうは かいり君が 居るので やまあそさん
は かいり君の教育に余念がありません。 とうこさんが やまあそデビューしたときの レポを見たことが あ
りますが 登山口は 相変わらず ヤブっぽい感じです。 先頭の露払いは やまあそさんですが きのうの
雨で ヤブは濡れて 大変なようですが 最後尾つけた私は どう ということは ありません。 ヤブを抜ける
と 急な登りになり 滑りやすい。 きょうは 気温が 高いのか 直ぐに 汗が出てきました。


 景色を見ながら ゆっくり登ります。 傾斜が 緩んだ辺りから 東に 雲海が見え 後方に 鉄塔のある
王神峯が見え 西には セントラルパークの大観覧車も見えます。 10:26? 夕陽ヶ山へ登りました。
きょうは 皆さんと 話しながら歩いたので 時間集計が おろそかになりました。 山頂の四等三角点:夕
陽ケ山には チップが埋め込まれています。 標柱には 三等と書かれていますが 四等です。



 2008年4月に ここへ来ましたが 記憶が 全然 ありません。 前回の 記録は ありますが ブログは
ありません。 東の鞍部から 北へ降りたことは 覚えていますが・・。 山頂で 小休止して 尾根を東へ
進みます。 歩く人が ほとんどいないので 雑木とシダで ヤブ気味の尾根ですが 見晴らしは 良好。
景色を見ながら 写真を撮りながら 最後尾を歩いたので 皆から遅れ 尾根の状況を撮っていません・・。



 前方に 大柳ダム湖、笠松山、善防山を見ながら 左下に 神姫バスの練習場を見ながら 歩きます。
きょうは 日曜日なので バスの練習も なし・・。 下に 火薬庫が見える所で クイズ? 日本化薬では
自動車のエアバッグ用の火薬を作って 儲けている? 火薬庫の写真は 撮り忘れました。
右の山並には 法華山が 奥には 志方城山が見えます。  後方には 歩いたピークが 尖って見える
展望の尾根歩きです。



 左奥に 明神山が見えますが 笠形山には 雲がかかっています。 尾根を進むにつれ 大柳ダム
湖の左に 女嶽の特徴的な岩が くっきり 見えてきます。 ともみさんは 女性は 一人なので 対応が
難しい? 女性も せめて 三人いれば 文殊の知恵? 



 11:26 大柳ダム湖の真南にある200m等高線ピークで 昼食休憩。 ここは 岩の露出するピークで
展望良好です。 驚いたのは ともみさんが クッキング用のコンロを出したのです。 扱いには 慣れてい
ない様子ですが 本格的な山女を 目指すのでしょうか? とはいえ 私以外は 皆さん コンロで 料理?さ
れています・・。 きょうは やまともデュオの演奏会は ありませんでした。 ここは まだ 善防山分岐へ
の半分ほどしか 来ていません。 11:46? 先へ進みます。



 この辺りまで来ると 左前方に 馬ノ背の吊尾根が見え 馬ノ背の岩場を ハイカーが歩いているようです。
こちらも 岩登りになり ともみさんが 悲鳴をあげています。 きょうのコースで 悲鳴を聞いたのは 4、5
回でしょうか? かいり君は 物静かで ほとんど しゃべらないのに・・。 



 ピークに登ると 前は 深い谷に見え その前は 急な登りに見えますが 実際に歩くと それほどでも
ありません。 しかし アップダウンの繰り返しで 大分 疲れてきました。 岩場を登り パノラマ写真を
撮るため 馬ノ背へ寄ります。 しみけんさんが 写真を撮る間 休憩できます。




 しかし パノラマ写真を撮るのは 大変です。 お金をかけて カメラ、三脚などの機材を揃えて 山の
上まで運び 撮影場所を選び 三脚を据え付け 水平を調整し・・。 写真は 360度で 11回写真を撮
る? 撮ってから 写真が見られるようにするまでの 苦労は 分かりませんが・・。
 ともみさんと かいり君は 岩場で デート?  雑木林を登って 善防山手前の分岐へ。 この分岐は や
や分かり難いところに 道標があります。 ここから 左へ降ります。 ここからは 下りです。 下っている
と かねちゃんに出遭いました。 私は 初対面です。 やまあそさんの掲示板を見て 駆け付けたそうです。 
 


