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como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

坂の上の雲 第3-2話「二〇三高地」

2011-12-12 20:46:25 | 「坂の上の雲」メモリーズ
 坂・雲、第3部の2話は、全編の中でもっともキツい、二百三高地のお話です。ほかのところに視点を移して雰囲気を緩和する、ようなことを一切せず、覚悟を決めて、キツい203高地をシッカリと描きます。
 いやすごかったです…。もう、日本テレビドラマ史上に金字塔を打ち立てたんじゃないの。映像の技術的なこととか、脚本の出来とかは勿論の話として、それよりまず、キツい戦場ドラマから逃げずに1時間半描き切った、ということにおいて。
 この、逃げない、というのは、あれです、わたしよく言ってるんだけど、戦争ものの催涙趣味に逃げてない、ということが一番なんですよね。
この種のドラマとか映画とかだと、日本では(大河ドラマは特にそうだよ)お約束のように出てくんのよ。「愛する人を守るためにオレは戦うウ!!」っつうのが。これは戦争美化ドラマではありません愛するひとを守るという純家族愛ドラマなのです、みたいな。これが大っ嫌いでさあ、わたし。こういう免責を提示しなきゃ戦争ものの殺戮場面を映像化しちゃいけないのかよ、とか思っちゃうの。
 それより殺戮なら殺戮とガッツリ向き合って描き切ったところに、べつの意味での…なんつうの、名もなきひとが、その時代に生まれて、生きた意味とかが浮かび上がってきて、死者も救われるみたいなこともあるんじゃないかと、かねて思ってたんですけど。
 そういう意味で、今回の「坂・雲」11話は、日本戦争ものドラマ史上に残ると、私は思います。「愛する者のために…」みたいなしょうもないこと誰も言わないもの。むしろ、この戦争において自分はもとより、愛する家族が全滅しても悔いない覚悟してるもの。
 そういう覚悟はどこから来るのか…職業軍人はともかく、徴収されてきた農村の兄ちゃんたちは、どう思って死に向き合っていたのか…とか。すごく、いろいろ考えながら見てました。ここは見るほうも逃げず、日本人ならすべからく、襟を正して、考えて見なくてはいけないですよね。
 んでは、キツイですが逃げずにまいりましょう、

第3-2「二〇三高地」

○男と男の話をしよう。

 旅順要塞正面攻撃に取りついた、乃木大将(柄本明)の第三軍。第三次突撃まで決行しますが、戦死者の山を築くばかりで、なかなか要塞は落ちません。
 といっても、けっこういいところまで…そう、要塞に取りつくくらいまでは行くんですよ。だから、あと一歩、もうちょっと…と、なかなか正面攻撃から手を引けないわけです。
 そして、有名な白襷決死隊が組織され、肉弾となって旅順要塞に特攻をかけます。肉弾ですよ。この肉弾という新語が自然発生したのは、この第三次旅順総攻撃のときだといわれる由ですが…。十分な銃弾もなく、死を恐れない度胸だけで、自分の肉体を武器にして敵陣に突撃していくわけです。
 こういうのが美化される素地というのが、それまでの日本にもともとあったのかどうか…。まあ、いろいろ考察の余地はあると思いますが、とにかく今回は、突撃・大量死、突撃・大量死、突撃…の繰り返しですので、こういう精神性というのはどこから来るのかなあ…とか、考える時間はいっぱいありました。というか、そういうことを考えさせるために今回はあったんではないか、と思ったくらい。

 第1-1話から顧みるに、しっかり時間をかけて描いていたのは、「とにかく、良くも悪くもそういう時代だったのだ」、ということですよね。
 19世紀末~20世紀初頭は、すごく簡単にいって独立国家の国力というのが軍事力とイコールだった。日本はそういう世界のなかで、いきなり前近代から近代に変身、それもどっか大国の庇護のもとじゃなく自力で変身してきたので、軍事力競争というのも、否が応でも参加しなきゃならないわけですよ。
 だからって、徴収されてきたそこらの農家のにいちゃんたちに、近代国家のなんたるかなんてわかってないわけでね。そういう人たちが、とくに襟首掴んで強制しなくても、一斉に突撃して前を向いて死んでいける空気、そういうのはどう作られたんだろうか…とか、ずっと考えながら見てました。

 白襷決死隊が壊滅し、司令部にお通夜のような暗い空気が流れるなか、乃木大将は決断します。正面攻撃をあきらめて、二百三高地に目標を変更しよう、ということに。
 そんな今更、遅いじゃないのと思いますけど、陸軍には陸軍の言い分があって、旅順要塞のロシア軍を無力化しないと陸軍として勝ったことにならない(単なる海軍の援護射撃)とか、いろいろあるわけです。陸軍の無駄なメンツっていえばそうだし、そんなもんのためにダラダラ無駄な戦しやがって、みたいに、秋山真之(本木雅弘)とかは血管切れそうにイライラしてんですけど、そこへ島村速雄(舘ひろし)が、「それは違う。乃木大将はメンツで戦争してるんではない。ていうかこの戦争じぶんのメンツにこだわってるようなのは誰もおらん!」と。みんなみんな必死なんだ。ただ、その必死のチャンネルがかみ合ってないだけで。

