私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

加東市観光

2011-09-28 17:12:24 | ドライブ
 9月28日(水)  天気:晴れ 暑い  室温:29.7℃

 いつだったか NHKの 『新・兵庫史を歩く』 で 北播磨の御仏たち(加東市)という番組が放送され や
しろ鴨川の郷、清水寺、住吉神社、丹波・播磨道、三草山、闘龍灘、光明寺などを 訪れていました。
 きょうは 加東市へ観光ドライブに行き 私の まだ 行ったことのない やしろ鴨川の郷 と 住吉神社を
巡りました。
 これとは別に 加東市には 「加東市の遺産」 が 10ヵ所 選定されていて この前 三草山に行ったとき
入手した ”観光ガイドマップ” を 参考に 観音寺、佐保神社、安国寺、坂本遼詩碑、若宮八幡宮も訪れ
これで 加東市の遺産 10ヵ所も 全て 訪れました。 最後に 朝光寺へも 行きましたが 国宝の本堂は
修理中で 境内に 入ることが できませんでした。 吉祥院の奥様にも お会いできず・・・。


 9:17 出発。 平日は 通勤ラッシュを 避けなければ・・。 姫路バイパスを走り 9:41 花田ICから
播但道に廻り 9:51 福崎ICで 中国道に入り 10:05 滝野社ICを降ります。 中国道は 450円。
左折して 県道17号線に乗れば 一本道。 まず 一番近い観音寺へ行きます。 ICから 2.4kmで 観
音寺に着きましたが 駐車場がありません。 10:16 道路脇に駐車。 ここまで 60.6km。

 大悲山 観音寺は 貞享三年(1686) に 家原浅野家の菩提所として 創立され 元禄14年(1701)
浅野長矩公の殿中刀傷により 赤穂浅野家は 断絶となり・・・。 赤穂四十七士の義挙から 150年を経
て 多くの有志から 浄財が寄せられ 弘化四年(1847) 立派な供養墓碑が 建立されました。 以来
毎年 12月14日 赤穂義士の忠誠を讃えて 義士祭が 盛大に 営まれるそうです。



 住宅街の道路脇の狭い境内に 本堂だけがある 小さなお寺ですが・・・。 左奥の 塀に囲まれた狭い
場所に コの字形に 墓碑が並んでいます。 隅に 小さい宝篋印塔もあります。 四十七士で 知ってい
るのは 堀部安兵衛だけか? 清水一学(一角ではない)は 吉良側か・・。


 観音寺を後にし 佐保神社へ向かいます。 0.7kmほど 南にありますが 神社への入口が 分かり難
い。 ここも 道路脇に停めました。 南へ回れば 停める所はあります。 佐保神社は 北播磨第一の大社
と言われ ”やしろ”の名前は 当社の門前町として発展してきたことに由来するそうです。 毎年10月に 行
われる秋祭りは 盛大だそうです。


 佐保神社は 垂仁天皇の御代に創建された古社で 鎌倉時代には 朝廷や幕府の崇敬を集め 隆昌を
誇り 室町時代に入り 度々の騒乱により 一時荒廃しましたが 江戸時代に到って 姫路城主・池田輝政
公の祈願所として 社領十石を寄せられ・・・ようやく復興。
 本殿は 延享四年(1747) に再建されたもので 三間社流造 正面 千鳥破風 軒唐破風付 銅板葺で
幣殿、拝殿、瑞神門とともに 華麗な彫刻で飾られています。 御祭神は 天照大神、天児屋根命、大己貴
命の三神。 境内には 稲荷神社、恵比寿神社、諏訪神社、八幡神社、稲荷神社、神明社などがあります。


 佐保神社へ 裏(北)から入ってしまいました。 ここは 丘の上の高台で 社の街が見渡せます。 南の
門へ廻ります。 広い境内で 立派な神社ですが もう少し こんもりとした森が あれば・・。 南にある門
は 瑞神門とありますが 随神門では? 中には 埃が積もった随身?さんが おられます。 門の右横に
大きな石灯籠がありますが 高い灯籠に 石階段が付いているのは 初めて見ました。 門を入ると 能
舞台。 これも 初めて見ます。


