大雑把な日常

日常のあれこれ。

かじりかけのパン

2013-10-31 | 日記
今日は朝からヘビーだった。
あさいちの授業でプレゼンがあって
1限目でエネルギーをすべて使い果たした。

お昼はママ友と外でランチ。
けっこう重めの話をした。
なんだかお昼くらいから腰が重く、
ぐったりしている。

…でも
今はこれを書かないとやってられない。
やることは山積みだけど、
書かないことには前に進めない
と夕方くらいから思ってたことを書きます。


本日、
プレゼンの授業のあとに
同級生と
試験勉強をしようとしていた。
正直すごくだるかった。
でも
相手がやりたいと言っていたことだし
自分のためにもなるからと
場所の予約をした。

予約した部屋に入ってやりだして
本当にだるくて気が乗らない
と気がついた。
そのことは相手もそうだったらしい。
一瞬重い空気になった。
本当はもうちょっと人が集まると思っていたが
我々はふたりだった。

するとそのひとは
荷物を置いて
なにかモゴモゴと言い
退室した。

丁寧な断りはなかったと思う。
その「モゴモゴ」のなかに
それが入ってたと妄想したいけど、
わたしは
その部屋にひとりきり残された
と感じた。

置いて行かれた。

とそのとき思った。
そう、
何か買ってくる
とその子は言ったのかもしれない。
で、
それに
私も行く
というような提案をしたことも覚えている
でも
来てほしくないと意志表示をされた。
いや、全ては今となってはあいまいな記憶だ。

残されたわたしは
やることが山積みだったので
それに手をつけようと
思うのだが
なんだかダメだった。
開いたパソコンのファイルを
開いては閉じてを何度か繰り返した。

今起こったことが処理できなくて。
そしてどうしてか
泣きたい気持ちになった。

どうして泣きたくなったのか
それをずっと今日一日考えていた。

彼女の態度に怒ってもいいし
(現にそのあと親しい人たちに
 そのことを怒り交じりに愚痴った)
大人の態度として
距離を取ってもいいだけど
(現に今日の後半は近づかないでみた)
それよりも
あんなことで
どうして泣きそうになったのかが
わたしのなかで重要だった。

第1にそれは無理に始めたことだった。
自分の時間を殺してまで人に合わせた
という無理があったのだ。
相手はそんなこときっと望んでさえいないのに
わたしが一人相撲をとっていたのだと考えると
その情けなさに悲しくなった。

第2にその教室はガラス張りで
大勢の学生が目の前を通り過ぎていく空間だった。
わたしはこの場所がそもそも苦手で
一人残されたことで自意識過剰になった上に
そんな自分が嫌になった。

第3にそんな状況から抜け出せないことへの憤りだ。
相手は荷物を置いて出て行った。
それから人を集めるように私が数人にメールをしたため、
責任感としてそこから逃亡できなかった。

わたしを取り残した子は
パンを持って帰ってきて
それを私に差し出し、
荷物を持って出て行った。
そのときにはっきり
一人ずつの時間にしましょう
と言われた気がする。
じゃあもっと早く言ってくれればいいのに
とも
そのときの悲しさを表現することも
わたしはできず
ヘラヘラしてしまった。

本当に一人っきりになった私は
大きな深呼吸を数回して、
ファイルに取りかかった。
なんだか息が苦しかったのだ。
またその部屋から出るもんかと
意地になっていた。
その部屋のパソコンはMacで
慣れない私は
倍以上の時間かかって資料を作成した。

半時間ほど経ち
メールを送っていた別の同級生が来て
わたしは
息をうまく吸えるようになった。
来てくれて本当に助かった。

差し出されたパンは
きっとその人が私に何かしらの罪悪感を感じて
買ったものだと思う。
わたしは
衝動的にゴミ箱に捨てたかった。
もちろん食べ物にそんなことはできないので
お金を払いたい
もしくは半分こで食べましょうとも提案した。
ほらほら
わたし半分食べるし…とパンをかじって見せた。
ここでも私は終始ヘラヘラしている。

