言問橋の西詰にある公園の片隅にある石碑には「あぁ東京大空襲 朋よやすらかに」と刻ま
れています。これは台東区が昭和61年に造立したものです。説明によると、隅田公園のこの
一帯は、昭和20年3月10日の大空襲で亡くなられた数多くの方々を仮埋葬した場所です。
亡くなられた多くの方々の遺体は、台東区内の公園等に仮埋葬され、戦後荼毘に付され、墨
田区の東京慰霊堂に納骨されました。
戦後68年を経て、この不幸な出来事や忌わしい記憶も年毎に薄れ、平和な繁栄のもと忘れ
去られようとしています。今も台東区は、区民から貴重な情報に基づく戦災死者名簿を調整し
ています。この碑には何時来ても香華が絶えません。
ここに来ると必ず「羽子板や 子はまほろしの すみだ川」の秋桜子の句碑を訪れます。こ
の人は本名水原豊、俳人として明治から昭和にかけて高浜虚子に師事しましたが、医学博士と
しても社会に貢献しました。この日は句碑の周りが綺麗に清掃されていて、いい気持ちでした
が、「ひざまづく 童女の髪や 菊供養」も好きな句です。
あの忌まわしい大東亜戦争
終戦の20年8月 当方は小学6年生でした
本ブログを見せて頂きながら当時のいろんな事柄が走馬灯のように頭の中を駆け巡って居ります
富山市街もご多分に洩れず8月1日に大空襲を受け焼け野原となり多くの方が亡くなって居ります 当宅は市街から離れておりますのでそれを免れましたが 未だに冥福を祈るばかりです
然し この碑にいろんな物もお供えして、これを見ていると何か自然に手を掌せ拝みたなります
然し区役所もご熱心で名簿調整感致します
この日は句碑にも訪れられて
この俳人の方は子供さんには大変な何か思いだす追憶があったのでしょうね
お宅様が書いてお出でになる2首を見て
良い句だな・・と思う次第です
では失礼致します
このような石碑などは大切にして、語り継ぎ
ながら何時までも香華の絶えないようにしたいです。