 10:55 佐保神社を後にし 安国寺へ向かいます。 南の松尾の信号で 左折して 県道85~75号
線で 東へ向かいます。 小野市を抜け 加東市に戻り ドライブ日和の のどかな田園風景の中を 走
ります。 新定の信号で 右折。 左へ回り込むと 安国寺。 広い駐車場に 11:19 駐車。 佐保神
社から 11.1km走りました。 なぜか 駐車場の隅に 鐘楼が立っています。


 由緒がないので 詳しいことは 分かりませんが 安国寺は 足利尊氏が 後醍醐天皇と戦没者を弔
うために 暦応二年(1339)開創。 全国一国一寺の発願で 播磨に建てられたので 播磨安国寺と
もいわれる。 山号は 東渓山で 臨済宗妙心寺派の禅寺。 安国寺は 全国に多くあるようです。
 立派な本堂の前に 枯山水の庭園があります。 敷き詰められた白い石に 水の流れを表わす紋様
が 描かれていますが 手入れが 行き届かないのか 紋様は 消えかかっています。 熊手があれば
描き直すのですが・・・。


 ガイドマップには 「首塚」 のことしか 書いてありません。 応永34年 足利義則が没し 義教が 将軍職
に就きますが 元々 義則に不満を持っていた 播磨守護・赤松満祐は 義教の専制政治、恐怖政治によ
る弾圧に耐えかね 嘉吉元年(1441)満祐は 京都で 饗宴に乗じて 足利6代将軍 義教を暗殺。
 これが 嘉吉(かきつ)の乱の始まりです。 その首は 足利家ゆかりの安国寺に 手厚く葬られましたが
幕府の討伐に追われた 満祐は 大軍に囲まれた城山城で 自刃。 赤松家は 一旦 滅亡しますが 孫の
千代丸(後の 時勝)により 復興します。



 道標の矢印を見ながら 本堂の右を回り 裏へ廻り・・。 境内の外へ降りてしまいます。 蓮池の奥に
「首塚」 があります。 10m足らずの白い塀に囲まれた 苔むした敷地の中央に 宝篋印塔があります。
凝灰岩製の宝篋印塔は 市指定の文化財で 様式も手法も 時代に一致するそうです。 塔の高さは
173cmで ちょうど 私の背丈ほど。 一重の反花座付基壇上に立つ。 台石は 各面とも 輪郭の内に
格狭間を 上部は 反花を刻む。 軸石の四面に 蓮華座付月輪と 金剛界の四仏を刻む。 笠の隅飾り
は 二孤で 輪郭をまく。 四角で構成された石塔である・・・と 説明書きがあります。



 安国寺に戻り 左の庫裏?の方へ進むと きれいな前庭があり 池では 立派な錦鯉が泳いでいます。
門の外へ出て 真っ直ぐ進むと なぜか 33ヵ所霊場巡りの石仏が並び その先に 総門。



 11:50 車に戻り 若宮八幡宮へ向かいます。 県道75号線の新定の信号のところに やしろの森
公園の道標が目につき・・・。 直進して やしろの森公園へ向かうことに・・。 丘に上がりましたが・・。
やしろの森公園は 止めて 途中にあった ”タイガースGC” に寄って やしろの森公園に行ったことに
しましょう。 タイガースGCには 平日にもかかわらず 車が多く停めてあります。 クラブハウスの裏へ
廻り 練習グリーンの横から 下に見えるコースを見て 引きあげました。 わ~さんは いなかった?



 県道に戻り 北へ走ります。 中国道の下で右折。 県道17号線を東へ進み ”坂本遼詩碑” を見に
行きます。 が この詩碑は 最悪でした。 12:15 安国寺から ゴルフ場も含め 9.1km走って 詩
碑へ。 道標は ないし 分かり難い場所にあり 民家の植え込みに隠れた 詩碑も ちゃちなものでした。
やっと見付けた詩碑には ”遠い峠田のてっぺん あれは おかんかいな 鳥かいな”と刻まれていました。
パンフレットには 郷土の詩人 坂本遼の詩碑が 彼の生家近くに ひっそりと建っている。 彼は 郷土の
言葉を こよなく愛した。 彼の作品の中には 播磨地方の方言が 詩情豊かにあふれている・・・。



