葛飾北斎胸像(元浅草・誓教寺) 2015-08-31 06:13:08 | 日記 江戸後期の浮世絵師で葛飾流の始祖とされます。散策の途中立ち寄りましたが、誓教寺の 入り口近くの胸像です。左側には、生誕200年を記念した「富士」があります。昭和35年です ね。お墓は昭和2年(1957)に東京都指定の旧跡になっています。 説明によると、葛飾北斎は宝暦10年(1760)江戸本所割下水で生まれ、14歳で彫刻師に 学び、19歳のときに浮世絵師藤川春章の門に入り、他派の画法を学んで破門となる。以来い ろいろな画風を学び独自の画境をひらくことになります。広重とともに賞賛された風景画などが ありますが、富嶽三十六景が有名です。 « 秩父湖・二瀬ダム(埼玉県) | トップ | 講道館柔道発祥之地(東上野) »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 北斎は。。。 (kimasita) 2015-08-30 20:25:06 日本人ばなれした、バイタリティーがあったみたいですね。たしか、90歳過ぎまでいったんですかね。引っ越しは100回近かったとか、読んだことがあります。娘さんが、また 男勝りの豪傑だったみたいですね。信州の小布施で、天井画の八方睨みの龍とか、いろいろ見ました。江戸時代の人って、いまの我々が考えているよりもずっと広範囲に旅行したり、ビジネスで移動していたみたいですね。 返信する 北斎 (hibichan) 2015-08-31 07:58:46 隅田区役所内で見た記憶が浅草もしばらく遠のいてます 返信する kimasitaさん (sanpo63) 2015-08-31 13:05:18 八方睨みの龍ですか 見たいですね なにしろ高齢まで頑張って と言うよりのんびりと やたいことをやっていたらしいですね。 返信する hiboshanさん (sanpo63) 2015-08-31 13:12:10 墨田区役所は 常時企画展をやっていますから面白いものがありますよ たまには つくばエクスプレスで浅草へ どうぞ。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
たしか、90歳過ぎまでいったんですかね。引っ越しは
100回近かったとか、読んだことがあります。
娘さんが、また 男勝りの豪傑だったみたいですね。
信州の小布施で、天井画の八方睨みの龍とか、いろいろ見ました。
江戸時代の人って、いまの我々が考えているよりも
ずっと広範囲に旅行したり、ビジネスで移動していたみたいですね。
浅草もしばらく遠のいてます
なにしろ高齢まで頑張って と言うより
のんびりと やたいことをやっていたらしいですね。
面白いものがありますよ
たまには つくばエクスプレスで浅草へ どうぞ。