ここをイーブンにしないと悔しくて
やるせなかった。

でもすべて断られてしまって、
どうしようもなくなった
かじりかけのパンはまだカバンに入ったままだ。

ここで考えていることは
すべて私が勝手に悲しくなっていることであって
相手がものすごいひどいことをしたとは思えない。
相手が勉強をやりたい
と言いだしたように思ったのも
わたしの独りよがりの妄想だったかもしれないし
重くした空気を挽回できなかったこと
ここにいるメリットも何にもない
と思わせてしまったことは私が未熟だからだ。
さらにこんなことをいつまでも考えていることも
そのひとにとっては
面倒な感情なのかもしれない。

明日から
そのひとには普通に接するべきだし
なんら責めることもない。
ただこの話になった時に
あのどうしようもない泣きたくなる気持ちが
戻ってこなくなるまで
しばらく心を閉じていようと思う。

長くなりました。
すべては
感情を分析する行為であって、
誰かを責めるものではありません。
こんな面倒なわたしにお付き合いありがとう。


おしまい




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2013-10-30 | 日記
昨日は雨が降ってましたね。

通学の行き帰りは
雨はあがっていたので
自転車の通学では
何の問題もありませんでした。

家をでたときに
雨が降っていないときは
帰りも雨に降られない
というジンクスは
今回も当たりました。
そんなわけで傘を持っていかなかったの。

でも
昨日は
移動教室があって
雨の中
移動しなくてはなりませんでした。

一緒にご飯を食べている女性に
傘に入れてもらう約束したのですが、
話が盛り上がっているからって
仲のいい男の子のほうに入れてもらった。

中学校だったら
こういう女子嫌われただろうな。

って後から思った。
仲のいい男の子と話したい欲求。

大人になった今、
そんなことで
どう思われても
知ったことか
と思う自分もいますけど

ひとことでいうと

配慮がないのか!

って自分にゲンコツ食らわしたい。
その男の子とは
ここのところ
より良いところを発見して
距離が縮まったように感じており、
嬉しい気持ちでいっぱいなのだけど、
それを見ていた女性の同級生に
「男女の友情ってないと思うんだー
 だからいくらあなたがそう思っていても
 なにかあるかもよ」
と助言されたのでございます。

わたしはというと、

「どう思われようと関係ねーよ!」

などとは言わず。

そもそも友達関係って
お互い思っている度合いが違う。
男性同士も女性同士も
それぞれ同じ度合いだけ
お互いを好きだってことはないわけで
どっちか一方がどちらかを
より強烈に好きだってこともある。
そうなると
男女間は異性のため恋愛が絡むだけで
結局
同性同士の友情となんら変わらないのではないか。
ひとりが
友情と呼べば
結局
友達だと言っていいのではないか
関係性は友達なのだから
本当はどう思っているかは関係ない

という
考え抜いた理論で
応戦しました。
へりくつ
だけは得意です。



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ネタに落とし込む

2013-10-29 | 日記
ありとあらゆることを
ネタにしています。

ネタというのは
題材です。
日常で起こるすべてのことを
題材にして
ひとつのパッケージに落とし込む作業を
いつのころからずっとやっています。

それは毎日ここで文章を書くから
というのもあるし、
それを面白可笑しく書けるか
もしくは話せるか
と考えることが、物事を把握すること
消化することにつながるからです。

だから
ここで書くことや
ひとに話すことは
わたしにとって
一回頭で処理して
発信しても良い
と判断した事柄であって、
赤裸々だったり
言いすぎだと
読む人や聴く人が思ったとしても
脳内にはもっと
言えないことだったり
言ってはいけないだろうと思うことだったりを
溜めこんでいるのです。