 13:37 吊橋に降りました。 吊橋が揺れ ともみさんは 怖い!と言いながら 下の磨崖仏を撮って
います。 しみけんさんが いたずら好きとは 知りませんでした。 橋の向こうが 鎖のある岩場で 最後
の難所。 急ですが 鎖を使わなくても 登れます。
 13:48 下の道へ降りました。 古法華寺に 団体さんが 来られたようで ちょうど タクシーに 分乗し
て お帰りになるところでした。 駐車場の横にある 「磨崖仏」 は 薬師さんと呼ばれ 薬師如来の左右に
日光、月光菩薩像が彫ってあり 薬師三尊と呼ばれています。



 トイレ休憩を済ませ 帰ろうと 歩き始めると 右上のお堂の扉が 開いているのを やまあそさんが
見付け ともみさんが 見たいィ・・。 予約すると 200円で 石仏が 見られるそうですが・・・。
 お堂に上がると 誰もいないので 勝手に写真を撮らせていただきましたが 中は 暗くて・・。
国の重要文化財の「石造 浮彫如来像」(古法華石仏) は 日本最古の石仏の一つで 白鳳時代(7世
紀後半)のもので いすにかけた中尊と 蓮華座上に立つ 脇侍が半肉彫りにされています。 火災に
遭ったらしく 天蓋、三尊は 半肉部が 剥離欠失し わずかに 脇侍の一部が 残っています。 肝心の
顔の部分が 欠けているのが 残念です。 
 てくてく歩いて 14:40 車に戻りました。 きょうの行程は 5時間ほどでした。 駐車場に かねちゃ
んが 待っておられ しばし 談笑。 車を 新しくされたのでしょうか?


 14:47 帰路につきます。 小原で 国道に出て 西へ下り 15:00 花田ICから 播但道に入り
姫路バイパスに 回ります。 途中で スーパーに寄り 晩ご飯を買い 15:45 家に帰りました。
本日の走行距離は 往路:33.9km 復路:35.0kmで 計:68.9kmでした。
きょうは 変化に富んだ山で 楽しく 歩くことが できました。
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新型ハイブリッド・アクア

2012-01-21 14:55:48 | 日記
 1月21日(土)  天気:雨  室温:15.1℃

 きょうは 雨で 何所へも行けません。 娘が 車の車検で トヨタへ行くらしいので 私も トヨタへ
行って 新型ハイブリッド車 アクアAQUAを 見てきました。 この前 行ったときは まだ 展示されて
いませんでした。
 アクアは 世界No.1の低燃費と言われ 公称燃費は 35.4km/Lで 小型・軽量・高効率のハイ
ブリッドカーです。 いまの車は 燃費が悪くなるし 走行中 車体もガタガタするし エンジン音も大きくな
ったような気がします。 歳とともに 運動神経も悪くなるので 車は 小さい方が いいし・・。
 グレ-ドは G、S、Lと 三種類あり 車両本体価格は Sグレードで 179万円です。 いつまで
車に乗れるか 分かりませんが 私が 乗れなくなったら 娘が 乗ると言っていますが・・・。

 
 

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西播磨の戦国時代

2012-01-16 21:59:23 | 日記
 1月16日(月)  天気:曇り  室温:13.7℃

 1月13日(金) 新宮へ行き 新宮・宮内遺跡、梅岳寺、天神神社を訪れ 大寺山へ登りましたが この
日 新宮へ行った目的は たつの市立埋蔵文化財センターで 行われている 特別展 「西播磨の戦国時
代~赤松氏の興亡~」を 見ることです。 秋の 「龍野城物語」 を見て 疑問に思うことがありました。
数日前の新聞に 特別展が行われる ということが 載っていて いつか 行こうと 思っていました。
特別展は たつの市教育委員会の主催で 入館料は 200円です。 展示室は 常設展示と 特別展示の
二つの部屋があります。

