como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

篤姫 最終回「一本の道」

2008-12-15 00:01:50 | 過去作倉庫07~10
 2008年大河ドラマ「篤姫」も、いよいよ最終回。感慨無量のものがございますねえ。おのおのがた、ハンカチ、ティッシュ、タオルなどご用意はよろしいか。トイレは済まされましたか。お茶とミカンも用意して。いざ。
…という感じで臨みました最終回。トータルの感想は、
長えよっっっ!!!
 いや、ホント70分って長い。レビューのために一生懸命見ましたけど、集中力が切れ、途中からなんかダラダラ状態でした。また、緊張を許さないようなつくりなの、これが。こういう最終回って珍しいと思いますが、このドラマに関しては、最終回の2話前くらいで話はほぼ終わってましたからね。あとは後日談と余談に終始するのは仕方ないんだけど、そんならなんで70分もの拡大を…。
 しかも最終回は死んだ人も退場者もみんなまとめて総出演。クレジットの枠が足りず、右流れ画面になってました。これもびっくりした。先週が最終回でこれは総集編なのかと一瞬思いました。いやマジで。
 そんなわけで、折角の拡大版SPも記憶から流れてしまったところが多く、まともなレビューにならないかもわかりませんが、ご容赦を。では、最終回。皆様ご一緒に見てまいりましょう。

 慶応4年、年号改まって明治となりまして、天璋院様はおだやかな余生をはじめております。もう、江戸で彰義隊が流血騒ぎを起こそうが、北越で阿鼻叫喚の内戦が起こっていようが、カンケーありませんね。穏やかな余生には。
 そんなころ、薩摩では、天璋院様との最後の邂逅から帰国した小松帯刀さんが、ファントム久光のところで「版籍奉還」を口説いています。諸侯が領地を朝廷に返し、いったん皆平等になりましょうというわけで、そのモデルを示すため、自分がまず「吉利の領地と家格を返上する」と言いに来たのですね。
 おひさしぶりのファントムは、西郷や大久保などの軽輩が藩主の上に立って政治を仕切るというのがガマンできない。「好きなようにすればよい」とニヒルに微笑んで余裕を見せたりしますが、帯刀さんも藩主に対して「今日は忙しいのでこれで失礼します」とか言ったり、明治になったとたん前にはない失礼な態度だったりするわけです。ファントムは亡き桃太郎の地球儀を回しながら「兄上、兄上の夢見た新しい国とゆーのはこういうもんだったんですかっ!」と歯軋りをしたりします。
 このファントムの怒りの行方をドラマ内で描いてくれたら面白かったのに、「篤姫」での出番はこれで終わりです。山口さんがむちゃくちゃ上手なだけに、脚本がついていけず、最後までもったい無いキャラでした。

 おだやかに余生をおくる天璋院のところに、はるばる薩摩から、実母のお幸さまと兄の忠敬が会いに出てきました。ホントにそんなことあったのか、わかりませんが、ようは回想シーンを提供するためですね(笑)。
 娘時代の於一や、亡き父忠剛様の映像などをたっぷりプレイバックしたあと、「わたくしは母上の教えを守って生きてきました、それゆえ折々によき道が開けたのだと思います」「そういう貴女を誇りに思います」と、涙涙で抱き合う母娘。このドラマ最強の催涙マシン・樋口可南子のパワーは第1話から衰えを知らず、ここで最初のティッシュが、日本全国の茶の間でいっせいに引き抜かれたことでしょう。
 その翌年、明治3年、お幸さまは帰らぬ人となり…と、今週は時の流れが1年、3年、はたまた5年と飛んでいます。まあ、10数年にわたる余談SPなので、そうするしかないんでしょうけど。

