私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

安富町の三森城跡

2017-12-21 16:00:37 | 山歩き
 12月21日(木)   天気:晴れ   室温:14.9℃

 きょうは 安富町の三森城跡、通称・城山250mに登ってきました。 結局は 城跡に
登ったのですが さんざん馬鹿なことをして 迷走し 疲れました。 先日は 姫神社の
北尾根にあるという言葉に騙され 迷走しましたが・・。 まあ きょうは なんとか登れた
ので これで 今年やり残したことはなくなり すっきりしました。

姫路市教育委員会 文化財課発行の ”『安富町』 をたずねて” に
 三森城跡は 三森集落の小字城山にある。 昔の京道、現在の県道三木山崎線を見おろす
標高250mの山上に築かれた 中世の山城である。 と記されています。
ネットで調べると
 三森城跡は 宍粟郡の南東部(姫路市安富町)にあって 東へは 加西北条方面の古道、南へは
林田川沿いに 姫路・竜野に至る街道があり、古くからの交通の要衝地点にあった。
 三森・城山の標高250mの山頂部に 小さな曲輪跡と数段の削平跡が見られるが、自然地形に近い。
戦国末期に見られる竪堀や堀切の跡がないため、中世初期の小規模な山城であるといえる。
 三森城の城主については、「赤松家播備作城記」には記載がなく、ただ一つ宝暦5年(1755)の
「播磨古跡考」 佐用の岡田光僴)に 「三森古城 安志庄三森村に有り。 三森近江守と云し
人住之と云」 とあるのが 初見である。 しかし 三森近江守の名は 赤松家臣団に見当たらない。
この 「播磨古跡考」 が 書かれたのは 長水城が落城して 175年後のことである。
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 10:17 出発。 国道29号線で 安富町へ。 中国道を潜り 姫神社を過ぎた 県道脇の空地に
10:57 駐車。 ここへ来るのも 3回目なので 様子は分かっています。
 近くに 長老?がおられたので 城山へ登る道を尋ねると 子供の頃は ここから 何回か登ったが
いまは 道がないから登れんじゃろう。 林道の先に 鉄塔の巡視路があるから まず鉄塔へ登り
尾根はなるいから 鉄塔から回る方が いいと 教えていただきました。
 言われた通り 林道を歩いて 鉄塔の巡視路へ。 表示板と古い橋があり 慎重に橋を渡り 山へ。
最初は 良かったのですが この杉林は 枝打ちされた小枝が積み重なって すぐに 道が分からなく
なりました。 谷を登ったのですが 尾根に出ると 鉄塔は 左にあったので 巡視路は 左の斜面を
上がったのでしょう。

 谷の斜面を行くと 長老の言われた通り 10mくらいの池があり 苦労して進むと 倒木帯に
出て また汗をかきます。 11:41 尾根の鞍部に登りました。 予想より 南に登ったようです。
 とりあえず 北の鉄塔を見に行きます。 神野溝口線51の鉄塔は すぐ近くでした。 鉄塔から
送電線の延びる 東と西の景色が望めます。 11:45 鉄塔を見て 引き返します。
NETを見ていると
 三森城は 狼煙により 長水城と連絡していたのではないかと言われている。 頂上から尾根筋に少し
下ると狭い鞍部になった所に至る。 そこに 狼煙台があったという。 今は その場所は 送電線の鉄塔
になっている。 三森から三坂(下河) そして 三谷越しの切り通し北尾根に 狼煙台が想定されているが
本当に狼煙台があったのかどうか、有事の際に 狼煙が有効に使われたのか、その確証はない。

 きょう 失敗したのは PCで 地図をプリントするとき 狭い範囲だったので かなり大きくしたの
ですが 地図を見て 距離を目視で測るとき 地図が大きいことを うっかりしていました。
 南西尾根の先端にある 三角点を見に行こうとして 尾根の先から 南東へと。 ところが
尾根の先端と思ったところは 城山の山頂だったのです。 ここから 南東へ行くと・・。
なだらかな尾根はなく 急な尾根ばかり いくら探しても 三角点への尾根はありません。