 県道75号線に戻り 北へ進みます。 黒谷の信号で 左折すると 黒谷若宮八幡宮があります。 公
民館の前に停めました。 坂本遼詩碑から 3.5km。 黒谷若宮八幡宮の本殿は 国の重要文化財。
三間社流造、正面の軒は 唐破風付き、杮(こけら)葺で 唐破風の桁は 向拝から身舎へ登りにかかっ
ており このような流造で 登桁を用いた唐破風造形式の神社建築は 全国でも数例しかない。



 新しい石鳥居を潜り 随身門を潜り 拝殿を潜り 本殿に お参りしました。 本殿の建築様式の難
しいことは 分かりませんが 木鼻などの彫刻に 龍、象、鯉、菊など 多彩なものがあり 見て回る
のは 楽しいものです。




 12:51 若宮八幡宮を後にして 上鴨川の住吉神社へ向かいます。 東条湖の南を廻り 東条湖
おもちゃ王国の手前で右折して 県道313号線を北へ走ると 右手に 秋津富士や御嶽山清水寺の
山並が望めます。 下鴨川で 左折して 県道311号線に入り 住吉神社の前に来ましたが もう お
昼を過ぎたので 先に 鴨川の郷へ行くことにして 住吉神社は素通り・・・。


 国道を横切り 北へ走り 八幡宮から 10.7km走り 13:14 やしろ鴨川の郷へ着きました。
前の芝生広場で 賑やかに グランドゴルフをしています。 傾斜があるので なかなか難しそうです。
ビーフカレーを食べ 13:50 鴨川の郷を後にします。 駐車場から見上げると 山の上に展望台
があり 遊歩道もあるようです。 北の四等三角点:上鴨川437.3m まで 行けるのでしょうか?



 13:55 住吉神社前に車を停めました。 鴨川の郷から 2.8km。 石段を上がります。 上鴨川住吉
神社は 正和五年(1316)の創建。 本殿は 三間社流造り、桧皮葺で 室町時代 中期建築の特徴を
よく とどめており 手挟(たばさみ)、木鼻、虹梁(こうりょう)などの形態と 渦文、勾欄親柱などの形式
などに 地方の特徴を示すものがあり 貴重な遺構である。 毎年10月に 能楽のルーツといわれる神
事舞(国指定重要無形文化財)が奉納される。 拝殿、能舞台?は 茅葺屋根で かなり 傷んでいるよ
うに見えます。


 本殿は 朱塗りで 彫刻は 極彩色で 塗り分けられているので 分かりやすい。 龍の木鼻は 青色。
蟇股(かえるまた)は 緑色。 手挟は・・・。 柱の上で 軒の荷重を支える部材は 斗栱(ときょう)。



 住吉神社を後にして 県道を南へ下ります。 真っ直ぐ帰るなら 北の国道に戻り 372号線を走る
方が早いのですが 折角ここまで来たので 朝光寺へ行ってみましょう。 東条湖へ戻り 左折します。
カーブで右折して 畑へ向かい 道なりに進むと 朝光寺の裏に出ます。 14:30 駐車。 住吉神社か
ら 9.7km。 朝光寺は やはり 工事中でした。 フェンスの金網の隙間から 本堂、多宝堂、鐘楼を撮
って 引きあげます。


 中国道手前の朝光寺口に出て 県道17号線に入ると 一本道。 朝光寺から 13.1km 14:58
滝野社ICから 中国道に入り 福崎ICで 播但道に入り 15:21 花田ICを抜け 姫路バイパスに 合
流。 姫路バイパスを走り 16:15 家に帰ってきました。 きょうも いろいろと勉強になりました。



 本日の走行距離は 往路 観音寺まで 60.6km、朝光寺まで 47.6km、 復路 73.8kmで
計:182kmでした。 きょうは 播但道 400円、中国道 450円で 往復 1700円 使いましたが この
前 高速道のETCマイレージサービスに登録したので ポイントが貯まれば 少しは 割引がある筈です。
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二等三角点:湊 334.5m

2011-09-24 18:16:55 | 山歩き
 9月24日(土)  天気:晴れ  室温:28.3℃   地図:城崎(東端)

 きょうは 久しぶりに 未登の二等三角点を踏んできました。 城崎の京都との県境にある湊です。 久し振り
に山を歩き 疲れました。 但馬の山は 遠いし 荒れているし きょうは 連休の中日だったからか 播但道は
車が多いし 料金は高いし 帰りは 国道9号線は 混むし・・・。 但馬へは もう 行くのを 止めようかな・・・。 
二等三角点は 残り 13点となりましたが・・・。

