この観音さまは、縁結びの観世音として信仰者がおおいそうです。本尊開帳の日には、広場
の見合いの松や夫婦松でお見合いして、結婚した花嫁が盛装して参詣する風習がいまでも
残っています。境内の六地蔵や仏像、まんりょうの赤色が鮮やかですね。
ここの銅鐘は、1442年(嘉吉2年)の銘文のある清原国光の作です。国光は飯山の鋳物師
です。火災によって焼失しますが、銅鐘鋳造の願いが強いことから新堂宇の再建に先だって
麓の金剛寺の住職が寄付を集めて完成したものと伝えられます。「飯山の隠れ鐘」という言い
伝えがあります。これは時の住僧が例鳴を怠ったことから、銅鐘が一夜にして姿を消したと
いいます。後に夢告によって地中から掘り出されたという伝説から「飯山の隠れ鐘」と呼ばれる
ようになりましたとさ。(写真Mr麹町)