 この山は 杉が植林されていて 周りの景色が 見えないので 居場所が分かりません。
せめて 周囲の尾根や 山並みでも見えると 居場所が分かるかもしれないのですが・・。
 さんざん探して 諦めて 南西尾根の城山へ。 南西へ行くと 尾根はなく さまよった挙句
12:30 歩いて来た林道へ降りてしまいました。 これには がっくり・・。

 また 巡視路へ入り 今度は 谷を進まないで 急傾斜の山頂目指して まっすぐ 急斜面をよじ
登ります。 一歩一歩 上へ登れば いつかは 頂上へ登れます。 13:18 城山250m・三森
城跡に 登頂。 長老さんが 言われた通り ここには なんもありません。 せめて プレート一枚
ほしかった・・・。 やや広い平坦地があるだけ・・。

 山頂から降りて もう一度 鉄塔51へ行ってみました。 山頂から 鉄塔まで 100mちょっと?
こんなに近い? ここで 持っている地図は かなり拡大したものだと 気付きました。 尾根の様子が
確認できたので 今度は 三角点のある尾根に 簡単に乗れました。 鉄塔から 直ぐ南東へ行けばいい。

 三角点は 少し登った小ピークにあります。 三角点の上に 落葉が積もっていたので 掃除しました。
この四等三角点:大東山 206.9mは 面白い。 標柱が 丸いのです。 上に 金属の円板がついて
います。 このような丸い三角点は 初めて見ます。 

 三角点を見て 東の等高線の緩い方向へ降ります。 左に 鉄塔が見えます。 最後
急斜面を滑り降りると 変電設備のある林道に降りました。 墓地の前には 六地蔵が・・。

 県道を西へ戻ると あごなし地蔵があります。 なにもないので 謂れなどは分かりません。
      縁起の歌  歯の痛み 治し給えかしと 隠岐の国の あごなし地蔵 祀る郷人
 歯痛に ご利益がある?  なぜか そばに 三森城跡の石碑が・・。 もっといいところに 設置
してほしいが 場所が なかったのでしょうか。 一番いいのは 城山の山頂ですが・・。

 城山の南西の麓には 居館跡があるので 見に行きます。 平坦地は いくつもありますが
野麺積の石垣は 見つけられませんでした。

NETには   大手道に長い石垣を残す居館跡
 三森城跡について、特筆すべきは 城山の西南の高台で 大手道あたる場所(字坂口)に武士の居館跡の
石垣が残っていることである。 竹藪の中には 野面積の石垣に区分けされた 幅5m~10m、長さ
20m~40mの屋敷跡が 五段に及ぶ。

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赤穂の有年山城跡

2017-12-18 15:51:27 | 山歩き
 12月18日(月)   天気:晴れ のち 曇り    室温:14.0℃

 きょうは 赤穂市東有年の有年山城跡(八幡山城、大鷹山城) へ登ってきました。 いつだっ
たか 八幡神社へ 灯台を見に行ったとき この山が 有年山城跡だということを知り いつか と
思っていました。 きょうは いい天気と思ったのですが 午後は 雲が出てきて・・。
 山から降りて 相生の下土居城跡にも 登りましたが これは 別のページにします。

 国道2号線で 龍野、相生を過ぎて 赤穂に入り 有年東の信号で 右折して南へ行き まず
有年山の姿を撮ります。 山頂近くに テレビアンテナが見えます。 有年東へ戻り 八幡神社の
下に 車を停めます。 ここは この前 灯台を見に来たので 様子が分かっています。
 11:00 スタート。 鳥居を潜り ネットを潜り 岩道を登り 八幡神社へ。

 安全登山をお祈りして 神社の右から 山へ入ります。 だれが登るのか 落ち葉のいい道が
あり おまけに 赤、青、黄色のテープが あちこちにあります。 少し上ると 右に岩場があり
景色が見えるかと 寄ってみましたが・・。 ここには 古いテレビアンテナがありました。

 岩の上からは 見晴らしがあり 左下に 国道2号線が見え その後方の山は 三重山?
南には 大きく蛇行する千種川が 光っています。 逆光なので 景色は かすみます。