 最近 山を歩く元気がなく きょうも 何所へも行くつもりはなく 準備もしていませんでした。 朝も ゆっくり起き
て ・・・・ 暇なので 急に 行く気になり・・・。 きょうは 三連休の中日だったと 後で 気付きました。 


 8:36 出発。 姫路バイパスを走り 9:04 花田ICから 播但道に入ります。 今の時期 この時間に
東へ向かうと 日差しが眩しい・・。 播但道は車が多いが 追い越しできないし・・。 朝来SAへ 5、6台
入って やっと スムースに走れます。 9:50 国道312号線に降りて 9:55 一本柳で 国道9号線に
入ります。 10:06 上野南で右折して 国道312号線に入り 北へ。 城崎は遠い。 豊岡市街を抜け
円山川に沿って さらに北上。 10:57 城崎大橋を渡り 県道9号線に入り 東へ。 



 県道11号線を 東へ進み 三原の集落へ来ましたが 林道が分かりません。 民家から 声が聞こえた
ので 道を聞きに行きました。 おじいさんが出てこられ 丁寧に 教えていただいたのですが・・・。 三角
点:湊は ご存知でしたが 山の名は・・。 言われた通り行くと 三原峠を越えて 京都府に入ってしまいま
した。 引き返し 地図を見て 後は 勘で 11:32 林道へ入りました。 車1台通れる細い林道を 約1
km行くと 林道終点。 ここまで 田圃があります。 地図にも 田の印があります。 田んぼに水が 溜ま
っているのは 大雨の後遺症? 11:36 駐車。 家から 141.9km、3時間かかりました。



 11:40 スタート。 扉を開けて 山へ入ります。 地図にある 破線の道があると 思ったのですが
道は ほぼ 消滅したようです。 悪いことに 最近 大雨が降ったようで あちこちに 水が溜まり 湿地
状になっています。 苔の付いた古い倒木も ありますが 歩くには 困りません。 沢を右に左に 渡り
ながら進みます。


 所々に 石垣があり 昔は 人の手が加えられたことが 分かります。 新しそうなお茶碗もありました。
ソーローな私は 県境の峠に出る道を 通り過ぎたと思い 右の斜面に 取り付きました。 が この斜
面は超急斜で 土が崩れ ずるずる滑り 登り難い・・・。 山頂北の一番急な斜面を登ったようです。



 立ち止まって 休むと 後方に西尾根が見えています。 尾根に出る手前に幹の白い大木がありま
す。 ブナではありませんが この木なんの木? 12:44 県境尾根に登りました。 1時間ほどかか
りました。 倒木もありますが 自転車でも 走れる道幅があります。 山頂より かなり 北へ登ったと
思ったのですが・・・。


 少し南へ進むと 広い平坦地に出て ここに 三角点がありました。 12:47 登頂。 二等三角点の
点名は 湊です。 山の上にあるのに 湊とは・・。 さすがに こんな山には 誰も来ないとみえ 疵のない
きれいな三角点でした。 周りは 雑木に囲まれ 展望皆無。 日本海に近いので 海が見えるかと思った
のですが・・・。 三角点を撮り すぐ 下山。 北の峠に 降りることにしました。 なだらかな下りで クモの
巣も少なく 歩きやすい尾根道です。


 13:01 鞍部の峠に降りました。 西の兵庫県側は 溝状の道が確認できますが 京都側は 急斜面
で 破線の道は はっきりしません。 西へ降ります。 登った斜面に比べると なだらかで いい雰囲気の
森です。 道は 明確ではありませんが どこでも歩けます。 地図に 荒地の印のある所でしょうか、右
に 明るい場所があったので行くと 石垣が積まれ 段々畑のようになっています。 不思議な空間でし
た。 むかし ここに 何かあったのは 間違いありません・・・。



 谷に降りて 登りと同様に 沢を渡りながら 歩きました。 下山時は 歩きやすいところが 分かりや
すいので すいすい歩き 登りで見付けたお茶碗には 出遭わず 峠から約30分、13:39 車に 戻り
ました。


