中年の散歩道

後期高齢者世代、、、そんな親父の街角ウオッチングetc..

男だてらに、お人形、、、

2007-10-31 18:12:33 | Weblog
所用があり街中に出かけたので、偶然に新聞の広告で見て知っていた、与 勇輝さんの「人形芸術の世界」を鑑賞して来た。
もうせん雑誌で目にしていて、私の心の中に焼きついている、「朝のお掃除」の凛とした女の子に会うためであった。このお人形は、お人形としてでは無く、この瞬間を生きているようなオーラを発して、私の中の涙腺を刺激するのだ。これを書いている今でも、私の心を揺さぶるのある。

話が変わるが、何故におばさん連中はああも姦しいのだろうか?
いちいち作品の品定めをするでない。どうしても発声するならば、短い感動に止めよ! 美術館でもそうだが、おばさん入場不可の観覧日の設定を切望するものである。

肝心の人形展だが、11/5まで札幌駅至近のデパートで開催されている。お勧めである。
私の今宵は、少しだけほろ苦い酒を飲みながら、良い時間を過ごせるだろう。

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今日は短い

2007-10-24 18:25:12 | Weblog
私のブログは、内省もあるのでだらだらと長いが、今日は短いと思う。
久し振りの好天であったので、冬を迎える外回り作業の第一弾を気持ち良くやった。単純にビールが楽しみである。

話は変わるが、私は第二の仕事が前職と関わるので、古巣の訪問は最小限としたし、後輩と飲食を共にしていないし、後輩も避けている。たまさか会っても、雑談と先輩としての技術的な知恵を貸すだけであった。
第二の職を辞した現在は、無償で後輩の技術的な質問に答えている。今も、昨夜届いていたメールに対して、やっと時分割による対応が済んでのブログである。

役人の根性は、分からない。
能力さえあれば、第二の職はハローワークで良い筈だ。ノウハウ?汚職と談合だけだろう!?


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町村合併の余波

2007-10-23 08:56:55 | Weblog
 所用で函館に行ったが、翌日の用件が早く終わったので市立博物館を訪れた。目的は、志海苔から出土した渡来銭に会うことと、その由緒についての新たな発見があるかな?という仄かな期待であった。
 期待した由緒については、新しい発見は無かったが、郷土史家の熱烈というか強引とも思われる仮説からは、より以上に距離をおいたものとなっていた。
 この渡来銭は、前漢時代の四銖半両から明代の洪武通宝までの93種類に及び、その数は37万枚余とされているが、昭和43年に出土した当時、現場からバケツで持ち出した御仁も居るようなので、実際の枚数は、40万枚程度はあった可能性もある。
 私は、洪武通宝が銭塊として出土したのか、バラ銭として出土したのか、この点に大いなる関心がある。当時を知る人に、是非ともご教示を願いたいものだ。
その理由は、埋蔵或いは保管した、かっての持ち主や当時の経済圏の推理に繋がるものと、考えているからなのである。

この渡来銭は、国の重要文化財に指定されていて、フルネームでは
「北海道志海苔中世遺構出土銭」となる。


 もう一つの興味は、縄文時代の土偶であった。今回は、もうせんよりも土偶の展示が多かったように感じたが、その中で気になったのは新しい町村名である。
50年前の地図少年としては、合併後の新しい町村名と位置などが、頭に入力しても直ぐに揮発してしまって、中々イメージが湧いて来ない。手数のかかることではあるが、是非とも地元外からの見学者にも分かるように修正や補足して欲しい。

 好感を持ったのは、「土偶についての解説として、祭祀に用いられたとする説もある・・・」としてあったことである。北海道教育委員会傘下の展示等では、やたらと「祭祀に用いられたに違いない・・・」と、断定されているのだ。その通りかも知れないが、「講釈師、見て来たような・・・」では困る。
 関東地方で出土した土偶について載っている出版物でも、強い推定となっている例が多いことは事実でもあるが、、、。

歴史に興味があるものとしては、古い資料を精査する際に、「新旧町村名一覧」のような資料と、新旧二種類の地図を手元に置かなければならない煩雑さに、頭が痛い。町村合併のネガティブな余波である。
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日本の農業と食料危機

2007-10-22 09:10:54 | Weblog
某国営放送では、時間枠を拡大した上でシリーズで取り上げていた。多くの皆さん方が真剣に視聴していたと思われるが、この番組は、他のテーマでもそうなのだが、司会者のリードの点で”かったるく”白けてはいけないのだが、二日とも、断片的な視聴となった。
食の嗜好の変化に対応する視点、、、大規模化による効率化とコスト削減、、、女性の社会進出と役割、後継者等々の問題についての議論が、スタジオの参加者や識者?で議論されていた。

