母が脳梗塞を発症して倒れたと、早朝に介護施設から妹へ連絡が入った。なお、介護施設は、内科の併設施設でもある。
その時、「脳神経外科へ行きますか?」と、問われたので、妹は「お願いします」と、返事した。
結果として母は、ここで介護とは縁が切れた、、、
施設に出してあった健康保険証のコピーを持たされて、瀕死状態の母は、唯一人救急車で脳神経外科へ搬送された。
介護施設側の言い分は、「ご家族が、脳神経外科を希望されたので、、、、」
電話を受けて動転した妹は、医師の判断の再確認で「脳神経外科、、、」と、理解しお願いしたのであったが、、、、
私と妹は、件の施設に入って直ぐに、内科の医師殿と面談をしていた・
過度の延命は希望しない。安らかな旅立ちが、かつての本人の希望でもあり、子等の願いでもある。
酸素呼吸をを含めた救命措置については、その判断を医師にお任せする。子等は札幌に居るため、措置結果の報告は事後となっても構わない。
、、、と、してあったので、脳神経外科への搬送は、医師の判断に対する再確認を求められたと、理解したのであった。
更に驚いたのは、介護から離れて病院に入ると”担当のケアマネからも離れる”と、されることだった。
確かに、介護と医療では、費用も含めた体系が異なるのであろうが、すっぱりと突き放されるとはまるで知らなかった。リレーは無いのかよ!
仮に、子等に恵まれず、或いは早逝された孤立老夫婦が居て、どちらかが、それなりの認知症や年齢なりの惚けを持っていたとする。そして、その一方が突然倒れた時は、どうなるのか? どの様にして、行政の窓口や地域包括・・何とか等へ、出掛けるのだろうか? きっと、後手後手で町内会のご近所、、、民生委員、、、行政となるのだろう、、、
何とかちょっぴりだけ小康状態となってからの妹からの電話で、経緯の詳細が分かった次第。
現状でも要介護度3なのだが、それに片麻痺が加わったままでの退院となる。果たして、そんな状態で看取りも含めて受け入れてくれる施設があるのだろうか? 一旦リセットされたのであるから、再び病院と行政の機関に相談し、何とかしなければならないことだけは、厳然とした残された事実なのである。
このご時世、生きるも逝くも簡単では無い。介護と医療の狭間を思い知らされた数日間であった。
その時、「脳神経外科へ行きますか?」と、問われたので、妹は「お願いします」と、返事した。
結果として母は、ここで介護とは縁が切れた、、、
施設に出してあった健康保険証のコピーを持たされて、瀕死状態の母は、唯一人救急車で脳神経外科へ搬送された。
介護施設側の言い分は、「ご家族が、脳神経外科を希望されたので、、、、」
電話を受けて動転した妹は、医師の判断の再確認で「脳神経外科、、、」と、理解しお願いしたのであったが、、、、
私と妹は、件の施設に入って直ぐに、内科の医師殿と面談をしていた・
過度の延命は希望しない。安らかな旅立ちが、かつての本人の希望でもあり、子等の願いでもある。
酸素呼吸をを含めた救命措置については、その判断を医師にお任せする。子等は札幌に居るため、措置結果の報告は事後となっても構わない。
、、、と、してあったので、脳神経外科への搬送は、医師の判断に対する再確認を求められたと、理解したのであった。
更に驚いたのは、介護から離れて病院に入ると”担当のケアマネからも離れる”と、されることだった。
確かに、介護と医療では、費用も含めた体系が異なるのであろうが、すっぱりと突き放されるとはまるで知らなかった。リレーは無いのかよ!
仮に、子等に恵まれず、或いは早逝された孤立老夫婦が居て、どちらかが、それなりの認知症や年齢なりの惚けを持っていたとする。そして、その一方が突然倒れた時は、どうなるのか? どの様にして、行政の窓口や地域包括・・何とか等へ、出掛けるのだろうか? きっと、後手後手で町内会のご近所、、、民生委員、、、行政となるのだろう、、、
何とかちょっぴりだけ小康状態となってからの妹からの電話で、経緯の詳細が分かった次第。
現状でも要介護度3なのだが、それに片麻痺が加わったままでの退院となる。果たして、そんな状態で看取りも含めて受け入れてくれる施設があるのだろうか? 一旦リセットされたのであるから、再び病院と行政の機関に相談し、何とかしなければならないことだけは、厳然とした残された事実なのである。
このご時世、生きるも逝くも簡単では無い。介護と医療の狭間を思い知らされた数日間であった。