 ティッシュの出番、その2。大阪では帯刀さんが入院し、病気療養中。看病しているのは愛人のお琴さんです。
 西郷さんが職を辞退して鹿児島に帰ってしまい、新政府の行く末を憂えた帯刀さんは、病身を押してふたりに説得の手紙を書こうとしておりますが、そこへはるばる鹿児島から、本妻のお近さんがやってくるわけですね。男の知らんところで、女同士で手紙のやりとりをしてたりして。「居心地わるいでしょうけど、お琴さんとふたりで看病させていただきます」と、お琴さんへの心遣いが素敵ですね。
 両手に花で看病してもらった帯刀さんは、やがて病状悪化、お近さんに手を握られて旅立つのでした。もちろんここでもたっぷり回想シーン…ですが、回想するのは主に龍馬なんかと奔走した幕末イベントで、この期に及んで篤姫との思い出など挟まないのはよかったですね。先週のあれ(「亡き夫家定に聞いてみます」)で、完全に清算したのでしょう。
 こうして篤姫へのベタベタした未練を清算してしまえば、帯刀さんもそれなりに「明治の礎を築いた宰相」に見えるわけなので、ドラマ的にももっと早い段階で清算しちゃえばよかったのになあ。惜しいです。それと、「満足な人生だった、素晴らしい日々だった」とかいう死に際の一連のセリフが、妙に甲高い上ずった声だったのも気になりました。「別れなのら」みたいな。
 いや、ここでも全国でいっせいにティッシュ、ハンカチ等が取り出されたと思いますんでね。あんまり馬鹿いってはいけないわ(笑)。瑛太さんお疲れ様でした。わたしのようなヒネクレ者は、あれだけど、貴方の熱演は日本全国のお母さん(鼻をかんでたウチの母しかり)のハートをしっかり射抜いておりましたよ。
 
 帯刀さんの死を知らせに来たのは大久保さんで、すでに、巷間有名なあの頬ヒゲを生やした顔になってます。これが、ドラマの初期段階で「きっと似合うだろうな」と思ったとおり、非常に合ってました。天璋院も「大久保さん、ご立派になられましたね」とホレボレです。「立派な大久保さんがなんの御用?」とか、ちょっとイヤミっぽく言ったりして。
 ですが、「今日は新政府の大久保利通でなく、薩摩の大久保正助として来ました」といわれた時点で、天璋院は何があったか察するわけです。帯刀さんの訃報を聞き、大久保さんが去ってから号泣する天璋院。ここらでティッシュでは足りず、タオルの出番すかね。

 身内がどんどん死んでいくので、天璋院様もガックリなのですが、去る人あれば戻る人あり、和宮こと静寛院が京都から江戸に帰ってきます。
 ふたりで亡きリトル上様の回想などして和みあい、勝のエスコートで、いっしょに人力車にのって街に繰り出して、芝居見物などしたりします。これからも仲良くしましょうね…と言ったものの、静寛院様はまもなく32歳の若さでご他界。柩にいれたリトル上様の写真なんかも、ちょっと披露してくれたらよかったのですが。

 さて、この最終回は、「天璋院様にお客様です」「客?誰じゃ」といっては、次から次へ人が来て、去ってゆく、このパターンで終始するのですが、次なるお客様は西郷さん。ときは明治6年です。
 巷間伝わる姿より若干スリムな西郷さん。この段階での西郷さん役に一般的な厚化粧・肉布団の作りこみって、ちょっと笑えてしまうものなのですが、ことしの西郷さんはわりとナチュラルで、そこは悪くありません。
 西郷さんは、ご存知のように大久保さんと決裂し、西郷教の信者一党を引き連れて鹿児島に帰ってしまうわけなんですが、ここで天璋院に説明するのは「オイは古か男でございもす。古かもんを捨てることができもはん」「大久保ドンもオイが居ては思う政治がやれんでごわす」。…ってそれはつまり、征韓論スルー!? 西郷・大久保の決裂の原因を完全スルーして、古いやつだとお思いでしょうが~、なんて鶴田浩二みたいなこと言ってる場合じゃないです。ないですが、その種の文句は受け付けない「篤姫」的超絶史観によって、西郷さんはサクサク鹿児島に帰っていくわけです。

身辺が寂しくなるとともに、だんだん過去の人になって、いろいろ縛りがとれた天璋院は、勝とデートしたりしはじめます。お座敷の二階にあがってすき焼だか鰻だかを食べたり。
 勝はずっと天璋院のための政局アドバイザーだったのですが、そういう勝も過去の人になりつつある。政治の主役は大久保で、いま、台湾出兵の後始末と、清国との賠償金問題の交渉にいっている、と。対外戦争などまっぴらな天璋院ですが、大久保の追及する富国強兵・殖産興業という理想は、考えれば、亡き桃太郎の理想とするところでもあった。
 桃太郎の理想を、一介の下士だった大久保が継承する…というめぐり合わせの不思議さに、感慨ぶかい天璋院様でした。