 きょうは それほど暑くはなかったし ほとんど 日陰を歩いたので あまり 水を飲まなくて済みました。
きょうも食欲は ないのですが 車で コンビニ弁当を食べ 13:52 帰路につきます。
 もう この辺りには 二度と来ることもないでしょうし ここまで来たので 少し 南にある 「玄武洞」へ寄
ってみましょう。


 南の県道へ降りて 西へ戻り 城崎大橋の手前を 真っ直ぐ南へ下ると 三原から12.3kmで 玄武洞
に着きます。 14:14 駐車。 連休なので 多くの人が 訪れています。 玄武洞の前には ゆるキャラ?
の玄さんが 愛嬌を振りまいています。
 玄武洞一帯は 山陰国立公園に含まれ 日本の地質100選にも選ばれ 玄武洞と青龍堂は 国の天然
記念物に制定されています。 ”玄武洞” は 文化四年(1807)儒学者・柴野栗山が 江戸時代から採石場
として開発されていた この景観を見て 天下の奇勝 ”玄武洞” と命名したのが その由来です。 また 玄
武洞に ちなんで 岩石の名称は ”玄武岩” と名付けられました。
 今から 1万年以上前 但馬地域一体では 盛んに 火山の噴火が起こっていました。 玄武洞は その火
山の噴火によってできたのです。 熱い溶岩が 冷えて固まる過程で 岩が収縮するとき 岩に 規則正しい
割れ目ができ それを節理と言い 柱のようになったものを 柱状節理といいます。 ゆっくり冷えると 太
い節理になります。


 玄武洞の右手に 青龍洞、左手に 白虎洞、朱雀洞が並び それぞれ 柱状節理に個性があって 蜂の
巣、龍の腹、亀の甲のように見えるなど 人口ではできない自然の彫刻が 楽しめます・・。 一番大きな
玄武洞、節理が 美しい青龍洞、小さいけれど 水平に伸びた横向き柱状節理の白虎洞、羽を広げたよ
うな朱雀洞。 それぞれ 特徴があります。


 朱雀洞は 溶岩の先端部で、 溶岩が急に冷やされるため 節理が見られません。 四神相応の四つ
の洞を見て 引きあげます。 ミュージアムの前の川べりから 円山川の対岸に 一等三角点の来日岳
を 望むことができ その麓を 山陰本線の特急列車が 走っていきます。
≪追記≫
 10月2日の新聞に 「玄武洞」が漫画冊子に という記事が載っていて 地球の南北は時代によって
逆になるーー。 ウソみたいなホントの話が 大発見された「玄武洞」の価値を知らせようと 豊岡市が
漫画冊子「玄武洞で大発見!!」をつくった。 玄武洞の石が南北を 逆に指すことから 地磁気の逆転
を発見した・・・ 松山学説の正しさが認められたのは 後になってからだった。


 14:41 帰路につきます。 円山川を渡り 国道312号線に出たいのですが・・。 5kmほど南へ走り
豊岡大橋で やっと 円山川を渡ります。 国道に出るのに 一苦労しますが 国道に乗れば こっちの
もの。 後は 目を瞑っても帰れます。 15:36 国道9号線に出て 渋滞気味の国道をのろのろ走り
15:56 一本柳の信号で右折。 国道312号線ものろのろ・・。 16:02 播但道に入り すいすい?
神崎南のゆとり車線で やっとトラックを抜いたと思えど・・。 神崎南 手前で 山ちゃんの家を 見ていて
前の車に 追突しそうになるし・・・。



 結局 福崎ICの先で 2車線にならないと スムースには走れません・・。 16:47 花田ICを抜け
姫路バイパスを走り 途中で スーパーに寄り 晩ご飯を買って帰りました。 17:40 帰着。
きょうは 出発が遅かったこともあり 帰りが遅くなりました。
本日の走行距離は 往路:141.9km 玄武洞まで:12.3km 復路:128.8kmで 計:283km
でした。 あーァ 疲れた・・・・・。



