中年の散歩道

後期高齢者世代、、、そんな親父の街角ウオッチングetc..

仕事の手直しが終わった

2009-06-28 14:06:11 | Weblog
今日も、風も無く穏やかな夏の1日となりそうだ。やれやれ!と思いつつも、PCに向かって苦闘し、やっと手掛けていた仕事が終わった。

日光浴をしている布団をそろそろ片付けて、カヌー磨きをすることにした。何せ数日前まで風が強かったので、外のラックに置いてあるカヌー本体には細かい塵がへばり付いているし、車庫の天井に差し込んでいるマストの類も、進入して来る他車の排気ガスで汚れているのだ。

カヌーの上下架は、テニス肘の調子見にもなるだろう。もう、半年にもなるのだが、調子は今二つか三つ状態だ。今朝も、散歩の後のシャワーをしながら、ふと見た太ももや脛の筋肉を見て愕然としたのだが、あちこちと老化だけは早い。

ぼやくよりも、時間をどのように使うかなのだが、それ自体も問題なのが問題だ。ともかく動くことにしよう。イカも干したし、ビールを楽しみにして、、、







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今日も夏のお天気だ!

2009-06-27 09:36:56 | Weblog
今朝は久し振りに早朝の散歩をした。雨無し、風無しであり好い塩梅の45分間だった。少しコースを変えたのだったが、良い雰囲気の通りを見つけたのが、今朝の収穫ではある。

帰宅してから地植してあるバラを見たら、黒星病を患っている葉をみつけた。葉も暑さでバテたのであろうか?
黒星病の対策は難しいらしいので、昨年とは薬剤を変えて、早速に消毒したのだが、さてどうなることか?

黒星病はさておき、患っている国政にも特効薬はないものだろうか? 


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バラの花びらの巻きかたⅣ

2009-06-26 07:04:33 | Weblog
シャルトルーズ・・・がやっと咲いた。花びらの巻き方は、6月5日とは逆だった。枝的には同じだったので、花びらの巻き方はバラの勝手なのだろう。細胞レベルまで遡れば、何らかの要因はありそうだが、、、

昨日の気温は31.2℃とかで、沖縄よりも高かったと報じられていたが、風があったのでしのぎ易かった。
今日の予報はと言えば、午後から雷に注意で、夜には雨となるらしい。前線も忙しそうなので、私としては土・日の作戦がちょいとだが狂ってしまった。

私の予定などは、狂ったとしても何ほどの事は無いのだが、宮崎発の政局うんぬんは、この暑さの中を議員先生や官僚を走らせていることだろう。確かにインパクトはあった。




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今日も青空だ

2009-06-25 13:12:04 | Weblog
実に良い気分だ。風は相変わらず強いが、何と言ったって青空なのだ。予報による気温は、29℃とのことだったが、そこそこ当たるだろう。
きっと、大祖先?は、寒空か雨の多い所に住まいしていて、何時も寒さと飢えに闘っていたのだろう。時折だが夢にも見る「南洋」、その割には暑さに強いとは言えないが、、、。

今朝の新聞に、あのサミットの会場となった「ウインザーホテル」の苦境が載っていた。スマンが、私からみると「むべなるかな」ではある。北に洞爺湖、南には噴火湾と実に眺めは良い。しかし、それだけなのだ。
それで傾いたホテルを捨て値同様な価格で買い取ったのだから、それなりの工夫もあったのだろうが、うーん・・・とより、言いようが無い。官の何とか保養施設と似た弁解だけは勘弁して欲しいものだ。税金で無いのが救いだが、、、

青空とホテルとは、脈りゃくが無いようであるのだ。札幌で吹いている風の息継ぎが「じゃじゃうま」だ。しばらくは好天の続く予報だから、多少遠くても出掛けたい。幸い?仕事の依頼も舞い込まない。噴火湾方面や洞爺湖方面でのカヌー遊びはどうかな?、そう言えば、、、とホテルに続いたのだった。
私が狙うのは、源泉かけ流しだけが取り得のホテルではある。

さーてと、遊ぶ前の作戦だ、先ずは家事に精を出す。空飛ぶかぼちゃ?のネット張りをしてから、セールその他のスタンバイだけはしておこう。青空は大好きだ!

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青空が戻って来た?

2009-06-24 07:01:27 | Weblog
昨日は、晴れたり曇ったりではあったが、久し振りに気温も上がった。我が家的な観測では、25℃越えであり、途中で半袖の作業となった。

今朝は早くから晴れているのだが相変わらず風が強い。今年のカヌーの初漕ぎ出しは果たして何時になるのだろうか? 馬力のあった頃は、いい風が吹いていると張り切ったものだが、それにしても強過ぎる。

そんなことで、今日の作業は、涼しい内にミニ菜園のジャガイモの土寄せと山椒の木の剪定、その後は、昨日届いた「出土銭貨」の機関紙の執筆者に質問のメールを出し、午後からは、受託している風力発電設備の外観点検へ出掛けることに決めた。

ウーン!今日は好いペースとなりそうだ。気分も青空だ!!