 今週は、最終回・涙の再会SPでもあるので、そのクライマックスは、大奥同窓会です。徳川宗家の当主・家達の婚約を祝い、かつての大奥の皆さんがお祝いにやってきて勢ぞろいしたのでした。
 若いふたりの記念写真を撮るために呼ばれた写真師が、かつて瓦版を配っていたコロッケで、これも転身ですが、それよりいちばんすごかったのは久しぶり(という設定)の滝山でした。
 なんと!彼女はまったく老けていなかったのです!!
 イヤー驚いた。今週一番のサプライズかもしれない。やはり滝山はお化けだったのだな。ひとりだけまったく変化のないツルリンとした美貌で、ほかのみんながそれを全く不思議がりもせずに「滝山、ひさしぶりじゃな」とかいって普通に接しているのがめちゃくちゃシュールでした。
 こうして、お化けの滝山を…じゃない、若い家達夫婦を囲んで、みんなで記念撮影です。

 とっとと時は流れ、明治10年、ご存知のように、西郷さんは西南戦争を起こし、新政府軍と戦って、追い詰められて自刃します。最後の言葉は「これでよか」。
 西南戦争終結後、同年秋、これもご存知のように、大久保さんは紀尾井坂で、不平士族に馬車を襲われ、非業の最期を遂げました。最後の言葉は、「まだなにもやり遂げておらん。こういうもんじゃろかい」。
 この最期の対比はとても象徴的で良かった。とくに大久保の原田さんが意外に良くて、ドラマ全体を通じてもめっけもんだったのではないでしょうか。初期のころ、「影がうすい」とか言って貶したのを、ここにおわびいたします。初回で「なにこれ」とか思った人が最終回では化けてるって、大河ドラマのひとつの醍醐味ですよね。

 次々人が死んで、ガックリ脱力している天璋院のところに、思いがけず薩摩のお近から手紙がとどきます。
 帯刀さんの遺した子供を薩摩で育てているお近は、手持ちの古い香木を天璋院に送ってきたのですが、それは「亡き夫・帯刀が上京のおり、お守りとしてもっていったもの」。
「外国で生まれた若木が香木となり、縁あってわたくしの手元で香り、いままた天璋院様の元で香ることになりました。ひとの志もそのようなものではないでしょうか。わたくしも亡き夫や、西郷様や大久保様、龍馬様、天璋院様のお志を、わが子に伝えてゆく所存でございます」
 こ、ここで。さすがのわたくしもティッシュを一枚抜きました。その前の大久保さんの場面もよかったので。やられちゃったな。また、志を香木にたとえるところがいいよね。

 さて、近代日本の最初の分水嶺・西南戦争をおわりまして、天璋院様にも退場の時が近づいています。家達夫婦に子供ができ、その子の着物?オムツ?を縫いながら(勝のシャツじゃないのね)、茶のみBFの勝と四方山話。
 徳川の子孫が続いてゆきますねえ、と感慨深げな勝に、天璋院は「わたしは亡き家定様の仰せのとおり、徳川の心を子々孫々と伝えてゆくのをわが道と定めて歩んできた。今となっては、人の幸せとは地位や名誉や、まして財産でもなく、親しい友や家族とすごす穏やかな日々にこそあると思っているけれど」としみじみ語ります。
 これを聞いて何故か泣きそうな顔になる勝。いい年の男性のマジに泣きそうな顔って、味があって良いものですね。
 こうして、天璋院篤姫は、間もなく、眠るように…っていうかホントにうたた寝しながら天に召されるんですけど、老衰みたいな亡くなりかた、49歳で? …という疑問は、まあ、置いときましょう。
その魂の向かった先は…。

 と、ここで急にいままでの名場面集になるのですが、その名場面が、時間をどんどん遡っていくのですね。天璋院がすごい勢いで若返っていくの。そして、若い娘になった篤姫は鹿児島にかえっていきます(さいごは奈良岡朋子が犬をつれて登場して、桜島をふたりで見ている宮崎あおいと堺雅人に、「お散歩ですか。仲が宜しいですね。お元気で」とか声をかけたりして、などとアホなことをチラと思ったのですが、この元ネタわかる人いるかな 笑)。
 最後は、帯刀さんも家定様もつれずに、ひとりの娘になって、元気に手を振ってバイバイ。このヒロインらしいなかなか味のあるラストで、大河ドラマ「篤姫」、完結です。