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聖徳太子ゆかりの斑鳩寺

2011-09-22 14:07:58 | 日記
 9月22日(木)  天気:晴れて爽やか  室温:25.6℃

 きょうは 太子町の斑鳩寺に お参りしました。 斑鳩寺は 606年 聖徳太子が 建立したと 言われる古刹
・霊刹ですが 何故 「播磨六山(六ヵ寺)」に ならなかったのか? 神積寺より よほど 立派ですが・・・。
寺の縁起によると 斑鳩寺は 大和法隆寺の末寺でしたが 戦乱により焼失・再建後 天台宗に改宗したの
だそうです。 『はりま歴史の山ハイキング』 の檀特山の項の最後に さらに 西ヘ足を延ばして 法隆寺別
院・斑鳩寺へ行ってみてはどうでしょう とあります。 檀特山へは 登ったつもりで・・・。
 斑鳩寺の東南約1.5kmに 檀特山があり 聖徳太子が この山に登り 伽藍建立の霊地を選び定めさせ
給う・・・。 山頂に 太子が 馬を縛いだ「駒縛ぎの松」 や 馬の蹄跡の如き窪みのある 「馬蹄岩」 があります。
今日でも 太子の命日である2月22日に 春会式が行われ 播州随一の賑わいを見せています。

 太子町は 今年 町制60周年だそうで 法隆寺の荘園 「鵤荘」 として 千年近く 栄えた・・・。
太子町歴史資料館には 「法隆寺領鵤荘と斑鳩寺」など 町の歴史を わかりやすく解説しているそうです。

 下の図は 江戸時代の境内図ですが 現在の伽藍配置も ほぼ同じです。 今は 仁王門を潜った右に
納経所があり 左の太子堂は 聖徳殿と呼ばれ 後方に 中殿と後殿がつながっています。 護摩堂は?


 網干駅の前から 約1km西へ行き 陸橋を渡り JRを越え 北へ真っ直ぐ進み 旧国道2号線を越え
ると 右手に 斑鳩寺があります。 家から 5km、12分ほど。 仁王門の前に 駐車場があります。

 推古天皇は 播磨国揖保郡(いぼのこうり)の水田360町を 太子に 賜り 太子は 大和国斑鳩宮から
当国へ下られ 斑鳩荘と名付けられ 一つの伽藍を営まれた。 これが 斑鳩寺の始まりです。
 往古には 七堂伽藍 数十の坊庵が甍(いらか)を並べ 壮麗を極めたが 天文14年(1541) 尼子
政久播磨侵入後の混乱の中 堂塔尽く焼失。 その後 漸次 再建された・・・。
御詠歌:神代(かみつよ)の 聖の徳は いかるがの 蓮(はちす)の花と かほるなりけり

仁王さんの目つきは 何とかならないのでしょうか? やはり 仁王さんは 朱塗りでないと・・・。



 江戸時代の境内図によると 仁王門の左に 護摩堂があったようですが・・・。 現在は 物置?
右の納経所の裏にある 小さなお堂が 弥勒堂。 中に安置してあった仏像は 弥勒菩薩?


 三重塔は 国の重要文化財で 永禄八年(1565) 赤松政秀により再建。 昭和25年 解体修理。
軒下には 猿も力士もいません。 一番上の水煙が 高い。 屋根の縁が 緩い曲線を描き 屋根の
角が 上向きに 反り上がっています。 輪柱に 太子伝来の仏舎利が蔵めてあるそうで 「歴史教室」
で学んだ通り 古代寺院は 仏舎利を納める塔が 寺の中心的な建物であったようです。
 斑鳩寺の伽藍配置は 塔を中心に 回廊で囲む 飛鳥寺式でも 四天王寺式でも ありません・・・。



 三重塔の東の塀に沿って 33ヵ所霊場巡りの石仏が 並んでいます。 狭い間隔で 並んでいる
ので 50mも歩けば 全部巡ることができます。 残念ながら 私の好きな 29番松尾寺の馬頭観
音は なぜか 顔が 潰されています・・。


 三重塔の北側に 鐘楼があります。 ちょうど 戸が開いていたので 中に入って 鐘を撮ること
が できましたが スペースが狭く 身動きができません。 入口に 立札が あったのですが・・・。
鐘楼は 焼失後 赤松広英によって 天正三年 再興。 銅鐘は 元禄六年(1693)に 再鋳した
もので このとき 鐘楼の修理も 行われたそうです。 鐘楼は 石組の上に建っているようです。
手水舎には 水が ちょろちょろ流れていました。 井戸水でしょうか? 手水鉢も古そうでした。