 たつの市埋蔵文化財センターでは 開館以来 「城山城と赤松氏」を 展示テ-マのひとつに掲げ 日頃
から 調査・研究に 取り組んでまいりました。 開館5周年にあたる本年は これらの調査・研究成果を基
に 赤松氏を中心に 西播磨の戦国時代を紹介する特別展を開催します。
 赤松氏は 下剋上の始まりとも言われた 嘉吉の乱で 衰退しますが 応仁の乱に乗じて 山名氏より 播
磨を奪回します。 その後 数々の侵略や内乱の耐えながら 戦国期の播磨を守り抜きますが 秀吉の侵攻
により 播磨を追われました。
 本展では この赤松氏の興亡を中心に 中世城郭の出土遺物・復原図や 貴重な古文書・肖像画などの
資料を展示し 昨今の戦国ブームの中 西播磨の戦国時代について わかりやすく 紹介して参ります。



 赤松則村(円心)(1277-1350)は 村上源氏の流れを汲む 赤松家4代の当主で 南北朝の頃
朝廷(後醍醐天皇)側に 付いていましたが 後に 北朝の足利尊氏側に付き 室町幕府の成立に 係
わり 後醍醐天皇側の新田義貞の 尊氏追討軍6万を迎え撃つため 建武三年(1333)頃 白旗城
を築き 湊川の戦での 尊氏軍勝利に 貢献し 白旗城を 居城とした。 また 元弘三年(1333) 姫山
に縄張りを定め(砦を築いた?) 赤松貞範が 貞和二年(1346)城を築き これが 姫路城の始まり
です。  次男の貞範は 相模川の合戦、竹下の合戦などで 戦功を挙げ 播磨国を 宛がわれた。



 その後 嘉吉元年(1441) 赤松満祐が 6代将軍 足利義教を 暗殺。 これが 嘉吉の乱です。 追わ
れる身となった満祐は 城山城で 大軍に囲まれ 自害。 赤松家は 滅亡の危機にさらされますが 弟の
義雅が 落城寸前の城山城から 脱出し 室津の赤松満政の陣に 落ち延び 自分の命と引き換えに 一
子 千代丸の助命を依頼し 自害する。 千代丸は 天隠龍澤(千本出身)に引き取られ 養育され 成長
し 時勝と名乗るが 20歳で亡くなる。 しかし 亡くなる直前に 男児をもうけており それが 後の赤松
政則である。 長禄の挙における 赤松遺臣の活躍で 政則には 加賀半国が 与えられ 赤松家の再興
が叶う。 その後 政則は 応仁の乱で 浦上則宗と共に 東軍に属して 活躍し 西軍の山名氏から 播磨
を取り戻すことにも 成功する。 その後 赤松家は 五代100年 続くのです。

 赤松満政は 嘉吉の乱のときには 幕府の大手軍として 合戦に 参加し 室津に上陸し 室山城に 陣
取ります。 合戦後は 東播磨の三郡(飾東、飾西、神東)を 支配することが 認められた。 しかし 山
名持豊により 東播磨三郡は 奪われ これに 反感をもった 満政は 三草山城にて 蜂起するが 破れ
赤松持家(有馬家)を頼るが 攻め殺される。
 赤松氏内部では 惣領家と 春日部、七条家などの庶子家が 対立していたようです。



 置塩城は 文明元年(1469) 赤松政則が 築城。 赤松氏の居城として 政則ー義村ー晴政ー義祐ー
則房と 五代に渡って続きますが 天正五年(1577) 則房のとき 秀吉に降伏。 天正八年 秀吉の
城割令により 廃城となります。
 赤松政則は 室山城(室津城)を 浦上則宗に与えていましたが その後 浦上氏と対立。 永禄七年
(1564) 赤松政秀は 室山城を攻め 浦上政宗、清宗を殺害。 室山城は 落城し 以後 廃城となります。
 龍野城(古城)は 文亀元年(1501) 赤松村秀が 築城。 村秀-政秀ー広貞ー広英 と四代続きます
が 秀吉の侵攻により 開城。 その後 四人の豊臣大名が 城主となり 関ヶ原の合戦 以降は・・・。