 さあ、この、全員フルボリュームで振り切れているような必死のチャンネルを、なんとかかみ合わせるもの、それはもう「男と男がサシで話をする」、これしかないわけです。
 総司令部の児玉源太郎(高橋英樹)が、泣きながら、これじゃ兵がみんな死んでしまう、どうすりゃエエんじゃ、もうこれは、とにかく旅順に行って乃木の頭のなかのチャンネルを無理やり切り替えるしかない、と決意するんですね。
 っつったって、大将クラスの現場の指揮権を侵すというのはそんな簡単にできることではありません。そんなこと決まりだしできません、前例もないし、とかうろたえる司令部を大喝し、児玉大将は、そんなこと言ってる場合か、乃木が兵隊を全滅させる前にワシが行って代わりに指揮を取るんじゃ!!と。
 これはスンゲエことですよ…。大将クラスの指揮権をどうこう、というより、児玉は、乃木と、男と男の話をしようとするわけです。
 その話というのは、要約すると、「俺と一緒に死んでくれ」ということですよね。
 兵を生き延びさせるために、オレとお前で一緒に死のうやと。「乃木も私も、死ぬべきは今です」と児玉は大山元帥にうったえ、元帥は、やはり深く思うところを胸に秘め、自分の全権委任というかたちで児玉を旅順に派遣するため、一筆書いてくれるのでした。

 まあ…そんな簡単な話ではないかもしれないけど、こういう、中枢クラスの人たちの覚悟、まず自分が死ぬべきところで死ぬ覚悟を常にして、そういう気持ちで指揮を執っている。それが末端の兵卒にも伝わっていたということは、あるんじゃないかと思います。
 一兵卒までが国家防衛のために一丸となっていた…かどうかは疑わしいけど、そこまでの覚悟をしている指揮官の気というものは、男と男として、やっぱり伝わると思いますから。そういう意味では、旅順で屍をさらした兵卒のひとりひとりまで、乃木大将や児玉大将と、男同士の気をあわせて死んでいった…と、思いたいですね。

○二百三高地奪取・爾霊山

 さて、目標地点を旅順要塞から二百三高地に変更したものの、こっちにも万全の防衛線が敷かれており、そう簡単にはいきません。
 苦戦している第三軍、その中で、乃木の二男の保典が戦死してしまうんですけど、こどもの戦死の報告をうけた乃木が、淡々と「よく死んでくれた。それより二百三高地は」というのが、なんか、凄かったです。このあたりに乃木の非凡さというか…前回もちょっと言いましたけど、徹底して無私になれるところが出てると思います。
 ドラマではあまり触れられてませんけど、乃木には、西南戦争のときの「連隊旗奪われ事件」という生涯の汚点がありまして、それが心の傷…いや、心の傷っつうような自意識レベルのことじゃないわな、こう、その失点のためにずっと、国に自分を担保にしている、みたいな節もあるんでね。その、生涯の失点である軍旗を、旅順の地に立てる。それが、まあメンツといったらそうかもしれないけど…。
 その乃木のところに、児玉が言いに来るんですよね。「ここの指揮はオレに執らせてくれ」って。
 これはスゲエことですよ…。いや、なんか今週スゲエことだらけなんですけど、これがダントツで凄いよね。男が、生涯の総決算として自分を投じた大仕事、そこにべつの男が行って、「オレに替われ」という。それだけのことっていったらそうなんですけど、それが、今回もっとも緊張感の漂う、手に汗握る場面になりました。

