散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

瓜生岩子像・浅草新奥山

2013-08-03 05:54:53 | 日記


 瓜生岩子女史は、幕末から明治にかけての社会実業家として知られると同時に、福島と東京

をまたにかけて社会福祉に貢献していました。文政12年に今の喜多方市に生まれました。雑

貨屋を営んでいた父が死亡し、さらに火災で家を失った岩子は叔父の山内春龍の元で事業を学

びました。17歳で呉服屋を営んでいた佐藤助茂と結婚し、一男三女をもうけましたが岩子が

34歳の時に夫が死亡しました。  

 その後救護所、縫製所などを各地につくり、本格的に社会・慈善事業に取り組みました。あ

の戊辰戦争では、敵味方の関係なく手当にあたり、死者を弔いました。政府軍の軍人達をも感

心させ「仏の岩子」と多くの人から慕われました。日本のナイチンゲールといわれ、我が国の

女性最初の藍綬褒章を受章しています。

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4 コメント

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ナイチンゲール (hibochan)
2013-08-03 07:05:44
戊辰戦争であったことなんて知りませんでした
八重さんだけが目立ってます。
全く人名も初めて
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逞しい (幸せなさち)
2013-08-03 07:31:21
おはようございます

34歳でご主人を亡くされ
1人で子育てしながら世の中のために尽くされてきたのですね
岩子さんの生き方に
私も元気が出て来ました

良いお話をありがとうございます
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hibochanさん (sanpo63)
2013-08-05 05:45:48
 戊辰戦争の最中に敵味方関係なくですから

 当時の教育もあったでしょうが、天性ですかね。

 素晴らしい女性ですよ。
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幸せなさちさん (sanpo63)
2013-08-05 05:52:10
 昔の人は凄いですよ。
 目の前に戦争で負傷した人がいれば
敵味方なく治療して助けたですからね。

 日露戦争位までは戦場でもそんな雰囲気
だったらしいです。情けを知る人間だったわけですね。
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