全てを視聴しないままでの問題提起となるが、
①コストは、何を以って算出するのか? 
 単に、輸入価格との比較ではナンセンスなのだが、果たして議論されていたか? 何を以って適正なコストと称するのか、定義したのか?
②大規模化が、果たしてコスト競争に打ち勝って、農業の魅力を増し結果としての 自給率の上昇に繋げることが出来るか?
③食料の自給は、国防と密接に関連するものだが、その視点があったか?
 個人的には、他のメディアでも取り上げられた事を知らない。
④里山を含めた自然環境が、破壊されないか?
 現在の環境は、永年の時間を要して出来上がり、そして今でも緩やかな変化を続けている現在進行形の筈だ。

酪農家の飼育頭数、民有林の占める割合など、北海道と本州を一律に論じる事は、難しいのだが、少なくても国策で進めた「飴と鞭の酪農政策」の一例では、億単位の金を必要とする大型サイロの導入を推奨し、農協共々借金を勧め、結果的に酪農家を苦しめた事実もある。
林業にしても、経営の効率化と称した伐採方法は、若木が育ち難いため山林を荒らすのみならず、取り付け道路の増加と相俟って、水の流れを変えてしまい、砂防ダムを埋めてさえいる。そして、税でその対策を進める、、、。
篤農家は、事を進めるに際して国や識者と称する御用学者の施策と、反対方向を志向すれば失敗しないとさえ言い切っている。

札幌オリンピック時の滑降コースとなった恵庭岳の山肌は、20年で元に戻る筈であったのにも関わらず、30数年経た現在でも荒れている。「人知を超えたのでは無く、一方の人知をご都合で無視した結果以外の何物でも無い」
果たして、役人と識者の提案する農業における「飴と鞭の大規模化」は?

中国大陸の富裕層は、食の安全面から日本の農産物を購入し、一方の日本では安いからとして中国などから大量に輸入して食していると報じられているこの現実。

食は無論のこと、かって経験したオイルショックに近い現状の今、エネルギー問題も含めて、生活を真剣に見直す絶好というよりも最後の機会かとさえ思う。
などと考えながら、止む無く灯油ストーブを点けることにした。小雨で陽が入らないため、18度ではちと冷え過ぎる。


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密命を読んだ

2007-10-20 17:48:02 | Weblog
「居眠り磐音」を一気に全巻読んだので、ひと息ついていたのだが、腰痛で出かけた整形外科の待合室に、同じ作者の「密命」が置いてあった。
「居眠り磐音」と並行なのか、前の作品なのか、未だ定かではないのだが、医者より戻って直ぐに求めた第1巻は、その日と所用で出かけた翌日のJRの車内で読み終えてしまった。そして駅に着いたその足で求めた第2巻も、ホテルで読み終えてしまい、当然の成り行きではあるが、翌日の帰途の乗車前に第3巻を求め車内で大半を読み終えた。
既に江戸の切り絵図を学習してあったので、ピツチが上がっているいることも影響していようが、ひと区切りとなる早々の1~3巻の読了となった。

全体のトーンだが、登場人物像は似ていると感じた。そして作者の意図なのであろうか?「居眠り磐音」の方が、果し合い時の峰打ちが多いようにと思えたのだが、、、(峰打ちに表れる作者の・・・などと、統計処理するほどは、お宅で無いのだ!)

ここに来て属人的な問題なのだが、楽しんで読んでいるのにも関わらず、何やら私が凹んで来たのだ。年甲斐も無く新たなストレスの発生である。
理由は、小説に登場するご婦人群が、私の同居人と異なり、皆さん素敵なことが問題なのである。「きっと作者の佐伯さんの周辺は、そのお人柄故で魅力的な方々に囲まれているのだろう」などと、羨んでも仕方が無いのだが、、、
ということで、「密命」第4巻以降をどうするかと悩みが増えてしまったが、佐伯泰英氏のファンとなってしまったことは、事実ではある。
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遠足のこと

