中年の散歩道

後期高齢者世代、、、そんな親父の街角ウオッチングetc..

ニシン漬けに挑戦

2008-10-31 09:09:29 | Weblog
今朝は晴れて気持ちが良い。このまま続いて、小春日和の一日であって欲しいものだ。

昨日は、ニシン漬けに挑戦した。同居人から借りた古い薀蓄資料を片手にではある。
作業の最中に帰宅した同居人の第一声「キャベツは大根の半分にした?」
「あれっ、資料では1:1となってるよ!」「それなら多いの!ま、いいけど」
先に言えよと思いつつも、作業が終盤なのでそのまま続け、新しいキャベツには手を出さいことにした。その結果、大根とキャベツの重量比は1:0.68となった。
ま、妥協の線?であろう。
作業をした居間の養生も、整理・片付けし、樽を物置に運んで終了。さて、2ケ月後が楽しみだ。
問題は、当初計画の塩分3.5%が、濃くなることだ。予め用意しておいた塩と麹の使用を控えたので、4%には届くまいとは、電卓片手のドンブリ計算である。

暗くなる前に冬囲いの段取り第一陣もして、いい気分で日中の部は終えたのだが、19時以降のニュースは、景気対策、娘さんへの虐待等々、暗澹とすることばかりだった。




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よみがえる「黄金文明展」を見て来た

2008-10-29 09:15:22 | Weblog
素人目にも、素晴らしい工芸品の数々と感動したが、~古代トラキアは、何故ローマ帝国に・・・~とされる展示では無いとの先入観があったこともあり、貧弱なパネル或いは不親切な解説には失望した。

美術館の館内は比較的空いていたので、見学の途中にベンチで休憩を兼ねて解説書も読んでみたのだが、敢えて買い求めるほどの内容では無く、パネルの原典程度だった。

そこで今一度、リーフレットを眺めたのだが、展示会のタイトルは「黄金文明展」、サブタイトルが~「ブルガリアに眠る古代トラキアの秘宝~である。工芸的な意味での解説にウエイトがあっても良い筈だ。文明と他国のとの関わりは、緒についたばかりと推察はしたが、、、。
赤絵式陶器に至っては、見れば分かる通りの絵の説明だけであったのだ。赤絵の顔料とか、焼きの有無についての解説すらも無い。
肝心である主賓(?)の金製品と言えば、鋳込んだのか、はたまた叩いて伸ばしたのか?ロウ付けなのか?溶接なのか?等々の解説も見当たらない。

発掘直前の骸骨や出土品のパネルはあったが、推定される当時の人々の体躯が分からない。従って、剣や槍様武器を振り回す膂力は?脛当てや兜の大きさは、現代の日本人の体躯とは?等々。そして、同年代の青銅器と鉄器の交叉と製錬或いは精錬の残滓の出土の有無。金と銀の出土地のパネルはあったが、、、

全170点の内、前5000年期後半が5点、それよりも新しい年代が9点、残りは前五世紀から前三世紀にかけての展示品であったが、この繋がりも見えない。
日本で言えば、縄文前期(後半?)から弥生にぶっ飛んだ展示であり、時間が離れ過ぎているのだ。全体の謎解きはこれからとしても、ここはしっかりと解説して欲しかった。

北海道には、実用というか日常用品とは言い難い物は、全て「祭祀目的に違いない」とする、ミスター祭祀も居るのだが、今度の展示については、何と呼ぼうかと考えている。
金細工を並べただけの、骨董市とは言い過ぎだが、、、

今回の展示は、歴史とは一線を画した金工芸品の展示だったのだろうか?・・・。惜しかった。





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サクラ漬けのこと

2008-10-28 09:45:50 | Weblog
サクラ漬けを試食した。塩の量は、手本の通りの割合としたのだが、我が家とすれば、塩辛かった。

同居人曰く、「薄く切りすぎたのでは?」 その通りかも知らん!

酒の肴には向かないが、さっぱりしていて後口も良いので、脂っこい食菜の後には良いかも知れない。しかし、イメージと異なったので、ここは潔く失敗作と認めた。残念!!