 家畜運搬用みたいな粗末な列車で旅順に向かう児玉のもとに、「二百三高地陥落」の虹色の吉報がもたらされます。感動に打ち震える児玉…ですが、それも一瞬で、じつは、第三軍の一部が奇跡的に山頂にたどり着いて日の丸を立てたものの、たどり着いたのは40人くらいで、占領というより単なる孤立。あっというまに粉砕されて山頂は奪還されたというわけです。
 児玉は激怒します。「ぶぁっかものがああああ!!!」っと激怒のあまり、関東地方に地震が起こって「各地の震度」のテロップが被ったほど…(これもNHK字幕ネタ伝説になるかもわからん)。
 怒りに打ち震える児玉は、真っすぐに第三軍司令部に。そこには、体調のよくない伊地知(村田雄浩)が待っていますが、児玉は、ご苦労さんも何も、「おめえらバカか、なにやってんだ」みたいに感情的に怒りをぶつけます。
 言われた伊地知も売り言葉に買い言葉、バカとか言われる覚えはありません、勝てないのは弾薬がないからです、閣下はオレらが要請する弾薬を十分に呉れたことないじゃないですか。前線のことも知らないで言いたいこと言わないでくれませんかね!!みたいに、いままでの不満をぶつけます。なんかもう、伊地知が痛々しくてかわいそうで…。無能っちゃ無能かもわかんないけど、とにかく必死だし、できることは全部やってるし、だれも助けてくれないし、どうすりゃいいだよ…みたいな状況。これも、この人の能力というよりもミスマッチングの問題と、運も悪かったのよね。たぶん。後世に残る偉業というのは、適材適所のマッチングと、時の運というのも5割以上はあると思うわ。
 だけど児玉は、そーかそれなら敵陣にいって、あんた方が強すぎるから勝てないんですっつってい言わけしてこいや、とか言って伊地知を罵倒し、馬に乗って前線にいる乃木に会いにいきます。そして、前述のように、男と男のサシの話となるわけですが…。
 なんかこれがね、たまんなかった。もう泣けちゃう。原作の「坂・雲」は乃木を無能に描きすぎかもしれないけど、乃木の、ほとんど無能と紛らわしい徹底無私の姿勢というのは、ある意味、彼の人生を救済する意味づけもあったと思うんだ。そのへんうまく言えないんだけどね。
 ここで、乃木は児玉の指揮交替の提案を黙って受け入れる…それも、西南戦争での軍旗奪われ事件のとき、自裁しようとした乃木を、児玉が「その命をおれに預けろ」と言ってとめた、という話を持ち出して、いいんだよ、自分の命はもうずっとあんたに預けてあるんだから、というのね。
 乃木は命を国に担保にしていたかもしれないけど、その国というのは、児玉のことだったかもしれないんですよ。盟友児玉が、乃木がすべてを捧げて(誇りもメンツも)惜しくない「国」の擬人化として現れたんですよね、このとき。そうだったんだと思う。うん。一方的だけどそう決める。

 そして児玉は、いままでの戦法を一変させます。多少の犠牲を覚悟しても、28サンチ巨砲で援護射撃しながら一気に二百三高地を落とす。陛下の赤子を殺すことはできません…と固まる第三軍の司令部を、そんなことをいって今まで何万の犠牲を積み上げてきたんだ、ここで出す犠牲はこれから出すかもしれない犠牲に比べてはるかに軽微だ!!と言って。
 そして兵たちは再び二百三高地に挑むのですが、味方の砲撃で飛ばされながらも進み、今度こそピークに日の丸を立てます。乃木が西南戦争で奪われた連隊旗を戦争させるような旭日旗を…。

「そこから旅順は見えるか」
「見えます。丸見えであります」


 これがたまんなかったわ。泣けちゃうよ。ものすごいパラドックスなんだけど、
「上っていく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとしたら、それのみを見つめて坂を登っていくであろう」
ってそれは、もしかしたら、死体で覆われた二百三高地の斜面のてっぺんから見える旅順の空のことだったかもしれなくて。

で、二百三高地を占領し、旅順港に停泊していたロシア艦隊を壊滅させたあと、乃木はひとりで二百三高地に上ります。
ここで、乃木の有名な漢詩が紹介されるんですが、

爾霊山嶮なれども 豈攀じ難からんや
男子功名 克艱を期す
鐵血山を覆うて 山形改まる
萬人齊しく仰ぐ 爾霊山


 これって、字面だけ読むとフラットな戦死賛美のようじゃないですか。それを、なんともいえない祈りと鎮魂と…あと、乃木が誰にも言わずに胸に秘めた痛恨、みたいな、なにかこう胸が痛くなるようなシーンになってた。素晴らしかったです。
 ただ、原作で司馬さんが乃木にものすごく冷酷なのは、やっぱり、このあと軍神になって、戦場での肉弾突撃大量死を肯定的に伝説化してしまった、という罪を重く見ているんだと思います(乃木のせいじゃないんですけどね)。歴史には、本人の資質や精神性は別にして、「存在としての罪」というものも、あるということです。そういうものも背負ってしまった乃木稀典という人の、悲しみと、あえて罪を負うだけの高潔さが、はっきりよくみえた今回でした。

ってなことで、次回はいよいよ奉天会戦。そして日本海海戦へ…と、いちばんキツイ峠を越して、健全なナショナリズムの花火が打ちあがるめくるめくクライマックスへとなだれ込んでいくのであります。
しかし今回ムサかったねー。いやホント。女の人が、旅順の通行人の中国人のおばちゃんと、あと回想シーンに出てくる児玉の姉ちゃん、これだけなんだもんね。そういう意味でも凄かったわ。
そんではまた来週!


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