新宿区立花園公園・小学校一帯は、明治の東京落語界を代表した三遊亭円朝が、明治21年
から28年まで住んだ場所です。説明板によると、屋敷地はおよそ1000平方メートルとい
います。母屋と廊下で続きの別棟の離れが「円朝室」と呼ばれた円朝の居室でした。孟宗竹の
深い藪や野菜畑に囲まれる田園風景が広がっていたといいます。円朝は周囲の喧騒を避けて、
当時はまだ寂しい町だったこの地を選んだそうです。
怪談噺や人情噺を得意とした円朝の代表作「真景累ケ淵」「牡丹灯籠」「塩原太助」など、
特に新宿在住時は、新宿や戸塚を舞台とする「怪談乳房榎」の他「名人長次」などを書き上げ
るなど、まさに円熟期にあたりました。花園公園にある旧居跡の碑は、新宿区指定史跡となっ
ています。
近くの水海道には 怪談累ヶ淵の舞台となった累ヶ淵があり累一族の墓があります
たしかに円朝は噺家と作家として素晴らしい
私は円生の塩原多助に感激した思い出があります。