2007-10-13 08:45:37 | Weblog
入院した母親の見舞いに函館まで出かけて来た。写真は、大沼の湖沼に映える駒ケ岳(10/10撮影)である。

私の中学から高校まで、秋の遠足は兎も角大沼だった。登山の時もあり、或いは一日中好き勝手にボートに乗って湖に浮かぶ数多ある小島巡りしたこともある。当時、ボートから落ちても、単なる「ドジ」であり、死亡事故なども聞いたことも無く、ましてや訳の分からない訴訟などは聞いた事も無かった。引率の先生が、声をからして指導しなくても、それなりの秩序があったのだ。
高校時代の担任は、遠足・修学旅行を含めて、私に対して「全員揃ったか?」だけであったことを思い出す。

国定公園でもある大沼は、初雪の近い文化の日あたりまで、大人の散策を晩秋の静けさの中で楽しめる。
2泊3日の旅程で明治の佇まいの残る函館と、大沼での散策を楽しめるので、是非とも各地から足を伸ばして頂きたい。
なお、老婆心ながらであるが函館朝市は見学に止める方が無難かもしれない。改善されつつはあるのだが、、、
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磐音の世界

2007-10-08 09:12:03 | Weblog
またまた磐音であるが、その日常を、切り絵図と現代の地図を眺めていても、未だ一つピンし来ないものがあった。その理由は、やはり自動車である事が分かった。私は、40年以上もマイカー族であり、30数年住んでいる自宅もマイカーと共に引っ越して来た。遠い、近いは、自動車中心の感覚となっている。

そこで、18歳まで住んでいた函館の生家を中心にして小学校時分の時間距離や行動半径をみてみると、江戸時代と殆ど変わりの無いことに得心した。歩き中心なのだから当然と言ってしまえば、それまでなのだが、、、
 八幡小学校 670m
 亀田八幡宮 420m
 万代岸壁   750m
 トーフ屋    250m  
当時の思い出す冒険的な距離は、1000mを超えたあたりから。全て、直線距離。

万代岸壁は、中型の貨物船やイカ釣り漁船が停泊する岸壁であり、春から秋にかけては、1本竿を担いで殆ど日参していた。
秋の陽も落ちかけ、空腹で自宅に帰ってからお使いに出されたトーフ屋さんは、改めて地図を眺めて見ると、思いの外近かった。しかし、秋ともなれば帰り道は暗くなってしまうので、歌を歌いながら足早に戻ったことを思い出す。

このようにして思い出してみると、お使いで訪ねて来た幸吉少年を、西両国橋にある今津屋からを金兵衛長屋まで、大人が送っていくこともむべなるかなと思う。
第5巻の3章で、幸吉とおそめが磐音から、今評判の「鴨なんばん」をご馳走になる。この松井橋袂の十二庵は、金兵衛長屋から700m強と推定されるが、確かにご近所では無い。準お出かけ距離であろう。
現在の我が家でも、評判を聞いて「・・・に出かけるか?」という時、着慣れたヨレヨレの作業ズボンを、少しはましなズボンに穿きかえる距離ではある。100m先の花屋さんには、制服?のままだが、、、

このようにして「居眠り磐音」を読むと、武士や町家の作法のみならず、作者の下調べというか、広範な準備というか、流石プロであると改めて感心させられたのだった。

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お役所仕事

2007-10-07 07:23:53 | Weblog

写真は、北海道の千歳川上流に設置されているインディアン水車である。孵化事業としての設備であり、鮭の遡上シーズンとなれば、汲み上げられた鮭を見る事が出来る。
写真は、九月の最終週のお昼時ではあるが、作業が休止状態となっているため、観光客の皆さんは鮭の捕獲や関連した作業風景を見物することが出来ない。遡上途中の鮭自体は、近くの橋上から見るが出来る。
撮影時の橋上には、恐らく200人近くの観光客の皆さんが眺めていたのだが、写真の様に空回りする水車だけではその様子は到底分かるまい。

孵化に関係した作業手順、職員の休日や休憩の確保など、色々と理由はあるだろう。しかし、工夫すれば見せる方法がある筈だ。一旦汲み上げた鮭を、川に戻せば良いのだから。
北海道の鮭・鱒の孵化事業は、東北地方と異なって殆どが税で賄われている。委託であろうと何であろうと、税金を投入した仕事なのだ。

北海道と東北の知事が集って観光サミットなども開かれ、リピーターや道南と北東北の縄文圏などと議論はしているが、現に訪れたお客さんにサービスも出来ないで、将来展望がある訳もない。
担当部署だけの問題では無い。役人全員が、どのようにして観光客の皆さんに満足して頂くかの発想をしなければ、税収も増えないというものだ。