次のステップで使用する漬物容器を眺めているのだが、商人の不祥事、役所の不誠実(犯罪も)が続いているので、「食品衛生法適合」「国内で生産しました」とするラベルが、何か空々しく感じる。情けないことだ。

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大根のこと

2008-10-27 18:35:48 | Weblog
我が家のミニ菜園は、有機となって4年過ぎた。
但し、有機4年は、私が使用し始めて4年でもあるから、その前の事は残念ながら分からない。
自家で食するミニ菜園でも土壌を気にしているのに、シアンを検出しても平気で居られる商売の姿勢は、理解を超える。企業戦士としては、短期的には正解としての対応だったのだろうが、、、。

大根に話を戻すと、
昨年までの夏撒きした大根は、大きさ・味とも順調であったのだが、今年は不調なのだ。大根の皮近くの黒くなった物が、半数近くも占めている。
おでん大根と称するズングリの白大根も、青首大根も、両方なのだ。
お師匠とは、種子に原因かなどと話しているが、来年に向けての課題でもある。

何かあれば、ついつい土壌改良も含めて、徹底したくなるのだが、無償で借用している、言わば雑草管理代わりのミニ菜園なのが悩ましい。

有償でも良いから、現在の3倍位の面積を20年程度は自由に使えればと、思っているのだが、狭い故の遊び感覚で作業出来る現在の方が、気楽であるとも言えて、その兼ね合いが難しい。


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大根のサクラ漬け

2008-10-26 15:23:19 | Weblog
樽の整理も含めて、大根のサクラ漬けに挑戦してみた。

何の事は無い、イチョウ切りした大根を、塩で下処理した後に、梅酢で調製するだけの即席漬けではあるが、農薬不使用5年、有機4年の環境で育てた素材が取り柄だ。
大根・・・有機栽培の自家製
梅酢・・・昨年作った、自家産の梅による、我が家風梅漬けの梅酢を使用
紫蘇・・・同上から失敬

抜いたばかりの大根は、心配していた欠陥品では無かったし、漬ける前に齧ったが問題なしということで、同居人からは、「例によっての一言」程度で済むだろう。

私が食事当番をすれば、賞味期限済みの物は整理されて、冷蔵庫が綺麗になる。
「これ美味そうだねぇー」と言っても、何だかんだと解説するが作らない。
ということで、例の一言を推察あれ、、、、

ともあれ、今年はタクアン漬けとニシン漬けに挑戦しようと、材料と容器は先程揃えた。
後は気温のタイミング待ちである。



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川遊びと危機管理

2008-10-25 12:17:27 | Weblog
ブログを脇で見ていた家族の言。
「私は分かるけど、他の人には分からない!」
で、くどくどと傍からの解説を試みる。

実は、流された子供を助けたことがあるのだ。この時、母親は子の流された近くから叫んでいた、「○○ちゃーん、早く此処へ戻りなさい」と。
戻れないので、下流に流されている訳であり、母親が叫ぶほど子供はパニックが膨らむ。どんどんと離れていくのだから当然である。

もう一つ、
夏休みの終わった頃、海水浴場でウインドサーフィンを練習していた時、風に流されて浮き(海水浴エリアのブイ)に摑まっては、岸に戻る試みをしていた初心のウインドサーファーを見た。陸から海へ吹く風であり、波だけは大きくないのだが、それなりに風が強かったので、岸へ戻りたくても戻れないことと、見てとれた。
私も初心者なのだが、漕ぎ出してブイへ行き、一緒になって岸へ向かって斜めに漕ぎ出した。
此処までは、私の人助け。


数年前には、北海道の屈斜路湖でツアーガイドの大チョンボがあった。ツアー客とカヌーを漕ぎ出したまでは良いのだが、波が高くなり風も強いので中止して、漕ぎ出した場所へ戻ろうとする途中での転覆事故だった。(ガイドの弁)
ここでの誤まりは、二つ。
一つは、当日の天候と漕ぎ出し地点の誤り。(地形を見落としている。中止すべきだった)
もう一つは、向かい風の中を、手間を惜しんで漕ぎ出し地点に戻ろうとした事。(車を置いてはあるが、何処かの岸に避難した後、歩いて車へ戻れば良いのだ)

全てに言えるのだが、危機管理は知識を実践することで身体に沁み込む。評論だけの口だけ男(女も)は、要らないのだ。







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川遊びの子供が流されたとして

2008-10-24 10:39:37 | Weblog
切り抜きは、今朝の北海道新聞(10.24)から、「シリーズ評論 混迷の世界経済」であり、2回目となる今回の執筆は、民間の経営者でもある生田正治さん。

1回目は学者さんの執筆で、中身は結果論の現状分析であったため、飛ばして読んでいた。
川に落ちて流された子供に、上流から何だかんだと言っても始まらない。せいぜい、浮くものを投げ込む位であろう。大事な事は下流に駆け付けて、救うことが先決だ。川は、上流から下流に流れる。

翻って、実務家でもある生田さんの評論は「内需の創出」をとした、中・長期の提案なっている。

この記事の裏面に当たる2面では、次期衆院選に向け、農政の「ばらまき」色が鮮明となったとし、水田・畑作農家の支援策推移を載せていた。

短期の対策は重要であるが、中・長期に対する展望の薄いまま行う対策は、更に抜本的な構造改革を遅らせることになり兼ねないし、今までがそうだった。
プロと称する皆さんの、「なるほど」と思える提言や議論を期待したい。

そう言えば、少し前まで、銀行を救って国民を転させた、プロの政治家や学者上がりの大臣もいたっけ・・・
「金融工学」「金融理論」 聞こえは良いが、矜持の無い単なる「銭転がし」の手法であろう。

川遊びで言えば、川を触り捲くり蓋をするのでは無く、川に対応して接する選択肢を充実させることの方が重要だ。


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温暖化とは言わない!