 中央にある講堂に お参りしました。 鰐口を叩くと えらく大きな音がします。 講堂は 弘治二年再建。
御本尊は 釈迦如来、薬師如来、観世音菩薩の三尊で いずれも 秘仏で 毎年 2月22日に御開帳さ
れます。 立派な象の木鼻がありましたが・・。 前にある石燈籠も 面白い形をしています。



 講堂の左が 聖徳殿(旧太子殿)で 斑鳩寺で 最も重要な建物。 嘉暦四年(1329)の絵図に描か
れているそうで 天文十年に焼失、同20年復興、寛文五年に再建。 明治43年~大正3年に 中殿、
後殿(八角堂)が増築され 御本尊の聖徳太子十六歳の尊像が 祀られているそうです。
北にある庫裏と講堂、聖徳殿は 渡り廊下で 結ばれています。



 後殿は 変わった形の建物で 法隆寺の夢殿を模して 造られたそうですす。 南北に入母屋の屋根
が 突き出ていて その上に八角形の二階が乗っています。 後殿の西から聖徳殿の周りを 歩きまし
た。  境内図の薬師堂の場所にあるのは 今でも 薬師堂でしょうか? 小さいお堂があります。
 境内の北西の隅は 保育園になっているようで 横は 公園です。 大木の陰にあった石塔は 宝篋
印塔でしょうか? 笠の部分の形が変わっています。 一番上の相輪はありません。 一番下の部分
基壇には 模様が彫ってあります。


 白い建物は 聖宝殿。 宝物が納めてあるのでしょうか? 前に 白いサルスベリが咲いています。
境内の北東隅に 庫裏(塔頭の一つ 旧保性院)があります。 門を入ると 正面に大きなサザンカの
木が 二本あり 太い幹で 樹齢350年。 枝がきれいに刈り込まれ まるで盆栽のようです。 1月に
は 薄紅色の一重と二重の可憐な花を 咲かせるそうです。 左は 玄関で 唐破風の屋根に 立派な
鬼瓦が乗っています。 慶安二年(1649)の造営で 17室からなるそうです。 県指定の文化財。
今は使われていないのか 建物と庭園は 荒れていて 南天も倒れそう・・。




 聖霊権現社は 本殿、幣殿?、拝殿が つながっていますが 拝殿は コンクリート造り? 前に
ある狛犬には 安政四年の銘があり 顔は いかめしいが 前足の長いスマートな狛犬でした。
大木の下に供養塔があります。 五輪塔は よく見ますが 七輪塔?を見るのは 初めてです。


 境内をぐるっと一周して 仁王門に戻りましたが 「江戸時代の境内図」にあった護摩堂が 気にかか
り 行ってみました。 今は 小屋のような黒い建物があります。 中を覗くと 小さいお堂があります。
護摩堂では ないようです。 不動堂? 覆い堂に覆われています。 格子から 中を撮ると ストロボが
光り 蟇股が写っていましたが 彫ってあるのは 鳳凰?


 車に戻り 12:00 帰路につき 12:28 帰着。 本日の走行距離は 往復:5.2kmでした。



 下の写真は 「あいたい兵庫」 2011 春&夏号の ”仏教伝来と聖徳太子ゆかりの地を巡る” にある
写真で 聖徳殿の内部のようです。 月光菩薩像と十二神将像は 加古川の鶴林寺のもの?



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アンスリウム展

2011-09-20 14:50:15 | 日記
 9月20日(火)  天気:雨   室温:25.2℃

 きょうも 出かけたついでに 姫路温室植物園に寄ってきました。 いまは 『アンスリウムとその仲間展』
をやっています。 熱帯アメリカ・コロンビア原産のアンスリウムは さといも科の植物で 葉や花のように見
える苞が 特徴で 観葉植物として栽培されています。 光沢のあるハート形の葉は 紅うちわ とか 夏の扇
と いわれる 造花のような花です。




