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添田唖蝉坊、添田知道(そえだあぜんぼう、そえだともみち)の筆塚です。この話は相当に
古い話ですが知る人ぞ知るですね。唖蝉坊はラッパ節、しののめ節により、社会を痛烈に批判
吟遊しました。演歌師唖蝉坊のしののめ節「つきだす鐘は上野か浅草か 往き来し絶えて月に
ふけゆく吾妻橋 誰を待つやら恨むやら 身おば欄干に投げ島田 チョイトネ」が刻まれてい
ます。本名は平吉で神奈川県大磯生まれ、昭和19年2月73歳で死去。明治20年代に壮士
節の世界に入り、演歌の作詩作曲などで活躍しました。
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添田知道氏は唖蝉坊の長男で東京出身、77歳で死去。父と共に演歌の作詞作曲を経た後作
家活動に入り、長編の「教育者」などがあるといいます。年配の方にとっては懐かしいラッパ
節「今鳴る時計は八時半 あれに遅れりゃ重営倉 今度の休みがないじゃなし 放せ軍刀に錆
びがつく トコトットット」といった調子。今の若い人に分かるかな、無理かな。
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