 というわけで、1年の長きにわたって続けました「篤姫」各話感想もこれにて終了です。つたないレビューにおつきあいいただいた皆様、本当にありがとうございました。
もう1,2回、学習会のまとめと、総括みたいなもので、お付き合い願えればさいわいです。


21 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんはです (ikasama4)
2008-12-15 00:34:17
最終回はその後の天璋院のお話ですが
彼女のその後っていうのがなかなかお話がないから
彼女と関わった方と絡ませて描く形式に終始したみたいですね。

なもんで個人的に印象に残ったのは
・久光が回想で兄を振り返るシーン

・帯刀の最期

・「しゃもじもう1本」という勝海舟

この三つです(笑)


また、物語としては
ホームドラマの要素が最後まで続いたのですが
それはこのドラマとして家族愛を視聴者に伝えていきたいという
メッセージがあって

そのためにドラマ全体的にキレイにしていく必要が
あったのかもしれません。

だから、西郷さんも大久保さんも最後までキレイでした(笑)

>桜島をふたりで見ている宮崎あおいと堺雅人に、「お散歩ですか。仲が宜しいですね。お元気で」とか声をかけたりして、などとアホなことをチラと思ったのですが、この元ネタわかる人いるかな 笑)。
乙羽信子と会話するあのシーンですね( ̄ー ̄)


ではでは、私の方も総括してからまた遊びに来ます( ̄ー ̄)/~~
返信する
すでに懐かしい「篤姫」 (くまま)
2008-12-15 08:39:38
ほんと、滝山は、「お化け」です(笑)。
ただ、わずかに、鬢が乱れていたので、そこに歳を感じさせるねらいがあったかと思いました。
変わらないと言えば、お幸さんも、変わりませんでしたねえ。

篤姫の洋装も是非見たいところでしたが、最後までイメージを崩したくなかったのでしょうか。

>この元ネタわかる人いるかな 
はーい、国民的名作ドラマになった、あの朝ドラですね。そうか、あれもナレーターは奈良岡さんでしたね。

遊人庵さん、1年間、楽しませていただき、ありがとうございました。
来年も楽しみにしております。

返信する
いろいろあった^^; (sarnin)
2008-12-15 08:55:41
…はずなのですが、それはそれ、(戊辰戦争も後半戦-東北~箱館はなかったのか?)全ては、コップの中から眺めた「篤姫と徳川宗家の人々」のお話で終始してしまいましたね。こちらの勉強会で補習させていただいたおかげで、ドラマで完全スルーされてしまった時代の動きをおぼろげながらつかめるようになりました。ありがとうございました!m(__)m

ほんわかホームドラマを老親と見ていたのですが、小松さんが亡くなるシーンでしんみりした後、おもむろに母が申しました。「あのなー、前から聞こう思うとったん。この人な…」「はい?」「瑛太、て名前?それとも瑛が苗字?」…ここにもおりましたよ(o^-^o)v 母が一年間抱えた問題も氷解して、めでたしめでたしの最終回でありました。(大久保・原田さんについても、「クイズに出よた人がえろう出世したねえ」と申しておりました。ネプリーグが好きなの^m^)

あのシーンと言えば、渡瀬恒彦さんがごいっしょでなかったですか?