 登山道は ずっと急で 白いロープや トラロープもあります。 登るときは ロープを使わ
なくても 登れますが 降りるときは 岩や落葉で 足が滑るので また 足場の土が崩れるので
ロープのお世話になりました。  山頂まで ずっと急な登りでしたが 地図でみると 登山口
から 山頂まで 水平距離 約600m、標高差180mなので 平均斜度 約17度。

 11:34 登頂。 山頂は やや広めの平坦地で 中央に きれいな四等三角点:片山 が
あります。 ポールに ”標高201mの大鷹山にある本郷家の祖・本郷掃部守直頼(赤松信濃守
範資の三男)が 貞和年間(1345~1350)に 城主となったらしい。 その後 富田右京が
入城。 1543年 浦上宗景に攻められ 落城したとされる。” とあります。

 山頂は 雑木に囲まれ 見晴らしはよくありません。 わずかに 木々を透かして 北が見える程度。
西尾根に降りると なだらかな平坦地が続きます。 

 直径3mほどの窪地が 2か所ありました。 井戸跡とも思えませんが・・。 尾根が北へ曲
がる所まで行きましたが 万両の赤い実があるだけで 城の遺構は見つけられませんでした。

 山頂へ戻り 今度は 北東尾根へ降りてみました。 こちらも平坦が続きますが・・。
石垣のような遺構は見つけられませんでした。 山頂へ引き返します。 12:00 下山。

 降りるときは 下を見ながら降りるので 回りの景色も見えます。 どんどん滑り降り
ました。 下山は 早い。

 12:24 車に降りました。 車で 一息入れて 若狭野の下土居城跡へ向かいます。

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鶏籠山 けいろうさん 218m

2017-01-16 15:37:37 | 山歩き
 1月16日(月)   天気:晴れ、時々 雪   室温:13.6℃    2.5万地図:龍野

 きょうは 今年の干支の山 たつのの鶏籠山に 登ってきました。 9時半ころ 起きると いいお天気
だったので 鶏籠山へ登ろうと 11時前に 家を出ましたが たつのへ着くころには 雪が降ってきて
龍野橋から 目の前の鶏籠山が見えません。  龍野公園へ行き インスタントコーヒーを 飲みながら
休憩しましたが 雨交じりの雪は 激しくなって やみそうにありません。  山を諦めて 帰ろうとすると
急に 空が 明るくなり 快晴に。 また 駐車場に車を 停め直して 12時ころ スタート。
 龍野城の西櫓から 龍野城(本丸御殿)に入り 咲き始めた紅梅を見ながら 登山口へ。  登ってい
ても 気には なりませんが 雪が降ったりやんだり・・。  帰るころには また いい天気に・・。

 龍野橋から 雪で 鶏籠山が見えません。 歴史文化資料館に 車を停めようと思いましたが 車止め
があり 入れません。 龍野公園の駐車場に 車を停め 休憩・・。 雪は止みそうにないので 帰ろう・・・。

 ところが 急に明るくなり 雪は ぱったりとやみ 嘘のような晴天になりました。 町中の観光駐車場に
車を停め直し 龍野城へ。 龍野城横の登山口から 扉を開け 山に入ります。 前に来たとき 道が
分かり難いところがあったと思いましたが 矢印の道標があり 丸太階段を探せば 道は 判ります。
 ここは 国有林で 整備はされないのか うっそうとした森林で 倒木や落ち葉が 散乱しています。

 きょうは 鶏籠山という 山登りですが 歴史探索でもあり 龍野古城の歴史をたどりながら 山頂の
龍野古城を歩きます。 山頂に 龍野古城がある 原生林に包まれた 「鶏籠山」 は 鶏の伏せた籠に
似たような 山だったので その名がつけられたといわれ 山頂には 今もなお 風雪に耐えてきた城の
石垣などが残っています。
 山頂の城は 明和8年(1499)に 赤松一族によって 築かれ 赤松村秀が 最初の城主となり
政秀、広貞、広英と 城主になり 四代78年 続きますが・・・。