2008-10-23 09:54:13 | Weblog
写真は、今日写した「エゾムラサキツツジ」である。
毎年、数輪は秋に咲いているが、こんなに沢山の狂い咲きは初めてであり、全体では50輪余程度となろうか? まだ、蕾も残っている。
隣人から声を掛けられて、陰の方にも沢山咲いていることが分かった。

「エゾムラサキツツジ」は、もうひと株玄関の側にもあるのだが、こちらは例年の通りで数輪の開花で終わっている。

偶々朝刊に、「暮らしの異変 これ温暖化?」とした記事が載っていたので、大根談義?の予定が、転じてしまった。

私は、オホーツク海で暖流魚が獲れても、驚かない。
何故なら、スキューバダイビングにのめり込んでいた20数年前に、積丹半島で5センチ程度の「ブダイ」の幼魚を観察していたし、大正から昭和にかけて、日高地方には「鰹節の製造所」が数箇所あったと、読んでいるからでもある。

虫や花粉・種子の類も、人間様の移動や流通との相関もあるだろう。目の前の現実を疎かにしてはいけないが、全てを気象の変化とすることも危険である。

理科年表の気象部に記されている気温で遊んだことがあるが、僅かだが上昇傾向にはあった。但し、都市熱や使われたエネルギーが載っていないこともあり、素人の勝手な解釈は避けるが、体感だけで言えば確かに冬は暖かくなっている。

暖冬はありがたいが、根雪の前に寒波も欲しいとは、農家の代弁でもある。
理由は、畑の害虫や雑菌に死滅して欲しいからなのだが、有機栽培である我がミニ農園も例外では無い。

何だかんだと勝手なものだが、私はツツジの狂い咲きを、すわ温暖化とは言わない。

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分からんことばかり

2008-10-22 09:00:40 | Weblog
イージス艦の海難審判のこと、パンを詰まらせた小6のこと、蒟蒻様食品の事など、国防から市井の食まで、人が亡くなっているのであるから痛ましい出来事ではあるが、私の価値観では理解の外である。

古くは、夏目漱石先生も慨嘆して居られた様だが、真っ当に生きることが大変な世の中となってしまった。

お天道様に背を向けず、人に後ろ指を指されないようにする、額に汗して働き、過ちを犯したら「ご免」と詫びる。
この反対の生き方がチヤホヤされる現代、分からんことばかりである。

突然だが、厚労省官僚の家族との会話も聞いてみたいと思った。

大根談義の積りが、またぞろボヤキとなってしまった。やれやれ!

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近くの他人

2008-10-21 10:28:34 | Weblog
またぞろ、元首相が道徳に絡んで?と思われるが、過激な発言をした。
何で又と思いつつ、自分の事を振り返って見た。

親父に先立たれた母は、20年このかた函館に一人で住いしている。父が健在の頃には、せいぜい1回/年 程度の家族での里帰りだったが、母が一人となってからは、10回/年 程度の頻度に増えはした。
掛け算すると、母が一人となってから会った回数は、200回程度となろうか。それとて、大した濃密な話は無い。

私の自宅の向かいに住むお師匠(家庭菜園の)は、ぼほ同じ頃にご主人を亡くした。お向かいということもあり、以来何かと気にかけてはいる。
今朝も、同居人に問うた「お向かい、昨日は洗濯物を干してあったが、姿は・・・」と。
仮に、1回/週 の会話としても、20年では1000回を越える。冬は雪かきで顔を合わせるし、春から秋は菜園談義がある。従って、2~3倍の少なくても2000回以上の会話があったことになり、母より10倍以上も多く接して来たことになる。
他方、そのお師匠も、私の作業場の灯りが数日無ければ、「元気だったの?」と、心配して声をかけてくれる。

こう考えてみると、私の母とは「単なる子」としての、義務感だけで接しているような気さえもして来た。
姉も言っているのだが、確かに子に対して愛情の薄い親ではあったが、、、
その反動であろうか、兄弟姉妹の間で「あんたが一番親馬鹿・・」と、集えば冷やかし合ってはいる。

振り返ってみれば、親元では18年だが、親元を離れてから47年も経ってしまった。当然だが、他人との係わり合いの方が多く深い。
我が家の場合は、遠い親戚ならぬ「遠い母親よりも、近くの他人」なのかも知れない。

それでも、故郷である「函館の風景が心地よい」のは、帰巣本能なのだろうか?


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