 赤松義村(七条家 赤松政資の二男で 政則の養子になる)は 浦上氏の拠点 備前・三石城や 美作・
岩屋城を 攻めるが 破れ 端谷城(神戸)へ逃亡する。 その後 浦上氏に捕えられ 長福寺に幽閉さ
れ 室津で 暗殺される。 なお 義村が 養育していた亀王丸は 後に 12代将軍 足利義晴となる。

 赤松義祐は 永禄元年(1558) 父 晴政を 龍野城へ移し 置塩城に入城し 実権を握る。 龍野城主・
赤松政秀は 永禄12年に 姫路城を攻めるも 青山で 黒田官兵衛に敗れています。(青山合戦)
 その後 織田軍が 播磨へ 侵攻を開始してきたことにより 播磨国内は 混乱する。
 天正元年(1573) 信長により 備前・浦上宗景に 播磨を支給する 旨の朱印状が 与えられるが 宗景
は 家臣の宇喜多直家に 攻められ 天正三年に 居城の天神山城は 落城する。 一方 義祐の置塩城
は 元亀二年(1571) に 別所氏、天正三年に 恒屋氏の攻撃を受けているが 撃退している。



 天正九年(1581) 秀吉は 播磨の九城に 破城令を出す。 この中に 赤松則房の 「置塩城」 も含ま
れていた。 その後 則房は 賎ヶ岳の合戦で 功を挙げ 四国平定戦後の 天正13年に 阿波国へ移封
され 1万石の大名となる。 文禄元年(1592) 則房、広英は 秀吉とともに 朝鮮の役に参加する。

 龍野城主・赤松広英は 秀吉の播磨侵攻の際に 龍野城から 佐江村に蟄居し その後の賎ヶ岳の合
戦で 功を挙げ 天正13年 但馬・竹田城を与えられる。 現存する竹田城の石垣遺構は 広英の築城?
と言われる。 しかし 広英は 慶長5年の関ヶ原の戦の際 鳥取城を焼き払い その責任を 問われ 切
腹させられるのです。


 昨年の10月14日の夕刊に 歴ナビ 旅する日本史 ゆかりを訪ねて という記事があり 赤松広秀が
取り上げてありました。 疑問に思ったのは 広英と広秀 のどちらが 正しいのか?ということです。
新聞では 広秀 です。 調べると どちらも 使われていたようです。
 龍野城主・赤松政秀の次男・広秀(1562~1600)は 秀吉に攻められ 配下となり 賎ヶ岳の合戦な
どの功績で 竹田城主に。 鳥取の大火は 無実で 宇喜多秀家の義弟ゆえに 切腹させられたという説
も・・。 竹田城は 廃城となる・・。 一方で 学問を重んじた経世済民の大名の顔をも持つ。 資料も 少
なく 墓も見つからず 謎多き最後の城主・・・。 赤松家の家系図も 広秀で 終わっています。



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 展示を見ていると 地元の朝日山の写真がありました。 係りの人に尋ねると 朝日山で 合戦が
あったそうです。 そう言えば 朝日山にある法道仙人開基の大日寺には 戦火で焼けたということ
が 書かれていました。 天文三年(1534) 赤松晴政は 朝日山で 浦上政宗と戦ったそうです。
また 隣町の高田の安田公園には 赤松塚があるそうです。 これは 知りませんでした。 きょう
(1月17日) 行ってきました。 公園の南東隅に フェンスに囲まれ 赤松塚が ありました。



真新しい 「赤松塚」 の碑には 以下のように 彫ってあります。
 天正元年(1532) 頃より 播磨を支配していた赤松一族の勢力紛争で 二度、三度と
 朝日山の合戦が続き 討死や恨みをのんで 自刃(じじん)した将兵は 数十名と伝えられる。
 爾来 この地に鍬入れしたり 犯したりすると 祟りがあり 病気や災難を受けると いわれ
 原野のまま 今日に至っている。
 往時の播磨の雄 赤松一族に係る地 と伝えられるから 前述の合戦に関係のある土地かも知れない。



 碑の後ろに 赤松塚整備記念碑があり 日付は 平成23年8月吉日とあります。 なんーだ 出来た
ばかりじゃないの・・。 丸い石で固められた 盛り土があり 太い枯れ木と 小さい祠もあります。
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