またぞろ、元首相が道徳に絡んで?と思われるが、過激な発言をした。
何で又と思いつつ、自分の事を振り返って見た。
親父に先立たれた母は、20年このかた函館に一人で住いしている。父が健在の頃には、せいぜい1回/年 程度の家族での里帰りだったが、母が一人となってからは、10回/年 程度の頻度に増えはした。
掛け算すると、母が一人となってから会った回数は、200回程度となろうか。それとて、大した濃密な話は無い。
私の自宅の向かいに住むお師匠(家庭菜園の)は、ぼほ同じ頃にご主人を亡くした。お向かいということもあり、以来何かと気にかけてはいる。
今朝も、同居人に問うた「お向かい、昨日は洗濯物を干してあったが、姿は・・・」と。
仮に、1回/週 の会話としても、20年では1000回を越える。冬は雪かきで顔を合わせるし、春から秋は菜園談義がある。従って、2~3倍の少なくても2000回以上の会話があったことになり、母より10倍以上も多く接して来たことになる。
他方、そのお師匠も、私の作業場の灯りが数日無ければ、「元気だったの?」と、心配して声をかけてくれる。
こう考えてみると、私の母とは「単なる子」としての、義務感だけで接しているような気さえもして来た。
姉も言っているのだが、確かに子に対して愛情の薄い親ではあったが、、、
その反動であろうか、兄弟姉妹の間で「あんたが一番親馬鹿・・」と、集えば冷やかし合ってはいる。
振り返ってみれば、親元では18年だが、親元を離れてから47年も経ってしまった。当然だが、他人との係わり合いの方が多く深い。
我が家の場合は、遠い親戚ならぬ「遠い母親よりも、近くの他人」なのかも知れない。
それでも、故郷である「函館の風景が心地よい」のは、帰巣本能なのだろうか?
何で又と思いつつ、自分の事を振り返って見た。
親父に先立たれた母は、20年このかた函館に一人で住いしている。父が健在の頃には、せいぜい1回/年 程度の家族での里帰りだったが、母が一人となってからは、10回/年 程度の頻度に増えはした。
掛け算すると、母が一人となってから会った回数は、200回程度となろうか。それとて、大した濃密な話は無い。
私の自宅の向かいに住むお師匠(家庭菜園の)は、ぼほ同じ頃にご主人を亡くした。お向かいということもあり、以来何かと気にかけてはいる。
今朝も、同居人に問うた「お向かい、昨日は洗濯物を干してあったが、姿は・・・」と。
仮に、1回/週 の会話としても、20年では1000回を越える。冬は雪かきで顔を合わせるし、春から秋は菜園談義がある。従って、2~3倍の少なくても2000回以上の会話があったことになり、母より10倍以上も多く接して来たことになる。
他方、そのお師匠も、私の作業場の灯りが数日無ければ、「元気だったの?」と、心配して声をかけてくれる。
こう考えてみると、私の母とは「単なる子」としての、義務感だけで接しているような気さえもして来た。
姉も言っているのだが、確かに子に対して愛情の薄い親ではあったが、、、
その反動であろうか、兄弟姉妹の間で「あんたが一番親馬鹿・・」と、集えば冷やかし合ってはいる。
振り返ってみれば、親元では18年だが、親元を離れてから47年も経ってしまった。当然だが、他人との係わり合いの方が多く深い。
我が家の場合は、遠い親戚ならぬ「遠い母親よりも、近くの他人」なのかも知れない。
それでも、故郷である「函館の風景が心地よい」のは、帰巣本能なのだろうか?