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仏像の祈り10

2011-09-16 19:55:13 | 日記
 9月16日(金)  天気:曇り 後 雨   室温:31.2℃

 今晩のBS8 『日本人こころの巡礼~仏像の祈り~』 第11話は 斑鳩の里の仏像で 1.法隆寺の夢違
(ゆめちがい)観音  2.九面(くめん)観音  3.毘沙門天・吉祥天  4.中宮(ちゅうぐう)寺の菩薩半跏
像 5.上京区の般舟(はんしゅう)院の不動明王  6.琵琶湖畔にある石道(しゃくどう)寺の十一面観音
です。 私の仏像の祈りは 第12話から始まったので 一巡したのですが 第4話と 第5話を 見逃したよう
です。 また 番組再放送の機会があれば 見たいと思います。  一応 今回で 仏像の祈りは 終了です。

1.夢違観音
 法隆寺は 聖徳太子が 斑鳩の里に 建立した お寺です。 大宝蔵院に祀られている 国宝・夢違観音は 高
さ87cmの観音菩薩です。 人々が見る 怖い、不吉な夢を 夢の中へ赴き 良い夢に変えてくれるとされる
ので 夢違観音と言われています。 左手に 水を持ち 右手は 施無畏印を結んでいます。 夢の中まで
救いの手を差し伸べてくれる ありがたい神様です。



2.九面観音
 大宝蔵院に祀られる九面観音は 高さ37.6cmの小さな仏像です。 中国・唐仏師の手によるものと
言われています。 香りの良い 一本の白檀の木から 彫りだされたものです。 頭上に 八面の化仏があ
ることから 九面観音と呼ばれ 四方八方に 救いの手を差し伸べます。 釈迦が 悟りを開く前の菩薩の
姿で たくさんの豪華な飾りを 身に付けています。 右手に 数珠を持つ 端正な顔立ちの像です。


3.毘沙門天・吉祥(きちじょう)天
 国宝・毘沙門天と吉祥天は 金堂に祀られている本尊・釈迦三尊の脇を守っています。 毘沙門天は
インドでは 財宝の神で 福の神でもあり 七福神の一つで 四天王の北を守る多聞天でもあります。
戦国武将の上杉謙信は 毘沙門天の生まれ変わりと信じて 崇拝していたそうです。 カッと目を見開く
自信に溢れる表情です。


 吉祥天の 吉は 良いことが起きるという意味で 功徳天とも言われます。 美と富を象徴する神で 毘沙
門天の妃とされる? 衣には 朱の彩色が施され 細かい模様が 描かれ 左手に 摩尼宝珠を持っていま
す。 毎年 1月8日から 金堂で 修正会の行事が 行われます。 これは 吉祥天に向かって 懺悔して 幸
せを願う 吉祥懺悔と言われています。 きちじょうてん は きっしょうてん とも 読むのでしょうか?



4.菩薩半跏像
 中宮寺の観音堂に祀られている菩薩半跏像は 如意輪観音として あらゆる人々の願いを叶えるという。
悩む人を 直ぐに 救いに行かねばと 今にも立ち上がろうとする半跏踏み下げ坐です。 左足を蓮華の上に
乗せ 右足は 左足の上に乗せています。 五本の指は それぞれ 仏を表わし 釈迦如来を表わす中指を
軽く ほほに当てています。 髪の毛を束ね 頭を傾け 穏やかな笑みを浮かべた 観音菩薩なのです。



5.不動明王
 上京区にある般舟院の不動明王は 憤怒の形相で 人々の煩悩を 断ち切り 怒りによって 正しい方向
に導く仏です。 岩座に 胡坐をかいて座る 結跏趺坐(けっかふざ)と言われる坐像で 右手には 宝剣を持
っています。 額に 三筋の波模様のしわがあり これは 貪欲、怒り、愚かさを 押さえ込む 強い法力を
表わしています。 火炎の光背に 光が当たると 陰影は まるで 龍が 泳いでいるように見えます。
 不動明王の前で 護摩を焚く行事は 煩悩を焼く 重要な法事なのです。



6.十一面観音
 石道寺は 琵琶湖湖畔 木之本町にあります。 豊臣秀吉と柴田勝家が 賎ヶ岳で 戦った場所でもあり
戦いに 明け暮れた人は 死後 修羅道に行きます。 この修羅道の苦しみから 人々を救う 慈悲救済の
仏が 十一面観音です。 観音堂の厨子に納められた 高さ170cmの十一面観音は ケヤキの一木造
りで 平安時代に 造られたものです。 蓮華の蕾を挿した 水瓶を持っています。 戦いのない 平和な世を
願って 地元の人に 守られてきました。


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