このところやたらと出張が多く、そのために課題というか、本来処理済としたい作業が溜まっている。とは言っても、自分自身の課題であるから他所からは責任の謗りは受けない。しかし、貧乏性とも言えるが何となく居心地というか、自己の精神衛生上は良くない。
話は変わるが、この日曜日に我が子とその友人の三人で食事をした。我が子の友人は、精神衛生士とかの一年生である。
気の病を持つ患者さんと接していると、その世界に入り込むらしく、ベテランの看護師から、注意を受けるらしい。心を引き戻されるということなのたろう。介護とか治療の方針も、医師で異なるらしく悩んでいた。
私は、20数年前になるが聾唖者の皆さんの大会に接したというか、同席した経験がある。この時は、途中で何かしら不安となったことを記憶している。理由は、わあーっと歓声が上がる場面でも、無音だからなのである。
正義であるとの確信もそうだが、数による定義には注意が必要である。私は、どんな理由があっても、他人を傷つける正義は嫌いだし、少数派の正義感面も嫌いだ。好きなのは、控えめに少しずつ、そしてさりげなく労わり合える環境だ。
前途ある若者よ、悩みながら、しかし自分を見失うことなく成長して欲しい。夢ある心の悩みは、若さの特権かも知れないのだ。
ご同輩、希望と夢を持つが故に悩める若者に、力を貸そうではではありませんか!
個々の理由と原因はさておき、ぐうたら弁解人間に共鳴しないのが、私の狭さではある。
話は変わるが、この日曜日に我が子とその友人の三人で食事をした。我が子の友人は、精神衛生士とかの一年生である。
気の病を持つ患者さんと接していると、その世界に入り込むらしく、ベテランの看護師から、注意を受けるらしい。心を引き戻されるということなのたろう。介護とか治療の方針も、医師で異なるらしく悩んでいた。
私は、20数年前になるが聾唖者の皆さんの大会に接したというか、同席した経験がある。この時は、途中で何かしら不安となったことを記憶している。理由は、わあーっと歓声が上がる場面でも、無音だからなのである。
正義であるとの確信もそうだが、数による定義には注意が必要である。私は、どんな理由があっても、他人を傷つける正義は嫌いだし、少数派の正義感面も嫌いだ。好きなのは、控えめに少しずつ、そしてさりげなく労わり合える環境だ。
前途ある若者よ、悩みながら、しかし自分を見失うことなく成長して欲しい。夢ある心の悩みは、若さの特権かも知れないのだ。
ご同輩、希望と夢を持つが故に悩める若者に、力を貸そうではではありませんか!
個々の理由と原因はさておき、ぐうたら弁解人間に共鳴しないのが、私の狭さではある。