何クールか前、テレビでやっていたよね。とにかく子役の子達がすばらしかったのを覚えている。テレビを見てから読み返す。原作と違っていきなり犯罪の種明かしをしてしまうテレビ、どう展開させるのかと思ってみていた。亮司と雪穂に視聴者を感情移入させることでドラマを進めていたが、次々と犯罪を上塗りする形で罪を重ねていく二人に、途中でどうしてもついていけなくなってきたものだ。
でも、本は違う。もう一度、犯人も結果も知った上で読み進んでみたが、やはり面白かった~。数々の事件や情報を重ね合わせて推理していく面白さはもう無くても、ぐいぐい引き込まれていく。テレビでは二人の関係はみつであり、二人の目線から話が進んでいくのに対して、本では二人の心情は一切説明されていない。でも、二人の共生の様子は十分伝わってくるのだ。折にふれて挿入される世相(オイルショック、ルーイックキューブ、etc.)も、その時代を体験してきたものにとっては身近に感じられ、より話に引き込まれてしまう。
これもまたいつもの東野作品と同様、ある逃れようもない不幸な現実から、這い上がろうともがく人間の物語。少女売春をさせる母親を殺してしまった少女と、少女を買春した父親を殺してしまった少年の生き様。
常に雪穂を見守っていた亮平は警察の手から逃げ切れず、自殺なのだか事故なのだか判然としないまま転落、彼の人生を変えたはさみによって死んでしまった。これによって、雪穂は警察の手から逃れられるかも知れない。でも、「あたしの上には太陽なんかなかった。いつも夜。でも暗くはなかった。太陽に代わるものがあったから。太陽ほどあかるくはないけれど、あたしには十分だった。あたしはその光によって夜を昼と思って生きてくることができたの。」と、語る雪穂にとっての光、亮司がいなくなってしまったんだよね。これから雪穂は白夜を一人で行かなければならないのだろうか。そう、亮司はもういないのだから、白夜でもない真っ暗な中を一人で? テレビでは救いとして、亮平の子供がすくすく育っている様子を描いていたけれどね。
厚み3センチはあった文庫本。一気に読んでしまった。
でも、本は違う。もう一度、犯人も結果も知った上で読み進んでみたが、やはり面白かった~。数々の事件や情報を重ね合わせて推理していく面白さはもう無くても、ぐいぐい引き込まれていく。テレビでは二人の関係はみつであり、二人の目線から話が進んでいくのに対して、本では二人の心情は一切説明されていない。でも、二人の共生の様子は十分伝わってくるのだ。折にふれて挿入される世相(オイルショック、ルーイックキューブ、etc.)も、その時代を体験してきたものにとっては身近に感じられ、より話に引き込まれてしまう。
これもまたいつもの東野作品と同様、ある逃れようもない不幸な現実から、這い上がろうともがく人間の物語。少女売春をさせる母親を殺してしまった少女と、少女を買春した父親を殺してしまった少年の生き様。
常に雪穂を見守っていた亮平は警察の手から逃げ切れず、自殺なのだか事故なのだか判然としないまま転落、彼の人生を変えたはさみによって死んでしまった。これによって、雪穂は警察の手から逃れられるかも知れない。でも、「あたしの上には太陽なんかなかった。いつも夜。でも暗くはなかった。太陽に代わるものがあったから。太陽ほどあかるくはないけれど、あたしには十分だった。あたしはその光によって夜を昼と思って生きてくることができたの。」と、語る雪穂にとっての光、亮司がいなくなってしまったんだよね。これから雪穂は白夜を一人で行かなければならないのだろうか。そう、亮司はもういないのだから、白夜でもない真っ暗な中を一人で? テレビでは救いとして、亮平の子供がすくすく育っている様子を描いていたけれどね。
厚み3センチはあった文庫本。一気に読んでしまった。
主人公が太陽のしたでは結ばれない運命だとしりつつも本当は雪穂と結ばれたかったと想っていたのでないでしょか…そう思いたいです。
“手紙“の中で兄は被害者家族へも手紙を書いていましたが、免罪譜にはならなかったのでしょう…被害者にとってはどんなに謝られても亡くなってしまったひとは戻っては来ないのだから…
加害者も被害者も残された人を考えたら犯罪は醜いもの取り返しのつかないものなんでしょうね。
“さ迷える刄“そんな被害者側からかかれた一冊です読んで見て下さい。