学校でお友達に
「なんでもかんでもプライベートを話す」
と思われているみたいですが、
本当はそんなことないのにな
って
心の底で思っています。

言えることの範囲が広いのと
すべてがネタとして消化したいと思っているから
きっとそういうふうに思われるのかもしれません。
もともと考えることも好きだし
それを文章にするのも
お話するのも大好きだから
というのもある。

自分の人生で起こることなんて
ちっぽけなことで
どうせ死ぬんだから
一個や二個秘密を持ってれば
十分だよな
とも思う。

でも他の人はそう思ってないから
言わないのか。
自分の人生が面白いかどうかなんて
どーでもいいのだろう。

ところで
ここで書いていることを
学校のお友達に教えようかな?
って考えたときに
書いていることがあまりにも正直だったり
密接にかかわることだったりして
躊躇した。

実際に関わっているひとに見せるのは
恥ずかしいと気付いた。
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曲げて、投げて、捨てる

2013-10-28 | 日記
ああ大好きな秋が来た。
夜のしんとした寒さと
日中のうららかさが
冬へと向かう切なさの前の
幸福な空間のような気がしませんか。


今日は
こんなポエムから始めてみました。
あは。


柔軟性
について考えてます。
同級生の男の子が
自分を曲げてでも
好きな相手に合わせて
それで
今の彼女を落とした
と言っていて
ふええええ
と思いました。

自分の好きなモノや
意志を
自分を好きかどうかも分からないひとのために
わたしは
曲げられるだろうか。

この質問は
そこまで好きになる人ができるだろうか
という疑問に変換できる。

わたしはそこまで誰かを想えるか。

重いか。
そんな深く考えて
彼は言ったわけではない。

さらりと
そういうことが言えるところに
感動しちゃったのよ。


ちなみに。
わたしは
自分が誰かを深く想えることは知っている。
見返りがないとしても
自分の身を投げることができることも
知っているけど
また
そこに行くの?
と思ってるんです。
ようやく自分を取り戻したのに。

それから
子どもを深く愛していて、
こちらは子どもの命を保つためなら
明日にも死ねると思っているので
自分を曲げるかどうかとか
そんな問題ではないのだ。

今日はどうしたのだろう。
くるり
をずっと聴いていたせいだ。
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いごこち

2013-10-27 | 日記
男性が4人も家に来た。
その事実で
中学生マインドのわたしは震え上がったよ。

家飲みの話です。

誘っておいたのは私ですし、
どうぞどうぞ
遠慮なく
などと愛想を振りまいたのも
私なので、
今更なにを言うか
ということなんですけどね。
しばしリビングに座る男性たちを見て
2秒ほど立ちすくんだ。
女性もいたし、子どももいたので
本当に執り行われた事実とは
反します。
私の卑屈モテナイ精神による妄想が
その日も強固であったということだけで。

いろいろ感情が動かされましたけど、
結果
とっても楽しかったです。

家の汚さを指摘されたくない。

というのは、
実際、指摘されていたわけではなくて、
そう思われるのではないか
という事実に
結婚当時はプレッシャーを感じていた
ということなのですが、
それを深く考えてみると
結局、
その家に暮らすみんなにとって
居心地のいい家にしたい
という想いがあるからなんだな
と気付きました。

目指すゴールは
そこなんですよね。

自分だけ居心地良くても
家族の住む「家」としては不十分で
暮らすみんなの妥協点を見つけることが
たとえば夫婦単位だと
育ちが違ったり、
長いこと自分でやってきた方法があったりして
難しい。
相手に合わせることや
慣れ
だけではない
お互いこれだけ譲れる
という思いやりが
家族みんなの中でほしい。

「居心地のいい家にしたいんだ」

ということを
そこに住むみんなに分かってもらえれば
なんとかやっていける気がするんだけど、
たぶん
…考えすぎ。

飲み会については
わたしは楽しすぎて
だいぶ酔っ払って
妹に食べさせたいと買った
カレーの缶詰を空けちゃいました。
まあ
サービス精神です。
行きとどいていたかどうかは
わからないけど。
あたしは楽しかったよ。
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