 龍野城の裏の登山口から 山へ入り 大手道を登り 削平地や 土塁、二の丸跡などを見ながら 山頂
の本丸跡へ登り 北へ降りて 両見坂へ。 両見坂から 紅葉谷を下ります。 鶏籠山登山マップを参考
に マップにある見どころを巡ります。 本丸下の矢竹群生は 見ることができませんでした。


 山へ入ると 雪は降っていないのに 大粒の水滴が 雨のように落ちてきます。 溶けた雪?
土塁跡→の道標があったので 右へ入ると 南斜面にありました。 上は 削平地で 昔は 矢倉、米倉、
など 櫓を建てたり周囲に 土塁を設け 敵の攻撃に備えていました。 削平地は 何段もあります。

 二の丸跡の下(南側)には 三重、四重に 削平地が設けられ 土塁が 張り巡らされています。 

 二の丸は 本丸の外側にある城郭で 二の丸の広さは 東西14m、南北27mあるそうです。
二の丸跡から なだらかな道を行くと 本丸跡にでます。 本丸の周囲には 石垣が一部残っています。

 天正5年 織田信長の命を受け 羽柴秀吉が 播磨に侵攻し 秀吉軍は 2万の大軍で 揖保川まで
攻め寄り 赤松広英は 赤松の滅亡を憂い 城を明け渡し 秀吉の軍門にくだります。 のちに 広英
は 但馬の竹田城の城主となります。  龍野城は 横須賀正勝、福島正則、木下勝俊、小出吉政など
が 代々城主となります。 1598年ころ 山頂の城を取り壊して ふもとの現在地に 城が築かれます。
関ケ原の合戦後は 池田輝政が 城主となります。(城代 荒尾成房)・・・寛永14年 京極高和が 城主
となりますが 丸亀藩へ転封となり 一時 徳川幕府の直領となります。

 徳川の時代になると 元和元年(1617) 本多政朝が 入城し 藩主が 入れ替わりながら 藩主
脇坂安斐が 明治4年の廃藩置県まで 続く。  本丸への石段は 昔 武将たちが 登り降りしてい
た古いものです。 本丸の北東部には 石垣が 残っています。

 本丸の下、石だたみの先には 八幡宮がありました。 赤松氏が 築城の際 守護神として 建てられ
た社で のち 城主・脇坂安政によって 再建された。 現在は 城山八幡宮として ふもとの龍野神社
の境内に 移されています。 八幡宮跡の辺りには 瓦の破片が 散乱しています。

 尾根を 両見坂へ降りる途中 1カ所 北の景色が見える窓があり 揖保川の奥、右に見える山が この前登った
鶴嘴山だと思います。 鶏籠山は 見晴らしは あまりよくなく 竪堀跡を過ぎた辺りで 左に 的場山が見えるだけ。

 両見坂に降りました。 ここは 十字路で 直進すると 的場山へ登ることができます。 この辺りは
檜皮(ひわだ)の森林で 屋根用の材料として 檜皮供給の森林(国有林)として 指定されています。
 ここにある石灯籠は 今は 一基しかありませんが 以前は 左右にあったそうです。 ここから 左の
紅葉谷へ降ります。

 鳥ヶ撓番所跡は 龍野藩脇坂氏の番所があり 重要な見張りの要所になっていました。 屋敷内に
泉水(庭の池)跡、井戸が残っていて 細い川の跡のようなものも。 少し下にあるのは 侍屋敷の
蹲(つくばい)で 手水鉢に水が落ちています。 この辺りにあった侍屋敷の庭に置かれていた?
 気付きませんでしたが 蹲いの右に 歌碑があったようで 第二代 龍野町長 長中井顕の歌が 刻
まれていた。   みたらしに あふるる水の 勇ましく のぼるや神の 力なるなむ

