この校章にデザインされているのはさつま芋の葉っぱである。他の中学それも街なかの中学生たちからは、「イモチュウ(芋中)」「イモチュウ」とからかわれたものである、半ば蔑みで。
通学域内にある国の農業試験場が研究や実験の実証として近在の農家に、開発した技術を試みをしてもらっていた先進的な田舎であるのに。
同じ町内に住み、一緒にこの中学を卒業し、ともに同じ高校に進んだ4人が30年ぶりに会い、食べ、飲み、語りあった。4人が一人も欠けなかったこと、ぴったり都合がついたこと、が素晴らしい。
4人の中間距離で選んだ中国料理店。会った刹那は「?・・・」、会話もギクシャク。でもそれは数分。後から後から当時の記憶が蘇ってくる。
いずれも戦い終えたOB。今は年金生活ながら、引き続き職に着いている。拓大名誉教授(八王子在住)、理科大名誉教授(横浜在住)、船会社役員(秦野在住)、広告代理店役員(川崎在住)。
担任の先生の思い出、洟垂れ時代の悪ガキ仲間とのチャンバラ遊びや仲間はずれの泣き笑い、泥だらけで三角野球、暗くなったらそのままテレビのある家に上がり込んでワイワイガヤガヤ、家族の今、学生時代のクラブ活動、働き盛りの苦労話、闘病記、エトセトラ、エトセトラ、話の尽きることがない。
♪ 思えば遠くに来たものだ ♪ 禿げて、白くなって、眼鏡がかかって、髭を生やして、歩幅が小さくなって。
いろいろあった人生。でも今、昔の同時代を再び共有出来る。健康だからこそ出来た。
次に会う日を約さなかったが、それでいい。自然体がいい。必要になった奴から声がかかる。
大野中学校歌 木俣修 作詞 沖 不可止 作曲
一、限りなき緑の起伏 麦は燃えて揚雲雀鳴く
明るき校舎ここにして 窓打ち開き呼ぶ声の
勢いぞ徹れ一筋に 学べよ深く我が真理
栄えあれ我ら大野中学
二、果てしなき広野のかなた 雲を抜きて富士が嶺は照る
白砂の庭べここにして 友もろともに追う技は
意気にぞ燃ゆれたくましく 鍛えよ直くわが生命
幸あれ我ら大野中学
三、さやかにも大気の澄みて 馬入の川は水も香に顕つ
行き交う草生ここにして 瞳清若く持つ夢に
胸こそ踊れのびのびと 育め高く我が理想
誇れよ我ら大野中学
随分と高尚な歌、こんなの歌っていたんだ。意味判っていたかしらん。
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