返信する
征韓論は (SFurrow)
2008-12-15 09:02:29
下手に出してしまうと、やっぱり「よその国に侵攻する」話ですから、西郷さんのイメージを守るためにも完全スルーになったんでしょうねぇ。ブッシュももうすぐいなくなるしねぇ。って関係ないか。
勝の「しゃもじ」なんかは実際に勝の残した話をうまく使ったみたいですが。
全体に予想どおりのユルい展開で、一番気合いを入れて見たのが来年の予告編で(笑)これまた映画「涙そうそう」をウッカリ思い出しちゃうような所があったり。しかし阿部ちゃんの謙信だか毘沙門天だかはピッタリのナイスキャストでしたわ。
おっと来年の話はまだ早すぎる…今回の最終回ですが、先に総集編を2-3週連続くらいで流し、28日に総集編が終わった後で「後日談編」をおまけみたいに放送したほうが良かったんじゃないかなと思います。
個人的には「瞳」の里子役で出ていた吉武怜朗くんがせっかく家達役で出たのにセリフが無かったのが不満。吉武クン、顔だちもキャラもすごく時代劇向きだな~と思って期待してるんです。トレンディ方面に迷い込まず時代劇に邁進せよ!
返信する
終わりましたね (りんりん)
2008-12-15 14:50:14
最終回ということもあってたくさんの方が次々と亡くなりましたが、宮様の死が完全にスルーだったのがどうもすっきりしません。というか、終盤もほとんど空気でしたけど。
せめて公方様とのツーショット写真を棺の中に・・・といったベタな展開でもお願いしたかったです。

西郷さんも大久保さんの死の場面に比べて帯刀さんの死ぬパートが長いなぁ~と思って見ていたら(準主役なので当然ですが)、妹が「帯刀の場面が長すぎ。こんなにいらない」なんて言いだして(^^ゞ
おまけに本妻と愛人に看病される帯刀を見て「男としては最低だね・・・」と。結局篤姫にでの「小松帯刀」という人物が私は理解できないまま終わったような気がします。
返信する
今、見終わりました (まいちんぐ)
2008-12-15 18:00:04
こんばんは。
たった今、見終わりました~。

庵主さまがおっしゃるとおり、長い!
時間延長する意味あったのか?って感じでした。
しかし、最後の名場面集はよかったですね。
今までを遡って、一人の娘にもどるというのが私はちょっとじ~んとしました。

大久保利通、ひげその他がぴったりでしたね。
「は~ら~だ、たい!ぞう!です!」って言ってる人と同一人物とは思えなかった。

1年間お疲れ様でした。
来年も楽しみにしています。
(来年の予告編が今日一番見応えあったような・・・)
返信する
ついに完結 (MoTo)
2008-12-15 19:24:23
最終回だから70分の拡大スペシャルでしたが、庵主さまもおっしゃられているように途中はダラダラした展開でしたね。むしろ60分でまとめた方がよかったのでは。前回までは作中の時間経過が割とゆっくりしていたのに今回に関してはやたらとスピーディに感じられました。余生の10数年分を一気に消化する、といった感じで。

前回の時点で最終回もゆったりしたものになるとは予測はしていましたが、篤姫と関わりある人が次々と亡くなっていく所にはしんみりとさせられました。確かに宮様の死がナレーションで片されていたのは残念でなりませんが(他にも戊辰戦争の東北~函館五稜郭の最後の戦いがスルーされた事も挙げられますが)。
くまま様がおっしゃられているように私も篤姫の洋装は見たかったです。最後の最後ぐらいでサービスというのも悪くなかったとは思うのですが。

滝山に関しては、お化けというのも当たっているように思えました。私の見た限りでは大奥時代よりも若返っているように感じられましたが。SFやファンタジーに出てくるような齢ウン百~ウン千歳で容姿は20代的なキャラに見えてしまいました。
篤姫様にしてもこれも私の見た限りですが、30代になってからも時に少女っぽかったりしているなと思う所がありましたが。

最後になりましたが、学習会のまとめや総括といったものを期待しております。
返信する
なんだかんだで終了 (ぎんこ)
2008-12-15 20:58:15
>もう、江戸で彰義隊が流血騒ぎを起こそうが、北越で阿鼻叫喚の内戦が起こっていようが、カンケーありませんね。穏やかな余生には。

をを。遊人庵さんのキョーレツな皮肉が!
…まあ、篤姫に関係ないちゃないのですが、上野でも相当な戦闘があったわけでしょ?なんか感想は…?って思ってしまいます。
今、フランス革命についての本を読んでmるのですが(佐藤賢一のじゃないです)、そのタイトルが「歴史における劇薬」って副題がありまして、劇薬とはいい効果もあれば、副作用としての怖い部分もあります。明治維新も劇薬のような効果があったなら、副作用の面も書いてほしいなとは思います。篤姫さん幸せでした~で終わってしまうのは、なんか惜しいような気もします。