 分岐があり 右に行くと 野見宿禰神社へ行けます。 野見宿禰は 神話時代の出雲の国の人です。
垂仁天皇のとき 力持ちを自慢する大和の国の当麻け速と 天皇の午前で 力比べをし 負かし 天皇
から恩賞として 領地を与えられ 朝廷に使えることになりました。 これが 相撲の始まり。
 宿禰が 出雲国に帰る途中 この地で 病気で亡くなり 報せをうけた出雲の人たちが たくさん やっ
てきて 揖保川の石を手渡しに 運んで この地に墓を作りました。 人たちの姿が 野に立つように 見
えたことから 「立野」 と呼ぶようになり 後に 「龍野」 と改められた・・。

 紅葉谷には 安田清風の歌碑もあります。 刻まれている歌は
      もみじ葉の 下ゆく我を よびとめて 清くやさしき 谷水のこえ

 龍野公園の聚遠亭に寄ってみました。 雪が残っていて 雪景色が撮れるかと 思ったのですが
雪は すっかり消えています。 脇坂家の前を歩いて 駐車場へ。 13:20ころに戻りました。
 きょうは 雪を踏みしめて歩く場面もあり 気持ちのいい山歩きができました。


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鶴嘴山 つるはしやま 263m

2017-01-07 15:23:17 | 山歩き
 1月 7日(土)  天気:晴れ   室温:15.6℃   2.5万地図:龍野

 きょうは いい天気だったので たつの市神岡町の鶴嘴山へ登ってきました。 今年の干支の山に
と思ったのですが 山頂で 会った女性が 「播磨歴史の山ハイキング」 の本を持っていて 鶏籠山
は? と言われ そうか 酉年には 鶏の方が いいか・・。 また いつか 鶏籠山に登らなくては・・・。
 10時過ぎに家を出て 179号線を走って たつのへ行き 船渡の信号で 右折して 觜崎橋を渡り
左へ曲がり 摩崖仏の下へ 車を停めました。 10:40 スタート。 まず 摩崖仏を見ます。

 県重要文化財の 「觜崎の摩崖仏」 は 舟形の光背を持つ地蔵尊で 切り立った岸壁に彫られていま
す。 この地蔵尊には 「右志逆善廻向藤原〇〇建立 文和三年(1354)十月二十四」 の銘が彫られ
ており 紀年銘のある石仏では 県内最古のものです。 少し北には 4体の地蔵尊もあります。

 橋の少し南には 「寝釈迦の渡し」 の碑があります。 ここは 美作街道の渡し場の跡です。 この
辺りから 西方の山々をながめると あたかも 釈迦が 頭を南に向け 横たわっているように見えるの
で こう呼ばれました。 寝釈迦の姿は 尾根の展望処から よく見えます。

 鳥居をくぐり 石段を上がり 古宮天満神社へお参りし 安全登山を お祈りしました。 神社の横の岩を
上がり 岩の上を進みます。 少し進むと 墓地を通ります。 尾根へ出ると 岩尾根で 見晴らしがいい。

 「播磨歴史の山ハイキング」 を参考にしますが 本には 山名は 山並みが 鶴の嘴(くちばし)に 似て
いるところから 付けられたということですが 山の姿からは 想像できません とありますが 地図に 山
の輪郭を描くと 尾根の先端が 鶴の嘴に見える?
 金網のフェンスの扉を開けて 進むと 展望岩に出ます。 ちょうど? 姫新線の電車が 鉄橋を渡ります。

 168mピークの手前は 岩場で ここは 觜崎の屏風岩。 屏風岩の岩脈は 鶴嘴山を形成する流紋岩質
凝灰岩に 地下から石英安山岩質のマグマが 貫入して 冷え固まってできたものです。 この岩脈は 硬い岩石
で できており 周囲の岩石よりも 風化に対して 強く そのため 周囲の山肌が 風化され この岩脈が 露出し
さながら 屏風を立てたように 直立しています。  この屏風岩は 8世紀の 「播磨国風土記」 にも 記され 古
来より 注目されてきた珍しい天然の造形で 国の指定天然記念物です。
 この岩場は 右に巻いて 迂回します。 上に出ると 絶好の展望台で 南が 一望できます。

 尾根道は 見晴らしがいいので 右や左の展望を楽しみながら 歩けます。 登山口から 山頂までは
168mP、208mP、214mPなどのピークがあり アップダウンを 繰り返しながら登っていきます。