年金問題では、自分の金として悪事で稼いだ輩が、多数出て来たが、じぶんの給料は自分で正しく稼ぐ(目の前のルーチンワークだけが仕事で無い)ことの、徹底した再教育と少数精鋭化を改めて痛感したのだが、根が深いため自浄効果を期待出来ないところが、永遠?の公僕とは何かの課題か。

千歳川は、支笏湖をその源として千歳市内を流れインデイアン水車を過ぎて間もなく北上した後、江別市で石狩川へと注ぐ。

インディアン水車は、千歳空港から車で10分程度の所に位置している。取り敢えずは、休日と平日のお昼休みを外す、或いは事前に作業予定を確認などしてからの見物をお勧めしたい。
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東京の運河跡と埋立地Ⅱ

2007-10-06 08:54:15 | Weblog
江東区の「小名木川」は、居眠り磐音の中で、幸吉少年が鰻取りをするとしても登場するが、7巻の第3では「隅田川、江戸川、中川の間を結んで成田参りの年寄りに喜ばれた・・」と、市川の行徳へ向かう運河としても登場している。
となれば、水遊び大好き人間としては、どぶ川でさえなければ川下りというか、辿って行徳に住まいする友人を訪ねたいなどと、妄想?するのであった。
しかし、手元の地図やインターネットを駆使?した結果、可動堰もあるようなので、先ずは現地調査が必須となるが、ともかく都会の中でそんな夢を持てる環境が羨ましくなったのである。

調べていたら、江東区には「東京水辺イベント情報」なるホームページがあって、その中の一つに小名木川での親水イベントや、隅田川ウォツチ等々もあった。
流石は、体育会系の文人知事の治める都であるなどと、勝手に思ってしまった。

札幌の中心部を分断する豊平川では、7月に「いかだ下り」のイベントがあるが、そんな程度であり、情緒も含めた親水とは程遠い。
かっては、札幌近郊の石狩湾と太平洋側の苫小牧とが運河で結ばれていたようなので水路連絡というか辿ってみたく若干だが調べたことがある。しかし、技術者と識者が治水名目でショートカツトしたり、大規模な開拓の関係もあって、実現には一筋縄ではいかないことが分かって中断したままとなっていることもあり、殊更に羨ましい。

歴史ある江戸に住まいする御仁は、隅田川リバークルーズだけで無く、密かに川遊び(運河辿り)をしているのだろうな?とは、やっかみではある。


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東京は運河跡と埋立地Ⅰ

2007-10-05 08:48:09 | Weblog
居眠り磐音の小説を期に、江戸切り絵図を見ることになったが、東京の多くは埋立地であり、江戸は運河の都であったことが改めて分かった。
現在の幹線道路や電車の類は、私有地で無い事もあろうが、殆ど運河の上を走っている。例えば、都営新宿線の森下駅周辺は、当時を記している本所深川絵図にある六軒堀や五軒堀の名残が、区画というか道路にはっきりと残っている。
脇役の御家人の住まいする南割下水は北斎通り、北割下水は春日通りと思われる。

こうして地図を一緒にして読み進むと、大量輸送手段が運河を利用した水運から自動車や電車に変わっただけで、庶民の営みは二百数十年経た現在も、根っこのところは当時と大きく変わっていないことに気付く。
役人の不正や大店の不正は相も変わらず、情報と教育革命ゆえに似非識者が増加し、結果として混乱の極みとも言える現代の精神性、、、等々、ぼやくしか方法が無いのか?と、ぼやく有様ではある。さておき、

 両国橋西にある「今津屋」から「金兵衛長屋」まで、直線で略1200m。
 同じく磐音の通う「佐々木道場」までは、直線で略3200m。
 金兵衛長屋から、磐音のバイト先である「宮戸川」まで、直線で略320m。

などと、距離感を得るために、先ずは40ポイント程度を推定してリストを作成し、5巻以降は若干の補完しながら読み進んだ。

水路で言えば、例えば12巻の第1章の前半に「小吉の猪牙舟は神田川と別れて直進し、江戸城の外堀へと入って・・・後略」とあるが、道産子にとっては、何処が神田川で何処からが外堀なのかを、全くイメージ出来ない。そこで、現代の地図と江戸の切り絵図の登場となる。
結果として、なあーんだ三鷹へ行く時に乗る中央線の沿線か・・・と、得心するのであった。
東京の地図をこんなに真剣に眺めたのは初めてであるが、それにしても、こんな狭いところにと、改めて思わされた。
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