 西郷さんの最期もちらりとありましたが、九州は結構西南戦争の跡地が多くて、歴史に興味のある人はおお、と思うかもしれません。でも特になにかあるわけではないですけど…。

そういえば、新聞で読んだのですが、「我が輩は猫である」というあの超有名小説に、猫が隣の家のメス猫が好き(だったっけ?)で、その猫が篤姫が飼っていた猫と遠い血縁で~みたいなエピソードがあるらしいです。そのくらい、篤姫は江戸の人に好かれてたらしいです。
大河の紀行でも、葬儀に1万人もの大衆が押し寄せた、みたいなこと言ってましたよね。そんなに人気があったのか~とびっくりしました。やっぱり、あの混乱の中でも江戸に残ったのがよかったのでしょうね。

 …で、遊人庵さんは来年も大河塾を続けてくださるのですか?いや、blogの楽しみないと、来年は脱落しそうなので…。
返信する
終わりましたねえ (あんの)
2008-12-15 21:36:38
お久しぶりです。
1年間お疲れ様でした。

…て、早々と挫折し春も越せなかった私が言うのは僭越というものですね。

>先週のあれ(「亡き夫家定に聞いてみます」)で、完全に清算したのでしょう。

いや、あれは「最後まで全敗で先週で無理やり清算された」と私には思えてなりません。
家庭的問題も病に無理やり清算してた(させてた?)くさいですし。
まあ、尚五郎らしい言えばそれまでなんですけどね。
返信する
皆様おつかれさまでした☆ (庵主)
2008-12-15 22:10:17
一夜あけまして、みなさま視聴お疲れ様でございました。
いやー、さすが皆様、あのお化けドラマの最終回をきちんと覚えてらっしゃるわ(笑)。わたしはあれ以来、奈良岡朋子のナレーションというと最終回に実物がサービス出演する気がして、つい期待してしまうのですが(笑)。

ikasama4さん

>「しゃもじもう1本」という勝海舟

勝の取り持ちで天璋院と静寛院が仲良く明治後をすごしたというエピソードは外せなかったのですね。
とはいえ、勝海舟というより海原雄山みたいだったのが少々気になりましたが(笑)。

>ドラマとして家族愛を視聴者に伝えていきたいというメッセージがあって、そのためにドラマ全体的にキレイにしていく必要があったのかもしれません。

そうですね。キレイキレイで食い足りなくかんじたのは否定できないですが、でも、都合のわるい史実をきれい事に改変するのではなく、汚い裏をあえて描かないという手法は、それなりに好感が持てました。描きたいテーマが一貫していたのは、良かった点だと思います。



くままさん

>鬢が乱れていたので、そこに歳を感じさせるねらいがあったかと

たしかに…。ま、あの豪華な打掛を脱げばみんなそれなりに老けてみえるのですけどね。大奥を出て、明治になっても皆「片はづし」の大奥女中ヘアを結ってるみたいでしたが、それもちょっと特殊な感じで、良かったと思います。

>篤姫の洋装も是非見たいところでしたが、最後までイメージを崩したくなかったのでしょうか

篤姫は洋装したんですかね。わかりませんが、たしかヘアーカットはしてるんですよね。最晩年の写真は髷を結っていないので。それもちょっと、見てみたかった気もします。


sarninさん

>コップの中から眺めた「篤姫と徳川宗家の人々」のお話で終始

まあ、平板で人畜無害ではありますが、天璋院がコップの中から見ていた視点のおかげで、明治前半期の流れを、凝縮させて見られたのは良かったと思います。

>瑛太、て名前?それとも瑛が苗字?

ああ~~!!やはりいらしたのですね。お母様…。そういうお母様が、日本全国にはまだ多くいらっしゃるでしょう。「新選組!」のときから「照英」さんを中国人だと思ってるお父さんお母さんと同世代でしょう。
そのため、当塾でつけた仮の名は「瑛 太(えい ふとし)(笑)。今後マゲものに出るときは、この名前で。

>渡瀬恒彦さんがごいっしょでなかったですか?

ごいっしょでした。しかも、まだお若かったんですよね。音羽さんと並ぶとあきらかに年下感があり、ふしぎな感じでした。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。