水戸黄門 様

脳死関連の報道も冷めた中で、米国に渡っていたお子の残念な結果となったニュースが伝わりました。ご冥福を祈るばかりです。

ところで、コメントを頂いたのですが、別の移植のニュースを見たりしていたこともあり、サイボーグの世界の現実化が怖くてタイミング的に書けなかったのです。私はせいぜいスプリング坊や?であった「星 飛馬」+αまでが、人の業の限界であって欲しいと考えていたのですが、未熟児の医療の進歩には目を見張るものがあり、その一方で、更に医学が進歩して、我々の身体の一部がその部位に限らず自由に交換できるような時代は、滅びの道の加速化に過ぎないと思ったり、、、

大岡裁き、どちらの手が鳴った、、、ここら辺りまでが、私にとっては思考の限界の様です。
おっしゃる通り、永遠のテーマなのでしょうね!
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雲の流れが速い

2009-06-23 07:14:23 | Weblog
窓越しに南東の空を見ると、雲の流れが速い。その雲は、正確では無いのだが、高度で言えば200m,500m,2000m近辺の三層となって、北方向へ流れている。そして、時折だがまるで停止したかのように速度が低下したりしている。

太平洋岸は大雨との予報だったのだが、峠は越したのだろう。と、思いつつ再び目をやると、雲の流れはほぼ止まり青空も所々から覗いている。西の空模様では無いので、俄か予報士としては自信が無いのだが、何となく嬉しい。

もっと嬉しいのは、パソコンから離れた作業が出来そうなことだ!



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紙世代

2009-06-22 10:23:34 | Weblog
今は作業場の窓から薄日が射しているが、風は相変わらず強い。夕方からは雨の予報であり、どうにも気持ちがすっきりとしない。

4月は、そこそこの好天に恵まれたので何かと作業も捗り、ほそぼそとして残っている趣味の一つである、セイリングカヌーの冬の汚れも取り除き、WAX掛けもして、手薬煉状態としてあったのだ。
なのに、5月からのお天気は雨か強風が吹き荒れていて、このまま7月に突入しそうな気配でもある。

6月に入ってから取り掛かった仕事は、今日の提出で大方終わった。外部の資料が手に入った時点で差し替えをして、もう一種類出せば完了する。
なるたけ紙に印刷しないで作ろうとしているので、どうにもエラーが出る。やはり、紙世代なのだろう。

私の作業はこうだ、
先ず、作業の成果品をイメージして、ノートに手順や個々の単票的な要素を図示する。
次に、PCにて個々の作業を進めた後、PC上で単票をブロック化し纏める。段々と、貼ったり切ったりの作業となる。
そしてそのブロックを一つに纏めるのだが、ほぼ完成したつもりでも、スクロールして読むと、穴のあることに気づく。
その穴を埋めてからもう一度読むと、再び穴が見つかる。この繰り返しで、ページが増えてしまう。当初の完成イメージに問題があるのだろうが、困ったものだ。
紙に印刷したものからの校正では、どちらかと言うとページの減ることが多かった。だぶったような説明をバンバン切りやすかったからだと思われる。
校正や推敲は、説明資料などのページを少なくするものと考えているので、スイスイとページが減れば、今度のは出来が良いかなと思う方であり、その点ではページの増える一方だった今日提出した成果品は??である。

紙のページを捲るのも、PCの画面でスクロールするのも同じ様なものと考えるのだが、事がうまく運ばない。困ったものだ。
その上、PCとは直ぐに固まる時代からの付き合いでもあるので、ゼロスタートとなるのが怖く、何かとファイルや途中の成果をストックして置く。結果として、紙は増えないのだが、PCの中はフォルダやら単票やらで溢れかえってしまう始末となる。

などと、ブログに吐き出して気持ちを切り替えよう。老人性の鬱ではなく、お天気のせいにて・・・。
ふと、窓ガラスを見ると水滴が付いている。薄日が射しているのに、、、やれやれ!