 尾根には 以前はなかった 林間広場からの登山道が 新設されていて 2カ所に道標があり 東の林間
広場から 階段道が 上がってきているようです。 「播磨の山々」 のしみけんさんは これを登った・・・。

 11:18 屏風岩、11:36 208mピークに登り 一枚岩の急斜面を登り 11:49 214mピーク
に 登頂。 以前は 208mピークを 亀山、214mピークを 鶴山と呼んでいましたが いまは 214m
ピークは タイコ岩というようですが なぜ タイコ?   前方に 鶴嘴山が 形よく見えます。

 12:07 鶴嘴山に 登頂。 四等三角点:池ノ内 263.0m は 雑木林の30mほど 奥にあります。
三角点を撮って 降りようとすると 小柄の女性が登ってきました。 上は Tシャツ一枚で 軽装です。
しばらく お話ししました。 マラソンを走るそうで 今度の姫路マラソンも走るとか。 北の大正池へ降
りて 觜崎橋まで 走るそうです。 私は ずっと前に 折り畳み自転車を使って 戻ったことがあります。 

 私は ピストンで 登ってきた道を降ります。 降りるときは あまり写真を撮る必要もないので どんどん
降りました。 ベンチのある展望台で 休憩しながら 姫新線の電車を待ったのですが 電車は きません・・。
腰を上げ 降りようとすると 踏切が鳴って 下りの電車が来ました。 やれやれ・・。
 13:12 車に戻り 帰ろうとすると 山頂で会った女性が 走ってきました。 大正池へ降りて 無事 戻って
きました と挨拶して また 觜崎橋を 走っていきました・・・。   13:51 帰着。

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ちょっと 檀特山へ

2016-12-28 14:31:22 | 山歩き
 12月28日(水)   天気:晴れ のち 曇り   室温;16.2℃

 きょうは 朝日谷のカフェ・エルミタージュヘ行きましたが 先週と同じ 和紙の干支と小物の
展示でした。 ということは 先週から分かっていました。 カフェで モーニングをいただき 檀
特山へ登ってきました。 朝 天気が良かったのに お昼ころから 雲が多くなり 山から下りる
ころには 雨が ぱらついたかも・・。
 檀特山は いつも 下太田登山口から登るのですが きょうは 大谷登山口から登りました。
登山口の近くで 会った人が どこかで 会ったことがある・・。 私は 全然?知らないのに・・。
 檀特山には 大谷新道という 新しい道ができていたので 新道を降りてみました。

 先週 モミジが きれいに紅葉していたのに 全部 葉が落ちています。 代わりに? 入口に
小さな門松が・・。  きょう 久しぶりに 会長さんにお会いしました。 飾ってあるピンクの椿は
侘助だそうですが 侘助は 盃のような形の花が 咲くのかと 思いましたが・・・。

 カフェから 信号を越えて 北へ行くと 大谷登山口ですが さらに 北へ行き 稲荷神社の先の
広場 (地図の現在地)の登山口から登ります。 鉄塔49の脇を進み 竹林の横を登ると 尾根
道に合流します。 4号古墳の先で 右から 下太田登山口からの道が 合流しますが 直進します。

 木の根の上を歩き 岩の上を歩き・・。 粘土質の地道は きのうの雨で 滑りやすい。 左からの
大谷新道と合流した 先に 大谷展望台があります。 西を眺め 呼吸を整えましょう。 木が切り
倒され 西が望め 御津山脈から 相生の天下台山方面が 見渡せます。 

 山頂に出ると 雨が降りそうな どんよりとした空模様ですが 景色は まずまずで 海に 家島、小豆島
が見え 稜線上に 明石大橋の橋脚も 確認できます。 北の奥に見える 尖った山は 明神山でしょうか。



 西から黒い雲が流れてきて 雨が降るかもしれません。 写真を撮って 急いで 降りました。
来年は 酉年です。 皆さんの干支の山は どこですか? 新宮に 大鳥山もありますが 私は
たつの市神岡町の鶴嘴山263mにでも 登ろうかな・・・・。 山並みが 鶴の嘴に似てる?

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