本所を東西に流れる竪川にかかる一之橋と二之橋の中間に架かる「塩原橋」があります。
この塩原橋は関東大震災の復興事業の一つとして昭和3年11月に架けられました。当時は
木橋でしたが昭和29年3月、現在の鋼桁橋に架け替えられました。橋の名は、江戸時代の末
に「本所には過ぎたるものが二つあり、津軽大名と炭屋の塩原」とうたわれた塩原太助がこの
辺りに住んでいたことから、その名が付いたいいます。
塩原太助の立志伝は有名で、当時、南二葉町(現亀沢3丁目)に住んでいた三遊亭円朝によ
って人情話に仕立てられ、その後浪花節や演劇になって、歌舞伎の「塩原太助一代記」は明治
25年に初演され、愛馬「青との別れ」で大変な評判をとったそうです。
「塩原太助青の別れ」で検索すると面白い噺が聞けますので、そちらをおすすめします。