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パソコンは嫌いだ

2009-06-21 09:01:23 | Weblog
私のパソコン環境はPCが3台あり、OSは全てXpで動いている。オフィスソフトのバージョンは、Xpと2003だ。

何もやっていないのだが、ある日のことPC1のエクセルのPDF化がNGとなっていた。ま!いいや、PC2があるさ!と運用していたのだが、ワードのPDF化も駄目になってしまった。これは拙いと、PC2を確認してみたら、エクセルは大丈夫だったが、これまたワードのPDF化が出来ない状態となっていた。

今手がけている作業が終わり次第、PDF化して客先に提出しなければならないので、無い知恵を絞った結果、PC1は何とかワードもエクセルもPDF化が可能となった。しかし、2003の入っているPC2は、相変わらず、PDF化の出来るのは、エクセルのみの状態だ。CDから再インストールしても駄目だった。

バージョンが異なるので、2台並べてディレクトリを探ってみても解決しない。様子が異なるのだ。更に深いところまで入らなければならないのだろうが、その能力は無論だが時間も無い。
PCの中身全ての再インストールはやっていないが、今は時間が勿体ない。ぶつぶつとブログにぶつけて、仕事にとりかかることにするか!

パソコンは嫌いだ!








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回復力と死生感

2009-06-20 10:37:16 | Weblog
人間の回復力について、私自身の経験を説明してみよう。

昨年の4月に車の単独事故を起こしてしまった。神経系では眉の上を断裂したため、瞼も眉も殆ど動かない状態となり秋まで続いた。その間をどうしたかと言うと、バンソウコで、下垂した瞼を吊って生活していた。
10月に入った頃になると、下向きとなる自転車走行時にはバンソウコの世話になったが、基本的にバンソウコを外した日常となった。

事故から1年以上経過したこの5月の20日過ぎ頃、朝目覚めたら、傷の横辺りがやたらと疼くと言うか、中からぐにゅぐにゅと押し込むような痛さを伴う感覚となり、眉を指でなぞると若干だが部分的なしこりと痛みを感じる状態となり一週間ほど続いた。
そして、疼く感覚が無くなった時に、瞼の動きが殆ど・・・多分9割方は回復していたことに気が付いたのだが、実に14ケ月ぶりのことであった。そして、しこりも消えた。

この間、治療は何をしたかと言えば、医師の出した当たり障りの無いらしいビタミン剤の一種を半年間服用した。並行して自主的なマッサージを続けた。それだけである。
残っている後遺症は、回復傾向にはあるが、低気圧予報ともなる目の奥の鈍い痛みと、ヒジの痛みだ。
形成手術も医師と打ち合わせたのだが、様子を見ることにして幸いだった。人間の持つ回復力は凄いと、改めて知らせれたのだが、交通事故は痛いだけでは無く、情け無い体験でもあった。

前期高齢者でも、それなりの回復力を持っているのだ。ましてや、成長期のお子たちの回復力は、例え未知数でも大いなるものがある筈だ。
仮に5年や10年、同い年の子から遅れてスタートしたとしても、齢を重ねれば70歳も80歳も大差が無いと思うのだ。

今度の事故の後、家族には次の様に言い渡した。
「脳が何らかの損傷を受けたとして、三ヶ月間反応が無ければ、延命措置は中止して良い」「人の噂も75日と言われている。その辺りから残った者の心の準備は出来るだろう」と。

では、翻って我が子の場合となれば既に成人しているが話は別だ。例え6畳一間の生活となっても、己の金の続く限り治療を続けたいと思う。然したる理由は無い。強いて言えば親だからだ。

死生感は、あくまでも自分で決める。



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死生感と臓器移植

2009-06-19 09:00:08 | Weblog
死生感が衆議院を通過した。臓器移植については双方の立場があって良いのだが、私は、死の定義を政治で決められては困るとするものだ。

欧米でも、いわゆる「あちら」でも、夫々の国で色々な考え方はあろう。宗教だって国の成り立ちだって異なるのだから、色々とあって当然なのである。ことさら日本が拙速に真似る必要は無い。

私が一番恐れるのは、一義的な脳死の定義により、治療の中断なり停止が始まることだ。法律を通したい時はいざ知らず、優秀な厚生労働省の官僚は、死人の治療を不要とするだろうことは、想像に難くない。例え、どんなに家族の願いがあってもだ。

今だって、回復の見込みが無いと一方が判断すれば、継続した保険治療は受けられない。介護保険の認定だって、改悪ばかり続いているし、現に病院を出された友人も居る。

臓器移植法の強行採決について、6/19付けの北海道新聞に柳田邦男さんの感想が載っている。
ご自身もご子息の脳死を体験し、設置提言者としても、委員を10年来やっていた、旧厚生省の時に発足した大臣懇談会「脳死検証会議」に対して、今度の国会審議に先立ち、委員の誰ひとりとして意見を求められなかったと言う。

ある日の情景、
交通事故で脳挫傷となった負傷者の受け入れが決まった。救急車内で、負傷者が免許証と一緒にドナーカードを持っていたことが確認された。この大病院では移植を待つ患者が居た。連絡を受けた病院内では、救急以外の医師と看護師が駆け回ることとなった。負傷者が到着して程なく、「ただ今、脳死と判定されました」・・・
ノンフィクションとならない事を祈りたい。

死生感は、宗教そのものでもある。他人から強制されたくない。





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